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16.弱い心
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いつの間にか会場に戻ってきていたヴィンセント様は、ヨレヨレになっていた上着は着ておらず、清潔感のある白いシャツにネクタイというシンプルな姿になっている。それでも十分に気品を感じられるのは、彼が持って生まれた素質なのだろう。
だけど笑顔を浮かべるその目は全く笑っていない。サファイアの様な瞳からは静かな怒りが伝わってくる。
彼の近くにいる人達は、ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、気まずそうに顔を伏せて離れていった。
いつもは完璧に子供を演じている彼だけど、今の姿はどことなく危うさを感じてしまう。
何かささいなきっかけでもあれば、その姿が崩れてしまうような……。
「……ヴィンセント様?」
私が慎重に名前を呼ぶと、ヴィンセント様から放たれていたどす黒いオーラは静かに消失していく。
次の瞬間、いつもの様に無邪気な笑顔を見せて私の方へと駆け寄ってきた。
「レイナちゃん! 遅くなってごめんね! 大丈夫だった?」
私の傍までやってくると、ヴィンセント様は何かに気付いた様に視線を落とした。
「レイナちゃん、ちょっとその手を見せてもらってもいい?」
「あ……」
咄嗟に隠そうとしていた右手を、すかさずヴィンセント様が掴んだ。
傷に触れない様に優しく持ち上げられた私の手の甲には、血が滲み刺々しい細かな木の破片が突き刺さっている。
見た目は痛々しいけれど、幸いな事に骨は折れていないよう。危うく農作業に支障をきたすところだった。今度から気を付けよう……扉も壊しちゃったし……。
思い出したくない現実を思い出して沈んでいると、私の右手を握る彼の手が震えだした。その表情から笑顔は消えている。
(これは酷いな……)
「レイナちゃん、すぐに傷の手当てをして帰ろう」
「え……? でも、まだ国王陛下に御挨拶が――」
「必要ないよ。そんな事よりもレイナちゃんの方が大事だよ」
真剣な顔でそう言われて、思わず顔が熱くなる。
声色も喋り方も少しだけ落ち着いてはいるものの、いつもの彼とそんなに変わりはない。
ただ……こんな風に優しく声をかけてくれたのは初めてかもしれない。
心の声だけは、いつも優しかったけど……。
ヴィンセント様の言葉に、思わず絆されそうになったところでハッと我に返った。
まだ帰る訳にはいかない。少なくとも、国王陛下に御挨拶するまではここにいなければ……。
こんな傷くらいで公爵様から任された大事な使命を放棄する訳にはいかない。
「いえ、私は大丈夫です。こんな傷、痛くも痒くもないです」
そう言って引っ込めようとした手は全く動かない。
ヴィンセント様が私の手をしっかりと握っているからだ。
その表情に影を落とし、ぼそりと呟いた。
「大丈夫じゃないよ。こんなに傷だらけなのに」
それは右手の甲の傷の事を言っているはず。
そのはずなのに……じわりじわりとその言葉が胸に染み込む様に広がっていく。
ふいに、胸の奥の方から何かが込み上げる様な感覚に襲われた。
「……レイナちゃん?」
ヴィンセント様が何かに驚く様に目を大きく見開き私を見つめる。
なんでそんな風に私の事を見ているのだろう。
(レイナ……泣いているのか……?)
え……?
とっさに目尻を拭うと、たしかに指先が濡れた。
自分でも何故泣いているのか分からない。
ただ、ヴィンセント様の優しさが温かくて、嬉しくて……。安心したのかもしれない。
ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたような……そんな感覚になった。
涙は今もまだ途切れる事無く、勢いを増す様にポロポロと私の瞳から零れ落ちる。
その涙を見ていると、自分の弱さを思い知らされる。
悔しい……。せめて彼の前だけでも、強い自分であり続けたかったのに。
いくら強い自分を装っていても、どれだけ体を鍛えたとしても……心を武装する事なんて出来なかった。
虚勢を張ってはいたものの、それでも痛くない訳では無かった。
皆から向けられる冷たい視線も、悪意のある言葉も……私の心を少しずつ削り取っていく。
そんな私の心の傷を、ヴィンセント様に見透かされた様な気がした。
だけど……たった一人だけでも本当の自分に気付いてもらえる事が、こんなにも心が救われる事だったなんて――。
「……誰だ? レイナを泣かせたのは」
…………え?
