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1.一回目
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ハッと我に返った私はお父様と見つめ合った。
「聞いていたかい? ジゼル」
「あー……ええ、はい。もちろんです。輿入れの日が決まったと」
「驚いたか?」
いいえ、とかぶりを振る。
小さな頃には決まっていた隣国バザロスの皇帝レオポルド様と私の婚約は、ただ歴史が古いだけのこのフラリエヌ国に恩恵しかもたらさない。私にだって傾国の美貌も特技もないから、不本意ながら大陸中が驚いたものだ。なんでも星読みで出た結果が私なのだとか。本当に? と今でも信じられない。それほど国家間の格差がある。
だからこれは運命的な星の巡り合わせ。輿入れの日さえも星読みで決まるほどの。婚姻は王女として生まれた私の大事な役割で、生涯をかけた仕事に違いなかった。
「決まっていたことですから。計画通りに準備を進めてまいります」
お父様とお母様が私の発言に気まずそうな顔をする。
「皇帝には多少噂もあるが、目に映るものだけを信じて生きなさい。バザロスほどとはいかないまでも、我々もまた王族。世間ではいかにいい加減な噂が多いかは知っているだろう」
お父様の言葉で数々の未来の夫についての噂を思い出しかけ、私は慌てて追い払う。
「噂通りに皇帝が冷たい方でも恐ろしい方でも大丈夫です! お友だちを作るのは得意ですから、楽しみは他で見つけますし、皇后としての生涯を謳歌します。何より今さら一般の貴族に嫁いでしまったら様々なレベルが落ちてしまいますし。美味しいものも綺麗なドレスもやっぱり大好きですから!」
お母様が笑っていらっしゃる。
「ジゼルは陛下に似て享楽的なところがあるけれど、その呑気ぶりが吉と出ますね。たくましいわ」
「お母様にたくましいと言って頂けると胸を張れます」
「嫌ね、どういう意味かしら。私が貴族の出じゃないからって、それはたくましいこととは別なのよ」
「いつまでも君は可愛いよ、リュシー」
お父様の手が真っ白なお母様の手を優しく握ると、玉座の二人は微笑み合う。
フラリエヌきっての才女だったお母様は宰相付きの文官をされていた。お父様は王太子だった頃、早々にこの年上の才女に恋をして王妃にしてしまったのである。反対も多かったそうだけれど、二人はいくつになっても仲が良い。娘の私やお兄様たちが見たくないほどに引っ付いている恋愛成功者である。
けれど、生まれながらに王女の私は違うのだ。いくらのんき者でもわかる。
国民から贅沢をさせてもらった王女とは“褒美”として家臣に下げられたり、国家を背負って突撃……もとい輿入れする政治的な駒だったり。最初からわかっていたことだった。選択肢などない。
たとえそれが冷酷皇帝と名高いレオポルド、百戦錬磨の怪物と恐れられているレオポルドだろうと。
***
一年にわたる輿入れの準備の後、よく晴れた春の日に私はバザロスへと出発した。
朝からすでに泣き腫らしたお母様と情けなくも誇らしげな表情のお父様、きりっとしたお兄様たちに見送られ、ひと月かけて馬車に揺られ始めた。
フラリエヌは大陸の南西部に位置し、北上するとバザロスがある。
国境には山脈があり、バザロスの資本で整備された広い道路が二カ国を貫いているので距離はあるものの単調で安全な往路だ。
私との婚約が決まる前から、バザロスはフラリエヌと交易や文化交流を積極的に図ってきた。特徴のない歴史の古いだけの国になぜ頻繁に交流を持とうとするのか、真偽は不明だったけれど、今回の婚約の話で「属国プラン」が濃厚だろうと噂されている。
バザロスは先代皇帝が崩御して数年が経っている。その第一子である現皇帝は十代の頃から戦神だと恐れられてきた。彼が絡むと負けないのだ。一度も。戦乱の世にある大陸で、世代交代から八年を経ずして版図を倍以上に広げてしまった。
恐れられもするけれど、国民はこれまでにない活気に溢れていると言う。それはそうだろう。特需に継ぐ特需で通貨の価値も右肩上がりだった。これでレオポルドの失脚を願う民がいれば、ちょっとした変人だ。
