素足のリシュワ

進常椀富

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異形の襲撃

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 リシュワたちは荷物を置いただけで、また部屋を出た。ローラについていく。
 ローラは主棟から外へ出た。厩のほうへ歩いていく。

 先日は陰になって見えなかったが、厩の隣には頑丈そうな檻がしつらえてあった。
 木の格子の向こうに、狼型の産獣が一頭、丸くなっていた。
 檻の大きさからして二頭が入っても余裕がある。
 たぶん、もう一頭はレオネが殺してしまったのだろう。

 産獣の檻からさらに奥、丸太の防壁ぎわに、レンガ造りの建物があった。
 新しいものだった。
 リシュワの知らない旗がかかっている。
 二本の腕がいっしょになって一振りの剣を掲げた図案だった。
 もしかするとジェントル・オーダーの紋章なのかもしれない。

 建物の扉には金属製のノッカーがついていた。ローラはそれを鳴らす。
「リシュワさまたちをお連れしました」
 中からゲデ・スオーンの野太い声が返事した。
「入れ」
「それではわたしはこれで。ご用があったらローラをお探しください」
「そうしよう、ありがとうローラ」
 ローラは去り、リシュワとレオネは扉を開けて中へ入った。
 まず異様な臭気が鼻をつく。産獣師の工房の匂いだった。

 ゲデ・スオーンは机に向かってなにかを書いていた。
 明かりはその机に燭台がひとつあるきりだったので、部屋全体が薄暗い。
 暗いが、コドンと新鬼人にはじゅうぶんな明るさがあった。

 部屋の中央には金属製の処置台があった。
 これもリシュワたちには見慣れたものだったが、ラーヴ・ソルガーの工房では木製で汚れがこびりついてた。
 ゲデ・スオーンの処置台は清潔で輝いている。

 処置台を囲むように棚が並んでおり、
 産獣術に必要な道具や、なんらかの液体に漬けられた生物の一部が置いてある。

 そのなかのひとつに、リシュワの視線は惹きつけられた。
 楕円の肉っぽい塊が液体に浸かっている。
 ラーヴ・ソルガーの首だった。
 首は頭の上半分と首の切り口に何本もの線をつなげられていた。
 ゲデ・スオーンがなにをしようとしているのかはわからないが、心躍る見世物ではない。

 リシュワは聞いた。
「ラーヴ・ソルガーの首をとっておいて、なにか得があるのか」
 ゲデ・スオーンは顔をあげた。
「おや、レオネも来たのかい。いい子だね」
 その言葉にも驚いたが、さらに驚かされたことに、ゲデ・スオーンは微笑んでいた。
 目尻と頬にしわを寄せて、歯を見せている。
 レオネはゲデ・スオーンに気に入られたらしい。
 コドンはこの世界へきたとき、子供のほとんどを死なせたという。
 レオネのような子供に近い年齢の者には甘くなってしまうのかもしれない。

「菓子があるぞ。甘いぞ、ほれ」
 ゲデ・スオーンは小箱から茶色の棒状のものを取りだし、レオネに向けた。シナモンの香りが漂う。
 レオネは半歩下がり、リシュワの腰をつかんだ。
 リシュワはレオネの髪を撫でて言った。
「もらっておけ。菓子は貴重品だろう」
 レオネはおずおずと菓子を受けとり、匂いをかぐと口へ入れて咀嚼する。
「おいしい! 甘い! こんなの何年ぶり!」
 ゲデ・スオーンは笑った。
「ここに来ればいつでもやるさ。一回につき一本だよ」

 リシュワは聞いた。
「ノゼマどのの似顔を描くのか」
「察しがいいね。それとおまえらの身体を調べておこうと思ってね。ラーヴ・ソルガーがおまえらにどういう処置を施したか、知っておかねばならん。これからおまえたちの丸薬はわたしが作るんだからね」

 レオネが菓子を噛みながら眉根を寄せた。
「ノゼマさんを探してどうするの? 殺すの?」

 リシュワも口を開いた。
「ノゼマどのには恩がある。決して悪人ではないし、王侯派などというものではない。ジェントル・オーダーの敵ではないだろう。それにおそらく、襲っても返り討ちにされるだけだ」

 ゲデ・スオーンは太い漆黒の指で赤毛を梳いた。
「敵か味方かはわからん。だが、戦いをしけたら殺されるだろうね。それは確かだ、周知させておこう。わたしたちは神柱に接触しておきたい。まずはそれだけなのさ。できれば味方としたいが、どう転ぶかわからん。味方にできなければ倒せるものでもないだろうし、放置するしかない」
「わかった。信用しよう。絵描きを呼んでくれ」
「わたしが描くのさ」
 ゲデ・スオーンは真面目な顔で木炭をとりあげ、机の上に新しいパピルスを広げた。

