素足のリシュワ

進常椀富

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深淵へのいざない

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 産獣師と魔道士はともに、施術台に向かって手を動かしていた。
 ゲデ・スオーンが振り返った。
「なんの用だリシュワ。わたしはしばらく忙しい。用事があるなら手短に頼む」

 リシュワは戦慄した。
 ゲデ・スオーンとフリックの隙間から、施術台の上にあるものが見えた。
 それは液体に濡れたラーヴ・ソルガーの生首だった。
 禿頭の死んだ頭部には何本もの管が突き刺されていて、さらに泡立つ容器につながっていた。

 ラーヴ・ソルガーの生首とリシュワの目が合った。
 生首の唇が動いてかすれ声を発する。
「リ……、リ、シュワ……」

 リシュワは全身が総毛立つような嫌悪感に襲われた。
「なにをしている、ゲデ・スオーン、フリック!」

 ゲデ・スオーンは表情の読めない黒一色の瞳で答えた。
「なに、プネウマの精製法をみつけたものでな、どれほどのものか試していたのよ。神柱はプネウマを吸収して生きるというしな」
 まだ目に包帯を巻き、頭の上にレンズを浮かべているフリックが頷いた。
「ごらんの通り、死んだ首に一時的な生命を賦与している。このプネウマは本物だ」

 このふたりは、リシュワにとってどれほどの危機か理解していないように思われた。
 リシュワは頭に血がのぼるのを感じながら指摘した。
「そんなことを聞いてるんじゃない! こいつに意識が戻るとわたしの命が危ないんだ!」
 生首はもごもごと口を動かすが、言葉は紡げないでいる。

 ゲデ・スオーンが含み笑いを漏らす。
「フフフ、安心せい、こいつの意識は混濁しておる。死んでいた時間が長かったからな。完全な蘇生にはほどとおいだろう。目にしたものに反射しているだけだ」
 リシュワはいつでも左のかぎ爪を放てるよう身構えながら聞いた。
「いくら求道といえど、こんな実験は非道にすぎるんじゃないか?」
 フリックは黙って器具を調整していた。ゲデ・スオーンが答える。
「われわれの発見した知識が真正のものか、しりたかっただけだ。実験が……、さらなる実験が必要なのだよ、リシュワ。ノゼマはすべてを拒否するようでいて、大きなヒントをくれた。自分の存在がコドンの淵源に変化を与えたと言っていただろう。それは大きな足がかりとなった」
 ゲデ・スオーンは静かに興奮している様子だった。いつもより饒舌になって続ける。
「コドンの淵源がどういうものか知るまい。それはわれわれの生命線、知識の源泉なのだよ。われわれが地上の言語を淀みなく話せるのも、淵源とつながっているからに他ならぬ。われわれは昏い世界で長いときを過ごしてきた。本来の皮膚は白く半透明だ。地上の陽光から身を守るためにこの漆黒の皮膚がある。皮膚を与えてくれるのも淵源の力による。淵源は地上へ逃れてきたコドンの生命の源といってもよい。そこに知識も蓄積される。ノゼマが誕生したことにより、淵源に神柱への道程が刻まれておるのだ、密やかに。それをみつけだす」

 フリックも手を止めて口を開いた。
「リシュワ、神柱への道はそこにあるんだ。コドンの産獣術は素晴らしい。魔導にも人体修復、生体変換の技術はあるが、産獣術に比べてずっと遅れている。その分、産獣術には物質を操る力が欠けている。神柱へ達するための素材が作れない。魔導による素材の錬成と、産獣術による人体の変成、それがひとつとなって神柱へ導くものと、俺たちは目処をつけた。人を新鬼人となす技術はその道筋に過ぎない」

 リシュワはふたりの言い分を理解した。そして恐ろしい陥穽があることに気づく。
「産獣術と魔導を組み合わせることで神柱へとなれる可能性がある、それはわかった。しかし、それがうまく働かなかった場合、あの異形への道となるのだろう? その危険性がある。いや、むしろ危険性のほうが高いんじゃないか。だからノゼマは神柱への道へ近づくことをよせと言っていた。あんたたちは怪物になってしまうかもしれないんだぞ」

 ゲデ・スオーンは居直った。
「もとより危険は承知。異形へと堕ちた魔道士は危険をしらなかったのだ。われらは危険を知っている。これは大きな違いだ。決して楽観論というばかりではない」

 フリックも頷いた。
「俺たちはこれが危険な道だとわかっているんだ。そりゃ慎重にことをすすめるさ。研究を続ければ異形へと堕ちてしまう原因もわかるだろう」

 ゲデ・スオーンはリシュワに向き直った。
「必要なことなのだよ。こちら側に神柱が多く生まれれば、封印されている王侯貴族も恐れるに足らん。これはいつか来る日に備えて、必要なことなのだ、リシュワよ」

 理解はできるが納得はできない。リシュワは腕組みした。
「あんたたちが危険な研究をしていることはダクツに伝える。いいな」
 ゲデ・スオーンはそれが話の落とし所と悟ったらしかった。器具をいじりはじめる。
「あやつにはあやつの仕事がある。それはわたしたちの道を止めることではない」

 そのとき、ラーヴ・ソルガーの生首がはっきりした口調で言った。
「リシュワよ、おまえはなぜ……」

 リシュワは問答を待たなかった。
 危険が臨界点を超えていた。
 即座に決定し、左腕をのばして鋭い爪で貫く。
 ラーヴ・ソルガーの首は壁際へ転がり、つながっていた管がすべて抜ける。
 また命を失っていた。もうしゃべらない。

 ゲデ・スオーンは激情にかられたようにリシュワを押しのけた。
「なにをする! 愚か者め!」

 リシュワは一歩下がって、伸ばした左腕をもとに戻した。
「これも必要なことだ。ラーヴ・ソルガーが意識を取り戻すと、わたしを瞬間的に殺すこともできる。レジレスがまだ頭のなかにいるはずだからな」

 フリックが生首を拾いにいきながら非難する。
「気にしすぎだ。こいつの意識は混濁している。いまのはたまたまのうわごとが意味有りげに聞こえたにすぎないんだよ」
「わたしはそんな危険を冒さない」
 リシュワの返事も聞こえないように、フリックは拾いあげた生首を検分した。
「こいつはもうだめかもしれない。頭に穴が開いている。脳がやられてしまった」
 ゲデ・スオーンはため息をついた。
「まあよいわ。プネウマの真正と有効性が確かめられたからの」
 リシュワのほうへ首を巡らす。
「そもそも、おまえは何をしにここへきたのだ?」
 リシュワは肩をすくめた。
「あんたの様子がおかしかったから。気落ちしてるんじゃないかと具合を見にきただけだったのさ」
「余計なお世話だったな。見ればわかろう。わたしは意気軒昂だ。帰ってもらおう。わたしたちにはわたしたちの仕事がある。おまえの仕事は戦いだ。眠れるときに眠っておけ」
 今度はリシュワがため息をつき、右手で髪を梳いた。
「確かに。来なければよかった。わたしは戻る。なにをやるにしろ、慎重にことを運んでくれ」
「言われるまでもない」

 リシュワは挨拶もせずに、工房をあとにした。
 胸のうちは落胆と怒りに満ちている。

 自室のベッドへ戻ったが、いっときであったとしても、死んだ者が脅威となって戻ってきたことに不安を覚えた。
 鎧を外して身軽になっているというのに、なかなか寝つけない夜となった。
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