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真の遺産

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「ふざけるな、このジジイッ!」
 怒りで視界が歪み、汗が大量に吹き出る感覚があった。
 手足が熱くなり、自分の身体が大きくなったような気がした。

 直後、ビリビリと服が破ける。

「な……っ!」
 そんな馬鹿な!
 気のせいじゃない。
 気のせいじゃなく、俺の身体は実際に大きく膨らんでいた。
 筋肉が強調されてうねり、黒い装甲で覆われている。

 思わず自分の身体を眺めてみた。
 こりゃあすごく強そうに見えるぞ、少なくとも見た目だけは……。

「どうなってるんだよ、これ……」
 俺のつぶやきに老執事が答えた。
「戦時中に大吉さまが着想され、わたくしめが完成させた賦力特攻服、またの名を『万筋服』といいます。それこそが大吉さまよりの遺産でございます」
「すげぇけど……いったいどこから出てきたんだ……」
「テストステロン、ノルアドレナリンその他、怒りのホルモンのミックスが感知されると丈さまの毛穴という毛穴から微小半金属筋肉(ナノメタロイドマッスル)が吹き出し、その万筋服を形作るのです。そのために必要な処置をするため、さきほど心臓に穴を開けさせていただいた次第です」
「な、なに勝手に! なに勝手に人の身体を改造してんだよ!」
「これを」
 呉羽は後ろ手から金属の棒を取り出して放り投げてきた。
 反射的に受け取る。
 ずっしりする。
 直径三センチはあった。
 呉羽が空の両手でひねるような動作をする。

 まさか……!

 俺は装甲に包まれた両手で棒を曲げようとした。ガッチリ硬い。
 硬いことを認識した上で力を込めると、ぐにゃりと曲がっていく。
 粘土のように易易と変形した。
 気持ちよくて、知恵の輪のように一回転させるところまでやった。

「すげぇ、すげぇ力じゃん……」
「常人の数百倍の力を出せるはずです。また装甲は戦車砲の直撃にも耐えられます。頭に当たらなければ。もっとも力があがるということはスピードもあがります。めったなことでは戦車砲など当たりますまい。万筋服をまとった丈さまは超人なのです」

 俺が超人……。

 四十三歳独身無職童貞の俺が!

 超人ッ!

 再び自分の身体を見下ろす。
 黒をベースにシルバーのアクセント。マッチョなスーツだ。

 かっこいい。

「これを、じいさんとあんたが作ったのか。あんた何者だ……?」
「今風にいいますとAIというところですかな」
「あんたコンピューターなのか?」
「厳密に言いますと違いますが、まあ似たようなものですな。わたくしは大吉さまによって造られた汎工作用人造知性であり、いまいるこの空間もひっくるめてわたくしなのです」

 とんでもない展開に頭がくらくらした。
「俺は正気か……?」
「大吉さまも常に戦っておられました。自分がどうしよもない狂気の深淵に落ちたものだと誤解されていたのです。常にあらざる知力をお持ちだったゆえに」

 生前のじいさんの様子を思い出すと、あまりにイメージが違う。
 なんか体よく騙されているような気がしてきた。

「でもじいさん、そんな科学者みたいなそぶりまるでなかったけどな。戦争には行ってたらしいけど。無口だったし、黙々と農作業ばっかしてた」
「賢きものは口を噤むのでしょう。わたくしのことを自分の妄想か何かだと勘違いして忘れようとしていたご様子でした。長いあいだ。しかしわたくしは万筋服の完成という自分の仕事を続けていたのです。忘れられていても」

 もっともらしい言い分だ。
 ここまでで最大の疑問を聞く。

「なんでじいさんに教えなかったんだ、万筋服ができたこと」
 呉羽は目を伏せて語った。
「じつのところ、万筋服が完成したのはつい一年ほど前だったのです。外の世界で完成に必要なブレイクスルーがあったおかげです。そのころ大吉さまはもう認知症が進んでおりました。話せる状態ではなかったのです。残る直系男子で一番若いのが丈さまです。丈さまならこの万筋服にまだ使い途を見出してくれるのではないかと考えまして。それで連絡を取らせていただきました次第です」
「AIなのに外の世界に干渉できるんだな」
「方策はいろいろありましてな」
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