素足のリシュワ

進常椀富

文字の大きさ
上 下
30 / 33
シンフォネフシー

5

しおりを挟む
 ややあってノゼマが口を開いた。
「わたしのほうが有利であるといっても、戦えば勝てるとは限らない。相打ちもありえる。そこで妥協してもらいたい。きみたちは戦利品を諦める。わたしはきみたちが行くに任せる。それでどうだろう。配下は別なところで作ってもらおう」
 しばしの沈黙のあと、フリックとラーヴ・ソルガーが声を揃えた。
「いいだろう」
 フリックの両腕が体内へひっこんだ。
 ラーヴ・ソルガーが続ける。
「もう結界など張らせない。次にまみえたときには覚悟することだな、ノゼマよ」
「いま退いてくれれば、それでよい」

 シンフォネフシーは身体の正面をノゼマに向けたまま、後ろ歩きで遠ざかっていった。
 後ろにも目がきくかのように、なににもぶつからず、屋敷を出ていく。
 ノゼマは佇立してそれを見送った。

 やがて、小さな爆発音がしたあと、ノゼマは身体の力を抜いたようだった。大きく息をつく。
「脅威は去った」
 それからノゼマは実体のないリシュワへ顔を向けた。
「まずはきみから始めるか」
「わたしが見えるのか」
 リシュワはそう聞こうとしたが言葉は出なかった。ノゼマは首を振る。
「死者は言葉を持てない。なんの力もない。きみは見ていることしかできない」
 ノゼマはリシュワの死体に跪いた。リシュワの頭を両足ではさみこむ。
「きみは見ていることしかできないが、目をそらしていたほうがいいかもしれんな。これよりきみを蘇生する」

 ノゼマの背中から、金属的な輝きをもつ、蜘蛛の足のようなものが何十本も生えてきた。
 それらはリシュワの身体へ向かっていき、爪で胸甲を外し、さらに体全体の装甲と服を引き裂いた。
 リシュワは全裸となって横たわっている。
 心臓の部分に穴があいて、血が流れていた。
 宿主が死んでしまっているために寄生肢は外れていた。
 ノゼマは蜘蛛の足でそれを遠ざける。
「これまでのわたしの最高傑作はフィスマだったが、神柱シンフォネフシーにはまったく刃が立たなかった。新世代の新鬼人が必要だろう。きみにはわたしの力の一部を与える」

 ノゼマの背中から生えている蜘蛛の足がせわしなく動いた。
 リシュワの身体を切り刻んでいく。
 腕も足も皮膚が開かれて筋肉が露出した。
 腹も大きく割かれたあと筋肉が分けられ、骨と内臓があらわになる。

 ノゼマはリシュワの内蔵を取り除きはじめた。
 意識のあるほうのリシュワは、己の変わり果てた姿を見ていられずに目をそらした。

 体腔から内蔵が取りだされる湿った音と、ノゼマの弁解がましい言葉が聞こえる。
「きみの新しい肉体を維持するには食べ物では不足だ。プネウマを吸い、プネウマから活力を得る。肺も胃も腸もいらない。そら、きみの身体のなかがからっぽになってしまった。しかし、新しい器官はいくらでもいる」

 リシュワはちらりと目をやった。
 蜘蛛の足が虚空を捏ねまわすと、そこに金色の内蔵みたいなものが生まれる。
 ノゼマはそれを次々とリシュワの体内へ配置しているようだった。

「心臓は……、これはいる。新しい特別製のものをあげよう。わたしの一部から作る」
 蜘蛛の足の何本かがノゼマの口のなかへ入った。
 なにかを取りだして捏ね回す。それは鋼鉄の心臓となった。
 ルビーのようなものがいくつかはめ込まれ、輝くとともに蠢動をはじめる。
 それをリシュワに埋めこんだ。

「あとは開いたものを閉じていく。装甲もプレゼントしよう」
 蜘蛛の足がせわしなく動く。
 勇気を奮って見てみると、リシュワの身体が驚くべき速さで修復されていった。
 肌の上には銀色の薄片が置かれていく。それが続いた。

 血と内蔵が散らばった中央に、傷のない白銀の戦士が横たわっていた。
「それでは、蘇ってもらおうリシュワくん」
 蜘蛛の足がリシュワの身体を覆った。バチリと電撃が走る。

