桐木純架くん!

よなぷー

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03白鷺トロフィーの行方

割れた壷事件02

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 目的の部屋は1階にあった。まだこの渋山台高校で数ヶ月しか過ごしていないが、それでも校長室の遠さ――物理的なではなく精神的な――は身に染みて感じていた。多分ここに入ることは、3年間の高校生活で一度もないんだろうな、と、中学時代の経験が物語っていた。

 それがこんなにも早く、幻でしかなかった校長室を訪問することになろうとは。俺はあまりの緊張に、右手と右足を同時に前方へ繰り出していた。

 一方純架は、その両目から内心のたかぶりを放射し、二足前を先行する校長の背中を焼き尽くさんとしていた。好奇心を抑えきれないらしい。

「ここだ」

 校長は『校長室』との室名札が輝く一室へ到着すると、鍵を使ってドアを開錠した。中に入る。俺と純架は後に続いた。

「これが校長室……!」

 内部は大きな窓から透過して降り注ぐ陽光に明るく照らし出されていた。部屋中央の高価そうな木製テーブルを挟んで、革張りのソファが向かい合って並んでいる。奥に執務を行なう教卓が窓を背に鎮座し、その左右に本棚が設置されていた。壁には歴代校長の写真が並び、何かの賞状や校訓、校歌の文章なども額縁に入れられて部屋の装飾の一部をなしている。

 そして、何か割れ物らしき茶色い破片が床の隅に散らばっていた。他が整理整頓されているため、余計それの奇怪さが際立っている。残骸はどれもさほど分厚くはなかった。

 校長から先ほどまでの機嫌の良さが鳴りを潜める。

「これはわしが大事にしていた壷の、無残な最期だ。恐らく何者かがこれを床に叩きつけて割ったのだ。この部屋に侵入してな」

 怒気に顔を紅潮させた。純架はひざまずいて骨董品の残骸を視線で走査する。もう探偵モードに入っていた。

「いつ頃割られたのですか?」

「昼休み開始前後だ。わしは4時間目の終わり頃、職員室に出向いて仕事をして、ついさっき校長室の鍵を開けて中に戻った。そのとき目の前にあったのがこの割られた壷というわけだ」

 怒りのぶり返しで語気が荒い。

「大切な、大切な壷。自費で30万円も払って買ったのに……毎日手入れしていたのに……」

 歯軋りの音が聞こえてくるようだ。俺は改めて室内を見た。

「砕けた壷の他に異常な点は?」

「どうも何かを盗まれた様子はない。もし犯人が物取りだとしたら、この壷を持ち去ろうとして手を滑らせ、割ってしまった蓋然性がいぜんせいが高いな」

 純架は身を起こした。

「なるほど、校長先生は僕たちに、壷を割った犯人を捕まえてほしいわけですね。つまり事件解決の依頼、と」

「そういうことだ」

「それは嬉しく思います」

 純架は微笑んだが、すぐ打ち消した。

「僕たちがこんなことを言うのもなんですが、なぜ僕たちに? これは刑法の器物損壊罪に当たります。警察に連絡して捜査してもらう案件では? 壷の価値が高いなら高いほどそうするべきです」

 校長は言下に切り捨てた。

「警察沙汰になると教師や生徒が動揺してしまう。それに最悪生徒が犯人だった場合、もうこちらから内密に救い更生させる術がなくなってしまう。壷は痛いが、犯人の未来を失うわけにはいかないんだ」

 つくづく甘い人だ、と俺は心の手帳に記した。好印象。

「じゃ、俺たちの捜査も内緒でやった方がいいってことですね」

「頼む」

 純架は壷の破片を色々な角度・様々な方向からスマホで撮影した。そして白い手袋を両手にはめ、哀れな末路を迎えた骨董品を手に持って眺めやる。

「校長、これの割られる前の写真はないですか?」

「あるぞ」

 校長は教卓を漁り、一枚の写真を手に取った。純架はそれを受け取ると、俺にも見えるように上方へ差し伸べる。

「綺麗に写ってるね。開口部がかなり狭いな……。ここが広ければ蚊取り線香を入れられるかな。高さは22センチ、胴径も22センチぐらいだね。なかなか手頃な焼き物の壷だ」

 老人は軽く微笑んだ。

「この壷は弥生やよい壷といってな。考古学者オスカル・モンテリウスが編み出し、浜田耕作によって日本に伝えられた型式学的研究法に従って鑑定されると、この壷は近畿地方第四様式――すなわち中期のものであると結論付けられた。わらや土を被せる焼成法をとっていて、縄文土器に比べて薄くてかたいんだ。よく見てみろ、綺麗な縄目なわめ刻目きざみめ櫛描文くしがきもんが装飾されているだろう? これだけの逸品はそうはお目にかかれない……」

 長ったらしくなりそうだったので、部長は無理矢理割り込んだ。

「この写真、お借りしてもよろしいですか?」

「え? ああ、構わんよ」

 校長はやや物足りなさそうに首肯した。純架はひとまずそれを俺に押し付け、再び散乱物の解明にかかる。

「何だこれ?」

 純架は白くて長い毛をつまみあげた。白髪か? 彼はそれを封筒へ丁寧にしまい込む。しかし手袋といい封筒といい、いつも持ち歩いているのか?

