怪獣グルース

杉本けんいちろう

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怪獣グルース

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(ドォーン!ドォーン!)

『撃てぇ!撃てぇ!』

『うわぁ!!』

グルースは、逃げました。山に向かって猛然と逃げました。しかし、防衛軍もここぞとばかりにたくさんの砲弾を浴びせます。

『うわぁ!痛いよぉ!うわぁ…!』

グルースは、痛みに耐え兼ねて再び暴れます。

『怯むな!撃てぇ!撃てぇ!一気に仕留めるんだぁ!撃てぇ!』

(ドォーン!ドォーン!ドォーン!)

『うわぁぁぁ!』

逃げ惑うグルース。

(ドォーン!ドォーン!ドォーン!)

『もう、やめてよぉ!グルースが死んじゃうよぉ!』

助けを求める必死の叫びも、虚しく銃声にかき消されます。

(ドォーン!ドォーン!ドォーン!)

『うわぁぁぁぁぁぁー!』

グルースは、ついに砲弾に倒れました。身も心も尽き果てました。体は、もう傷だらけです。たくさんの、たくさんの血が流れ出ています。グルースは、もう…。


一週間前ーーー。

グルースは、いつも一人ぼっちでした。お父さんやお母さんの事は、もちろん、自分が、どこで生まれたのかも知りません。毎日が、ただひたすらに寂しくて寂しくてたまりませんでした。

グルースは、十歳になります。山奥にある洞窟の中でひっそりと暮らしていました。全身を茶色い毛で覆われ、顔や手は黒く、鋭くつり上がった赤い目。まだ子供とは言えど、全長は二十メートルはあろうかという大きな体。お世辞にも可愛らしいとは言えない姿です。山の中で、たまに遭遇する猿や鹿、はたまた熊や狼までもが、その姿を一目見ただけで逃げて行ってしまいます。グルースは、自分の事を何も知らないけれど、誰にも受け入れられない生き物なんだという事には気付いていました。

グルースは時々、その大きな体をどうにか隠しながら麓まで下りて人間達の様子を眺めていました。人間達は、みんな楽しそうに会話をして、手を取り合い、体を寄せ合って生活しています。一人ぼっちのグルースにとって、それはそれは、余りにも羨ましい光景でした。いつか自分も、その中に混ざって一緒に楽しく時間を過ごす事を夢見ていました。でもグルースは、決して自分は他の生き物に受け入れられない姿をしている事を知っています。だから、間違っても街中に下りて行くなんて大それた行動は取りませんでした。グルースは、今日もまた、羨ましさを心に押し殺して山奥へと帰って行きます。

グルースは、夢を見ます。思いっきり笑っている夢です。グルースは、笑った事がありません。笑い合った事がありません。笑っている夢を見ている時は、いつも涙が流れています。グルースは、胸を締め付けられ、深い切なさの中で毎朝を迎えていました。

しかし、そんな、ある日の事。不思議な事が起こります。グルースが、いつものように目を覚ますと、そこは何故か、人間達が使うベッドの上だったのです。

『なに?何が起こったんだ?』

そして、自分の視界から広がる世界を見て更に驚きが広がります。

『こ、これは人間の手!人間の体!』

グルースは慌ててベッドから出て、すぐそこにある姿見を見つけると、その姿に思わず声を荒げます。

『一体どうなっているんだ!?完全に人間の姿じゃないか!ぼ、僕は人間になったのか?』

グルースは、十歳の人間の子供になっていました。理由は分かりません。でも夢を見ている訳でもありません。グルースは、現実に人間になっていたのです。

『一体、どうして…。』

『すぐるー!そろそろ起きなさいよ!学校に遅刻するわよ!』

『え?』

突然、下の階から響きわたる女の人の声。

『すぐる…?学校…?』

そして、誰かが階段を上がってくる音。どんどん、どんどん近付いて来る。この部屋に向かって足音がどんどん、どんどん大きくなる。

(ガチャ!)

