私だってあなたを愛するつもりはありません、宰相殿

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47. 大使館にて③

「ロティ!!」
 グリュクンの後ろの扉から、男に引っ立てられたシャルロットが現れた。口をテープで覆われ後ろ手に縛られ、後頭部には銃口が突き付けられている。
「シャルロット!!!!!!! …ッハ…ッハーッ」
 ブランドンの顔が茹でたタコのようになる。オズワルドが主人の背を撫でた。
「ブランドン様、落ち着いて下さい、また血管が切れてしまいます」
「落ちついていられるかっ」

 シャルロットは目を大きく丸くして居並ぶ面々を見る。最後に厳しい顔をしたジェフと目が合い、見つめ合うと急に糸が切れたみたいに泣きたくなった。
 ジェフは黙ったまま拘束された妻を見つめ、手のひらを開いたり握ったりする。

「グリュクン公、今すぐ彼女を返してくれるなら、もう一人の方も目を瞑る。国外追放で済ませよう」
 ジェフが静かに伝える。
「ん? ああ、あの赤毛の娘の方ですか。彼女は大変にうるさい! おまけに噛みつかれた。一体どんな教育を受けているんだ。全くこれだから庶民は」
 最後の方はブツブツとぼやいていたのに全員が口を閉ざす。
「ビビは今どこにいる」
 バルカスが大声で尋ねると『赤毛の娘なら向こうですよ』と曖昧な返事である。

「国外追放と言われてもね。正直うま味はありません。どのみち本国へ帰るのですから二度とリンドには……。私はもっと別のモノが欲しい」
「どのみち帰るなら同じだろう。シャルロットを放せ」
「同じなわけがないでしょう。まず何のために彼女を手に入れたって、マルーン家がやろうとしている悪巧みをやめさせるためなんですから」
 グリュクンが真っ赤な顔の男をみた。ブランドンが顔を歪める。
「公爵が一昨年からおかしな気配を見せ始めたと軍事コンサルの筋から聞きつけましてね。さすが医薬品工場や病院を母体に持つだけある、化学兵器に手を出そうと? しかも毒ガスという噂だ。サリンあたりですかね? 完全に大量破壊兵器じゃないですか。宰相殿、リンドはそんなものの製造を許しているのですか?」
「………」
 沈黙を否定と受け取り、グリュクンは嬉しそうに笑う。
「そりゃあ許可など出来るわけがない。兵器の件はご存知なかったかもしれませんね? 許可してはいけませんよ。公爵はひた隠しに準備を進めて表向きは医薬品工場として許可を得ようとした大ウソつきなんです。許可をもぎ取るために娘まででっち上げて時の宰相にあてがい、工場へ有利に働きかけるように仕向けている。きっとね、公爵はあなたを近日に呼び出して脅すつもりだった。娘と離婚させられたくなければ許可を出せとね。あるいは偽の娘と離婚させてやるから、でも良い。本当は子どもでも出来たら一番都合が良かったでしょうけどね! 偽物とは不仲でもそうでなくても非常に使い勝手が良い存在だ。とんでもない父親だな、シャルロット・マルーン嬢?」

 シャルロットは話を聞きながら、真剣な表情でこちらを見てくる偽の父親と見つめ合った。もしその話が本当であったとしても、離婚を前提にしている契約婚だったので『夫』には全く影響はなかったと内心でホッとしたし、偽物令嬢の件についても予習は出来ていたので目新しい話でもない。
 シャルロットの心には、さざ波ひとつ立たなかった。

「宰相殿、マルーン公爵家を取り潰しにするべきだ。責任を取らせてね。工場の件も全て白紙に。それが私からの提案です。約束して下されば……そうですね、三年後くらいには夫人を解放しましょう」
 シャルロットの肩が震える。
(な……なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっが!)
 三年あれば移住先で二回は収穫できるじゃないか!!
「ははぁ……なるほど、君はそれを手土産に国へ帰るつもりか」
「当たり前でしょう。あんな場所に工場など建てば」
「建てば?」
 ジェフの問いにグリュクンは肩を竦め、それについての返事をしなかった。
「どうです? あるいはマルーン公爵が今この場で工場の廃止を約束してくれても良い。家の取り潰しと引き換えにリンド国内でどのような罪状がつくのかは知らないが、最低でも死ぬまで刑務所だな。これまでの贅沢を考えれば、短い老い先を塀の中で過ごしたって幸福のおつりが来る人生だったでしょう」