「お疲れですか? いよいよ明日には到着の見込みですよ」
景色が見たくて開けた馬車窓から顔を出すと、横で伴走している護衛騎士のウェイが近づいて来て話しかけてくれる。
「ううん、大丈夫よ。やっぱり随分と整地が進んでいるわね。灌漑計画もしっかりしている。フラリエヌとは田舎の景色ひとつ違うわ」
私たちの目の前には豊かに実った田畑が広がり、遠くに点在する家屋すら立派に見えた。
「レオポルド皇帝は非常に計画的に徴兵をされるそうですよ。そして勝ち戦ばかりで死者を出さない……そのおかげで農家の働き手が減らないのだとか」
「そう。すごいのねぇ」
ウェイが茶目っ気のある顔で私を見る。
「なによ」
「いえ、随分と他人事のように仰られるので」
「夫になる人なのにって? でもお顔を見たこともないのよ。絵姿は頂いたけれど、あんなもの本物かどうかもわからないし」
私の絵姿だってお母様が五割増しに美人に描かせていた。
一緒に甘いものを食べてくれるような人なのか。
手を上げられたりしないのか。
大事にしてくれない人だったりしないか。
楽しい話をしながら手を繋いだりできる人なのか。
頭に浮かぶのは父と母をモデルにした夫婦像ばかりで、正しい姿がわからない。政略婚とも言えない偶然婚で、皇帝が私を愛する可能性なんて針に糸を通す程度には低いだろう。
「ジゼル様」
「はい?」
「長らくお側に仕えさせていただいた僥倖は忘れません。ジゼル様の護衛騎士は誇らしく、何より楽しかった。私の生涯の自慢です。バザロスでもどうか御身を大事になさってください」
「ウェイ……」
六歳から学院に通い始めて付けられた護衛がウェイだ。私も二十一歳で、十五年の付き合いになる。彼とも明日でお別れだった。
「ウェイとのお別れが一番現実的じゃないわね。明後日になっても話しかけちゃいそうよ」
バザロスには身一つで嫁ぐのだ。大国には全ての用意が整っていると言われれば、お父様は是とするしかなかった。
「フラリエヌの家族を頼みます」
「過分なお言葉ですが、僭越ながら帰国後もまた励みます」
バザロスの王城に到着後、ウェイ達は荷を下ろすと帰国の途についてしまった。
さぁ、いよいよ輿入れの本番が始まる。
「ようこそお越し下さいました。私は皇帝陛下の側近でシュヴァルツと申します。ジゼル様のお世話を取り仕切る侍女長にはこちらのフィリアが」
「フィリアでございます。ご不便をおかけしないよう、精一杯務めさせていただきます」
「ジゼルです。仲良くしてください」
到着してすぐに奥の王族エリアまで移動して、フィリアを紹介された。壮年の女性で、ベテランの風格があってホッとする。握手した手は柔らかくて温かかった。
「早速ですが、皇帝から予定を早めるよう指示がありまして、今夜に式をとのことです」
「えっ」
驚いた私に、シュヴァルツは柔和な顔立ちを苦笑に歪ませた。
「申し訳ございません。とにかく急ぐとのことです。私どもも、ジゼル様はお疲れではないかとお止めしたのですが」
「はぁ……ですが、準備が……不十分にならないでしょうか」
正直、旅の後でくたびれている自覚しかない。腰も痛いし、宿に次ぐ宿で深い睡眠がひと月遠ざかっていた。少しクマがあるし、髪の艶も落ちた。花嫁衣裳が似合うかしら。
「それに関しては諸々簡略式にするとのことです。お衣裳から食事から簡略的に。王城に併設された聖堂でお二人で挙式をし、王城内で祝宴をご準備します。申し訳ありません、それもあって人手を割かれてお迎えが簡素になってしまい」
簡素でも十分に立派にお出迎えしていただいたので気に留めもしなかったけれど、聞いていた国を挙げての儀式はどうなるのだろうと目を白黒させた。
「それはきちんと行います。とにかく指示の内容が『到着したら即日できる範囲で実施』とのことでして……陛下は重要な用事で東の州にいらっしゃったのですが、確実に到着日がわかった時点で早馬を飛ばして迎えに行かせています。夕方には戻られる予定です」
重要な方を優先されればよいのでは?
