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第1章 犬と狼

紙一重

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「これからの事を考えましょう」

 マリアたちを狙っているのは雅家ろうこたちだけではない。遊女が話していた男を何とかしなければ。頭を捻り考える犬飼に、神父たち三人は顔を見合せ頷くと、ある提案をした。

「……私たちで考えていた計画があるのだが、聞いてもらえるだろか」

「えぇ、どうぞ」

「実は、マリアたちを本国へ逃がそうと思っている」

「本国へ?」

 それは敵の裏をかくということか。

「そうだ。マリアの父親や雇われた奴の目を欺くには、それしかない」

 rebirthここにいると思い込んでいる今なら、本国へ帰り潜伏しても気づかれない。

「一つ問題があります」

 ヘンジーたちのことである。本国の人間であるマリアならすんなりと帰れるだろうが、彼や妹はそういう訳にはいかない。戸籍がなければ仕事もできない。仕事もなければ住む家も見つからず、路頭に迷うだけ。

「そのことなんだが、ハイエナに頼もうかと思っている」

「ハイエナくんに?」

「奴は質屋を経営しているが、もともとは死体漁りスカベンジャーで有名だったんだ」

 死体漁りとは、その名の通りに死んだ人間の持ち物を奪い売り払う子どもたちの略称。

「奴なら盗んだIDをいくつも所持しているはず」

 何も死体が出るのは島の人間ばかりじゃない。本国からの暗殺対象の要人や異国の金持ち、はたまた各国で犯罪を犯し潜伏している者など、件数は圧倒的に少ないが彼らも事件に巻き込まれ不審な死を遂げている。この島では司法の介入が難しいため、彼らは行方不明者として扱われ、IDナンバーは向こう15年は登録されたままになる。これは世界共通である。

「そういった連中から盗める物は何でも盗む、そうやって生きてきた」

 いや生きるしかなかった。その言葉に改めて島の現状を思い知らされた。

「ただ……」

「どうしました?」

「私は奴には嫌われていてね……頼みを聞いてくれる望みは少ない」

 むしろ無いに等しい。神父が困ったように頬をかく。

「そこで一つお願いなんだが、君からハイエナに頼んでもらえないだろうか?」

「えっ? でも、それは……」

 悪事を働けということ。他人のIDを不正仕様するのは、たとえ死人であっても立派な犯罪。

(マリアさんたちは助けたい……けど、僕は警察官だ)

 心の中で葛藤する。この案を受け入れたら警察官としてのプライドに傷をつける。しかし、神父の言う通り彼らを救うには本国へと逃がすしかない。そして一番犬飼が懸念していること、それは不正に加担したことが上層部うえに知られたら、本国へ帰るチャンスがなくなること。

「お願いします! あなたにこんなことを頼むのは間違っていることは分かっています!! けど、僕もマリアも……」

 ただ幸せになりたいだけ。そう声を震わせ涙を溢した。

「わ、かりました……頼んでみます」

 ふたりを救うと誓った以上、それが最善の策ならと、心に残った違和感に蓋をする。

「おぉ、ありがとう!!」

 三人は手を叩いて喜んだ。神父は大きな手で犬飼の手を掴むと、何度も何度も礼を言った。

「……そう言えば、まだ名を聞いていなかったな」

「あ、自己紹介が遅くなりました。本国より派遣された警察官の犬飼賢士です。よろしくお願いします」

「そうか、君のような心優しき青年が来てくれて神に感謝だ。私は……見ての通りで、町の反対側の教会で神父をしているアルカスだ」

 どうぞよろしく。先ほどの戦闘で見せた恐ろしい怒りが嘘のように、穏やかな笑みを見せるアルカスだった。

「それで、ハイエナくんには三つのIDを頼めばいいんですね?」

「いや、二つでいい」

「けど、それだと……」

 グレースはどうなるのか。狼子が去ってからまた奥の部屋へと戻っていった彼女、まだ小さく口も聞けない子どもが、兄と離ればなれになってしまったら生活は誰が支えるのか。

「グレースのことは心配ない。しばらくの間は私が面倒みる。」

「私やヘンジーが仕事を見つけ本国むこうの生活に慣れたら、グレースちゃんも引き取って暮らそうと決めているんです」

rebirthここを出られたとしても、その先は上手くいく保証はありません。妹を連れて行って万が一の事があったら、死んだ両親に顔向けが出来ませんから」

「神父様にはご迷惑をかけますが、それでも教会へ預けられると聞けば、グレースちゃんも安心してヘンジーと別れられると思うんです」

「グレースちゃんには何も話してないんですか?」

「えぇ、まずはIDを手に入れないと」

 華やかな笑顔で頷くマリア。

「そうですか……」

 また違和感を感じた。もしかしたら今生の別れになるかもしれないのに、そんなことは言えなかった。


















「悪いけど、もう一回言ってくれ」

「……IDを二つ偽造して下さい」

 ハイエナは耳を疑った。裏の世界に携わっていると、人の本質を見抜く力が自然とついてくる。目の前にいる潔癖なほどの正義感野郎だと踏んでいた男が、悪事に手を出そうとしていることに心底驚いている。

「どうした? 何か悪い物でも食ったのか!?」

「あ、いや……その」

 人助けにちょっと……。言いよどむ犬飼とその態度、そして『人助け』という単語に、ハイエナは察した。

「例のブローチの持ち主か?」

 そう尋ねれば、コクリと頷く。そういえばここに売りに来た少年は、北区の人間だった。

「で、ブローチの持ち主は生きてたのか?」

「はい! 無事に」

 だとしたら、あの妙に怯えた客は少女の友人か恋人になるのだが、……IDが二つ必要ということは後者か。

「もしかしてマリアって奴とあの客の為に?」

「えぇ……作ってもらえますか?」

 もちろん代金はきちんと支払う。

「そりゃ構わないけど、あんたも大変だな」

 面倒な事に巻き込まれて。きっと良心が痛むのだろう、ぎこちない笑顔を見て思った。

「本国に逃亡なんて誰が考えたんだ? あんたじゃないことは確かだし、ゴリラ女に誰かを助けるなんて優しさはねぇ。……となると残るのは、あのクソ神父か?」

 客の男は北区の人間、マリアもまた教会へ通っていた。見事言い当てたハイエナに、犬飼は目を丸くした。

「神父とは仲が」
「大っ嫌いだぜ、あんな偽善者野郎くそやろう

 狼子に見せた表情とは違い、本気で嫌悪しているようだった。

「どうせ丸め込まれたんだろ? テメーで頼みに来りゃいいのに、俺に断られるとか何とか言って無理やりあんたを寄こして。アイツはただ俺に頭を下げるのが嫌なだけなんだよ」

「どうしてハイエナくんは、そこまで神父を?」

「昔からの因縁だ」

 それ以上は答えなかった。

「あんたも気を付けろよ。いくら善人ぶったって、所詮アイツは人の皮を被った獣だってことを忘れるな」

──この島に善人は存在しない

 たった19年という月日しか生きていない少年の言葉。それでも彼が歩んできた人生を物語っているようで、犬飼の心にとても重く響いた。
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