籠の中は

古部 鈴

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消えない約束

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      ◇
 我が主のお姿は、筆舌に尽くしがたい。
 どう言葉に表せばいいのだろうか。到底表すことが出来る気がしない美しさだ。

「ルフェルス様」
 透き通るような肌。白い衣を身に纏う姿は一層眩く、まるで光の化身のようだ。私の体は自然に我が主の前に跪く。

「私に傅く必要などない」
 優しく美麗な声で、私を退ける言葉を紡ぐ主。

 それは私が気に食わない訳でもなく、ただ私のためにその方がいいのではと思ってくださってのこと。

 ありがたいことではあるが、離れる気などない。御身をお守りすることが私の望みだ。





 ルフェルス様は、美しい黄味の強い琥珀の双眸、輝く白金の髪は豊かに長い、優れた王であったと残されるトライレム王家の始祖の特徴をよく現したお姿だ。

 美しいお声、見飽き無い麗しくも雪花石膏のような白い顔。爽やかな花の香りの似合う穏やかな気性のお方だが、本人はその美に全く無頓着でもある。

 暗殺者は勿論、それ以外の狙いのある者が、存在することすら気づかないで済むように、ひきよせられた不心得者の侵入ももちろん阻止してきた。

 ルフェルス様を目の敵にするサンドルシア妃は暗にルフェルス様を気にかけていた陛下亡き後、自らが摂政となり、自身の子息であるルシアナス王子を擁立した。
 それに対して反対勢力が、王位を望むこともないルフェルス様を担ぎ上げようとする……

 そうでなくとも気も優しく繊細な主に、これ以上の心労を与えないよう、重々気をつけていたのだが──




 ある日、私に所用があり出向いていた時のこと。結界をはって出たものの、ふと胸騒ぎがして離宮へと転移した。

 夜であるにもかかわらず、明かりもなく開いたままの主の窓に気づき、訝しく思いながら暗い部屋へと移動した。

 風が吹き、雲間からゆっくりと顔を出した月の青白い光が窓から差し込み始める。


 その光に照らし出されたものは──



 いつかこういうことが起こるのではないか、とは感じていた。あり得ない話ではないとも思っていた。だからこそ気をつけていた。


 月明かりに濡れたルフェルス様自らに向けられた、光る剣先。

 慌ててルフェルス様に近づき握りしめ、その手を止めさせた。そんな私を見る、見開いた眼。

 私を見る主の瞳に映るのものは、私の姿なのか、絶望か。

 声をかけることもなく私は、主が冷えた白い手で握り締めていた懐剣を、床に落とした。

 金属音がそこに響く。


 その身を儚くさせようとしようとした主に、私は哀しみと強い怒りを覚えた。
 どうにも出来ないやるせない感情に、この身がのまれていくようだった。
 
 全てを置いてひとり去る気だったのかと。それを選んだのかと。
 責務として、主人を護る役割である私の目を掻い潜ろうとしたということも。

 つらく感じていることに気づいていた。思い詰めていることを感じていた。そうしてしまうということの可能性があると思っていてもなお、私はそれを甘く見ていたのかと。自責を。

 そして、何より私をおいていくのかと。いかせてなるものかと──

 黙ったまま俯く主のその細い手首を強く、だが痛めないようにそっと、無言で逃さないように握り締める。
 
 内面に渦巻く感情が、握り締めた掌から溢れてしまいそうになることを堪えながら、押し留めながらも、それはすり抜け滴り落ちて行く。

 離さないように──
 決して離さないように。

 逃さないように──
 もう決して逃してしまうことのないように。



 私は、主に身動きすらとれないように、入念に呪縛魔法をかけた。そうすることしか思いつかなかった。

 そして、必要なものを最低限まとめ、大事な大事なお方をすっぽりと柔らかな布で包み込み、腕に抱えたまま王宮から離れた拠点へ転移した。


 あたたかな重み。生命の証。

 その火が消えてしまうところであったことを、阻止出来たことへの安堵と、また行うことがあるのではという危惧を感じながら──



 そして、拠点のより堅固な要塞化を図る。幸い魔力は十全にある。
 何者をも侵入出来ぬように。そして主を決して外に出すことのないように。


 そして、そっと主を屋敷において、考えるだけでも苦しくなるが、主、ルフェルス様の死を偽装した。
 
 
 罪であろう。
 それでも構わなかった。構うものなどありはしなかった。





 主を閉じ込めたまま、私はそれでも安心出来ないと思いつくままに魔法を組みあわせる。

 一度あることは、またある可能性もある。
 耐えられない。失うということの可能性に。

 がんじがらめにしても、まだ足りない。どこにも出ることが出来ない状態にしても、まだ足りない。

 偽装までし、原因であろう彼らを退けたとしても、ふとした拍子にまた選んでしまわないかという危惧に苛まれる。


 ──私から主を、ルフェルス様をどうか取り上げないでください。たとえそれが、ルフェルス様本人の意思であったとしても──


 私の心は希う。

 これが正しいこととは決して思えなくとも。ただ自身の安堵のためであることに気づいていても。

 それでも願う。





 ──覚えてはいらっしゃらないのだろう。

 ルフェルス様の幼い頃に、主従になる前に出会った日のことを。

 花咲く庭園の花の中で、座っていた花のような幼いルフェルス様。
 
 ずっと一緒にいて欲しいと、はにかんだ笑みを浮かべ私に約束を願ったことなど。
 私も、ではずっと一緒にいて下さいとお願いしたことも、幼い日の他愛のない出来事を、約束を。

 ひたすら胸においているのはもう私だけなのだろう。

 消えることのない想い。

 いまだなお消すことの出来ない、この心の中に根付く私の大切なもの。

 忘れ去られてしまっているとしても、それでも共にいることが出来るなら、出来るのならば──




「離れていいんだぞ、シレイル」
 まだそのように言うルフェルス様。

 これだけがんじがらめに、縛り付けていても私はいなくなるものだと思っているようだ。

 自ら出て行くことすら、叶わない状態にあるにもかかわらず、そこまで自身が執着されていることに、気付いているのかいないのか。

 それすらもなくなることだろうと思われているのか。
 その程度と思われているのか。

 私に離れて欲しいだけなのか。身の内に、裏暗い想いが湧き上がるのを堪える。


「離れません。どうかお側に」
 そう伝えながら、思いつく限りの魔法を組み合わせ上掛ける。
 それに気付いたのか、ルフェルス様は苦笑する。

「お前の魔法は、解こうとしても全く歯が立たないというのに」
「まだ心配です。まだ足りない気しかしません。解けてしまうものをかけても仕方がありませんから」

 ──解けない魔法。それは解けない魔法。解くつもりもない、解くはずもないもの。

 あなたがくれた言葉。

 もう遥か遠い本人すら覚えていないだろうそれを、たとえ、時があなたからそれを奪い去っていたとしても。

 それでも──

 あなたはあなた、あなたは私の唯一の光だから……






      ◇
「本当に、お前は。こんな私などに構わなくとも幾らでもだというのに……臣下に欲しがっていた者が、婚姻を望んでいた者が、お前にどれだけいたかわかっていない訳でもあるまいに」

 やはり気にかけてくれているようだ。

 全く困ったものだと苦笑しながらも私を見つめるルフェルス様。

「離れていいのだよ。シレイル」
「離れません。ルフェルス様。私はルフェルス様のお側に」

 そう口にしながら私は跪き、ゆっくりと頭を垂れた。
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