素足のリシュワ

進常椀富

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新たな役務

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 リシュワは混戦を飛び越えて、シンフォネフシーに向かった。空から突っこんでいく。
 しかし、まったく刃の届かぬ距離で悟られてしまった。
 シンフォネフシーの身体がこちらを向く。
 ラーヴ・ソルガーの顔が笑った。いちばん上にあるドラゴンのあごが開いた。青色のガスが光線のように迫る。
「くっ!」
 急上昇してかわそうとするも、下半身にガスを浴びてしまった。付着したガスが紅蓮に燃えあがる。

 リシュワは上昇を続け、空気の勢いで炎を消した。
 銀の装甲に守らた部分は無事だが、肌が露出している左足は火傷を負った。
 感覚を調整して痛みを消す。

 リシュワは旋回して様子をみたが、ドラゴンのあごはずっと追跡して回る。
 どうしても直線的な動きになるので、空からは襲えないようだった。
 地上に降りて、素早い動きで雌雄を決するほかない。

 リシュワは巨大な淵源を回りこみ、シンフォネフシーとは反対側に着地した。
 翼を消し、歩いて巨大な柱をまわりこんでいく。
 向こうからもシンフォネフシーが歩を進めてきており、その姿が完全に現れた。

 白い獣のような巨人。対するリシュワは白銀の騎士。

 白と白。
 けっきょくは正義と正義の戦いなのだ。
 どちらにも言い分がある。
 目指す未来がある。
 そしてお互いに相手が邪魔だった。
 遺恨もある。
 リシュワはラーヴ・ソルガーを殺害したし、向こうも一度リシュワを殺した。
 今度こそ、蘇らないように始末する。
 お互いにそう考えているのが、波動となって空気を伝わってくる。

 剣戟の音、獣の吠え声、必死の雄叫び。
 戦いの喧騒は激しいものだった。
 淵源も振動し、ごうごうと音を立てている。

 それでもリシュワは静かだと感じた。
 シンフォネフシーが音をたてないからである。
 リシュワの意識は敵に集中していた。

 シンフォネフシーは、挨拶でもするかのように右手をあげた。フリックとラーヴ・ソルガーの声が唱和する。
「われの前に立つか。一度は拾った命、こうも早く捨てにくるとはな。われは神柱ぞ」
 リシュワは抑えた声で返事する。騒音があってもシンフォネフシーの聴力なら聞き取れると思った。
「わたしとていまや準神柱(チャンピオン)だ。試してみるがいい。おまえたちの目論見を潰さずにはいられないだけさ。命を捨てにきたのではない」
「われにくだれ。配下となるのだリシュワ。以前のようにな。さすれば王侯貴族は世界の幾ばくかをおまえに与えるだろう」
 リシュワは輝く刃をくるりと回して構えた。
「そんなものに興味がないのはわかっているな?」

 シンフォネフシーの上部でドラゴンのあごが開いた。青いガスがリシュワを襲う。
 リシュワは転がってさけた。
 転がった姿勢から反対へジャンプし、剣の届く距離へ近づこうとする。
 リシュワはジグザグに移動し、ガスは追随した。少量のガスがリシュワの体に付着して炎をあげる。
 しかし、その勢いは弱かった。
 白銀の装甲の上で炎は踊ったがすぐ消えてしまう。ダメージはなかった。

 リシュワとシンフォネフシーは肉薄した。
 シンフォネフシーは鋼鉄の爪がついた腕を振るう。
 リシュワは飛び退きざま、剣を一閃した。
 ドラゴンの首が飛び、フリックの頭皮と毛髪も一部削ぎ落とした。
 以前は刃が通らなかったが、いまは易易と斬れる。

 フリックが睨んできた。リシュワとレオネの自由を奪ったあの凝視だった。
 虚空から半透明の触腕が出現して、リシュワの身体を絡めとろうとした。
 身体の自由を奪ったのはこれだったのだ。

 以前の視力では見えなかったものが、いまなら視える。
 リシュワは跳ねてよけ、触腕の群れを一閃で切り落とした。
 フリックはもう一度同じ手を使った。それも斬って退ける。
「アー!」
 フリックが叫んで指さしてくる。
 二条の光線がリシュワを襲った。フリックが魔道士時代に身につけた攻撃法だった。
 光線の一条は右肩で弾け、光の輪となった。
 もう一条はむきだしの左腕を貫く。
「くっ!」
 痛みが走り、リシュワはすぐさまそれを緩和した。
 リシュワ自身初めてしったが、吹きだす血液は虹色に輝いていた。