唖然としたけれど、とにかくとフィリアに促されて自室の案内も後回しに湯場へと直行した。身体を磨かれ、ウトウトしている間に疲れていた顔も何とか仕立て上げられていく。
少しの休憩の合間に軽食をとり、靴の試着や宝石選びをフィリアとこなすと神速で仕立て直した花嫁衣裳が届けられた。
「ジゼル様、陛下がお戻りになりました。今お着替えになっていますので、聖堂まで移動をお願いします」
「えっ」
衝立の向こうから声がかかり、フィリアでさえ大慌てで衣裳を手にして紐を緩めだした。
「はぁ……なんなの、いつもこうなのですか?」
「いえ、特にこのようなことはないのですが。私どもも急な段取りで。早速ご不便をおかけして大変申し訳ございません」
感傷に浸る間もなくレースの白い衣裳に袖を通し、ティアラは国庫の奥に保管されているので手続きが済まねば出せないと、顔も曝しっぱなしで聖堂まで急いだ。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫ですか? ジゼル様。今、お水をお持ちしますね」
「ありがとう」
息を整えて、聖堂の前に立っているとバタバタと足音が聞こえてきた。
顔を上げると向こうからバザロスの正装を着た男性が後ろにシュヴァルツや複数人を連れて足早に近づいてくる。
「ジゼル」
小さな声で、その人に名を呟かれた。
私は圧倒的な気配を持つその人に口も利けず、惚けたみたいな顔になっていたと思う。
銀灰の髪は後ろに綺麗に流されていて短く、体躯は私よりずっと大きく高く、黒い瞳と目が合うと、その厳しさに背筋が伸びた。
「あ……」
自己紹介をしなければと我に返り、だけど遮られる。
「行こう」
口がカラカラだった。
横に並んだレオポルド様に背中を押され、臣下たちがこぞって両扉を開けばオルガンの音が始まる。待ち構えていた教皇らしき老人が祝祷を捧げ、じっとしている間に誓いが交わされる。
「こちらで婚姻の誓約書にサインを」
さっき会ったばかりの男性がそこに名を書き、誘われて私も続く。
「誓いのキスを」
なんとなく動揺して壇下に目をやると少ない列席者は俯き加減で神妙な面持ちだった。
気付けばふわっと大きな手のひらに添えられて、口づけられる。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ん~~~~っ」
長いな!?
鼻で息をするのを忘れていた私も愚かだけど、それにしたって長過ぎた。いつの間にか抱きしめられていた身体を身動きすると、ゆっくりと、音を立てた唇が離れていく。
「はぁ……はぁ……」
信じられない思いで夫になったばかりの顔を見ると、シレッとしていた。
また壇下に顔を向けると、皆目を逸らしてしまう。
「え~………ごほん……では、おめでとうございます、レオポルド皇帝陛下、ジゼル皇后陛下。バザロスに益々の祝福があらんことを」
教皇は粛々と祝いの言葉を述べ、私たちは盛大とは言えないが少数による精一杯の拍手の中、聖堂を後にした。
「ではこのまま祝宴会場へ向かいます。急でしたので、列席者は多くはありません。大公家と公爵、侯爵、大臣クラスの高位官僚も半分にも満たないのでまだ覚えやすいかと」
言いながらシュヴァルツがリストを渡してくる。そんな急に覚えられないわよ。
「ジゼルは黙って食事を。それだけで良い。祝宴を執り行えばそれで公には成婚となる」
しまった、顔に出ていたのだろうか。忙しない移動の中でレオポルド様にそう言い渡された。
「……はい」
***
皇后の席で延々と挨拶に来る人たちに祝われた。
自己紹介をされ、返し、継がれたワインで乾杯して合間に略式に見えない豪華な食事をいただく。
冷酷無比と噂の皇帝は、表情だけはやっぱり厳しさが常にあったけれど、意外に臣下たちは気後れなく話しかけている様子に見え、酌をして成婚を寿いだ。
レオポルド様は口数が少なくそっけないけれど、食事をしながらよく話を聞いている。
私は夫となる人を観察し、祝宴を終えた。夫婦として二人で会話をする暇はなかった。行事とはそういうものだ。
