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第2章 呪われし者

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「本当に男は、そう呼んだのか?」

「そ、うだ。何度も」

 狼子の纏う空気が変わった。九頭と話していた時のように。

「知ってるんですか、誰なのか」 

 犬飼の質問には答えず、口に手を当て考え込む。あの時、九頭が口にした『蛇』と何か関係しているのか。

(確か死んだはずだって……)

 狼子は断言していた。死体は揚がらなかったが、状況から察するにまず間違いないと。

(死んだ人間と同じ人間)

 彼女が嘘をついているとは思えないし、犬飼も蛇は死んだと考えている。ならば、ラジュルに電話を寄越した男は一体──。

「──危ないっ!!」

 入り口にキラリと光る銃身が見えた。その先が捕らえていたのは、犬飼。それが目に飛び込んだラジュルは、とっさに彼を押し退け銃弾を受けた。

「ラジュルさん!?」

「だ、いじょぶだ……」

 弾丸は、ラジュルの肩を貫き分厚いコンクリートへとめり込む。

「──誰だ!」

 敵の気配に反応できないほど思考に更けていた。不覚を取ったと、すぐさま狼子は戦闘態勢に入る。

「隠れてないで出てこい。でなきゃ、こちらから行くぞ!」

「……すみません、隊長」

 呼び掛けに応じ扉から顔を覗かせたのは、狼子の部隊に所属する女性隊員だった。

「そうか、……お前か」

(……あの人、)

 女の顔に見覚えがあった。茶木の説明を整列して聞いていた時、確か前列に並んでいたから。

「何故……犬飼を狙った?」

 冷静のように思えて、狼子の言葉の端々には、沸々と煮えたぎるマグマのような怒りが見え隠れする。それもそのはず、入ったばかりの新入りならいざ知らず、隊を裏切ったのは、苦楽を共にした古参のメンバーなのだから。

「言えません」

「何が目的だ?」

「言えません」

「誰の差し金だ?」

 矢継ぎ早に質問するが、答えを全て拒否する。彼女の恐ろしい怒りに触れながらも、顔色一つ変えないのは、流石プロと言ったところか。

「……蛇ノ目、」

「──ッ!!」

 狼子がポツリと呟く。聞きなれない名を言葉にした一瞬、僅かに女が動揺を見せた。

「そうか、蛇は──」

 生きているのか。その仕草が肯定だといわんばかりに、女の目を見た。

「あ、いや……違っ、」

 何かに怯えるように、女の顔からドッと汗が吹き出る。しどろもどろに否定するも後の祭り、狼子の視線に耐えられなくなった女は、そこから目をそらした。

 怒れる獣を前にして視線をそらすということ、それすなわち死。黒朝こくちょうを鞘から素早く引き抜くと、銃を持つ右手へと一直線に投げつけた。刀は前腕を貫き骨を砕く、腕と刀の隙間から吹き出た血が女の顔を赤く染めあげた。

「いやぁ"ぁぁあ"!!」

 辺り一面に女の声が響きわたる。

「まだまだ……こんなもんじゃないぞ?」

 遅れてくる激痛に、のたうち回る女。狼子は女に蹴りを入れ腹這いにさせると、そのまま背中に足を乗せ、遠慮なく体重をかけていく。

「う"ぅ……ッ、グッ……」

 メリメリと背骨が悲鳴をあげる。地面が内臓を圧迫してうまく息ができないのか、女の口の周りには泡が。狼子の体重は68キロだが、女が体感している今の重さは、その10倍にも感じた。

「ろ、うこさん……もう、」

 こんなに恐ろしい彼女は見たことがない。いや、これこそが本来の姿なのか。犬飼の制止など聞く耳持たずで、更に重さをかけると、もう一度尋ねた。

「何で犬飼を狙った?」

 最初に犬飼を狙うのは得策ではない。あの場を制圧しようとするならば、真っ先に狙うは一番厄介である狼子。次いでラジュル。すでに満身創痍だった彼を一番に襲えば、狼子に気づかれるのは必至、それこそ女の勝機は無に等しくなる。

「……め、い……れ」

 命令。やっとの思いで女は答えた。

「なら次の質問だ。お前たちの目的は?」

「わ、から……な……」

 分からない。その言葉に嘘偽りはない。どうやら女には理由を知らせなかったようだ。バキッ、ゴキッ……っと、重さに耐えきれず、背骨が一つまた一つと折れ鳴く。

「なら最後の質問だ。……お前を裏切らせたのは、蛇ノ目本人で間違いないんだな?」

 女の頭が2回上下に揺れた。もう声を出す気力もない。

「もういいでしょ……!? このままじゃ死んじゃいます!!」

 痛む身体を引きずりながら、狼子の元へとたどり着くと、腕にすがり付くようにして説得を試みる。

「……死ぬ? 心配ないさ──」

 まだ死なせない。やけに透き通ったその声は、ゾッとするほど冷たいものだった。突き刺さったままの刀を手に持つと、グリグリと肉を抉る。忘れていた激痛に、声にならない悲鳴をあげると、女の身体は痙攣をはじめた。

