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第三章 不平士族と西南戦争
二十一 獄中の不平士族
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十一学舎結成前。萩の乱に呼応しようとした筑前不平士族の若手である箱田、頭山、松浦、進藤、奈良原、宮川……等々の面々が逮捕された当初、県令の渡辺清は越智・武部といった主流派が逮捕者救出のために攻め込んでくるかと怖れ、逮捕した者たちを即刻斬刑処分にしてしまおうとした。
ところが丁度その時、地方巡見のためとして内務少輔の林友幸が東京の大久保利通から派遣されて福岡に滞在しており、様々な問題のある渡辺県令の処置を止めに入る。この時点での斬刑は世間にとってもあまりに刺激が強く、むしろ今後の治安、行政面に逆効果をもたらすと理論立てて説得し、「斬るのは何時でもできる。奪還や仇討ちを避けるにはむしろ他所に移した方が良い」と述べられた県令は、敵を増やすくらいなら、と不平士族の若者たちを山口県萩の監獄に送った。
その監獄は萩の乱の首謀者前原一誠が刑死した場所であるが、山口県令の関口隆吉は福岡から来た若き憂国の志士らを哀れみ、酒肴の差し入れや読書なども充分に許してやったらしい。
しかしそれはそれとして当時の拷問は苛烈を極めた。逮捕者たちは荒縄で縛られて天井から逆さ吊りにされ、肉がただれて失神するまで体を青竹で乱打された。彼らの判決は決まっていない。刑罰ではなく拷「問」なのである。これで取り調べの一環なのだ。
そんな中で比較的平然としていたのが進藤喜平太と頭山満だった。進藤喜平太は当時としてはすらりと背が高く紅顔の美少年じみた風貌であった。一方でその気質は平常時からどんな恐ろしい相手もニコニコ顔で片付け、どんなに恐ろしい場所もお辞儀をしつつ平気で通り抜け、どんな先輩の末席でも平然と座って酒を飲んで騒ぎ、喧嘩の際も相手の強弱や人数の多い少ないなどは気にしないというとんでもない豪傑であり、この拷問の中にあっても衒わず怯えず、言うべきに言い、黙すべきに黙し、応答停滞無しという揺るぎなさである。
他の者が皆精魂尽き果てて死人のような姿で牢屋に戻ってくる中を進藤だけは眉毛一つ歪めない泰然自若の有様で帰ってくるものだから、“まさか仲間を売って一人だけ拷問を免れているのか”と同じ獄舎の同志たちに疑われた。そこで試しに服を剥ぎ取って見れば、その身体は皮膚が裂け、肉が破れ、却って最も厳しく拷問を受けていたことを示したという逸話が残っている。
その進藤と張り合ったのが頭山満と、それから進藤と同じ文部館出身の奈良原至で、彼らは三人並んで木馬責めにかけられた。腰に荒縄を結んだ状態で三角木馬に跨らされ、荒縄に一つずつ漬物石を結び付けられその数をだんだん増やしていくという責め苦なのだが、いつの間にやらこの石を一つでも余計に多くぶら下げるのが競争になった。
進藤は石をいくつ増やしても相変わらずのニコニコ顔だった。
「なんじゃこいつニヤニヤしおって」「もっと石を増やしてやれ」「しかしこの進藤という奴は全くへこたれぬな」
刑吏官たちの言葉に、進藤はにこやかに応じる。
「そう見せられているなら、一士族としてなんとも嬉しい限りです」
奈良原と頭山の眉が僅かに動く。まるでこの程度に耐えられぬ者は武士の、あるいは男の風上にも置けぬと言われているみたいではないか。そう来られては年少の奈良原とて意地でも顔を歪めるわけに行かなくなり、あらん限りの強情を張った。
「おい獄卒。なんで進藤の石が八つでこの奈良原には六つじゃ。もっと寄越せい」
「は? ……まあ増やす分には」
「看守、こっちにも追加頼む」
「え、いやそんな宴会で酒を注文するような口ぶりで言われても」
「わしは酒を飲まんタチじゃ」
「知らないが。いやもう三人とも腰から下が真っ赤で血のズボンを穿いているみたいになっとるじゃないか」
「うん。珍しい眺めじゃのう」
「こちらが言うのもなんだがそんな平然としてられる状況か?」
「いやいや、まだいけるじゃろう」
「拷問にかけられる側がそれ言うのか?!」