さぁ、いよいよここからが本番。
正体はどんな人なのだろう。
フィリアに導かれ、本日二度目の支度にとりかかる。
到着して半日もしない内に二度目の湯に浸かった。たぶん、今夜は初夜になる。
気持ちを保つのも一苦労なほど疲れていたけれど、気の毒そうな顔のフィリアが「少し眠って下さい」と言うのでエステを受けている間に眠った。身体が怠かった。億劫で、少し気分が悪い。
「大丈夫ですか? 少しお顔の色が悪い気もします」
「ええ。お酒はそこまで飲んでいないし、緊張して酔う暇もなかったから、少しじっとしていれば戻るでしょう」
夜の支度を整えて、初めて足を踏み入れる夫婦の寝室へ。
ちなみにまだ自室を見てすらいないのですが。どれだけせっかちなんだか。
ベッドに腰かけると、馬車旅による腰痛だけではなく鳩尾のあたりも痛んだ。
「フィリス。念のため胃薬をお願いできる?」
「かしこまりました、直ぐにご用意を」
「ありがとう」
フィリスが直ぐに薬を用意してくれて寝室から出て行くと、広い部屋に一人になった。
お世継ぎのことを考えると、あまり服薬はしたくない。もう少し我慢しようと、ベッドに横になる。本当は先に横になるのは作法ではないけれど、スケジュール的にもクタクタだったし多めに見てもらえるだろう。何とかなる、なる。
だけど、全然なんとかならなかった。
レオポルド様は、待っていてもなかなか来なかった。
夫を待っている間に、気分の悪さが加速度を上げ、激しい腹痛と頭痛が身体を襲い始めた。
「うう……」
突然、内臓が悲鳴を上げだす。
「ん………ぐ……あぁぁぁっ」
ベッドに俯せ悶えだした私の声が聞こえたフィリスが飛んでくる。
「ジゼル様っ、ジゼル様!!!」
「ああっ……ぐる、し……くるし、あ、あ、ああああああああああああっ」
私は死んだ。
「聞いていたかい? ジゼル」
「あー……ええ、はい。もちろんです。輿入れの日が決まったと」
「驚いたか?」
いいえ、とかぶりを振る。
小さな頃には決まっていた隣国バザロスの皇帝レオポルド様と私の婚約は、ただ歴史が古いだけのこのフラリエヌ国に恩恵しかもたらさない。私にだって傾国の美貌も特技もないから、不本意ながら大陸中が驚いたものだ。なんでも星読みで出た結果が私なのだとか。本当に? と今でも信じられない。それほど国家間の格差がある。
だからこれは運命的な星の巡り合わせ。輿入れの日さえも星読みで決まるほどの。婚姻は王女として生まれた私の大事な役割で、生涯をかけた仕事に違いなかった。
「決まっていたことですから。計画通りに準備を進めてまいります」
お父様とお母様が私の発言に気まずそうな顔をする。
「皇帝には多少噂もあるが、目に映るものだけを信じて生きなさい。バザロスほどとはいかないまでも、我々もまた王族。世間ではいかにいい加減な噂が多いかは知っているだろう」
お父様の言葉で数々の未来の夫についての噂を思い出しかけ、私は慌てて追い払う。
「噂通りに皇帝が冷たい方でも恐ろしい方でも大丈夫です! お友だちを作るのは得意ですから、楽しみは他で見つけますし、皇后としての生涯を謳歌します。何より今さら一般の貴族に嫁いでしまったら様々なレベルが落ちてしまいますし。美味しいものも綺麗なドレスもやっぱり大好きですから!」
お母様が笑っていらっしゃる。
「ジゼルは陛下に似て享楽的なところがあるけれど、その呑気ぶりが吉と出ますね。たくましいわ」
「お母様にたくましいと言って頂けると胸を張れます」
「嫌ね、どういう意味かしら。私が貴族の出じゃないからって、それはたくましいこととは別なのよ」
「いつまでも君は可愛いよ、リュシー」
お父様の手が真っ白なお母様の手を優しく握ると、玉座の二人は微笑み合う。
フラリエヌきっての才女だったお母様は宰相付きの文官をされていた。お父様は王太子だった頃、早々にこの年上の才女に恋をして王妃にしてしまったのである。反対も多かったそうだけれど、二人はいくつになっても仲が良い。娘の私やお兄様たちが見たくないほどに引っ付いている恋愛成功者である。
