小さなおもちゃ屋の物語

杉本けんいちろう

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小さなおもちゃ屋の物語

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大きな街の片隅に、ひっそりと建つ一軒の小さなおもちゃ屋。早いもので僕がこのお店に来て、もう三十年になる。
三十年前、今は、すっかり髪の毛が白くなったおじいさんが、若い時に勤めあげた会社を辞めたお金で造った夢のお店。僕は、このお店が出来た時から、レジの上の棚の端っこにあるクマのぬいぐるみ。
ずーっと売れないから毎日毎日、一番高い所から、まさに高みの見物だ。ただ、三十年もいると、さすがに色んな事がある。
確かあれは、お店が出来た最初の年。桜が散りかけた春の事だ―。

どこか寂しげな親子連れだった。

『お母さん!僕、あのお人形さんが欲しい!』

『あら。のりちゃんは、男の子なのに、お人形さんが良いの?』

『うん!だって僕には、兄弟がいないから、この子を僕の弟にするんだ!』

『のりちゃん…。』

『おじちゃん!このお人形さん下さい!』

『はいよ!ありがとうね。坊や、良いの選んだねぇ、この子は、きっと坊やの味方になってくれるよ。』

『ホント!?』

『ああ、ホントだとも!…ところで坊や。』

『なーに?おじちゃん。』
 
『坊やは、大きくなったら何になりたいのかな?』

『うんとねぇ、僕、大きくなったら、お母さんと結婚するの!』

『え!?のりちゃん!何を言っ…。』

『それでね、お母さんをいつも楽しませてあげるんだぁ!だって、お母さん、いつも一人で、せっせと大変そうだから。僕が、少しでも気持ちを楽にさせてあげたいんだぁ。』

『そっか。偉いねぇ、坊やは!お母さん絶対、喜ぶよ!』

『ホントに!?お母さん!?…お母さん?何で!?どうして泣いてるの!?僕と結婚したくなんかないの!?』

『うーうん!違うの!ありがとうね、のりちゃん!』

『お母さん…?』

『ねぇ、のりちゃん。のりちゃんは、やっぱり新しいお父さん欲しいよね?』

『お母さん…。僕、大丈夫だよ!お母さんが、いてくれれば!それに、ほら!今日から、この子もいるし!』

『のりちゃん、もう少しだけ待っててね。お母さんは、まだ、お父さんを好きでいたいの…。』

『だから、大丈夫だよ!お父さんは僕の中で、ちゃんと生きてるから!』

『のりちゃん…。』

『だから、お母さんも僕を好きでいてくれれば僕は、それだけで大丈夫だよ!』

『坊や、いいかい?このお人形さんには、不思議な力があるんだ。』

『不思議な力…?』
 
『ああ。坊やが困った時には、必ず力になってくれるから大事にするんだよ。』

『うん!分かってるよ!だって、この子は、もう家族だもん!』

まだ少しふっくらしていた当時のおじいさんが言った不思議な力という言葉が、印象的でよく覚えている。それからまた六年は過ぎた頃だろうか、どこか見覚えのある男の子が一人でお店にやって来た―。

『すいませーん!』

『はいよ!ん…?』

お店の奥にいたおじいさんは、男の子に気付くなり、おもむろに口を開いた。

『君は、もしかして以前にお母さんと二人でお人形さんを買って行った子かい?』

『え?…いや、僕ここへ来たのは、初めてだから、たぶん違うと思うよ。』

『そうかい。…そ、そうだよねぇ、よく考えたら随分前の話だ。すまんね、その時の坊やに良く似ていたから…。』

『ふーん…。』

『あ!で、どうしたんだい?欲しいものがあるのかい?』

『うん!僕、このラジコンが欲しいんだけど…。』

『これかい?これは、でも少し値段が高いよ?』

『大丈夫だよ!ほら!この日のために、いっぱいお手伝いして貯めたんだ!』

『ほーっ!偉いね!よく頑張ったね!…それじゃ今、数えるから、ちょっと待っててもらえるかい。』

『…十円玉ばっかりでごめんなさい!』

『あはは!何を言うんだい!十円だって立派なお金だよ!この十円玉一枚を貰うために毎日頑張ったんだろう?もっと、この十円玉に自信を持って良いんだよ。』

『うん!ありがとう!』

『…さて、困ったねぇ。』

『どうしたの?』

『このラジコンを買うのには、あと百円足りないんだ。』

『えー!?嘘!僕、ちゃんと数えたのにー!』

『そうかぁ。じゃあ、ちょうど十円玉十枚分間違えてたんだね。』

『えー、そんなぁ…。楽しみにしてたのに…。』

『分かった!坊や、毎日頑張ったみたいだから、百円おまけしてあげよう!』

『ホント!?』

『ああ!』

『やったー!ありがとう!おじさん!』

『ただし!おじさんと約束してくれるかい?』

『なーに?』

『このラジコンを一人占めしないって。お友達や家族みんなで遊ぶって。』

『うん!大丈夫!』

『あ!それともう一つ。お手伝いを続けること。』

『うん!分かった!約束するね!おじさん、ありがとう!』

良く出来た子だった。努力して我慢して買ったラジコンの喜びは、一生忘れる事はないだろう。ただ、この子の場合、驚いたのは、この後だった。それから、わずか十日後―。

『おじさん!』

『おお!君は、この間の…。』

『おじさん!はい、これ!』

『ん?何だい?…百円?』

『この間、足りなかった百円だよ。また、お手伝いして貯まったから持って来たんだ。』

『え!それは、もうおまけしてあげたから良かったのに…。わざわざ、持ってきたのかい?』

『うん。お父さんに言われたんだ。お金貯まったら必ず払って来なさいって。そうしないと絶対、後悔するからって。』

『後悔…。そうか。良いお父さんだね。』

『うん!僕、お父さん大好き!』

『でも坊や。後悔って知ってるかい?』

『うん!知ってるよ!お父さんが言ってた。それをすると、いつまでも心が泣いてるって。ずーっと心にトゲが刺さってるみたいで痛いんだって。僕、そんなの嫌だもん!』

『この百円を払わないと心が痛むって思ったのかい?』

『うん。おまけしてもらって嬉しかったけど、やっぱり、お手伝いをしてお小遣い貰って、それをきっちり貯めたお金でラジコンを買うのがお父さんとの約束だったから…。約束は、誰とのでもやぶっちゃダメでしょ?』