『すぐる!早く起きなさ…!』

『うわぁ!』

『何よ!起きてるじゃない!早く仕度して下りて来なさい!朝ごはん出来てるわよ!』

『え?え?』

『何をビクビクしてるの!分かったの!?早くしなさいね!』

グルースは、分かりやすいほどに動揺を隠し切れません。ただ、不思議な事に、この部屋には見覚えがあります。洋服がしまってあるクローゼット。教科書が置いてある机。そして、大きな窓から広がる景色にも、ちゃんと記憶があるのです。

『靴下は…。やっぱり、ここだ。合ってる。』

どこに何があるのかが、ちゃんと分かります。部屋から出てもトイレの場所、洗面台、迷う事なく、まるでずーっと前からここで生活をしていたかのように動けるのです。

『すぐる、どうしたの?今日なんか変よ?何をそんなにオドオドしてるの?』

『え、あ、うん…。な、何でもないよ。』

『そう…。ま、いいわ。早く食べちゃいなさい。』

『うん…。』

僕の事を心配してくれる。僕の事を叱ってくれる。僕の為にごはんを用意してくれる。

お母さん…。

この人が僕のお母さんなんだ。グルースは、初めて知る母親の愛情に嬉しくなりました。

『行ってきまーす!』

『車に気を付けるのよ!』

『うん!』

学校に向かう通学路もちゃんと分かる。この赤い屋根の家も、その隣りの家には大きな犬がいる事も、ちゃんと分かる。

『この角を曲がると公園が…、やっぱりだ。四つ葉公園。四つ葉のクローバーがあるから"通称"四つ葉公園。でも僕はまだ見つけられてないから、いつかは見つけないとな。』

この四つ葉公園には特に強く思い入れがある。あの滑り台…。象さんの形を模した大きな滑り台。

『あれ?昨日の放課後、ずーっとあの象さんの上にいた気がするな…。』

どんどん溢れ出る記憶。

『この長い坂を上ると学校が…、ほら、見えて来た。』

ところが、この上り坂に差し掛かると急に足取りが重くなってきました。

『なんでだろう…。あんまり学校に行きたくない。』

実は今朝、グルースは一つ気になった事がありました。それは、このランドセルです。グルースのランドセルは、傷だらけでした。その上、内側には、色んな色のマジックで書かれた落書きでぎっしり埋められていたのです。
でも、それは、グルースが学校に着くと、すぐにその答えが分かりました。

『お!すぐる!おはよう!』

『え、あ、わたる君。おはよう…。』

名前も顔もすぐに分かる。

『お前、昨日あんだけやられたのに、よく学校来れるなぁ。』

『え?』

『俺なら絶対に行けないね。ま、だから、やり甲斐があるんだろうけど!』

『え、どういう事?』

『は!なに?分かんないの?お前ってそこまでバカだったんだな。』

グルースは、まだハッキリとは、その意味が分からないでいました。でも、自分の下駄箱を見つけた瞬間、全てを悟りました。

『な、なにこれ…。』

『あははは!すぐる、ダッセーの!なんだよ、それ!』

グルースの下駄箱を開けると、たくさんのゴミくずで埋め尽くされていました。

『ああ、あれ?そこってゴミ箱じゃなかったの?』

『ようちゃん!』

『ごめんなぁ!すぐる!そこだけ、いつも汚いからゴミ箱なんだと思ってたよ。あはははは!』

『もう、ようちゃん気を付けなきゃ!』

『お前もな、わたる!あはははは!』

『あれ?ってか、僕の上履きは?』

『上履き?すぐる、お前、上履きなんかずっと穿いてなかっただろう。』

『え?』

『そうそう!新しいの買って来るたびに誰かさんがすぐ落書きしちゃうから、お前もう穿いてなかったじゃん!』

『ねぇ!誰かさん!』

『何をおっしゃいます誰かさん!』

『そ、そうなんだ…。』

『あれ?すぐる、もしかして泣いてる?』

『泣いてないよ!』

『だよなぁ!これしきごときで泣くような奴じゃないもんなぁ!そんな奴が今日も平然と学校来れるはずがないし!』

『さすがですねぇ!すぐるさん!毎日、毎日、これだけの仕打ちを受けながら、それでもめげずに登校して来る。いやぁ泣いちゃう!泣いちゃう!あはははは!』

グルースは、全てを理解しました。傷だらけのランドセルも、落書きも。
ずっと一人ぼっちだったグルース。ずっと人間に憧れていたグルース。ずっと愛情に飢えていたグルース。奇跡的にも現実となった人間の生活は、始まってすぐに、その哀れさを知らされました。

教室の机も隅っこに追いやられ、無惨にもたくさんの落書きと穴だらけ。ランドセルから取り出した教科書もノートも広げると、もう、ほとんど字も読めないくらいに真っ黒でした。

