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生きるという意味って? 私編9

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2つの私物袋の中に、退職届と退職ツールが入っていることを確認し、まずは寮の裏口から出る(脱出?)ため、ここは三階なので近くの階段まで人の気配が無い事を確認しながら、物音を立てずにそろっと階段手前まで身を滑らせて、電灯もまともに点いてない階段を、二段飛びでコケないようバランスを取りながら、一階まで一気に駆け降りた。

その際に、目を擦りながらすれ違った先輩はいたが、別段気にも留めずに、目も合わさずにスルッと交差して、慌てなないよう、でも早足で寮の裏口まで、時間の感覚が何時もより長い感覚はあったが、何とか裏口にたどり着いた。

寮の裏口から外の世界出るには、チャリ置き場を経由していくのだが、幸いこの会社でチャリ通勤はほぼ居ない、ほぼ通称[監獄寮]に従業員は隔離されているので、まずチャリを必要としている人は居ない、つまりそのおかげで、このチャリ置き場はほぼ物置きと化しているのである。

その為、これ幸いと、駐輪場を抜け悠々と外に出ようとした‥その間際に門番の通称"キヌ"さん、名前は衣笠という、元広島の鉄人衣笠とクリソツの、これまた殴られたら恐らく殺られるであろう、厳つい体格のオッサンが、突如現れた私を見つけ、暫し瞬きをして、ジッと私を見つめ始めた‥

綺麗なおねえさんに見つめられたら、そりゃ嬉しいかもしれないが、今はゴリラとタメを張れる様なオッサンから見詰められ、身の危険を感じて死んだ振りをするか‥目を合わせないで草木は無いが、自然と同調して身を隠すしかない‥てな状況‥
でもどちらも今は選択出来ない状況なので、お互い見詰め合う形になり、私は意味もなくドキドキと動悸が激しくなっていた‥

"恋かしら‥"
って、冗談でも言っちゃいけない恐ろしい気分に、過呼吸になるんじゃね?ってな感じで、心臓バクバクしながら、オッサンと見詰め合っていた‥

どうも、キヌさんは、こちらの緊張状態を察したみたいで、急に顔を緩ませ、頬骨をさらに緩ませ、顔に似合わない高めの声で、ゆっくり、

「どうしたい?これからどこに行くんじゃ?
まだ仕事中じゃろ?
なんか焦っとるみたいじゃね‥」
と少し探りを入れてきたので、

ここは誤魔化してもしょうがないと思ったけど、全部言うのは墓穴を掘るだけと判断し、最低限の事実だけをキヌさんに伝えることにした‥

「き、きょうは、急に東京支社に行かなきゃならならなくなって、いまから出かけるとこなんです‥
特に怪しくはないです‥」

ん~我ながらアホじゃ無かろうか?
これって失敗じゃね?
自分で怪しくないって、これ怪しいって宣言してるよね?

って感じで、猛烈に後悔の念が襲ってきた‥
このせいで、キヌさんが支店長にチクリ、支店長に先回られる恐怖が、急に込み上げはじめ、
"もぅダメかも‥"
と諦めの念が襲い始め、その念力のせいで、私は口を引き絞り、眼をぎゅっと閉じ、少し手が震えていることを自覚して、キヌさんの反応を待つことにした‥

暫し間が開いた後、思いも掛けない言葉がキヌさんの口から出てきた。

「有望な若い子がどうしようもなくなって、逃げていってしまうのを、わしはずっとずっと見てきたからね‥
あの支店長が来てから、何人も潰されてるのをわしは見てきたんじゃよ‥
それが、わしには悔しゅうての‥
わしに出来ることなんざ、ほとんど無いけどな?
これから有望な若者を見送るくらいは出来るんじゃ‥
おまえさん、六年間、ずっと頑張っとったもんな‥
でももう、羽ばたく時期だと判断したんじゃろ?」

そんな言葉が急に流れてきて、私の理解は追いつけなかったのだが、徐々にその言葉の意味が心に染み込んできて、流れ込んできて、無性に心の柔らかいとこをブッスリ突いてきて、なんか今まで凍結していた気持ちを掻きむしりたい気分に襲われた。

涙腺も少し緩みかけたのだが、そこはガマンガマンで、何とかダムの決壊を防ぐことが出来た。
キヌさんは自分のやろうとしてることを理解した上で、問いかけてきてくれた。
そんな優しい問い掛けをしてくれる人が、この腐った会社に居るとは露ほども思ってなくて、だからなおさら戸惑いと、嬉しさのせめぎ合いて、体感がグラグラ揺れてしまった‥

ダム決壊は防ぐことは出来たが、どうやら水の方はダムから溢れ出てきたみたいで、ただ、そのままだと、挨拶も出来ないことが分かったので、ともかくともかく‥ひたすらひたすら‥服の袖を眼の辺りまで近づけ、眼から出ている水を掬い、少し深呼吸をして、背筋を伸ばし、少し上を向いた後‥
改めてキヌさんに向かい、45度のお辞儀と共に、

『六年間ありがとうございましたっ!』

初めてここに来て以来私は、挨拶らしい挨拶をする事が出来たのを自覚した。

キヌさんはこの挨拶を聞いた後、このどうしようもない、不器用な挨拶を見た後‥

少し、眼を閉じ、ゆっくり眼を開けて、「お疲れさま。今までよぅ頑張ったな、卒業おめでとな」
と、私を見る柔らかい眼を外し、すっと後の警備室に向かうため、後を振り向き、振り向きざま手を振ってくれた。

私はキヌさんのからの激励と、『おめでと』の言葉を噛み締め、東京支社に向かうため、一瞬眼を閉じ、地下鉄に乗るため外へと向かった。
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