夜明け前の約束

深山ナズナ

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後編

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 たくさんの灯籠が並んだ道。そこは神社のようでいて、どこか違う。異様な雰囲気を醸し出していた。どこを見ても、人がいないのだ。
 こんな場所あっただろうか。どこからか祭囃子が聞こえてくる。しかし、それはどこか不気味な音色を奏でていた。
 誰も、いない。
 しかし不思議なことに、幾つもの動く影が灯籠の光に照らされている。まるでそこにナニカがいるかのように。
「どう、なってるの……」
 私は夢でも見ているのだろうか。道の上には何もないのに、影だけが独立した生き物のように動いている。その光景はあまりにも不気味だった。
 ふと、影の一つが私の方へ向かってくる。ゆっくり、ゆっくりと近づいてくる。私は恐ろしくなって、道に広がる影たちを避けて逃げ出した。
 早く戻らなければ……!またこの森を潜れば、戻れるはず。
 ところが、振り返ると、先ほど潜ってきたはずの森は木々が生い茂り、到底人が入る隙はなかった。
 おかしい。そんなはずはない。だって私はここを通ってきたのに……。どうして……!そうだ、これは夢だ。そうに違いない!お願い……覚めて!!
 頭がパニックになって、目を瞑ってそう強く願う。……しかし一向に目が覚める気配はない。
 混乱している私を他所に、道の影たちは私の間を通り過ぎて行く。気づけば涙が頬を伝っていた。
「私って泣き虫だな……本当に」
 地面に膝をついたまま、腕で涙を拭う。これでは彼に笑われてしまう。強く、生きていかなければならないのに。
 私は涙を拭うと、決心して立ち上がる。これは、夢ではない。ここはきっと、私が来てはいけない場所なのだろう。それだけは理解できた。戻ろう、元いた場所へ。
 私は少し勇気を取り戻し、この道を歩いてみることにした。彼が私の立場だったら、きっと帰る方法を探すに違いないから。
 歩き出すと、影たちは私をスッと避けて行く。まだ心に残る恐怖で体の震えが止まらない。しかし、歩む足は止めなかった。一歩、二歩……着実に私の足は進んでいく。この先に何があるのかは分からない。けど、じっと座っているわけにはいかなかった。自分で見つけるのだ。
 少し冷静になれたからだろうか。先ほどまでは気づかなかったが、この道を抜けた高い位置に小さな鳥居が建っているのが見えた。鳥居は朱く色づいていた。
 あんなところに鳥居があったんだ……。
 よく鳥居を見ると、ある違和感に気づく。鳥居の横に人影が見えたのだ。
「……え」
 一瞬、私の思考が停止する。その人影が、なぜだかよく知る人物に似ていたからだ。
「樹……?」
 顔は暗くてよく見えない。しかし、そこに立つ人物は彼の姿にあまりにそっくりだった。
「……樹!」
 本当に彼かどうか確かめたくて、一度大声でそう叫ぶ。鳥居のところまで聞こえただろうか。
 しかし、彼は微動だにしない。
 聞こえなかったのだろうか?しかし、もう一度叫ぼうとすると、その人影は消えてしまった。
 あの人は誰だったのだろう。
 なぜあの人だけ私に姿が見えたのか。あれが本当に樹なのだとしたら、私はとんでもない場所に来てしまったということになる。
 でも、行くしかない。
 不思議と先ほどまであった恐怖心が消えていた。もしあれが死んだはずの彼で、今こうしてこの場所で話せるとしたら?話したいこと、言いたいことが山ほどある。彼に会えるという保障はないのに、私はあの鳥居へと突き動かされた。
 たとえ彼に会えなくても、何か得られるかもしれない。私は再び歩みを進めた。
 しばらく歩いてようやく灯籠の道を抜けると、神社へ続く山道をゆっくり登って行く。急な坂道だったが、そんなのは気にならなかった。
 もう少し、あと少しで頂上に着ける。
 私は必死に登っていく。そしてついに鳥居が見えた時だった。
「……!?」
 足を、何かに引っ張られた。
 衝撃で転んでしまった。驚いて足の方を見ると、先ほど道を通っていた影たちと同じようなものが私の足に纏わりついていた。影たちは私の足を強く引っ張り、鳥居の方へ行くのを拒んでいるようだった。
 このままじゃ引きずり落とされる……!
「誰か、助けて……!」
 誰もいないのに、思わずそう叫ぶ。しかし、私の叫び声は虚しく反響するだけだった。
 もう、だめだ……。
 そう思いかけたその時、突然私の頭の上を何か物体が通り抜けていった。
「……!?」
 そしてそれは私の足のそばに着地すると、足にまとわりついた影を威嚇し始める。影はそれに怯えるように不思議な音を上げて私から離れていった。
 影たちが離れていくと、それはこちらに近づいてくる。ゆっくりとした足取りで歩いてくるそれになぜだか見覚えがあった。
「しぃ……ちゃん?」
 それは昔、樹が飼っていた愛猫のしぃにあまりにもそっくりだった。しぃは概ね黒い毛並なのに、おでこだけ白くアルファベットのCのような模様がある猫だった。名前はそれに因んでつけられたらしい。そんな特徴的な見た目をしていたからすぐに気づいた。
 しかし、しぃは5年も前に亡くなっている。そのしぃがここにいるということは、ここは本当にあの世の世界なのだろうか……。
「久しぶりだね、楓」
「え、え……?」
 しぃが喋った……?
 状況が読み取れず混乱している私にしぃが呆れたようにもう一度私に話しかける。
「そんなに驚かなくてもいいよ。ここでは私もあなたたちと話せるの。……それにしても、あなたがどうしてここへ?」