けれど、生まれながらに王女の私は違うのだ。いくらのんき者でもわかる。
国民から贅沢をさせてもらった王女とは“褒美”として家臣に下げられたり、国家を背負って突撃……もとい輿入れする政治的な駒だったり。最初からわかっていたことだった。選択肢などない。
たとえそれが冷酷皇帝と名高いレオポルド、百戦錬磨の怪物と恐れられているレオポルドだろうと。
***
一年にわたる輿入れの準備の後、よく晴れた春の日に私はバザロスへと出発した。
朝からすでに泣き腫らしたお母様と情けなくも誇らしげな表情のお父様、きりっとしたお兄様たちに見送られ、ひと月かけて馬車に揺られ始めた。
フラリエヌは大陸の南西部に位置し、北上するとバザロスがある。
国境には山脈があり、バザロスの資本で整備された広い道路が二カ国を貫いているので距離はあるものの単調で安全な往路だ。
私との婚約が決まる前から、バザロスはフラリエヌと交易や文化交流を積極的に図ってきた。特徴のない歴史の古いだけの国になぜ頻繁に交流を持とうとするのか、真偽は不明だったけれど、今回の婚約の話で「属国プラン」が濃厚だろうと噂されている。
バザロスは先代皇帝が崩御して数年が経っている。その第一子である現皇帝は十代の頃から戦神だと恐れられてきた。彼が絡むと負けないのだ。一度も。戦乱の世にある大陸で、世代交代から八年を経ずして版図を倍以上に広げてしまった。
恐れられもするけれど、国民はこれまでにない活気に溢れていると言う。それはそうだろう。特需に継ぐ特需で通貨の価値も右肩上がりだった。これでレオポルドの失脚を願う民がいれば、ちょっとした変人だ。
「お疲れですか? いよいよ明日には到着の見込みですよ」
景色が見たくて開けた馬車窓から顔を出すと、横で伴走している護衛騎士のウェイが近づいて来て話しかけてくれる。
「ううん、大丈夫よ。やっぱり随分と整地が進んでいるわね。灌漑計画もしっかりしている。フラリエヌとは田舎の景色ひとつ違うわ」
私たちの目の前には豊かに実った田畑が広がり、遠くに点在する家屋すら立派に見えた。
「レオポルド皇帝は非常に計画的に徴兵をされるそうですよ。そして勝ち戦ばかりで死者を出さない……そのおかげで農家の働き手が減らないのだとか」
「そう。すごいのねぇ」
ウェイが茶目っ気のある顔で私を見る。
「なによ」
「いえ、随分と他人事のように仰られるので」
「夫になる人なのにって? でもお顔を見たこともないのよ。絵姿は頂いたけれど、あんなもの本物かどうかもわからないし」
私の絵姿だってお母様が五割増しに美人に描かせていた。
一緒に甘いものを食べてくれるような人なのか。
手を上げられたりしないのか。
大事にしてくれない人だったりしないか。
楽しい話をしながら手を繋いだりできる人なのか。
頭に浮かぶのは父と母をモデルにした夫婦像ばかりで、正しい姿がわからない。政略婚とも言えない偶然婚で、皇帝が私を愛する可能性なんて針に糸を通す程度には低いだろう。
「ジゼル様」
「はい?」
「長らくお側に仕えさせていただいた僥倖は忘れません。ジゼル様の護衛騎士は誇らしく、何より楽しかった。私の生涯の自慢です。バザロスでもどうか御身を大事になさってください」
「ウェイ……」
六歳から学院に通い始めて付けられた護衛がウェイだ。私も二十一歳で、十五年の付き合いになる。彼とも明日でお別れだった。
「ウェイとのお別れが一番現実的じゃないわね。明後日になっても話しかけちゃいそうよ」
バザロスには身一つで嫁ぐのだ。大国には全ての用意が整っていると言われれば、お父様は是とするしかなかった。
「フラリエヌの家族を頼みます」
「過分なお言葉ですが、僭越ながら帰国後もまた励みます」
バザロスの王城に到着後、ウェイ達は荷を下ろすと帰国の途についてしまった。
さぁ、いよいよ輿入れの本番が始まる。
「ようこそお越し下さいました。私は皇帝陛下の側近でシュヴァルツと申します。ジゼル様のお世話を取り仕切る侍女長にはこちらのフィリアが」