「うはぁ!」
 リシュワは目覚めた。新たな肉体のなかに。

 いままでと違って、光があるのと同様に闇を見通せる。息を吸うだけで活力が湧いてくる感触があった。
 しばらく息を喘がせたあと、装甲に覆われた右手を見る。左腕と左足はないままだった。

「ノゼマどの、感謝するがこれでは戦えない」
 ノゼマはリシュワの身体から離れて立ちあがった。
「手足を生やすことくらいはやってのけてもらわんと困るな、リシュワくん」
「どうやって……」
「手足があるがごとくに振る舞えばよいのだよ」

 リシュワはない左手で空をつかみ、左足で床を蹴る場面をイメージした。何度も繰り返し想像を反芻させる。
 しだいに左腕と左足がうっすらと輪郭を持ちはじめた。
「く、もう少し……」
 苦痛に顔を歪めて、必死にイメージを喚起する。
 それが起こった。
 左腕の途切れた断端から稲光のように神経叢が伸び、瞬時に肉を帯びた。足も同様に生えてきた。
 しみひとつない白く新しい手足だった。

「はぁ、はぁ……」
 リシュワはどっと疲れて喘ぐ。ノゼマが柔らかい口調で言った。
「その調子だ、リシュワくん。左腕と左足はきみの弱点となるだろうが、そのへんはどうにかやりくりしてもらいたい」

 ノゼマは歩いていき、焦げて丸くなったフィスマの遺体へ左手を伸ばした。
 手を触れていないのに、フィスマが持ちあがる。
 続いてバラバラになったウェルネッタのほうへ右手を伸ばす。
 ウェルネッタだった肉片が集まり、宙へ浮かんだ。
 リシュワの新しい視力は、フィスマとウェルネッタの遺体を持ちあげている半透明の触腕がうごめいているのをとらえた。決してなんの支えもなく浮揚しているのではなかった。

 ノゼマはぼそぼそと言った。
「フィスマはだいじょうぶだろう。蘇る。だが、ウェルネッタはダメかもしれない。古いタイプの新鬼人であったしね」
 ノゼマはリシュワに向き直った。見下ろしてくるその目には、特に強い感情も見られない。
「リシュワくん、きみにはわたしの力の一部と自由を与える。神柱とつながった次世代の新鬼人だ。これからなにを成すかは、わたしが指示するところではない。きみにわたしの一部を与えたがゆえ、わたしの命に反するならば、わたしたちは争うこともできる。だからきみを自由にしよう。これはわたしの些細な望みなのだが、きみは自分を一度殺したシンフォネフシーに復讐してはどうかね? やつの望みはラーヴ・ソルガーの望み、コドンの王侯貴族をこの地へ召喚することだ。そのさいにはコドンの淵源を破壊するだろう。それを防いでみてはどうかね、復讐ついでに」

 リシュワは目に力が戻ってくるのを感じていた。
「ノゼマどの、あなたが手を貸してくれれば、ことはなお容易いと思うのだが」
「確かに、きみと手を組んでシンフォネフシーに立ち向かえば勝利の可能性は高まる。だが、その戦いでは向こうも必死になるだろう。必ず勝てるともかぎらない。わたしはね、負けるわけにはいかないのだよ。ゆえに、直接戦うわけにはいかない。きみに任せる」
 リシュワは立ちあがった。裸足の左足が血でぬめる。
「そうか。わかった。蘇らせていただいただけでけっこうだ。やつはわたしが討つ」
 ノゼマは背を向けた。
「わたしはもう少し快適な環境を探して、かれらの修復を試みる。さらばだ、リシュワくん」
「待ってくれ! まだ妹が! レオネも治してやっていただきたい!」
 ノゼマは振り向き、口元だけで笑った。
「そうするだけの力も、きみに渡した。妹どのはきみの力でなんとかするがいいだろう。家族の命がかかっている。懸命にやりたまえ。わたしは行く」

 ノゼマはふたりの遺体を従えて歩み去った。 
 あとにはリシュワの内臓と、まっぷたつになったレオネの遺体だけが残された。

 レオネの遺体を見やる。
 うつろな瞳で宙をにらみ、口から出た血が乾きかけていた。
 リシュワがそうであったように、レオネの霊体も佇立してこの光景を眺めているのだろうか。
 リシュワにはそれが見えない。

 決意をこめて、レオネの遺体へ歩み寄る。
「わたしが、蘇らせてみせる。必ず」
 リシュワの背中から何十本も、蜘蛛の足のような器官が生えてうごめいた。  
 
しおりを挟む

処理中です...