裏剣客加瀬崎十郎 北斎大画即書

CHIHARU

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二十九   真吾に『市中引廻の上、磔』とのご沙汰が……

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 鋸引きは免れたが『市中引廻の上、磔』とのご沙汰が下りた。

 真吾が、小塚原刑場――いわゆる『浅草の刑場』で磔となる日は、おりしも備前長船景光受け渡しの日だった。

 崎十郎は夜明け前に甚八の家を出た。
 薄暗いうちから、善次郎とともに、出羽守下屋敷の門が見渡せる町屋の路地にひそんだ。

 崎十郎は、またも物乞い姿だったが、薦の下は小袖・袴姿で、上から見えぬように袴を短く端折って、藁で包んだ大小を携えていた。

 善次郎も今日ばかりは別人だった。
 髷も武家のごとく結っている。
 大小を腰に手挟んだ羽織袴姿は、安房国北条藩江戸屋敷に仕官していた時代を彷彿させた。

 時刻はすでに午を過ぎていた。

「はたして真吾を救えるでしょうか」
「弱気になってどうする。処刑まではまだまだ間があらあ」
 武家らしい出で立ちをしていても、はすっぱな口調がいつもの善次郎だった。

 カラコロという日和下駄の音とともに、
「本所にまで引き廻されてくるそうだよ」
 顔を強張らせたお栄がいきなり声をかけてきた。
 半纏を着て、帯のかわりに前垂の紐でしめた格好で、頭には手拭いをかぶっている。

「おい、お栄、来るなと申しただろうが。火盗や町方に気づかれてはまずい」
 崎十郎はあたりをきょろきょろと見回した。

「居ても立ってもいられねえとはこのこった。引廻の行列が出発する日本橋まで見に行ったんだがよ、白衣を着せられて、紙で作った白数珠を首にかけた真吾が哀れで見ちゃいられなかったぞ。見物人が祭りのときみてえに、そりゃあ大勢いてさ……」
 お栄は言葉を詰まらせた。

「江戸市中での凶行であるため、罪を犯した本所界隈も引き廻されるというわけか」
 真吾には気の毒だったが、刑場到着が遅れれば遅れるほど、刻が稼げる。

 刑場に到着するには五町(約二十キロ)の行程となり、途中で何度も休憩をはさむため、朝から夕方まで一日がかりだった。
 罪人ひとりに、与力以下五、六十人もの者が列をなして練り歩くさまは圧巻で、行列が通る沿道には群衆が溢れて見物する。

「親父はどうしておる」
「鉄蔵は朝からいやしねえ。うちんちを見張ってた下っ引きどもは鉄蔵を追ってったから、わっちの見張りは誰もいねえ。だから大丈夫でえじょうぶさ」

「下っ引きが戻ってきて探しまわってねえとも限らねえ。てめえがいたって邪魔なだけでえ。とっとと行っちまえ」
 苛立ちのために、はすっぱな町屋の言葉が口をついて出た。

「へん、わかってらあ。とんだ邪魔したな」
 お栄は、わざとくさく口を尖らせながら立ち去った。

「はは、いつもの兄妹喧嘩にしちゃ勢いがなかったな。威勢が良くて男勝りがお栄の良いところなんだがな」
 善次郎が、乾いた声でぼそりとつぶやいた。

 強い風が砂塵を巻き上げて、通りの先に消えるお栄の姿をかき消した。

 ふいに動悸が高まった。

 崎十郎が辻斬りで処断されるようなことになれば、園絵は自害するに違いない。
 北斎やお栄にも迷惑がかかる。
 逃亡の手助けをした善次郎も身の破滅だった。

「今日の首尾にすべてがかかっておる。拙者の一命に代えても右膳の悪行を暴いてみせる」
 己に言い聞かせながら、爪が食い込むほど拳を強く握りしめた。 

(早く出てこぬか)
 景光の受け渡しが夕刻以降なら処刑に間に合わない。
 じりじりしながら下屋敷の門を凝視し続けた。

 暑くもないのにだらだらと汗が顔の輪郭を伝って地面に滴り落ちる。
 刻ばかりが経っていく。

 風に乗って、昼七ツ(十六時頃)を告げる、本石町の刻の鐘が聞こえてきた。

「両国橋を渡りきったそうでえ」
「こっちにも来るかな」
「お稚児さんみたいに綺麗な若さまだったけど、人は見かけによらないもんだね。虫も殺さないような顔で祖父じいさま殺しのうえに火付けとはねえ。お~、怖い、怖い」
 興味本位で無責任な言葉が飛び交っている。