「コラッ、進藤。貴様の顔が歪んどるぞ」
「アハハハハ」
奈良原が冷やかしてやると進藤は天井を仰いで高笑いする。意地の張り過ぎで刑吏官ら拷問を担当する役人たちの方がドン引きするレベルだった。
進藤にとっては拷問といえども“痛いだけの事で何でもなかった”らしいが、酒が飲めないことに心底参ったようである。
「飲みとうて飲みとうてならぬところへ、ちょうどコレラが流行ってなあ。獄卒が“これを魔除け(消毒)のために雪隠に撒れ”と云うて酢をくれたけに、それを我慢して飲んだものじゃ。むろん米の酢じゃけに飲むとどことなくポーッと酔うたような気持になるのでなあ……まことに面目ない、浅ましい話じゃったが、奈良原が、あの面付きでしかめて酢を飲みよるところはなかなか奇観じゃったよ。奈良原は酒を飲むといつも酔狂をしおったが、酢では酔興が出来んので残念じゃと云うておった」
他の者たちが通常の拷問に加えて酒断ちにまで苦しんでいる中で頭山はそのどちらも平気だった。何度か腹を壊したりしたことはあるらしいが身体は丈夫な方で、また下戸ではないが好んで酒を飲むわけでもない。同胞たちが拷問と不衛生と禁酒で心を荒ませて些細な事で喧嘩するのを「君たちは長州まで来て、馬鹿げたことで矯志社の恥をさらすのか。(頭山たちの投獄は十一学舎結成前)何の為の同志か忘れたわけではあるまい。大望を忘れたか」と年少の身ながら説教して諫めるほどしっかりとしていた。
そして頭山が時折獄中で「未だ弾丸矢石の間に出没せざる児等、時に乗じて跋扈跳梁す、西洋事情を師として専ら国勢を弄す。国家果たして富むべきか、兵力果たして強うすべきか、風俗果たして篤うすべきか、兵力果たして安かるべきか、我いまだその停止する処を知らざるなり。我この輩と朝に在って国を売るの謗りを得んよりは、むしろ勇退して後図を成さん」と前原一誠の『参議を退くの辞』を口ずさむと、左右の獄舎で頭山と同じ矯志社社員だった宮川太一郎や阿部武三郎が頭山と声を合わせて朗唱して獄中の同志たちを励ました。
流石に獄卒たちはそのようなものにまで通じていないので頭山たちを“変わった経文を唱える宗教団体”と勘違いしたりしたらしい。萩の乱の前の神風連の乱では神社の宮司たちが廃刀令に反発して挙兵したからそういった手合いだと思われたのかもしれない。
また頭山は子供時代に仙人修行などと言って飲まず食わずで山籠もりをした影響か、食べる時はいくらでも食べるが食べるものが無ければ一日どころか数日間何も食べなくても良いというとんでもない体質だった。当人が後に語るところには、毎日ご飯と梅干を貰えるという点で、娑婆で無茶をしていた時より牢の中の方がよっぽど良い食事をしていたぐらいだと言う。
ある時、奈良原はそんな頭山が妙な事を始めているのに気づいた。獄中の食事には時々副食物としてイワシを煮たものが白飯の上に置かれて出てくるのだが、頭山は上の方の飯ごとそのイワシを除けてその下の白飯が生臭くなっていないことを確かめてから食べるのである。
大飯喰らいの頭山が、普通に食っても足らぬ処へ妙な事をすると思い理由を聞いてみた。なんでも、生みの母が胃ガンによって亡くなってしまったというのだ。
「自分が心配をかけたせいでもあるだろう。看取ることもできず、大変な親不孝をした。だからせめてもの追悼として、牢屋の中で自宅から墓参りに要する距離の分を歩き回ったり、精進として生臭を避けたりしよるのじゃ」……とのことである。
そうか、とそれを聞いた奈良原はその後食事の時は毎回頭山の隣に座って魚を貰うことに決めた。いつの日か酔っ払って門限を破り先輩に殴られた奈良原を平然と眺めていた頭山といい、随分な友人関係である。
食事と言えば、同志の1人でおそらくは奈良原至の10歳下の弟である宮川五郎三郎か誰かが運良く年少のために捕縛を免れ(そもそも戦力に入れてもらえず反乱に関与できなかったとも言う)、煮込んだ牛肉を差し入れに持ってくるようになった。当然の如く看守に拒まれたが鉄門の間に足を突っ込んで決死の気迫で駄々をこねて無理やり目標を達成すると、それを前例に翌日からどしどし肉を運び入れて当局を弱らせると共に年長の同志たちを大いに元気づけたという。