『はい、みんな、おはよう!今日も一日、元気に頑張ろうな!』

『はーい!』

『すぐるも早くその汚い机を元の場所に戻せよ!』

『あははは!』

このクラスには、誰一人として僕の味方はいないんだ。先生さえも…。
休み時間、トイレに行っても、そのまま個室に閉じ込められて…。水かけられて…。給食は、僕の分だけ明らかに少なくて…。パンやプリンはすぐに誰かが持ってっちゃう…。学校って何の為に行く所だろう。そんな疑問しか浮かばなくなってくる。

放課後の帰り道。なるほど、あの四つ葉公園は憩いの場だった。

『ただいま…。』

『おかえり。すぐる、お母さん、買い物行って来るから、お留守番しててくれる?』

『え、ああ、うん。』

『今晩は、すぐるの大好きなハンバーグだからね。じゃあね!』

『うん。いってらっしゃい。』

学校に友達はいなかった。味方もいなかった。僕の事を気に掛けてくれるのは、やっぱり、お母さんだけなんだ。だから、お母さんには心配かけちゃいけないんだ。悲しい思いをさせちゃいけないんだ。だから、お母さんの前では明るくいよう。この身体中のあざも見せないようにしなくちゃ…。

このあざの事は、すぐに記憶に蘇ったようだ。それもそうか。つい昨日の事だからね…。

ーーー。

それは放課後の事だった。僕は、いつもホームルームが終わるとすぐに帰ろうとするんだ。だって、みんなに捕まって何されるか分からないから。この日も、そそくさと退散しようと一番に教室を出た。でも、ようちゃんから追いかけるように声をかけられた。

『おい!待てよ!すぐる!そんなに急いで帰らなくてもいいだろう?今から"ブタ殺し"しようぜ!』

『ブタ殺し…。』

『そんな嫌そうな顔すんなよ!せっかくみんなで楽しく遊ぼうぜ!って誘ってんだから喜べよ!』

『う、うん…。』

僕は、この"ブタ殺し"が何を意味しているのか分かっていた。このブタ殺しっていうのは、要領はドッジボールと同じだ。ただ、二チームが内野と外野に分かれて対戦するんじゃないんだ。一つの内野に対して外野が四方八方から攻め立てるっていう内野に選ばれた連中にとっては、まさに行き場を無くしたブタが集団に攻め立てられて殺されるみたいな本当に地獄の状況だ。でも本来なら、そのスリルを諸に楽しめるのが醍醐味なんだけれど…。僕の場合は、その意味が違っていた。

『よし!準備出来たな!じゃあ始めようぜ!あ!そうそう!すぐるには特別ルールがあるんだ。』

『特別ルール?』

『そう!すぐるは、運動オンチで鈍臭いひよっこだから"不死身"な!』

『え…!』

『いいなぁ!すぐる!不死身だって!って事は当たっても外野に出なくて良いんだ!ずっと内野にいて良いんだ!いいなぁ!』

『いや、いいよ!そんなの!僕も当たったら外野に出るよ!』

『何だ?せっかくの俺の優しさを無下にするって言うのかよ!内野の方がスリルがあって断然、楽しいに決まってるんだ!その内野にずっと居て良いって言ってるんだぞ!下手クソのすぐるへのハンデなんだから素直に受け入れろよ!』

『そうそう!せっかくのようちゃんの優しさなんだから!なぁ!すぐる!すぐるは不死身!決まり!あははははは!』

『わ、分かったよ…。』

『よーし!じゃあ最初は内野、外野、五人ずつな!俺は外野!んじゃ、始め!行くぞー!くらえ!すぐる!』

『うわっ!』

『おっ!生意気に俺の豪速球をよけやがった!』

『んじゃ、今度は俺が当ててやる!行くぞ!すぐる!おりゃ!』

『痛っ!』

『あははは!おい、わたるー!いきなり顔面狙うかよー!』

『あははは!ごめん!ごめん!大丈夫か?すぐる!』

『う、うん…。大丈夫…。』

『はいじゃ今のは、顔面だからノーカン!って事で改めてわたるから!』

『よーし!んじゃ行くぞー!まずは、すぐる以外を葬ってからだ!おりゃ!』

これからどうなるのか。そんな事は考えるまでも無い。最初から分かっていた。内野の中は、あっという間に僕一人。つまり、外野九人から集中攻撃されるってこと。不死身のルールっていうのは、終わりなくボールをぶつけられ続けるって事だ。