「見せしめなんかになるもんか。みんな、祭り見物のようにうきうきしてやがるぜ」
 善次郎が皮肉っぽく口の端を上げた。

 火事場に向かう野次馬のように、大勢の人々がぞろぞろと両国橋方向へ向かっていく。

 真吾は無実だ。下手人は右膳だ。
 叫び出したい気持ちを抑えて唇をぐっと噛み締めた。
 口中に血の味がした。







 昼七ツの鐘を聞いてから四半刻ほど経った頃、ついに下屋敷の門が開かれ、大名などが微行する際に使う、お忍び駕籠が静々と出てきた。
 供侍は四人しかおらず、側用人の采女の姿も見える。

(いまからではとうてい間に合わぬ)

 引廻の列は本所を練り歩いて両国橋を渡っていく。
 小塚原へは距離にしてあと一里(約四キロメートル)ほどしかなかった。

 出羽守の駕籠は引廻の行列の後方を進んでいく。
 両国橋を渡り切った両国西小路で駕籠が行列を追い抜いた。

 馬に乗せられた真吾の後ろ姿が近くに見えた。

 横目で窺った真吾の顔は、蒼白ながら凛とした表情で真っ直ぐ前を見据えていた。

(待っておれ。必ずや救ってみせる)
 決意を新たにすると同時に、
(なぜ犯してもいない罪を認めたのだ。あれほど画にかけていた意気込みはどうした。せっかく授かった天賦の才を無駄にする気か)
 罵声を浴びせたくなった。

 正副二騎の検使与力が騎乗し、同心四人が同行している。
 見知った顔も混じっていたが、見物人の多さに、物乞いに化けた崎十郎が気づかれる恐れはなかった。

 行列は、浅草西方寺で最後の休息を取る。
 西方寺で親類縁者と最後の別れをし、奥州道中を辿って涙橋を渡れば小塚原の刑場だった。

 お栄の姿がちらりと見えたが北斎の姿はなかった。
 お栄は、縁者として最後の別れの場に臨むことになっている。
 善次郎はお栄に向かって小さくうなずきながら通り過ぎた。

「お栄にゃ、なるべく引き延ばすよう言ってあるが、さてどのくらい刻を稼げるかだ」
 罪人の最後の望みはなるべくかなえてやる不文律があった。
 多少、行列の進みが遅れようと、最後の別れが一区切りつくまで待ってくれるはずだった。

「真吾は昨晩から食を絶っておりましょう」
 罪人は、脇腹を槍で二、三十回も突かれるため、傷口から鮮血とともに食べた物が溢れ出す。
 真吾は醜態をみせぬよう、胃の腑を空にしているに相違なかった。

「好む物をゆっくり食わせて時間稼ぎってえのは難しいな」

「とにかく間に合うと信じましょう」
 人混みに紛れながら出羽守の駕籠を追った。

 依然として北斎の姿は見えない。
「親父殿の気性から考えると、西方寺の愁嘆場には顔を出さぬでしょう」
「刑場には来ると思うがな」
 善次郎は含むものがありそうな顔つきで言った。

 北斎は、処刑があると聞けば刑場にわざわざ足を運ぶ。
 悪人の最後のさまを観察しようというのか、はたまたそのような場に集まる者たちのさまを目に焼き付けようとするのか……。

 画に精魂を傾けていないときは、なにかをおかしいほど子細に見詰めている。
 事象といい、ひとのさまといい、画の題材として、万事に興味が尽きないらしかった。

「親父殿がいくら度を超した画狂とはいえ、さすがに今日ばかりは違う意味合いでやってくるでしょうけど」
 崎十郎は口中に砂の味を感じた。
  
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