『そっかぁ。確かに、その通りだな。』

『もちろん、おじさんとの約束もやぶらないからね!』

おもちゃ屋には当然、子供がたくさん来る。本当に色んな子供がいる。この子達のようにしっかりしている子もいれば、泣いてばかりいる子も当然いた…。

これは、つい最近のことだ―。

『うわあーん!』

『もう!まりちゃん!いい加減にしなさい!』

『やだ!やだ!やだ!これが欲しい!』

『もう…。言うこと聞かない子は、置いてきますよ!』

『やだ!やだ!やだ!これが欲しいんだもん!』

『もう!勝手にしなさい!』

『うわあーん!』

困った事態だが、おもちゃ屋には良くある光景だ。さすがに三十年、おじいさんは、すっかり慣れっこだ。もしかしたら、それを見越した上で、お母さん達は、子供達を置き去りにして行くのかもしれない…。

『大丈夫かい?お嬢ちゃん。』

『ウウッ…。』

『よしよし。お嬢ちゃんは、何が欲しいんだい?』

『…これ。』

『ん…?』

『このおままごとのセット。』

『これかぁ。これで、お友達と遊びたいんだね。』

『うーうん!違うの、これをゆいちゃんにあげるの。』

『あげる?』

『うん。ゆいちゃんね、明日、お引っ越ししちゃうの!前にね、ゆいちゃんのおままごとセットなくしちゃったの。だから、新しいのゆいちゃんにあげるの!』

『そっかぁ。それは寂しいね…。分かった。じゃあ、これ持って行きなさい。』

『え!?ホントに!?いいの!?おじいちゃん!?』
 
『ホントだよ!その代わり、お嬢ちゃんからゆいちゃんに伝言してくれるかい?』

『うん!いいよ!なーに?』

『このおままごとセットの一つ一つに、ゆいちゃんとお嬢ちゃんの二人の名前を書いて欲しいって伝えてくれるかい?』

『え?…そう言えばいいの?』

『そうだよ。出来るかな?』

『うん!分かった!ゆいちゃんに伝えとくね!ありがとう!おじいちゃん!』

次の日―。

『おじいちゃん!』

『おや!』

『ゆいちゃんにね、ちゃんと伝えたよ!』

『そうか。』

『ゆいちゃんがね、分かったって!名前書くって!でね、ゆいちゃんから、おじいちゃんにって!』

『私にかい?』

『うん!はい!私とゆいちゃんのプリクラ!』

『プリクラ?いいのかい?二人のこんな大切なもの。』

『うん!これで、おじいちゃんも私達のこと忘れないでしょ?ちゃんと二人の名前入りだよ!』

『ありがとう。お嬢ちゃん。』

三十年…。長いようで今思えば、あっという間だった。子供達の喜ぶ顔には、何も勝るものは無かった。きっと、それを見たさの三十年だったのだろう。

ただ、もう十分に役目を果たしたのだろう。おじいさんは神様に、そう伝えたのかもしれない。ここの所、体調を崩していたおじいさんは、その夜、先立っていた家族を追い掛けるように、そっと目を閉じた。
 
この冬、珍しくこの街に雪が舞った夜、何かを導くように小さなおもちゃ屋の明かりが消えた―。

『覚えてますか?昔、この店であの人形を買った僕です。本当に、あの人形には不思議な力がありました。あの後、すぐに人形をなくしてしまって、寂しがっていたら、入れ代わるように本当に新しい家族が出来たんです。母が再婚して、念願だった兄弟も出来たんです。後悔する事を絶対的に嫌がり、約束も決してやぶらない男気溢れる最高の弟です。先日は、娘までお世話になったみたいで…。お友達と良いお別れが出来たようです。本当に、ありがとうございました。ただ、すいません。伝えるのが少し遅かったですね…。胸が痛いです…。』

啜り泣く声とお線香の香りが、冬の空をのぼって行ったおじいさんの影を悲しく染めた。
三十年…。おじいさんのおもちゃ屋は僕を残して、その役目を終えた。そう僕は、三十年間売れなかったクマのぬいぐるみ…。
 
でも僕は、その訳を知っているー。

『…お父さん。僕、大きくなったら、おもちゃ屋さんになりたい!』

『そっかぁ。たかしは、おもちゃ屋さんかぁ。楽しそうだな―。』

『…残念ですが、たかし君、もってあと半月でしょう。』

『そんな!先生!何とかして下さい!先生!先生―。』

『たかし!ほうら!これ!前から欲しがってたクマのぬいぐるみだぞぉ!』

『あ、ありがとう。お父さん、一生大切にするね―。』

『おそらく今夜が、峠でしょう…。』

『クソ!何でだ!何でだ!何でたかしが死ななきゃいけないんだ!』

『あなた…。あの子の分まで、私達が生きましょう。あの子の夢は、私達の夢です―。』


三十年間、売れなかったぬいぐるみ…。
それは、三十年間売らなかった夢…。

                                     ーおわりー
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