「フィリアでございます。ご不便をおかけしないよう、精一杯務めさせていただきます」
「ジゼルです。仲良くしてください」
到着してすぐに奥の王族エリアまで移動して、フィリアを紹介された。壮年の女性で、ベテランの風格があってホッとする。握手した手は柔らかくて温かかった。
「早速ですが、皇帝から予定を早めるよう指示がありまして、今夜に式をとのことです」
「えっ」
驚いた私に、シュヴァルツは柔和な顔立ちを苦笑に歪ませた。
「申し訳ございません。とにかく急ぐとのことです。私どもも、ジゼル様はお疲れではないかとお止めしたのですが」
「はぁ……ですが、準備が……不十分にならないでしょうか」
正直、旅の後でくたびれている自覚しかない。腰も痛いし、宿に次ぐ宿で深い睡眠がひと月遠ざかっていた。少しクマがあるし、髪の艶も落ちた。花嫁衣裳が似合うかしら。
「それに関しては諸々簡略式にするとのことです。お衣裳から食事から簡略的に。王城に併設された聖堂でお二人で挙式をし、王城内で祝宴をご準備します。申し訳ありません、それもあって人手を割かれてお迎えが簡素になってしまい」
簡素でも十分に立派にお出迎えしていただいたので気に留めもしなかったけれど、聞いていた国を挙げての儀式はどうなるのだろうと目を白黒させた。
「それはきちんと行います。とにかく指示の内容が『到着したら即日できる範囲で実施』とのことでして……陛下は重要な用事で東の州にいらっしゃったのですが、確実に到着日がわかった時点で早馬を飛ばして迎えに行かせています。夕方には戻られる予定です」
重要な方を優先されればよいのでは?
唖然としたけれど、とにかくとフィリアに促されて自室の案内も後回しに湯場へと直行した。身体を磨かれ、ウトウトしている間に疲れていた顔も何とか仕立て上げられていく。
少しの休憩の合間に軽食をとり、靴の試着や宝石選びをフィリアとこなすと神速で仕立て直した花嫁衣裳が届けられた。
「ジゼル様、陛下がお戻りになりました。今お着替えになっていますので、聖堂まで移動をお願いします」
「えっ」
衝立の向こうから声がかかり、フィリアでさえ大慌てで衣裳を手にして紐を緩めだした。
「はぁ……なんなの、いつもこうなのですか?」
「いえ、特にこのようなことはないのですが。私どもも急な段取りで。早速ご不便をおかけして大変申し訳ございません」
感傷に浸る間もなくレースの白い衣裳に袖を通し、ティアラは国庫の奥に保管されているので手続きが済まねば出せないと、顔も曝しっぱなしで聖堂まで急いだ。
「はぁ……はぁ……」
「大丈夫ですか? ジゼル様。今、お水をお持ちしますね」
「ありがとう」
息を整えて、聖堂の前に立っているとバタバタと足音が聞こえてきた。
顔を上げると向こうからバザロスの正装を着た男性が後ろにシュヴァルツや複数人を連れて足早に近づいてくる。
「ジゼル」
小さな声で、その人に名を呟かれた。
私は圧倒的な気配を持つその人に口も利けず、惚けたみたいな顔になっていたと思う。
銀灰の髪は後ろに綺麗に流されていて短く、体躯は私よりずっと大きく高く、黒い瞳と目が合うと、その厳しさに背筋が伸びた。
「あ……」
自己紹介をしなければと我に返り、だけど遮られる。
「行こう」
口がカラカラだった。
横に並んだレオポルド様に背中を押され、臣下たちがこぞって両扉を開けばオルガンの音が始まる。待ち構えていた教皇らしき老人が祝祷を捧げ、じっとしている間に誓いが交わされる。
「こちらで婚姻の誓約書にサインを」
さっき会ったばかりの男性がそこに名を書き、誘われて私も続く。
「誓いのキスを」
なんとなく動揺して壇下に目をやると少ない列席者は俯き加減で神妙な面持ちだった。
気付けばふわっと大きな手のひらに添えられて、口づけられる。
「………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………ん~~~~っ」
長いな!?