肉を毎日差し入れられるとなるとこれは福岡の監獄の話ということになるが、いつのことだかはっきりしない。当人たちが語ったというところでは“頭山は獄中で初めて強忍社社長の越智彦四郎がどんな人物か知った”“奈良原は武部小四郎が自分たちと同じ監獄の少し離れた獄舎に入れられたのを知った”という話もあり、もしかすると萩と福岡の監獄を行ったり来たりさせられていたのかもしれない。
獄舎の移動に関して今に残っている話としては、ある時西南方面の時勢がますます不穏なものとなったために万一のためとして頭山らは兵営の中の営倉へと移すべく鎖に繋がれて獄舎から引き出されたことがあったという。
若き侍たちはいよいよ斬刑に処されるものと覚悟して笑い合ったというが、奇遇にもあの松浦愚が奈良原と同じ鎖に繋がれて、2人は歩きながら話すことができた。
「おい、奈良原。今度こそ斬られるぞ」
「うん。斬るつもりらしいのう」
「武士というものは死ぬる時に辞世ちうものを詠みはせんか」
「うん、詠んだ方が立派じゃろう。のみならず同志の励みになるものじゃそうな」
「貴公は皆の中で一番学問が出来とるけに、さぞいくつも詠む事じゃろうのう」
「ウム。今その辞世を作りよるところじゃが」
「俺にも一つ作ってくれんか。親友のよしみに一つ分けてくれい。何も詠まんで死ぬと体裁が悪いけになあ。貴公が作ってくれた辞世なら意味はわからんでも信用出来るけになあ。一つ上等のヤツを分けてくれい。是非頼むぞ」
本来、松浦は奈良原よりも5歳以上年上なのである。皆から「松浦の馬鹿馬鹿」と言われ軽侮されたり敬慕されたりしていたその松浦愚がここまで言う。流石の奈良原も可笑しいやら可哀想やらでしばらく返事が出来なかった。
しかし松浦は刑死するより先に病に斃れてしまった。松浦も腕力には自信のある大層な豪傑の一人だったが拷問の傷と獄中の不衛生に体力を削られ、ペストかチフスかそれともコレラか、重篤な感染症にかかってしまったのである。
死の直前にようやく福岡へ帰ることを許されたと言われているが、せめてもの情けで故郷に近い福岡の監獄へ移したのか、それとも重大な感染症が獄中に広まれば後が面倒と思われたりして特別に保釈されたのかはよくわからない。亡くなった日は西南戦争がまだ続く明治10年6月25日。梅雨時で長らく降り続いていた雨が上がり、およそ6日ぶりに晴れた日だったらしい。
ところが丁度その時、地方巡見のためとして内務少輔の林友幸が東京の大久保利通から派遣されて福岡に滞在しており、様々な問題のある渡辺県令の処置を止めに入る。この時点での斬刑は世間にとってもあまりに刺激が強く、むしろ今後の治安、行政面に逆効果をもたらすと理論立てて説得し、「斬るのは何時でもできる。奪還や仇討ちを避けるにはむしろ他所に移した方が良い」と述べられた県令は、敵を増やすくらいなら、と不平士族の若者たちを山口県萩の監獄に送った。
その監獄は萩の乱の首謀者前原一誠が刑死した場所であるが、山口県令の関口隆吉は福岡から来た若き憂国の志士らを哀れみ、酒肴の差し入れや読書なども充分に許してやったらしい。
しかしそれはそれとして当時の拷問は苛烈を極めた。逮捕者たちは荒縄で縛られて天井から逆さ吊りにされ、肉がただれて失神するまで体を青竹で乱打された。彼らの判決は決まっていない。刑罰ではなく拷「問」なのである。これで取り調べの一環なのだ。
そんな中で比較的平然としていたのが進藤喜平太と頭山満だった。進藤喜平太は当時としてはすらりと背が高く紅顔の美少年じみた風貌であった。一方でその気質は平常時からどんな恐ろしい相手もニコニコ顔で片付け、どんなに恐ろしい場所もお辞儀をしつつ平気で通り抜け、どんな先輩の末席でも平然と座って酒を飲んで騒ぎ、喧嘩の際も相手の強弱や人数の多い少ないなどは気にしないというとんでもない豪傑であり、この拷問の中にあっても衒わず怯えず、言うべきに言い、黙すべきに黙し、応答停滞無しという揺るぎなさである。
他の者が皆精魂尽き果てて死人のような姿で牢屋に戻ってくる中を進藤だけは眉毛一つ歪めない泰然自若の有様で帰ってくるものだから、“まさか仲間を売って一人だけ拷問を免れているのか”と同じ獄舎の同志たちに疑われた。そこで試しに服を剥ぎ取って見れば、その身体は皮膚が裂け、肉が破れ、却って最も厳しく拷問を受けていたことを示したという逸話が残っている。
