この風に身をまかせて

佐原金谷

文字の大きさ
1 / 1
1

夕恋

しおりを挟む
 勇気を出して重い扉を開けた。
 そこは田舎のカフェだった。明るい木目調の広い店内には、いくつかの丸テーブルに、そして奥にはカウンターが五席。どうやら先客はいないようだ。あちらこちらに観葉植物が広がる店内にはさわやかな夏の夕日が射し込んでいる。入り口近くのアップライトピアノが、この田舎のカフェをどこか格調高いものにしている。

「いらっしゃいませ」

このカフェ全体を包みこむような上品なきらめく声が耳をなで、全身に鳥肌が走った。うつむいていた顔を上げると、カウンターの奥から輝く瞳がまっすぐにこちらの眼の玉を射抜いた。思わずうぶな僕は気恥ずかしさのために眼をそらしかけたが、あまりの美しさのためにそらせない。強烈な拮抗の中で心動かされ混乱しながら僕はおずおずと店内に入っていった。歳はおそらく僕と同じかわずかに下かもしれない。二十歳前後という、退きながらもまだ確かに残っている幼さと若さ、これと育ちかけている成熟した心とがせめぎ合っている最も美しい歳頃の乙女に僕は恋をした。

 吸い寄せられるように彼女に最も近いカウンター席に腰を下ろした。一杯の水とメニューを渡された時、心臓が内側から規則的に強く胸骨を叩くのを感じた。心に余裕を持つんだ!余裕を!
 気を紛らわせるために周囲をちらり見渡すと、窓の外でおばさんがジョウロで水をまいている。どうやら屋外にも席があるらしく、そこにも観葉植物が広がっているらしい。それに水をやっているこのおばさんがおそらく店長だろう。歳は五十代半ば、もしかしてこの美女の母親か?あるいはこの美女はアルバイト?

「アメリカンコーヒーをください」
「はい」

この一往復の会話だけで僕は幸福だった。しかし、幸福は尽きても尽きないものです。もっと会話を!
 機会を見計らっては、ありきたりのことを一つ二つ言ってみる。ぎこちないながらも返事が返ってくる。それがたまらなく嬉しくてまたたわいもないことを二言三言、今度はこちらの眼を見て返事が返ってきた。僕の掌から一滴がしたたり落ちた。

「どうぞ」

コーヒーは、ベージュとアイボリーであしらわれたカップとソーサーとともに僕の目の前に置かれた。添えられている小さなクッキーをよけて、コーヒーを一口いただくとまあまあ美味しい。しかしそれどころではない。なんとかもっと話をしたい!覚えてもらいたい!
 そこに外から店長らしきおばさんが戻ってきた。このおばさんは母親か?
 僕はこのおばさんの前でこの後光さす美人と会話することはできなかった。向こうもそれを察したのか、そわそわそわそわ、互いに目があってはそらし、そらしてはまたあい、ちぐはぐはらはらどきどき。
 しばらくすると、用を頼まれたのか裏に引っ込んでしまって出てこない。おばさんと二人きりでは気まずいので話をすれば意外と盛り上がる。なぜならば余計な緊張がお互いにないからだ。しばらく盛り上がっていると、裏から美女が現れた!かわいい赤と黄緑のチェックのエプロンは外していて、アップだった髪も下ろしている。

「おつかれさまでした」
とおばさんに向かい挨拶をしたので、おそらくおばさんの娘ではなくアルバイトだろう。

「さよなら」
とこちらにも!ああ!こんなに幸せな日があってもいいのだろうか!

 それからというものおばさんと音楽の話をかわしながら、あっという間に一杯のコーヒーを飲み干し、小さなクッキーを一口で平らげると、会計を済まし外へ出た。
 日は落ちて星空の明るさが目立つほどの暗い夜、涼しい清らかな風に吹かれて家路につきながら考えた。またここへ来ればしつこくくどい、もうここへ来ないのはさびしくてあまりに情がない。来ようか来まいか迷う。しかし、その答えは時が来ればきっと、この風が教えてくれるだろう。
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

壊れていく音を聞きながら

夢窓(ゆめまど)
恋愛
結婚してまだ一か月。 妻の留守中、夫婦の家に突然やってきた母と姉と姪 何気ない日常のひと幕が、 思いもよらない“ひび”を生んでいく。 母と嫁、そしてその狭間で揺れる息子。 誰も気づきがないまま、 家族のかたちが静かに崩れていく――。 壊れていく音を聞きながら、 それでも誰かを思うことはできるのか。

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

処理中です...