その声を聞いて、私は驚きのあまり言葉を失った。
今のは心の声じゃない。間違いなくヴィンセント様の口から放たれた言葉。
だけど、その声色はいつもの高い声ではなく、聞き馴染んでいる低音のイケボイス。頭の中でいつも聞こえていた彼の声だった。
だけど笑顔を浮かべるその目は全く笑っていない。サファイアの様な瞳からは静かな怒りが伝わってくる。
彼の近くにいる人達は、ただならぬ雰囲気を感じ取ってか、気まずそうに顔を伏せて離れていった。
いつもは完璧に子供を演じている彼だけど、今の姿はどことなく危うさを感じてしまう。
何かささいなきっかけでもあれば、その姿が崩れてしまうような……。
「……ヴィンセント様?」
私が慎重に名前を呼ぶと、ヴィンセント様から放たれていたどす黒いオーラは静かに消失していく。
次の瞬間、いつもの様に無邪気な笑顔を見せて私の方へと駆け寄ってきた。
「レイナちゃん! 遅くなってごめんね! 大丈夫だった?」
私の傍までやってくると、ヴィンセント様は何かに気付いた様に視線を落とした。
「レイナちゃん、ちょっとその手を見せてもらってもいい?」
「あ……」
咄嗟に隠そうとしていた右手を、すかさずヴィンセント様が掴んだ。
傷に触れない様に優しく持ち上げられた私の手の甲には、血が滲み刺々しい細かな木の破片が突き刺さっている。
見た目は痛々しいけれど、幸いな事に骨は折れていないよう。危うく農作業に支障をきたすところだった。今度から気を付けよう……扉も壊しちゃったし……。
思い出したくない現実を思い出して沈んでいると、私の右手を握る彼の手が震えだした。その表情から笑顔は消えている。
(これは酷いな……)
「レイナちゃん、すぐに傷の手当てをして帰ろう」
「え……? でも、まだ国王陛下に御挨拶が――」
「必要ないよ。そんな事よりもレイナちゃんの方が大事だよ」
真剣な顔でそう言われて、思わず顔が熱くなる。
声色も喋り方も少しだけ落ち着いてはいるものの、いつもの彼とそんなに変わりはない。
ただ……こんな風に優しく声をかけてくれたのは初めてかもしれない。
心の声だけは、いつも優しかったけど……。
ヴィンセント様の言葉に、思わず絆されそうになったところでハッと我に返った。
まだ帰る訳にはいかない。少なくとも、国王陛下に御挨拶するまではここにいなければ……。
こんな傷くらいで公爵様から任された大事な使命を放棄する訳にはいかない。
「いえ、私は大丈夫です。こんな傷、痛くも痒くもないです」
そう言って引っ込めようとした手は全く動かない。
ヴィンセント様が私の手をしっかりと握っているからだ。
その表情に影を落とし、ぼそりと呟いた。
「大丈夫じゃないよ。こんなに傷だらけなのに」
それは右手の甲の傷の事を言っているはず。
そのはずなのに……じわりじわりとその言葉が胸に染み込む様に広がっていく。
ふいに、胸の奥の方から何かが込み上げる様な感覚に襲われた。
「……レイナちゃん?」
ヴィンセント様が何かに驚く様に目を大きく見開き私を見つめる。
なんでそんな風に私の事を見ているのだろう。
(レイナ……泣いているのか……?)
え……?
とっさに目尻を拭うと、たしかに指先が濡れた。
自分でも何故泣いているのか分からない。
ただ、ヴィンセント様の優しさが温かくて、嬉しくて……。安心したのかもしれない。
ずっと張り詰めていた緊張の糸が切れたような……そんな感覚になった。
涙は今もまだ途切れる事無く、勢いを増す様にポロポロと私の瞳から零れ落ちる。
その涙を見ていると、自分の弱さを思い知らされる。
悔しい……。せめて彼の前だけでも、強い自分であり続けたかったのに。
いくら強い自分を装っていても、どれだけ体を鍛えたとしても……心を武装する事なんて出来なかった。
虚勢を張ってはいたものの、それでも痛くない訳では無かった。
皆から向けられる冷たい視線も、悪意のある言葉も……私の心を少しずつ削り取っていく。
そんな私の心の傷を、ヴィンセント様に見透かされた様な気がした。
だけど……たった一人だけでも本当の自分に気付いてもらえる事が、こんなにも心が救われる事だったなんて――。
「……誰だ? レイナを泣かせたのは」
…………え?
その声を聞いて、私は驚きのあまり言葉を失った。
今のは心の声じゃない。間違いなくヴィンセント様の口から放たれた言葉。
だけど、その声色はいつもの高い声ではなく、聞き馴染んでいる低音のイケボイス。頭の中でいつも聞こえていた彼の声だった。
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