「ジェフ、この男の話はもういい」
 ブランドンが肩を落とす。
「公爵」
「……毒ガス工場自体の話は本当だ。こいつが言うような目的ではないのだが……だがもう、全て整った」
「整ったとはどういうことです!?」
 グリュクンがシャルロットの腕を引っ掴んで前に押し出す。
「そんな無理やり工場を作ってバレないとでも思ったのですか? 世界中がリンドを忌避すべき国だと議論し始めますよ」
「誰が稼働させると言った」
「……は?」
「あの奥の建物は『毒ガス製造が可能なキットを展示販売』する建物だ。実際に毒ガスは作らない。まだ許可が降りていないから販売権も我々にはない。お前は勘違いしている」
「詭弁だ!!」
「だが実際に奥の……私たちはB工場と呼んでいるが、B工場向けの労働者など誰一人雇っていない。稼働させる予定などないからだ。医薬品のA工場についてはいずれ販売許可を出してもらうつもりだった。B工場については委細をジェフとウィリアム陛下に話し、私は全ての責任を取って代替わりをし、その時は本当に刑務所に行くつもりだった」

 グリュクンが困惑の表情を浮かべる。
「では何のために作ったんだ」
「お前に言う訳がない。リンドを引っ掻きまわしに来た外国人などに誰が教えるか!」
 また血圧の上がってきたブランドンの顔が見る間に真っ赤になっていく。
「公爵、お話は理解しました。グリュクン公、今聞いた限りだと君の土産にも出来るんじゃないのか? いずれにしてもB工場についての申請はされないし、例え出されても許可も出来ない。できる法がないからね」
「……なるほど……では宰相、私がB工場についての申請を却下させたと新聞に載せてニュースにして欲しい。それなら納得しよう」
「わかった。今から電話をする」
 それから一同は大使の執務室に移動をし、まずジェフから社名を聞いてグリュクンが確認のため先に電話をかける。新聞社の政治担当受付が電話に出ると、納得して受話器を交代した。
「カーターだ。グラハムはいるか……」
 受話器を持ったジェフがぐったりした様子のシャルロットを見つめる。緊張でそろそろ限界を迎えそうだった。ビビアンがどこにいるのかもわからない。バルカスも焦っていた。

 執務室には大きな格子窓が等間隔に嵌められ、遠くリンドへの境界となる鉄柵が暗闇の中微かに見える。ジェフは柵の向こうで待つ主を思う。
「ああ、グラハムか。式以来だな。感想が遅くなったが記事は素晴らしかった。またあの写真と同じニュースだ。明日の朝刊に間に合うな? ……ああ、そうだ。言うぞ、メモを。……ブランドン・マルーンが毒ガス工場を画策していた。場所は南部だ。事業許可はもちろん出してはいない。内密に毒ガスが作れる製造機と薬剤を運び入れていた。今日全てが運び込まれていた……ああ、ああ、そうだ。その事実をダフネからの大使が発見し、これを我々に注進。ブランドンからも事実確認を取って……ああ、うん。マルーンは今日昼過ぎに陛下から指定されて代替わりをした。事実確認をしたのはその後だ。ブランドンは追って沙汰がある。以上だ。……うん、うん、また電話する」

 受話器を置いて、ジェフがグリュクンの顔を見た。
「これで、交渉は成立だな?」
「ご苦労様でした。無事に世界の平和が保たれましたね! 私も心置きなく土産を手に国へ帰れます。では人質のどちらか一方を返しましょう」
「一方!?」
「当たり前でしょう。まだ新聞を見た訳じゃない。私と別れてからもう一度電話をかけるのは容易い」

 少し考えてから、ジェフが頷いて口を開いた。
「わかった」
「ジェフ!?」
 バティークが悲壮な声を上げる。二人のうちどちらか一方となれば残されるのは妹に決まっている。
「ただし、もう一人の無事を確かめる。そうでなくては交渉にならない」
 ジェフとグリュクンが睨み合う。
「……良いでしょう。『赤毛の娘を連れてこい』」
 グリュクンが後ろを向き、シャルロットを掴んでいない男に向かって指示を出す。ジェフとバルカスは一瞬見合う。
 バルカスはそのまま目線を外して、既に暮れた窓を見た。

