吸血鬼狩人、宿敵と同居する

せいいち

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十月・だんだん冷え込んでくる

10/10(金) 錬金術師の寿命計

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 狩人の血を再び得て半月ほど経つが、吸血鬼は未だに腹が膨れていた。
 人をはじめ、生き物と言うのは生きている限り飢え続ける。そして他者から命を奪い、自分の糧とする。
 吸血鬼はしばしの間、その生のしがらみから解き放たれていた。
 そもそも吸血鬼が血を吸うのは何故か? 人間でも動物でも、命を吸うのならば何でも構わないはずだ。それを血に限るのは何故か?
 まあいいや、食いだめが出来る体なんだから、食える時に食い、飲める時に飲んどきゃいいや。吸血鬼の思考は至ってシンプルで、無駄に思慮を巡らせないことは自身の形を揺らがせない自己防衛でもあった。もしかして己を飢えさせるための長期的な毒だったかもしれないが、それでもいい。吸血鬼は極端に呑気でもあった。
 自分が揺らぐ。吸血鬼と言えば頭のおかしな貧血人間だが、自分は違う。際限無く起きていることも寝ていることも出来るし、この世に存在するありとあらゆる獣に変身することすらできる。今だってカラスに変身して空を飛んでいる。これが幻覚ならなにが現実だ。早朝の刺すような冷たさが肌に染みる。
 今日は二階から入ってやろう、とコツコツと窓ガラスを叩く。閉じられた遮光カーテンに、向こうはちっとも透けて見えない。一つ透かして見るとアルミホイルか何か張られていて、ちらちらと光がちらつく。とても集中して見れはしない。
「玄関から入れ」
 一ヶ月に一度の最低保証が見上げている。
 錬金術師は吸血鬼を招き入れ、血を吸わせる。今日は多めに貰う。全て計算ずくだ。
 ぜえはあと息を切らせて下腹部を濡らす錬金術師を尻目に、今日こそは二階に上がらせてもらうと決めていた。
「この辺だったっけ」
 机と段ボールを重ねて、この場所に初めて来たときに見かけた、二階に上がる板を外す。鍵は掛かっていない。もう一つ重い板を外せば上に上がれる。
「やめろ」
「やめな~い。招いてもらわなくても入れるもんね」
「品が無い……」
 力なく倒れ掛かり、言葉のみで制してくる錬金術師を無視して、ひょいと上がってみる。
 薄暗い中に見えるのは、籠、籠、籠。並んでいるのは空の籠だが、中には動物がいた形跡がある。毛と、体液と、臭い。
 毛皮の臭いを塗りつぶす悪臭。
 悪臭の根源が見える。この狭い建物の中にどのようにして入っているのかわからない巨大な機械。この中から臭いがする。
「動物の臭いだな。犬とか猫とかの。鼠とかの害獣じゃなくて、愛玩動物」
 自分に似た臭いだ。死体であるところとか。
「私の命だ」
 かすかに声がした。錬金術師が吸血鬼の居る場所を探りながら、正規のルート――つまり階段を上がり、こちらに。見えているかのように語り掛ける。
「私が手に入る全てを入れている」
 隣の制御装置が稼働しているらしい。ブラウン管に何やら移されている。どれだけ睨んでも要領がわからない。何とか理解しようと頭を必死に働かせる。少なくとも意味の通った文章であるだろう。目標まであと――インドの神話なみに桁が多い。
「犬猫が手に入りやすいって?」
「そうだ」
 声が近付く。吸血鬼は振り返る。赤毛の男がこちらを睨んでいる。
「へえ。じゃあ理人がたまにくっつけてたこの毛の持ち主の犬猫は、あんたのゲージに入ったってわけ?」
 コツコツと画面を叩く。二値的な表示がいくつかと、予言か指示を示す数字とアルファベットの羅列が並ぶ。古いゲームの画面のようだが、目盛りはいやに多い。
 猫背で足を慎重に、しかし大股で踏み出しながら、錬金術師は吸血鬼に歩み寄る。
「人生は。私にとってはゲームと同じだ。残りの寿命値を増やし。運命値を増やし。その他多くの数値を増やし。数多くの愛玩されるべき命を消費し。それでも私には足りないのだ。あと五十六億七千万には遠く届かない。全ての数値が。だから私には、他の手段が必要だ」
 コンピューターに表示されたゲーム画面を暗くし、錬金術師は後ろに庇うように吸血鬼に向き合う。
 そのゲーム機の予測だってあと何年もつかわからないだろ。吸血鬼は目を反らして言う。
「あんたのお友達、ミカジロとかが聞いたらなんて言うかね?」
「あれが犬をかわいがるのは自分の負い目だ。奴には何も言えまい。人の業で生まれた命を人が処理しているまでのこと。残酷と誹るのは通りが違う」
「負い目? あいつのことも気になるけど。どう、俺と会ってあんたの人生何か変わった?」