『…ったく、みんなノーコンだな!ボールかしてみ!こうやって投げるんだよ!うりゃー!』

『痛っ!ウウッ…。』

『さっすが、ようちゃん!ナイスコントロール!あえて顔面を狙わない所がエグいわぁ!』

『ちょっと、すぐる!シャツめくってみ?』

『シャツ…?』

『そう!うわー!痛そう!もう、あざになってんじゃん!』

『はい、次!行くぞー!』

『え?ちょ、ちょっと待ってよ!うわぁ…!』

何でみんな、そんな楽しそうに僕に向かってボールを投げ続けられるんだ?もう、身体中が痛いよ。痛くて痛くて涙だって落ちてくるよ。僕が、そんなにも憎いの?僕が、一体何をしたって言うんだよ…。

『ウウッ…。』

『ああ、スッキリ!』

『面白かったぁ!じゃあな!すぐる!ちゃんと泣き止んでから帰れよ!あははははは!』

今日は、さすがに酷かったな…。体が痛くて痛くて、全然、足が前に進まないよ。こんなに泣き腫らした顔じゃ、どの道すぐには家に帰れないよ。

四つ葉公園…。

『本当に、ここには助けられるなぁ。象さん、今日もまた、ちょっと休ませてね。』

辺りは、もう真っ赤な夕焼けに包まれていました。象さんの上で寝転ぶと見上げた空には、うっすら、真ん丸の月の姿も見えます。

『ねぇ、神様!どうして?どうしてなの?どうして僕だけがこんな目に遭わなきゃいけないの?もう嫌だよ!こんな毎日!もう誰にも会いたくない!誰もいない所に行きたいよ!ねぇ、神様ぁ!なんで?なんでなんだよー!ウウッ…!』

ーーー。

これが昨日の事。今までで一番辛かった一日。涙って枯れないんだって事が分かった一日…。

『お母さん、ハンバーグ美味しい!』

『そう?良かった!今日は、お父さんお仕事で帰って来ないから、その分もいっぱい食べて良いからね!』

『うん!』

お母さんだけは、僕の味方。何があっても僕の味方。そのありがたさを改めて身に染みる夜…。

人間になって一週間が過ぎましたー。

相も変わらず学校では、グルースを標的としたいじめが続いています。関わるのが面倒だという人は見て見ぬふり。誰もその手を差し伸べてはくれません。グルースは、それでも友達が欲しい。仲間が欲しい。それだけなのに、誰もその思いを分かってくれません。
これが人間のコミュニケーションの取り方なのでしょうか。他人を傷を付ける事、蔑める事でしか自分の尊厳を保てないのでしょうか。だとしたら、なんて小さな生き物なんでしょう。グルースの抱いていた人間に対する憧れは何だったのでしょうか。山の上から見ていたあの光景はニセモノだったのでしょうか。温かそうな家族の暮らし。手を取り合う仲間達。それは、グルースの妄想から美化された幻想だったのかもしれません。今、目の前で繰り広げられる現実は、長い人生の内のほんの一瞬だけであって欲しい。グルースは、ただ、それだけを願うばかりでした。