 光線を有効とみてとったのか、フリックは再び叫んだ。
「アー!」
 光線が走る。
 しかし、傷つけられるのは左腕と左足のみなのをシンフォネフシーはしらなかった。そこに油断があった。

「うぉおおおッ!」
 リシュワは身体の右側を前にして、一気に接近した。
 光線は装甲で弾けるだけ。

 剣の間合いに入った。
 刃の光輝が殺意を放ってきらりと輝く。
 シンフォネフシーは右腕で薙ぎ払ってきた。
 そのときリシュワはすでに大上段に構えていた。
 振り下ろす。
 シンフォネフシーの爪がリシュワの身体に食い込む。
 しかしリシュワは剣を振りきった。
 シンフォネフシーの左肩から入った刃は、右脇腹から抜けた。
 袈裟懸けにされ、シンフォネフシーの半身が崩れ落ちた。
 落ちた部分にはフリックの首も含まれる。

 フリックの腹のなかでラーヴ・ソルガーが叫んだ。
「まだ終わりではないッ!」
「終わりだッ!」
 動きの鈍ったシンフォネフシーを縦に斬撃する。
 シンフォネフシーの身体は縦に、まっぷたつとなって割れた。
 最期の瞬間、ラーヴ・ソルガーは言葉にならない叫びをあげたのみだった。

「はぁはぁ……」
 戦いは終わった。
 リシュワの足元には白い体液にまみれた残骸が散らばるのみ。
 リシュワの左腕と左足は運命なのかもしれなかった。
 この弱点があったからこそ掴めた勝利のように思えた。
 左胸に受けた傷は深かったが、それも呼吸するたびに回復していく。
 リシュワはプネウマを吸いながら、ふたたび剣を握り直した。
 もう蘇ることがないよう、地面に向かって剣を振るい、フリックの頭とラーヴ・ソルガーの頭をみじん切りにしてやる。それは執拗に続いた。
 これが戦いを終わらせる手段だったのだから。

 ふたつの頭が白い粥状になったところで、やっとリシュワは動きを止めた。
 淵源に目をやる。
 シンフォネフシーのつけた傷から黒いガスが吹き出し、放電を伴っている。
 柱は三分の二も切られていた。危なかった。

 リシュワは翼を出し、この砦でいちばん高い場所へ飛んでいった。
 そこにいた弓手を蹴落とし、その場に立つ。
 シンフォネフシーの死をしらない両陣営はまだ必死の戦いを続けていた。
 時間が経てば無勢の防衛側が全滅するだろう。
 だが、リシュワはすぐ戦いを止めたかった。
 声を張って宣言する。
「シンフォネフシーは死んだ! おまえたちの主はもういない! 淵源は守られた! 王侯派の負けだ!」

 その声は魔法的に響き、両陣営の軍勢の耳に届いた。
 水辺の砂山が崩れていくかのように、戦いの喧騒が収まっていった。
 両陣営の目が塔に立つリシュワに注がれる。
 リシュワは剣を掲げ、ふたたび叫んだ。
「王侯派の負けだ!」

 石積みの壁の向こうで歓声があがった。空気が轟く。
 だが、そのときリシュワの背後から、メキメキドッドッと、巨大なものが崩れるような音がした。
 慌てて振り返ってみると、淵源の巨大な柱が傾いていくところだった。
「そんな!」
 いったん傾き始めると、崩壊は急速に進んだ。
 黒い靄があたりにたちこめ、落雷のような轟音が何度も空気を振動させた。
 靄が薄れる。
 淵源の透明な柱は粉々に砕けて散乱していた。
 根本の部分から、黒い霧が湧いているだけだった。

 砦の周囲から呪詛のようなうめき声があがっていた。コドンたちが苦しんでいる。
 コドンたちの黒い皮膚は失われ、血管の浮いた半透明の白い肌で、夕日に焼かれて苦悶していた。
 王侯派のコドンたちも同様だった。
 新鬼人たちだけが平気で、あっけにとられている。

