上 下
16 / 52
第2章〜芸州編(其の壱)

第16話

しおりを挟む
 今日は朝から富盛の道場で、辰三郎をはじめとする門下生たちに稽古をつけていた。
「おい忠次郎、お前も竹刀を持ったらどうじゃ?」
 辰三郎は忠次郎を見ると、いつも揶揄からかう。
「私は結構です!」
「じゃあ、何で居るんじゃ!」
「私は大助さまのお供をしてるだけです。私に構わないでください!」
「ああそうかい! チッ!」

 忠次郎は俺が富盛家に行くのを嫌がっていた。辰三郎が嫌いなんだろう。俺の監視役として仕方なく付き合っているのだ。そもそも俺は「福島藩お預かり」で匿いの身、本来なら然るべき役人がその役を果たすところだが、郡廻りも代官も国宗家に押しつけてるようだ。まあ俺もその方が気が楽だけど。

「辰三郎、よそ見せずにかかってこい!」
「おう、大助。今日こそは倒してやる!」

 辰三郎はいつもの変則的な動きで俺の隙を狙う。
「あぃやややああああああああっ!!」
 正面から縦に振ると見せかけて、左前に進み横下から竹刀を振る。コイツの動きは完全に読めている。
「はい」
 俺はその竹刀を払ったついでに辰三郎のアゴを軽く叩く。
「あ痛っ!」
「もう一丁だ」
「ク、クソお」
 辰三郎は直ぐ感情的になる。無茶苦茶な竹刀の振り方で突進してくるが簡単にかわして背中を叩く。
「あー痛っ、なんでお前そんなに強いんじゃ!?」
「お前より冷静だから……かな」
「なるほど、そうか! 冷静、冷静じゃ!」
「単純だな。あ、ちょっと待て」
「何じゃ、大助!」
「お前はもう良い」
「おいおい、わいはもう終わりか? あ?」
「師範代は居ないのか?」
「さあ? 今日は見んのう。それより勝負じゃ!」

「辰二郎は親父らを迎えに出掛けたわよ」
 お雪がふいに姿を見せた。
「あ、姐御、今日親父が帰って来るんか!?」
「ああ、そうみたいだね」
「じゃ、あれは上手くいったんか!?」
「お黙り! この馬鹿!」
「お雪、帰って来たら御当主殿に挨拶したいが?」
「大助、暫くはやめとき。機嫌悪いだろうからさ」
「姐御、もしかして不首尾なんか……?」
「だから、馬鹿は黙ってなさい!」
「チッ」
「大助、外出ようか?」
「ん?」
「富盛の縄張り、案内してあげるよ」
 ほう、これは良い機会だ。山村の東側が見れる。
「そうだな、溜池ためいけとか見たい」
「お安い御用さ」

 お雪に連れられ、屋敷の裏手から畦道を進んで溜池まで歩いてみた。立派な田んぼが一面に広がっている。途中、富盛の下人と見られる男たちが用水路を修繕していた。お雪を見て会釈している。

「ねえ大助、辰三郎の馬鹿が口走ってたのはさ、仕官が駄目だったって話さ」
「仕官? 福島さまの旗本になろうとしたのか」
「ウチはねえ、今は郷士だけど元々は武家の出なんだよ。いつかは返り咲くのが親父の夢なのさ」
「そうか。まあ残念だったな」
「うふふ、辰三郎なんか山村の知行地を貰って、大助を家来にするって期待してたようだよ」
「それは勘弁だ」
「まあ、あたいは今のままで良いんだけどね。親父ったら木嶋の嫡男と夫婦にしようと画策したりしてさ、迷惑だったんだよ」
「なに!? それは誠でございますか!?」
「なんで六郎が反応するんだ?」
「い、いやあ……つい。へへへ」

 溜池の前でお雪が縄張りを説明してくれた。
「この池の向こうは押村。だから共同の水場なんだよ。あの杭までは富盛の領域さ」
「大きな溜池だな。よく見ると魚も沢山居る」
「そうだよ。ウナギとか、たまに釣れてねぇ」
「ウナギとはご馳走ですな、お雪さん。ところで先ほど用水路を修繕してた男たちは富盛家のお方ですかな?」
「六郎、なんでそんなこと聞くんだ?」
「いやあ、知り合いに似てたもんで、はい」
「ああ、最近ウチに下働きで雇った兄弟だよ。よく働くんだ。出身は確か……摂津だったかしら」
「摂津ですか。そりゃ、わしの勘違いですな」

 むりやり会話に入ろうとしてるのか? 六郎?

 それにしても富盛の縄張り……。

 見る限りでは溜池や二郷川上流の滝など水をしっかり確保し、多々ある田畠へ供給する用水路も綺麗に整えられている。
 国宗家とは一概に比べられないが、村づくりは見習うべきところがあるな……と俺は感心していた。


しおりを挟む

処理中です...