 数分後、シャルロット同様に手と口を封じられたビビアンが連れてこられる。後頭部から銃を突きつけられて、娘二人は床に座るよう命じられる。

 シャルロットが先に連れ出されてから小一時間ぶりの再会を二人が果たす。互いの無事に涙ぐんで、ぺたりと絨毯の上にしゃがみ込んだ……瞬間、ジェフとバルカスが銃を抜き取り、それぞれの娘の後ろで銃を構える男の眉間を寸分違わず貫いた。
 乾いた銃声が耳をつんざく。
「なっ」
「シャルロット!!」
 ブランドンがシャルロットに突進し、その上からバティークが覆いかぶさって囲む。オズワルドがビビアンを抱え上げ窓から離れた。窓の外でゴーッと音が響き、瞬時に防弾だったはずのガラスが盛大な音を立てて窓枠ごと外れる。爆音と共に壁ごと大使の部屋が粉砕される。

 一番の大きな音が途絶えて、父と兄の身体の下で強く目を瞑っていたシャルロットは恐る恐る目を開けた。

 執務室に装甲車が剝き出しで突っ込んでいた。
 踏み潰されたガラス窓、割れた大使の机、飛んで行った黒電話、壁だった白い物体。
 何もかもがぐちゃぐちゃになってあたり一面を敷き詰めていた。白くけぶる何かの粉で目が染みる。唯一自由になる瞳を涙と共に瞬かせていると、ブランドンが気づいてハンカチで目元を拭ってくれた。それから痛々しそうな顔をして、少しずつ口を覆うガムテープを剥がしてくれる。

 装甲車から降りてきた軍人達が一番にグリュクンを拘束し、次に崩れていない窓を開けた。

「やぁ、そろそろ話は終わったかな」
 暖かそうなコートを着たウィリアムが窓枠に肘をつき、顔を覗かせる。
「何をなさっているのか分かっているのか!? 大使館はダフネの領土だぞ!!」
 両腕を後ろ手に縛られながら、グリュクンが叫んで抵抗する。
「いや、違うぞ。なぁ、ジェフ」
「ええ」
 しれっと頷く宰相に、元大使は顔を歪める。
「国際法で訴えられる! しかもこれは大きな土産だ。大使館を攻撃するなど、戦争を始めると宣言したようなものだ!! ははははは」
 笑い出した男に、ジェフも薄い笑みを浮かべた。
「ここに来る前に、トルシュ経由でアシッドと話をした」
「……なに?」
「公は既に大使ではないそうだな。解任したと聞いた。これからしばらくダフネ国内は落ち着かないので、大使館は閉館するそうだ」
「閉館……」
「そう。こちらからは一定の条件があれば退去を命じることは出来るが、現状ではそのカードはない。だが、そちら側からの閉館だ。既に申し出を受理した。ここはリンドだ」
 グリュクンが目を見開いている。
「加えて、お前が監禁していたうちの一人は私の妻で間違いないが、もう一人の赤毛の女性は陛下の第一子でビビアン・リンド・アレン様だ」
「いっし!?」
 バルカスにテープを剥がしてもらったビビアンがツンとそっぽを向いている。
「最初から詰んでいたんだよ。私の娘を攫った時点でお前の終わりは決まっていた。何をジェフにねだったのかは知らないが、全部反故にしてやろう、私がね」
「収監される前に教えておいてやるが、B工場の敷地は環境保全の為に今日国が接収した。珍しい生き物が生息しているのでな。だから今後一切マルーンは関知しない。安心しろ、聴取が済んだら早々に色んな土産付きでお前をアシッドの元に送り返してやる」
 そう言ったジェフが軍人たちに手を振って、退却を合図する。
「ちょ……ちょっと、それは待ってくれ。そ」
「連れて行け」
 青い顔の男がずるずると荷台へ連れて行かれる。
 バックし始めた装甲車が、グリュクンを乗せて敷地を出て行った。

 あっという間に見送り、ようやく肩の力が抜けた頃、シャルロットは横にいたブランドンが胸を押さえて蹲るのに声を上げた。
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