 淵源は破壊されてしまった。
 シンフォネフシーはその望みを果たした。

 それにはもうひとつの意味があった。
 神にも匹敵するというコドン王侯貴族たちの封印が解かれたことをも意味する。
 なにが起こるのか。
 リシュワは待ち受けた。

 準神柱の超感覚に、悪意の凝縮を感じた。
 淵源の根本に開いている穴から、巨体が飛びだす。
 半人半馬だった。
 リシュワふたり分もの大きさがある。
 リシュワは素早く反応した。
 その生物が空中にあるうちに、リシュワは強襲し、剣を打ちつけた。
 獣のような雄叫びをあげ、半人半馬は穴へ落下していった。
 ふたたび奈落へ落としたのだった。
 ついで、淵源の穴の縁からのたくる触手が溢れだした。
 巨大な頭がそれに続く。
 リシュワは触手を切りつけ、頭に剣を振り下ろした。
 その怪物も雄叫びをあげて、落下していく。

 すうすうとプネウマを吸いながら、リシュワは得心していた。これが己の運命なのだと。
 いまやリシュワは食事も休息もいらない身なのだ。
 この場に陣取り、もし永遠ならその永遠のあいだ、迫りくる外敵を打ち返すのが。
 外なる神々をこの世に入れないために。
 それが自分の仕事となったのだ。
「よし……」
 リシュワはあらためて剣を握り直した。
 左の素足に砂の感触を覚えながら、次の侵入に備えた。


 
 
 淵源が崩壊してしばらくしたころ、レオネは目覚めた。
 簡素な部屋だったが、調度は高級品で整えられている。オブスレット公の邸にある一室だった。
 レオネは半身を起こし、白銀の装甲に包まれた腕と胸を見下ろした。
 殺されたあと、意識のあるうちにリシュワがしたことを覚えていた。
 姉同様、自分も新たな世代の新鬼人に改造されたことを。
 だが、ここがどこなのか、姉はどこにいるのかはわからない。
 部屋は真っ暗らしかったが、いまの視力では完全な闇も見通すことができた。不自由はない。

 うめき声に似た囁きが聞こえた。
「シプーナ、レオネ?」
 レオネはそちらに目をやった。
 巨体が布をかぶって寝台のわきにうずくまっている。
 半透明の白い肌をしていて、瞳が赤く光っていた。
 小山のような巨体は小刻みに震えていた。
 輪郭さえ変わったように見えるが、ヘズル・デンスの面影があった。

「ヘズル・デンス? どうしたの、その身体……」
「カタラヴェイノティレス、アラテデボロナミリソカラティグロッサ……」
「あたしの言っている言葉はわかるの?」
 ヘズル・デンスは頷いた。
 レオネは思い至った。
「淵源が壊されたのかもしれない。姉さんはどこだろう。ヘズル・デンス、ここはどこ?」
「エイニイカトキヤットロブオウオブスレット」
 なにを言ってるかわからない。レオネは寝台から降りた。
「誰か探してみる」
 重厚な造りのドアを開けて外へ出る。
 天井から吊るされたシャンデリアが煌々と光を放っていた。
 彫刻の施された階段に、壁にかかった絵画。
 壁材も上質なもののようだった。

 そこはなんとなく記憶を刺激された。見たような記憶がある。
 廊下の向こうからメイドがひとり走ってきた。
「お目覚めですか、お嬢さま!」
「ここはどこ?」
「オブスレット公のお屋敷です。意識のなかったお嬢さまとあのコドンを、あなたのお姉さまが連れてきたのです。ふたりとも腕にかかえて持ち上げて」
「姉さんはどこ?」
「どこかへ行ってしまいました。空を飛んで!」
「あたしとヘズル・デンスはどうすればいいの?」
「いますぐご主人さまをお呼びしてまいります」

 レオネたちはオブスレット公から事情を聞き、
 各地のコドン全員がヘズル・デンスと同じようになってしまったと知った。
 レオネはコドンの淵源が破壊されてしまったおそれがあると伝え、オブスレット公にこれまでの礼を述べた。
 そして、姉がシンフォネフシーを追ったのと同じ方法で、姉の居場所を探った。レジレスを使ったのだった。

 レオネとヘズル・デンスはすぐ旅だち、白い肌の住民が怯えるコドンシティを通り過ぎた。
 淵源の崩壊から数日後、レオネとヘズル・デンスはリシュワと再会を果たした。
 リシュワが剣を振るってコドン王侯貴族を打ち返すあいまに、レオネはこれまでの事情を訊いた。
 レオネとヘズル・デンスはリシュワの助けになろうと、淵源を再建できる者を求めて旅を続けている。

 そして生ける神話的英雄、素足のリシュワは、いまもコドンの神々の侵入を防いでいるという。
 
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