その進藤と張り合ったのが頭山満と、それから進藤と同じ文部館出身の奈良原至で、彼らは三人並んで木馬責めにかけられた。腰に荒縄を結んだ状態で三角木馬に跨らされ、荒縄に一つずつ漬物石を結び付けられその数をだんだん増やしていくという責め苦なのだが、いつの間にやらこの石を一つでも余計に多くぶら下げるのが競争になった。
進藤は石をいくつ増やしても相変わらずのニコニコ顔だった。
「なんじゃこいつニヤニヤしおって」「もっと石を増やしてやれ」「しかしこの進藤という奴は全くへこたれぬな」
刑吏官たちの言葉に、進藤はにこやかに応じる。
「そう見せられているなら、一士族としてなんとも嬉しい限りです」
奈良原と頭山の眉が僅かに動く。まるでこの程度に耐えられぬ者は武士の、あるいは男の風上にも置けぬと言われているみたいではないか。そう来られては年少の奈良原とて意地でも顔を歪めるわけに行かなくなり、あらん限りの強情を張った。
「おい獄卒。なんで進藤の石が八つでこの奈良原には六つじゃ。もっと寄越せい」
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「知らないが。いやもう三人とも腰から下が真っ赤で血のズボンを穿いているみたいになっとるじゃないか」
「うん。珍しい眺めじゃのう」
「こちらが言うのもなんだがそんな平然としてられる状況か?」
「いやいや、まだいけるじゃろう」
「拷問にかけられる側がそれ言うのか?!」
「コラッ、進藤。貴様の顔が歪んどるぞ」
「アハハハハ」
奈良原が冷やかしてやると進藤は天井を仰いで高笑いする。意地の張り過ぎで刑吏官ら拷問を担当する役人たちの方がドン引きするレベルだった。
進藤にとっては拷問といえども“痛いだけの事で何でもなかった”らしいが、酒が飲めないことに心底参ったようである。
「飲みとうて飲みとうてならぬところへ、ちょうどコレラが流行ってなあ。獄卒が“これを魔除け(消毒)のために雪隠に撒れ”と云うて酢をくれたけに、それを我慢して飲んだものじゃ。むろん米の酢じゃけに飲むとどことなくポーッと酔うたような気持になるのでなあ……まことに面目ない、浅ましい話じゃったが、奈良原が、あの面付きでしかめて酢を飲みよるところはなかなか奇観じゃったよ。奈良原は酒を飲むといつも酔狂をしおったが、酢では酔興が出来んので残念じゃと云うておった」
他の者たちが通常の拷問に加えて酒断ちにまで苦しんでいる中で頭山はそのどちらも平気だった。何度か腹を壊したりしたことはあるらしいが身体は丈夫な方で、また下戸ではないが好んで酒を飲むわけでもない。同胞たちが拷問と不衛生と禁酒で心を荒ませて些細な事で喧嘩するのを「君たちは長州まで来て、馬鹿げたことで矯志社の恥をさらすのか。(頭山たちの投獄は十一学舎結成前)何の為の同志か忘れたわけではあるまい。大望を忘れたか」と年少の身ながら説教して諫めるほどしっかりとしていた。
そして頭山が時折獄中で「未だ弾丸矢石の間に出没せざる児等、時に乗じて跋扈跳梁す、西洋事情を師として専ら国勢を弄す。国家果たして富むべきか、兵力果たして強うすべきか、風俗果たして篤うすべきか、兵力果たして安かるべきか、我いまだその停止する処を知らざるなり。我この輩と朝に在って国を売るの謗りを得んよりは、むしろ勇退して後図を成さん」と前原一誠の『参議を退くの辞』を口ずさむと、左右の獄舎で頭山と同じ矯志社社員だった宮川太一郎や阿部武三郎が頭山と声を合わせて朗唱して獄中の同志たちを励ました。
流石に獄卒たちはそのようなものにまで通じていないので頭山たちを“変わった経文を唱える宗教団体”と勘違いしたりしたらしい。萩の乱の前の神風連の乱では神社の宮司たちが廃刀令に反発して挙兵したからそういった手合いだと思われたのかもしれない。
また頭山は子供時代に仙人修行などと言って飲まず食わずで山籠もりをした影響か、食べる時はいくらでも食べるが食べるものが無ければ一日どころか数日間何も食べなくても良いというとんでもない体質だった。当人が後に語るところには、毎日ご飯と梅干を貰えるという点で、娑婆で無茶をしていた時より牢の中の方がよっぽど良い食事をしていたぐらいだと言う。