「狼子さんッ!!」

「大きな声を出さなくても聞こえてる」

 意識を失っただけだと、何事もなかったように女の背から足を退けた。

「こんな拷問みたいなこと、する必要があったんですか!?」

「これは部隊うちの問題だ。必要かどうかは、隊長あたしが決める」

 外野に責められる謂れはないと、ピシャリと突っぱねられれば、何も言い返せない。

「感謝して欲しいぐらいだ。黒幕がお前の命を狙ってるって、口を割らせたんだからな」

「……その男は何者なんですか?」

 なぜ会ったこともない死人に命を狙われなければいけないのか、犬飼は、男についての情報を狼子に求めた。

「『蛇ノ目』。それが本当の名かは誰も知らない。奴は、先代の当主、つまりあたしのお祖父様が連れてきた男だ」

 茶木と共に、幼き日の狼子の世話係を任された蛇ノ目は、類いまれない剣術の才能の持ち主で、同時に狼子の師範でもあった。狼子が所有する妖刀『黒朝』は、彼女と同じ能力を持つ歴代の所有者から、力と共に受け継がれるようになっている。

「あたしが黒朝あいぼうを手にしたのは、8才の時」

 13の年で長兄の虎幸が元服を迎えると、前任の者から自動的に能力が移行する。幼い子供が妖刀を扱うのは、精神的にも肉体的にも不利だと判断した結果だった。

「お祖父様が連れてきた人間ならと、誰も奴を疑わなかった」

 生まれも名前も定かではない青年。その生い立ちすら不明だが、文字通りと、皆が彼を迎え入れた。

「奴が雅家うちに来て1年、ある事件が起きた」

 次兄の誘拐。狼子と二人で遊んでいるところに目をつけ、集団で襲い拐おうと計画を立てた。警備は厳重で、彼らが屋敷に入ることは不可能。だが、それでも侵入出来たのは、内から手引きをした人間がいたから。

「お兄さんは、大丈夫だったんですか?」

「あぁ、未遂に終わった」

 しかし4年後、再び同じ事件が。またしても次兄を狙った犯行。しかも今度は暗殺。
最初の時は、情報を聞き出す前に犯人達が死亡していたので、事件の黒幕まではたどり着けなかった。

「でも犯人の内の一人を捕まえて拷問にかけたら、あっさり吐いたよ」

 計画を立て、手引きしたのは蛇ノ目だと。狼子は、茶木と共にすぐさま奴を追った。

「暗闇に紛れて本国へ逃げようとする奴を見つけ、殺害した……はず、だったんだがな」

──なんで子狼パップってよぶんだ?

──貴女の中には、狂暴な獣が棲んでいる。人々の肉を喰らい骨を噛み砕き、心臓を抉りとる……そんな恐ろしい獣が。今はまだ、眠ったままだから子狼パップ。いつか立派なハティになって下さることを、私は楽しみにしていますよ

「蛇ノ目の目的は一体? なぜお兄さんを?」

「奴の目的は、あたしと黒朝の完全なる融合。全てを狩り尽くすところが見たいのさ」

 誘拐及び暗殺未遂は、そのためだけに引き起こされた。次兄が狙われたのは、彼が戦闘において一番非力な人間だったから。

──まぁ、雪兎あれは人前には滅多に出ないからね

(だから、地下に潜っているのか)

「ソイツを使って立てた計画、恐らくアムールに知恵を貸したのも、マリクに武器を調達するよう進言したのも──」

 蛇の仕業。

「まんまと利用されたのさ、ザイア王国は」

 混沌カオスをもたらす為に。

「そして犬飼、お前は知らない内に、奴の怒りに触れたようだ」

 蛇ノ目が犬飼の命を狙ったのは私怨のため。

「でも……僕は、本当に知らないんです」

「お前が奴を知らなくても、奴とお前は、何らかの形で出会っている」

 蛇ノ目としてではなく、別の誰かとして──。

「十中八九、本国の人間と手を組んでいる。もしかしたら、警察官時代に会っているかも知れない」

 ラジュルに本国の人間を襲わせたのは建前で、真の狙いは虎之助。背後にいる誰かが蛇ノ目と結託して、彼を亡き者にしようと画策したのだ。
 
「あれこれ考えても仕方ない。とにかく奴が生きていることを報告しなきゃ。あたしは、茶木に連絡を入れて、父さんのところへ向かう」

「僕も一緒に行きます!」

「いや、いい。犬飼は鹿乃と合流して、引き続きアリ王子達の護衛をしてくれ。計画が頓挫したと気づいたら、王子諸とも抹殺しようとするかもしれない」

「分かりました!」

「あんたは一緒に来てもらうぞ? 奴との話しを当主の前で、もう一度説明してもらわなきゃならないんでね」

 その言葉にラジュルは頷いた。それから……と、倒れている女に目をやる。

「この人も連れて行くんですか?」

「あぁ。まだ何か隠していないか、父さんにもらう」

 その後はどうするのか、そう尋ねたくとも尋ねられない。女の末路がどうなるかは、聞かなくても分かっているから。

「……茶木か? あたしだ、」

 内ポケットから電話を取り出し腹心へと掛ける。いつの間にか意識を取り戻していた女は、息を殺してその時を待っていた。狼子の気が、電話口の茶木へとそれたのを見逃さず、最後の力を振り絞って、彼女に向かって何かを投げた。

「狼子さん──!!」

 瞬時に手榴弾だと理解した。狼子はソレを弾き返そうと黒朝に手を伸ばすが、距離が近すぎて間に合わない。

「すいません、」

 そんな彼女の手を掴み、引き寄せる。

──少しだけ我慢して下さい

「な、にを……?」

 驚く狼子に優しい顔で微笑むと、ありったけの力を込め、そのまま彼女を扉の外へと投げ飛ばした。

「……し、ね……」

 女は笑っていた。犬飼はラジュルへと駆け寄り覆うように被さる。狼子の身体が廊下へと放り出されるのと同時に、弧を描いた手榴弾は、床へと落下し、爆発した。
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