 それからしばらくやりとりして似顔絵が完成した。リシュワは感心して言った。
「かなり似ている。みごとなものだ」

 ゲデ・スオーンは煤のついた指を拭く。
「これから何人もが複写するあいだに変わってしまうだろうが。しかし頭髪がなく、目が白濁しているなどの特徴と、見た目の年齢は残る。次はおまえたちの身体をみようか。リシュワからだ。施術台に寝な。今日は鎧をつけたままでいい」
「わかった」

 リシュワは剣を外し、冷たくひんやりした施術台の上に仰向けになった。
 ゲデ・スオーンは呪文を唱え、所定の身振りをした。
 顔の前の空気が拡大鏡のように歪む。
 産獣師はこれで産獣や新鬼人の内部を観察するのだった。

 ゲデ・スオーンはリシュワの全身をざっと見渡した。
「寄生肢を外してくれ。詳しく見たい。まず腕だ」
「レオネ、手伝ってくれ」

 リシュワとレオネは寄生腕の吸着口から伸びる管を圧迫した。
 全部で四本あるそれを全て圧迫して血液の流れを止める。
 寄生腕の脳は取り外しの合図だと理解して吸着口を離し、リシュワの腕を締める力を弱めた。

 寄生腕を引き抜いて渡す。
 ゲデ・スオーンの巨体に持たれると、リシュワの寄生腕はまるで人形のもののように見えた。
 ゲデ・スオーンはもぐもぐつぶやきながら、角度を変えて観察する。
「この寄生腕の名前は?」
 リシュワは驚いた。
「特に名前はつけていない。わたしの腕だ」
「名前をつけるべきだね。身体の一部とはいえ、別の生き物でもある。もっともそれほど長いつきあいもできないかもしれないがね」
「というと?」
「この寄生腕は大まかなところ、エクリクティキ式だ。瞬間的な力と耐久性に優れているものの、生物的な寿命が短い。それと繊細な作業にも向かない」
 ゲデ・スオーンは腕を返してきた。
「次は足をみよう」

 リシュワは寄生腕を装着したあと、寄生脚の管を締めた。
 腕と同じように力が弱まる。
 寄生脚を抜くと、リシュワ本来の腿の断端があらわになる。

 ゲデ・スオーンはかがんでリシュワの脚を受けとって眺める。顔の前の歪みがちかちか瞬いた。
 いろんな角度で眺めたあと、ゲデ・スオーンは言った。
「こっちもエクリクティキ式。しかし寿命はあとわずかだ。近いうちに交換が必要になる。わたしのほうで用意しよう。グリゴーラ式になるが問題あるまい」
 ゲデ・スオーンは脚を返してきた。それを装着しなおす。
「寝たままでおれ。身体のほうもざっとみておく」
 ゲデ・スオーンはまた呪文を唱えた。右手の手のひらが光りはじめる。

「じっとしておれよ」
 ゲデ・スオーンは厚い手のひらをリシュワの肌と鎧のあいだに差し入れ、がさがさとまさぐった。
 しばらく腹の上をさすったあと、手を抜く。
「身体のほうはクティノディア式だの。エクリクティキ式とクティノディア式の組み合わせか。驚異的なパワーが出るが、寿命はかなり短くなる。あまり使わない組み合わせだが。ラーヴ・ソルガーがどのようにおまえたちを扱っていたかわかるな」

 リシュワは聞いた。
「寿命を過ぎるとどうなる?」
「最悪の場合は溶血性の炎症を起こし、身体が溶ける。そうでなくとも新鬼人としての力は振るえなくなるだろう」
 リシュワはため息をついて起きあがった。
「レオネもみてほしい。わたしよりもできるだけ詳細に」
「いいだろう、レオネは鎧も取って寝なさい」
「え、うん……」

 リシュワも手伝ってレオネの胸甲を外す。
 胸甲の下は素肌なので、膨らみきっていない小ぶりな乳房があらわになる。
 ミミズ腫れのような肉管は、そんな乳房にも縦横に走っていた。

 ゲデ・スオーンは呪文をつぶやき、手のひらが光を発する。
 施術台に寝たレオネの身体をさするように、あちこち手を這わせた。
 それはリシュワの場合より時間がかかった。
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