『行ってきます…。』

『すぐる?大丈夫?なんか元気ないけど…。』

『あ、大丈夫だよ!なんでもない!』

『そう…。なら良いけど。』

『うん!じゃあね!お母さん!行ってきます!…あ!お母さん!今日も、またハンバーグ食べたいなぁ!』

『はいはい!分かりました!じゃあ、気をつけてね!』

『うん!』

お母さんの前だけでは、なんとか明るく振る舞うグルース。元気な行ってきます!の陰に隠れる憂鬱が、すぐさま学校へ向かう足取りに重りを付けます。

『おはよう…。』

『お!偉い偉い!今日も、ちゃーんといらっしゃいました!あははは!』

今日も始まった一日。また、いつもの一日。楽しさの欠片を探す事に必死な一日…。

ただ、この日は違いました。誰しもが予想だにしない、まさか、まさかの事態が起きた一日…。

『うおい!た、大変だ!』

『どうしたんだよ!いきなり!』

『か、か、怪獣が!』

『怪獣!?』

『怪獣が現れたんだよ!今、街中で暴れてるんだよ!』

『はぁ!?おいおい!何を寝ぼけた事を言ってん…。』

『嘘じゃないって!いいから外を見てみろよ!茶色のでっかい怪獣が暴れてるのが見えるから!』

『は!?…ったく、そんなバカな事が起こるわけ…。な!なんだ!ありゃぁ!』

『だから、ホントだって言ってんだろ!と、とにかく逃げるぞ!ここに居たら危ねぇよ!』

『うわー!早く!早く、逃げろー!』

それは、紛れもない怪獣グルースの姿でした。怪獣グルースは、まるで泣いているように大声を張り上げて両腕を振り回して暴れています。

『い、一体これは、どういう事なんだ!?』

そうです。グルースは今、人間のはずです。なのに何故でしょう。確かに、そこには怪獣グルースが立っているのです。

『ぼ、僕が何で、あそこに!?僕は人間になったんだぞ!?"アレ"は、一体誰なんだ!?』

グルースは頭の中がグチャグチャです。そんな事を知ってか知らずか、怪獣グルースは何も目に入ってないかのように暴れています。

『…でも、何か様子が変だぞ?』

グルースは、かつての自分の姿とはどこか違う違和感に気付いていました。
そう、泣き方です。かつてのグルースは、あんな風に大声を張り上げて涙を流す事なんてなかったのです。

『ど、どうにか止めなきゃ!"アレ"を止められるのは僕しかいないんだ!』

しかし、ここで、よもやの事態が起こります。怪獣グルースが、一人の子供を捕まえてしまいました。大きな手の中で泣き喚く子供。

『よ、ようちゃんだ!ようちゃんが捕まえられてる!』

このままでは大変です。もはや明らかに動転している怪獣グルースが、いつ、その手を離してしまうか分かりません。怪獣グルースは二十メートルはあります。そんな高さから誤って落とされでもしたら、ひとたまりもありません。余りにも危険な状況に、緊急出動してきた防衛軍も大砲を向けたまま攻撃出来ません。何も手出しが出来なくなってしまって成す術がありませんでした。

立ち尽くす防衛軍。しかし、その間をぬって一人の子供が怪獣グルースの前に飛び出して行ったのです。

『グルース!もう止めろよ!一体、何があったんだ!?』

そう、止めに入ったのは、かつての自分の暴走を憂う、人間となったグルースでした。その懸命の声に、怪獣グルースも何かに促されるように反応します。

(おい!お前は、誰なんだよ!何で僕がそこにいるんだよ!)

テレパシーでしょうか。グルースの頭の中に聞き覚えのある声が響いて来ました。

(僕?僕って、どういう事だい?も、もしかして君は、すぐる君なのか?)

(そうだよ!何で僕が、こんな怪獣にならなきゃいけないんだ!確かに、もうこんな生活は嫌だ!誰もいない所に行きたいとは叫んださ!でも、あんまりだよ!何でこんな醜い怪獣なんかにならなきゃいけないんだよ!)

(そういう事だったのか…。それで全てが分かったよ。僕が、突然、人間になった事も。その逆も。)

(どういうこと!?教えてよ!?)

(すぐる君、君は一週間前、あの四つ葉公園の象さんの上で、もう嫌だって叫んだろ?それが、全ての始まりだったんだ。神様が聞き入れたんだよ。君の必死の願いを。)

(神様が…?)

(そうさ。君の人間でのこれまで生活がどれだけ酷くて辛くて苦しいものだったかは、僕も身に染みて分かる。だから、その必死の願いに神様も心を打たれたんだろうね。ちょうど、人間の世界に憧れていた怪獣だった僕と入れ替えたんだね。)

(そ、そんな…。でも!だからって、こんな醜い怪獣なんかと交換しなくったって良いじゃないか!お母さんも、お父さんもいないし!誰にも相手してもらえないし!真っ暗で静か過ぎる洞窟なんかで本当に一人ぼっちでいたらどうにかなっちゃうよ!)

(でも、君がそれを望んだんじゃないのか?)

(そ、そうどけど!こんなのって、あんまりだよ!あんまりじゃないか!お母さんに会いたいよぉ!)

(分かったよ。)

(え?)

(じゃあ元に戻ろう。)

(ど、どうやって?)