鼻で息をするのを忘れていた私も愚かだけど、それにしたって長過ぎた。いつの間にか抱きしめられていた身体を身動きすると、ゆっくりと、音を立てた唇が離れていく。
「はぁ……はぁ……」
信じられない思いで夫になったばかりの顔を見ると、シレッとしていた。
また壇下に顔を向けると、皆目を逸らしてしまう。
「え~………ごほん……では、おめでとうございます、レオポルド皇帝陛下、ジゼル皇后陛下。バザロスに益々の祝福があらんことを」
教皇は粛々と祝いの言葉を述べ、私たちは盛大とは言えないが少数による精一杯の拍手の中、聖堂を後にした。
「ではこのまま祝宴会場へ向かいます。急でしたので、列席者は多くはありません。大公家と公爵、侯爵、大臣クラスの高位官僚も半分にも満たないのでまだ覚えやすいかと」
言いながらシュヴァルツがリストを渡してくる。そんな急に覚えられないわよ。
「ジゼルは黙って食事を。それだけで良い。祝宴を執り行えばそれで公には成婚となる」
しまった、顔に出ていたのだろうか。忙しない移動の中でレオポルド様にそう言い渡された。
「……はい」
***
皇后の席で延々と挨拶に来る人たちに祝われた。
自己紹介をされ、返し、継がれたワインで乾杯して合間に略式に見えない豪華な食事をいただく。
冷酷無比と噂の皇帝は、表情だけはやっぱり厳しさが常にあったけれど、意外に臣下たちは気後れなく話しかけている様子に見え、酌をして成婚を寿いだ。
レオポルド様は口数が少なくそっけないけれど、食事をしながらよく話を聞いている。
私は夫となる人を観察し、祝宴を終えた。夫婦として二人で会話をする暇はなかった。行事とはそういうものだ。
さぁ、いよいよここからが本番。
正体はどんな人なのだろう。
フィリアに導かれ、本日二度目の支度にとりかかる。
到着して半日もしない内に二度目の湯に浸かった。たぶん、今夜は初夜になる。
気持ちを保つのも一苦労なほど疲れていたけれど、気の毒そうな顔のフィリアが「少し眠って下さい」と言うのでエステを受けている間に眠った。身体が怠かった。億劫で、少し気分が悪い。
「大丈夫ですか? 少しお顔の色が悪い気もします」
「ええ。お酒はそこまで飲んでいないし、緊張して酔う暇もなかったから、少しじっとしていれば戻るでしょう」
夜の支度を整えて、初めて足を踏み入れる夫婦の寝室へ。
ちなみにまだ自室を見てすらいないのですが。どれだけせっかちなんだか。
ベッドに腰かけると、馬車旅による腰痛だけではなく鳩尾のあたりも痛んだ。
「フィリス。念のため胃薬をお願いできる?」
「かしこまりました、直ぐにご用意を」
「ありがとう」
フィリスが直ぐに薬を用意してくれて寝室から出て行くと、広い部屋に一人になった。
お世継ぎのことを考えると、あまり服薬はしたくない。もう少し我慢しようと、ベッドに横になる。本当は先に横になるのは作法ではないけれど、スケジュール的にもクタクタだったし多めに見てもらえるだろう。何とかなる、なる。
だけど、全然なんとかならなかった。
レオポルド様は、待っていてもなかなか来なかった。
夫を待っている間に、気分の悪さが加速度を上げ、激しい腹痛と頭痛が身体を襲い始めた。
「うう……」
突然、内臓が悲鳴を上げだす。
「ん………ぐ……あぁぁぁっ」
ベッドに俯せ悶えだした私の声が聞こえたフィリスが飛んでくる。
「ジゼル様っ、ジゼル様!!!」
「ああっ……ぐる、し……くるし、あ、あ、ああああああああああああっ」
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