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不穏な設定

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  香華子は今日の出来事を反芻していた。
 なんと奇妙な一日だっただろう。
 妄想の産物としてずっと観察していた人物が実在していた。
  おっさんは妄想じゃなかった。
  香華子は彼の生活と未来を覗き視ていたのだった。
 実際に会ったおっさんはやはり生々しく、汗の匂いがし、予想外に優しかった。
 間違いなく、生きている人間だった。
 それどころかこの家にまでやってきたし、
 香華子の淹れたお茶を飲み、出したお茶菓子を食べていった。
 ずっと生活を覗き視ていた引け目からか、釘伊のおっさんの目をまだまともに見られない。
 近くにいるだけで心拍数があがり、顔の血流が増加して真っ赤になってしまう。

 これは……。

 もしかしたら……。

 恋。

 いや、どうだろう? 
 香華子はすぐに理性を引っ張りだして思考を押し止める。
 珍獣のように観察してたおっさんだし。
 どっちかっていうと、見ため汚かったし。
 そう否定してみても、今日の出来事を思い出してみると、わずかずつ頬がほころんでいく。
 今日は男たちに襲われるという危機もあったが、
 その恐怖はとうの昔に忘れ去ってしまっていた。
 勝手に外出したことを咎められ、叱責されると思いきや、
 懇願で泣き落としをかけられたことも、もう忘れかけていた。

 やっぱりまた会ってみたい、おっさんの実物に。

 おっさんの生活を妄想すること、
 つまり未来視を使うことは危険だったので我慢したが、
 数時間前の現実を反芻するのに危険はない。

 そうやって机で虚空に向かってニヤニヤしていると、とつぜん哲史が部屋に入ってきた。
 少し興奮気味に言う。
「香華子、ちょっとこれみてよ! 新しい設定考えついたんだ」
「え?」
 香華子は押し付けられたプリントアウトに目を通した。 

 新設定
『狭間から来たるもの』
 世界と世界の狭間の亜空間に潜む巨大な怪物。
 世界と世界をつなぐ穴でもある次元接続体の多次元接続によってほかの世界を検知する。
 次元接続体が一箇所に集まり、多次元接続が増えると、
 世界に開いた穴の体積も多くなることから、それを世界への進入路として出現する。
 こちらの世界へ侵入してきた
『狭間から来たるもの』は秩序を可能な限り混沌へ近づけようと破壊の限りを尽くす。
 また、多次元の接続点としてエネルギーを蓄えている次元接続体を食料として好む傾向がある。

 哲史は得意げに言った。
「ちょっと物騒だけど、おもしろいだろ?」
「おもしろいってゆうか……」

 危険だ。

 香華子は自分たちが次元接続体であることを、まだ哲史に話していなかった。
 香華子自身戸惑っているし、
 すべてを説明するにはもっと現実を整理する時間が必要だと思っていた。
 だから哲史は、自分が特殊な能力を持った次元接続体であることをしらない。
 それどころか次元接続体が実在することすらしらない。
 この新設定は決して悪意をもって書かれたのではなかった。
 哲史の力の発現なのだった。
 世ノ目博士は哲史の能力を『隠された現実を見通す力』だと評した。
 それが正しいとすると、この新設定も現実か、
 そうでなくともこれから現実となる可能性が高い。
 それはこの世界に巨大な怪物が出現するという予言だった。
 しかもその怪物は次元接続体を捕食するという。
 新しい知り合いたちに、大きな危険が迫っている。
 香華子は顔から血の気が引いていく感覚がした。

「香華子、顔色が悪くなったみたいだ。香華子には刺激が強すぎたかな、ごめんよ」
 香華子はなんとか笑顔を作った。
「うぅん、違うのおにぃ。おもしろいよこれ。よく覚えたいからこのプリントアウトもらっとくね。また新しい設定考えたら教えて」
「そっか! 気に入ってもらえたなら嬉しいよ」
 哲史は満足げに出ていった。

 香華子はすぐスマホを取りだし、プリントアウトの文面を打ちこむ。
 えひめに出すメールの準備だった。
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