ある時、奈良原はそんな頭山が妙な事を始めているのに気づいた。獄中の食事には時々副食物としてイワシを煮たものが白飯の上に置かれて出てくるのだが、頭山は上の方の飯ごとそのイワシを除けてその下の白飯が生臭くなっていないことを確かめてから食べるのである。
大飯喰らいの頭山が、普通に食っても足らぬ処へ妙な事をすると思い理由を聞いてみた。なんでも、生みの母が胃ガンによって亡くなってしまったというのだ。
「自分が心配をかけたせいでもあるだろう。看取ることもできず、大変な親不孝をした。だからせめてもの追悼として、牢屋の中で自宅から墓参りに要する距離の分を歩き回ったり、精進として生臭を避けたりしよるのじゃ」……とのことである。
そうか、とそれを聞いた奈良原はその後食事の時は毎回頭山の隣に座って魚を貰うことに決めた。いつの日か酔っ払って門限を破り先輩に殴られた奈良原を平然と眺めていた頭山といい、随分な友人関係である。
食事と言えば、同志の1人でおそらくは奈良原至の10歳下の弟である宮川五郎三郎か誰かが運良く年少のために捕縛を免れ(そもそも戦力に入れてもらえず反乱に関与できなかったとも言う)、煮込んだ牛肉を差し入れに持ってくるようになった。当然の如く看守に拒まれたが鉄門の間に足を突っ込んで決死の気迫で駄々をこねて無理やり目標を達成すると、それを前例に翌日からどしどし肉を運び入れて当局を弱らせると共に年長の同志たちを大いに元気づけたという。
肉を毎日差し入れられるとなるとこれは福岡の監獄の話ということになるが、いつのことだかはっきりしない。当人たちが語ったというところでは“頭山は獄中で初めて強忍社社長の越智彦四郎がどんな人物か知った”“奈良原は武部小四郎が自分たちと同じ監獄の少し離れた獄舎に入れられたのを知った”という話もあり、もしかすると萩と福岡の監獄を行ったり来たりさせられていたのかもしれない。
獄舎の移動に関して今に残っている話としては、ある時西南方面の時勢がますます不穏なものとなったために万一のためとして頭山らは兵営の中の営倉へと移すべく鎖に繋がれて獄舎から引き出されたことがあったという。
若き侍たちはいよいよ斬刑に処されるものと覚悟して笑い合ったというが、奇遇にもあの松浦愚が奈良原と同じ鎖に繋がれて、2人は歩きながら話すことができた。
「おい、奈良原。今度こそ斬られるぞ」
「うん。斬るつもりらしいのう」
「武士というものは死ぬる時に辞世ちうものを詠みはせんか」
「うん、詠んだ方が立派じゃろう。のみならず同志の励みになるものじゃそうな」
「貴公は皆の中で一番学問が出来とるけに、さぞいくつも詠む事じゃろうのう」
「ウム。今その辞世を作りよるところじゃが」
「俺にも一つ作ってくれんか。親友のよしみに一つ分けてくれい。何も詠まんで死ぬと体裁が悪いけになあ。貴公が作ってくれた辞世なら意味はわからんでも信用出来るけになあ。一つ上等のヤツを分けてくれい。是非頼むぞ」
本来、松浦は奈良原よりも5歳以上年上なのである。皆から「松浦の馬鹿馬鹿」と言われ軽侮されたり敬慕されたりしていたその松浦愚がここまで言う。流石の奈良原も可笑しいやら可哀想やらでしばらく返事が出来なかった。
しかし松浦は刑死するより先に病に斃れてしまった。松浦も腕力には自信のある大層な豪傑の一人だったが拷問の傷と獄中の不衛生に体力を削られ、ペストかチフスかそれともコレラか、重篤な感染症にかかってしまったのである。
死の直前にようやく福岡へ帰ることを許されたと言われているが、せめてもの情けで故郷に近い福岡の監獄へ移したのか、それとも重大な感染症が獄中に広まれば後が面倒と思われたりして特別に保釈されたのかはよくわからない。亡くなった日は西南戦争がまだ続く明治10年6月25日。梅雨時で長らく降り続いていた雨が上がり、およそ6日ぶりに晴れた日だったらしい。
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