「変わりはしない。血を用いた場合の数も数えたが、私は粗忽者で、お前の血を私に生かすには、百年は眠らなければならないらしい」
「そりゃあ……惜しいな、ちょっと」
 ふふ、と鼻だけで笑う。目は一切、笑っているようには見えない。
「それに百年の間、お前が生きている保証もない」
「そりゃどういう意味だ」
「理人がお前を殺す方が早い。私を生かしておく必要も無くなる。彼はもう成人している」
「なんで理人のほうが強いって?」
「見るからにそうだろう。同居に至った経緯を聞いたが、状況はお前のほうが圧倒的に不利だ。まだ奴と同居してるんだろう」
「奴も俺と同居してる。睡眠時間が不安定な俺に起こされることもある。条件は対等だ」
「いいや、奴が暮らしていたところにお前が入ってきた形だ。一緒に暮らしていて相当消耗しているはずだ……その様子だと、無自覚かもしれんが」
 消耗は確かにある。前の祝日にやったあれといい、不定期的に風呂に入れと言ってくることといい。飯のタイミングが合わないのもストレスになるという。昼間に出歩くのも正直苦痛だ。俺は吸血鬼なのだから。
「明日から三連休だからな。一緒に居る分ストレスもたまるだろう。どうだ」
「何がどうだなんだよ」
「ストレスが溜まるかどうか聞いたんだ」
 確かにストレスは溜まるけれども。吸血鬼は錬金術師の質問の意図が分からず、言葉を荒げる。
「お前俺とあいつのどっちの味方なんだよ!」
「どちらの味方でもない。奴を買い取った以上それなりの執着はあるし、お前の、吸血鬼の血に利用価値があることは十分に理解している。どちらが勝ってもいい思いはするし、負ければ傷付くというものだ」
「自己中! あいつお前のこと嫌いだぜ!」
「奴に何を与えていようと、私は奴を買った。そうでなければ困る」
 倫理観の正しさがあるんだか無いんだか。錬金術師は己の実利しか見ていないわけではないらしい。
「どちらかというと、私はお前の勝ちに賭けている。宿敵を倒したクドラクならば、他の者に倒されるのは考えにくい。まったく、分の悪い勝負だとは思わないか」
「なんで分が悪いんだよ」
「お前、あいつに抱かれたそうだな。しかもめちゃくちゃにされたと」
 吸血鬼は訝しげに見る。
「……なんで知ってんだよ」
「一つしかあるまい。理人は私にお前をひどい目に遭わせたと連絡してくれたよ。彼は私に何でも話さなければならないと思っているらしい……」
 吸血鬼は顔を赤くした。悔しさと照れはあったが、羞恥はない。あいつが人に俺とセックスしたって話した。あの聖人もどきが。これが高揚せずにいられるか。
「俺を抱いてあいつは罪悪感を抱いてるって!?」
「情事を聞かれたことの気恥ずかしさはないのか」
「全然。あいつなんて言ってた? 俺を抱き潰して気持ち良かったって?」
 錬金術師は面白くない、と言いたげな表情で端末を見せる。揶揄いという感情があったのか。吸血鬼は薄暗い中、光り輝く端末を覗き込んだ。定時報告の催促の後、狩人からのメッセージがあった。
[吸血鬼と性行為をしました。かなりひどい目に遭わせてしまいました。もう二度としません]
 シンプルで淡白な報告だった。もっと官能小説っぽいものを期待してたんだけど。吸血鬼は少し冷静になった。やっぱりあいつつまんねーやつだな。もう一遍やりたいって言ってみろよ。
「トラウマになっている。何をした?」
「俺じゃなくてあいつがしたんだけど。死ぬ程気持ち良くさせてもらったぜ、もう二度とやりたくないけど。聞きたい?」
「一応確認しておきたい。詳細は省いて、このメッセージくらい簡潔に頼む」
「……俺が誘った。あいつは俺を気絶するほどズッコンバッコンやった。それだけ」
「そうか。そういう欲は薄いように見えたんだがな……変わったな」
「何も思わないの? 嫉妬とかしない?」
「私はあいつの親代わりだ。祝いこそすれ嫉妬など考えられん」
 呆れたように錬金術師は続ける。
「だから言っただろう、どちらの味方でもないと。お前たちの同居が上手くいく分には、私には得にしかならない。上手くいくのなら婚姻届の証人欄に私の名前を書きたいくらいだ。どうなんだ、予定はないのか」
 吸血鬼はやっぱこいつ倫理ねえわと思った。不貞とか考えないのか。あいつに嫌われるわけだよ。
「……俺とセックスしといてそれ言うの?」
「やめるのならいつでもいい。私は血を吸われるだけでもいいからな」
 セックスはしたい。吸血鬼は生来の淫乱だった。そして別に狩人と結婚する予定もないから、不犯など考慮する必要も無い。好みの人間と性交渉できる機会があるなら機を逃すことはわざわざしない。
 話は終わった。吸血鬼は昼を過ぎる前に家に帰ることにした。
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