 まだ予期せぬことに混乱しているが、自分を落ち着かせるように一呼吸置いてから答えた。
「私も分からない。気がついたらここに来ていて……それで、ここの鳥居の傍に樹みたいな人を見つけて……ここに来れば何か分かるんじゃないかと思って登ってきたの」
 しぃは一度考え込んでから口を開いた。
「樹はここにいるよ」
「え……本当、に?」
 心臓がドクンと高鳴る。
「でも、ここからは出られないし……楓には会いたくないみたい」
「どうして……?」
「それは知らない……けど、樹は楓に帰ってほしいと言っていたよ」
 状況が分かっていない私をしぃはじっと見つめている。しばらくすると、ついて来いと言わんばかりに歩き始めた。
「私が元いた世界に送り返してあげる。だから付いてきて」
 しぃは歩みを進める。しかし私は行くのを拒んだ。
「嫌だ」
「どうして?元の世界に戻れるのに」
「私、まだ樹に会ってない……伝えたいことたくさんあるのに、これでお別れなんて嫌だよ……」
 声が震えたけど、不思議と涙は出なかった。ここに樹がいるならば、会わなければ帰れない。帰りたくない。そう強く思ったからだ。
「ダメだよ、楓は帰らないと。ずっとここにいたら戻れなくなっちゃうよ?」
「それでもいいから……樹に会いたい。お願いしぃちゃん。一度だけでいい。本当に少しの時間でもいいから、彼に会わせて」
 そうしぃに願う。彼にもう一度だけ会えるなら、何を失っても怖くない。そんな気持ちで出た言葉だった。
「楓……、分かった。楓がそこまで望むなら、会わせてあげる。樹は私のこと怒るかもしれないけど」
「怒らないよ、しぃ」
 突然の声にヒュッと息が止まる。懐かしい、その声に。鳥居の方を振り向くと、そこには確かに樹がいた。去年、いなくなったはずの樹が、目の前に立っていた。
「樹……本当に、」
「楓、ここに来てはいけないよ。ここは君には良くない場所だから」
 私はその場でしゃくり上げて泣いた。こみ上げてくる感情が抑えられなかった。樹はそんな私を見て、優しそうに微笑んでいる。本当に樹がいるんだ。もう一度、会えたんだ。
「樹、どうして死んでしまったの?私、ずっと待って、待って……」
 上手く言葉にならないまま、私は鳥居の目の前まで歩く。樹は鳥居から先には出られないようだった。
「ごめん、本当に。楓にたくさん悲しい思いをさせた。全部、全部僕のせいなんだ」
「どういう、こと?」
「……それは、話せない。君は知らなくていい」
「お願い、樹。話してよ!私、このまま帰るなんて絶対嫌だ。樹とずっとここにいる……」
 私の言葉に樹は少し困ったような表情をしたが、決心したのか、真面目な表情で話し始めた。
「実はね……本当はただの事故死なんかじゃない。僕は小さい頃、ある願い事を神様にしたんだ」
 そう切り出して樹は話を続ける。
 僕は昔からずっと好きな子がいた。いつもその子のことを心に留めていた。でもある日、その子が重い病気を抱えていることを知った。その子が苦しんでいる姿を見るのは、とても心苦しかった。だからあの日、僕は神社で願い事をしたんだ。"僕はどうなってもいいから、あの子の病気が良くなりますように"って。
 そしたら、あれ以来その子の病気は良くなって、完治したんだ。本当に良かったと心から思った。でも、それだけでは終わらなかった。
 神様は、代償を必要としたんだ。……でも僕は、君を救えただけで本当に嬉しかったんだ。だって、君のことが大好きだったから。
 ……そんな話を静かに聞いていた。
「嘘……その子って」
「君のことだよ、楓」
 神様は非情だ。私の病気のせいで、代わりに彼が死んだというのか。彼が死んだのは、私のせいだ。私のせいで……。
「楓のせいじゃないよ」
 その言葉に顔を上げる。樹はニコッと笑みを称えていた。
「僕が勝手に願ったんだから、楓は何も悪くない。僕は君が生きていてくれるだけで幸せだよ」
 その言葉は私を優しく包み込むようで、涙が止まらなかった。
「私は……寂しいよ。樹がいない日常なんて」
「楓……」
 そっと樹がこちらに手を伸ばす。しかし、鳥居から先には伸びてこなかった。私は鳥居の前で止まった樹の掌に合わせる形で手を置く。鳥居を境に、私たちの手が重なった。
「ずっと好きだったよ」
「私も大好きだった、樹のことずっと」
 涙がポロポロと地面に落ちていく。ずっとこうしていられたらどんなにいいだろう。しかし、お別れの時はすぐに来てしまう。
「もうすぐ、夜が明ける。それまでに帰らないと……大丈夫。楓なら、何でもできる」
「ありがとう……私、泣いてばかりで上手く伝えられてないけど、樹のことずっと忘れない。今までそばにいてくれてありがとう」
「うん……。最後に会えて、良かった。楓、僕はいつも君を見守っているよ」
 樹のその言葉の直後、視界がグラリと揺れる。先ほどまでいたはずの場所は見えなくなり、あたり一面が真っ暗になった。目の前に、ちょこんと座ったしぃの姿がある。
「楓、着いてきて。ここが出口だよ」
 しぃの声がこだまする。私はその声に従ってゆっくりと前に歩き出した。しばらく歩いた後、最初に見たのと同じような一筋の光が見えてきた。やがて光は大きくなり、私は光に包まれた。
 再び真っ暗になる。目を開けると、そこは夏祭りが行われている神社の社殿の前だった。私は帰ってきたのだ。
「朝日……」
 空を見上げると、昇ってきたばかりの暁が、神社の社殿を美しく照らしていた。
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