 次に、惨劇に出くわす前の壷の占有スペースを調査した。思いがけない発見があったらしく、これもスマホで撮る。頬を緩めた。

「壷の破片が棚の上にもあるよ、楼路君」

 それって……

「犯人は破片を拾って棚の上に置いたのか?」

「何とんちんかんなことをいってるんだい。恐らく壷はまず棚の上で――ハンマーか何か硬いもので――割られて、次いで床に叩きつけられたんだ」

 校長は慎重だった。

「朱雀君の意見も一理あるだろう。犯人が捜査を撹乱かくらんするために破片を置いた可能性もある」

 純架は首を振った。

「その蓋然性は低いでしょう。棚の上には壷が置かれていた痕跡がはっきり残っています。スペースぎりぎり一杯の濃い円形がそれです。棚の上の破片はその円の外、ほこりを被った隅にのみ残されていました。露見を恐れて急いでいる犯人は相当焦っていたでしょうし、もしわざと破片を拾って置いたとしても、円の内側にかからず出来たかどうか。大体ここでミスリードしようとする必要性は低い」

 俺は納得いかずに首を傾げた。

「じゃあなんで、わざわざハンマーか何かで砕いてから、改めて壷を床へ落としたんだ?」

 純架はビニール製縄跳びを取り出すと、その場で三重跳びにチャレンジし始めた。

「それが犯人のはっきりした目的だったからだよ。彼か彼女か知らないが、犯人がこの部屋に侵入したのは壷を盗むためではなく、壷を割るためだったんだ。手持ちの道具で叩き割った上で、更に床に落とすなんて、ずいぶん執念を感じるね」

 純架の縄跳びが根元で千切れた。ビニール製あるあるだった。

「じゃ、壷はこの辺で。次は室内を調べようか」

 純架はソファを細密に点検した。その弾力を確かめるため横に寝転がり、やがて寝息を立て始める。俺は純架の額に兄貴直伝のでこぴんを食らわせ、無理矢理起こした。

「本棚はどうだろう?」

 純架は涙目でガラス戸を開こうとし、びくともしないことを発見した。指先に力を込めてみるものの、一向動かない。

「校長、ここの鍵はお持ちですか? 何かなくなったりしていませんか?」

 校長は「まさか」と青ざめて確認した。ガラス戸の向こうには『教育進化論』だの『学校管理序説』だのといったお堅い書籍や、何らか記録された色取り取りのファイルなどが、隙間なく詰め込まれている。

 校長は安堵の息を吐いた。

「大丈夫だ。何もなくなってはいない。鍵を使って調べるか?」

「いいえ、それならいいんです。何か壊された形跡もなさそうですし。教卓を調べてもよろしいですか?」

「いいぞ、好きなようにしてくれ」

 純架は窓際に近づいて――その足を止めた。

「なんだこりゃ?」

 彼が見ているのは教卓ではなく窓だった。半透明の大きな窓は鍵がかかっておらず、その下の窓枠に茶色いものが付着している。俺と校長はかたわらに近づいた。

「開けてみよう。鍵は……かかっていないね」

 純架は窓ガラスをスライドさせた。それで窓枠にこびりついたものが泥水の足跡だと断定できた。外から内へと向いている。サイズは25センチぐらい、男のもののようだ。

「校長、事件発生時に窓の鍵はかかっていましたか?」

 校長はぴしゃりと額を叩いた。

迂闊うかつだった。そういえばかけていなかったな」

 俺は窓の外を覗いた。校舎裏に当たるこの部分は、目の前が土砂対策の切り立ったブロック塀のみで、殺風景なことこの上ない。地面は土で、灰色ブロックの側溝そっこうが左右に横断して埋められている。その底を夜半の雨水が左から右へ通過していた。地べたから窓までの高さは1.2メートルほどだ。

 俺は顎をつまんで推理した。たまには有能なところを披露せねば。頭の中を整理して、思考格闘の成果を陳列する。

「犯人は窓から中へ侵入して壷を割り、また出ていった。だから窓枠に足をかけた跡が残ったんだ。校長室のドアは鍵がかかっていたからな。……どうだ、純架」

 純架はあっさり否定した。

「室内には足跡がないよ、楼路君」

 あ、確かに……

「それに、それなら帰りの足跡も残っていないとおかしいね。でもまあ発想は合格かな……」

 純架は窓枠と外の地面とを撮影する。

「外の土に足跡はないね。行きか帰りかはともかくこの状況は、犯人が側溝のへりかその底を流れる水を踏んできたからと見なすのがまあ普通だろう。なかなか小癪こしゃくだ――窓から入ったとするならね。側溝そばには泥の水溜まり、か。それが濁っているのは犯人が踏み締めたからか……? 壷が割られてから、まだ時間がそれほど経過していないことからして、その可能性は大いにある」
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