(今から四つ葉公園に行ってくるよ。それで象さんの上で、あの時と同じように神様にお願いしてみるよ。)

(で、でも、君はそれでいいの?君だって、ずっと人間になりたかったんだろ?また、こんな怪獣に…、あ、ごめん。一人ぼっちになっちゃってもいいの?)

(いいんだ。確かに僕は、人間になって楽しく暮らしたかったよ。でも、僕が見た世界にそんなものはなかったよ。僕が見たものは、平然と他人を傷付ける汚い部分だけだったよ。正直、お母さんと離れなきゃいけないのは辛いけど、お母さんの温かさと優しさを知れたから、もういいんだ。)

(ウウッ…。)

(あははは!テレパシーで泣くなよ!じゃあ行ってくるよ!象さんの上で神様にお願いして来る。あ!僕、今、初めて笑ったかも!あははは!もう充分だ!)

グルースは、四つ葉公園に向かって走りました。怪獣グルースも、もう暴れるのを止めました。大人しく入れ替わるのを待っています。そして、時、待たずして象さんの上で叫ばれた大きな声は、二人の望み通り再び神様を動かしました。

『うわぁ!も、戻ってる…。人間の体に戻ってる。良かった…。っていう事は、"アレ"は!?もう、君なのか!?』

元に戻った二人。これで万事解決だと思った矢先、その悲劇は起こりました。

『お?戻った…みたいだな。あれ?なんだよ!ようちゃんをまだ捕まえたまんまじゃないか。ほら!ようちゃん、ゴメンね!』

グルースは、そっと、ようちゃんを離してあげました。ようちゃんには何も聞こえてないはずなのですが…。

『ありがとう…。』

ようちゃんは、泣き腫らした目をこすりながら、不思議にもグルースに向かって、そうこぼしていました。

そして、次の瞬間でした。

(ドォーン!)

『え?』

ここぞとばかりに防衛軍は、グルースに向かって大砲を放ったのです。

(ドォーン!ドォーン!)

『撃てぇ!撃てぇ!』

『うわぁ!!』

グルースは、逃げました。山に向かって猛然と逃げました。しかし、防衛軍もここぞとばかりにたくさんの砲弾を浴びせます。

『うわぁ!痛いよぉ!うわぁ…!』

グルースは、痛みに耐え兼ねて再び暴れます。

『怯むな!撃てぇ!撃てぇ!一気に仕留めるんだぁ!撃てぇ!』

(ドォーン!ドォーン!ドォーン!)

『うわぁぁぁ!』

逃げ惑うグルース。

(ドォーン!ドォーン!ドォーン!)

『もう、やめてよぉ!グルースが死んじゃうよぉ!』

助けを求める必死の叫びも、虚しく銃声にかき消されます。

(ドォーン!ドォーン!ドォーン!)

『うわぁぁぁぁぁぁー!』

グルースは、ついに砲弾に倒れました。身も心も尽き果てました。体は、もう傷だらけです。たくさんの、たくさんの血が流れ出ています。グルースは、もう、その儚い願望もろとも、立ち上がる事が出来ませんでした…。

『…そうさ。これが最初から決められていた、訳の分からない怪獣の、僕の運命だったんだ。身体中が痛いよぉ…。お母さん、身体中が痛いよぉ…。ウウッ…。お母さん、ハンバーグが食べたいよ…。』

グルースは、涙で濡れたその瞳を閉じました。もう動く事はありません。ただ、何かを憂うような、季節の割には少し冷たい風が、その茶色い毛並をいつまでも揺らしていました。

次の日ー。

まさかの怪獣の出現に未だパニック状態が抜けない街では、たくさんのマスコミでごった返しています。誰もが興奮冷めやらぬ状態で、どこか浮き足立っていました。

そん中、二人の子供だけが異常なまでに平静に、そして、少しの悲しみを背に過ごしていました。

『なぁ、すぐる。ちょっと四つ葉公園に行かないか?』

『四つ葉公園に?なんで?』

『ちょっと、四つ葉のクローバーを探しにさ…。』

『え!?』

『すぐるは、まだ見付けた事ないんだろ?実は、俺もなんだ。』

『ようちゃん…。』

二人は、街の喧騒を他所に、辺り一面、真っ赤な夕焼けに染まるまで四つ葉のクローバーを探しました。

今までの日々が、まるで嘘のように二人寄り添いながら…。

                                   ー完ー
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