57 / 57
第六章 芸州編 この命が尽きるその日まで
第57話 この命が尽きるその日まで
しおりを挟む
元和五年(1619年)八月
浅野長晟が、新たな藩主として広島へ入城した。
※浅野長晟
備中足守藩主、紀伊和歌山藩主を経て、安芸広島藩の藩主となる。この浅野家の支配は、以後幕末まで続くことになる。
「若……よりによって」
「運命なんだろうな……」
確かに“よく知る殿さま”だ。紀州九度山から勝手に脱出した時の藩主──あの浅野長晟。
皮肉な話だ。またしても「真田」という厄介者を抱えながら、この広島で権勢を振るうことになるとは。俺の身は、これからどうなるのか。「浅野」という名を聞いた瞬間、不安だけが胸を支配した。
だが──。
「大助さまー、 皆さーん! お食事の用意ができましたよー!」
「お久さま、今日も豪華な山のご馳走ですな」
「僕らが山から採ってきたんだよ、六郎さま!」
「そうなの、大助さまに教わったんだから!」
「そうか、そうか。源と和は、もう立派な山菜名人じゃのう」
「えへへ……大助さまー! 早く、早くー!」
「ああ、すぐ行くよ!」
美味しそうな香りがふわりと鼻をくすぐる。鍋の中には、フキに紫蘇、そして夏芽を伸ばしたタケノコがたっぷり入った味噌雑炊。それに、こんがり焼かれた岩魚の塩焼きが添えられている。炊き立ての湯気と香ばしい香りが、空きっ腹を刺激する。
囲炉裏を囲む皆の顔は、自然と笑顔で溢れていた。
※フキ(キク科フキ属)
多年草で雌雄異株。早春に花茎を伸ばし、「フキノトウ(蕗の薹)」として山菜になる。地下茎から伸びる円い大きな葉も特徴的で、山野に自生するものは根元が赤く、香りや風味が強い。下処理にはアク抜きが欠かせないが、しっかり茹でれば葉も美味しく食べられる。
※紫蘇(シソ科シソ属)
香り高い一年草。古く中国から伝わり、現在は野生化して山野の渓流沿いなどでもよく見られる。爽やかな香りが特徴で、香味野菜として幅広く使われる。
※タケノコ(イネ科タケ亜科タケ類)
地下茎から伸びる若芽を食用とする。種類によっては夏場に芽吹くものもあり、丁寧にアク抜きすれば、えぐみが少なく甘みと香りに優れる。
※岩魚(サケ目サケ科イワナ属)
渓流や清流の最上流に棲む魚。「幻の魚」「渓流の王者」とも呼ばれる。川魚特有の臭みが少なく、身は淡白でありながらしっかりとした旨味がある。
あれから一年が過ぎようとしている。気にかけていた俺の処遇だが、村役人から「藩から何のお咎めもない」と知らされた。拍子抜けするほど静かに、俺の暮らしは続いている。
これまでと変わらず、警護役として村を見回り、道場で子どもたちに剣を教え、六郎や十蔵、源、和、そして半蔵やお紺たちと共に、大豆を育て味噌を仕込み、山へ入って山菜を採る──何気ない日々が、今は愛おしい。
そして先日、愛するお久と夫婦になった。
あの日、戦に敗れ、死を覚悟してこの芸州の山村へ落ち延びた俺が、こうして新しい命をもらい、村人たちに支えられ、笑い合い、愛する人と暮らしている。夢のような時間だ。
ふと、腰の刀に手を添える。実は幕府に献上したのは、大夫さまから拝領した刀。秀頼公から賜った宝刀だけは、どうしても手放せなかった。この刀は、俺の誇りであり、大阪で散っていった仲間たちとの繋がりであり──俺自身の生きた証だったから。
宝刀を腰に携え、村のささやかな幸せを守りながら、この暮らしを大切にしていく。もう二度と、過去に縛られることはない。ここで真田大助として、自分の足でしっかりと前を向いて歩む。
優しい風が草原を吹き抜け、空はどこまでも青く広がっている。
俺は、この村で生きよう。この村で、愛する人とともに大切な時間を過ごす。
この命が尽きるその日まで──。
─ ─ 完 ─ ─
浅野長晟が、新たな藩主として広島へ入城した。
※浅野長晟
備中足守藩主、紀伊和歌山藩主を経て、安芸広島藩の藩主となる。この浅野家の支配は、以後幕末まで続くことになる。
「若……よりによって」
「運命なんだろうな……」
確かに“よく知る殿さま”だ。紀州九度山から勝手に脱出した時の藩主──あの浅野長晟。
皮肉な話だ。またしても「真田」という厄介者を抱えながら、この広島で権勢を振るうことになるとは。俺の身は、これからどうなるのか。「浅野」という名を聞いた瞬間、不安だけが胸を支配した。
だが──。
「大助さまー、 皆さーん! お食事の用意ができましたよー!」
「お久さま、今日も豪華な山のご馳走ですな」
「僕らが山から採ってきたんだよ、六郎さま!」
「そうなの、大助さまに教わったんだから!」
「そうか、そうか。源と和は、もう立派な山菜名人じゃのう」
「えへへ……大助さまー! 早く、早くー!」
「ああ、すぐ行くよ!」
美味しそうな香りがふわりと鼻をくすぐる。鍋の中には、フキに紫蘇、そして夏芽を伸ばしたタケノコがたっぷり入った味噌雑炊。それに、こんがり焼かれた岩魚の塩焼きが添えられている。炊き立ての湯気と香ばしい香りが、空きっ腹を刺激する。
囲炉裏を囲む皆の顔は、自然と笑顔で溢れていた。
※フキ(キク科フキ属)
多年草で雌雄異株。早春に花茎を伸ばし、「フキノトウ(蕗の薹)」として山菜になる。地下茎から伸びる円い大きな葉も特徴的で、山野に自生するものは根元が赤く、香りや風味が強い。下処理にはアク抜きが欠かせないが、しっかり茹でれば葉も美味しく食べられる。
※紫蘇(シソ科シソ属)
香り高い一年草。古く中国から伝わり、現在は野生化して山野の渓流沿いなどでもよく見られる。爽やかな香りが特徴で、香味野菜として幅広く使われる。
※タケノコ(イネ科タケ亜科タケ類)
地下茎から伸びる若芽を食用とする。種類によっては夏場に芽吹くものもあり、丁寧にアク抜きすれば、えぐみが少なく甘みと香りに優れる。
※岩魚(サケ目サケ科イワナ属)
渓流や清流の最上流に棲む魚。「幻の魚」「渓流の王者」とも呼ばれる。川魚特有の臭みが少なく、身は淡白でありながらしっかりとした旨味がある。
あれから一年が過ぎようとしている。気にかけていた俺の処遇だが、村役人から「藩から何のお咎めもない」と知らされた。拍子抜けするほど静かに、俺の暮らしは続いている。
これまでと変わらず、警護役として村を見回り、道場で子どもたちに剣を教え、六郎や十蔵、源、和、そして半蔵やお紺たちと共に、大豆を育て味噌を仕込み、山へ入って山菜を採る──何気ない日々が、今は愛おしい。
そして先日、愛するお久と夫婦になった。
あの日、戦に敗れ、死を覚悟してこの芸州の山村へ落ち延びた俺が、こうして新しい命をもらい、村人たちに支えられ、笑い合い、愛する人と暮らしている。夢のような時間だ。
ふと、腰の刀に手を添える。実は幕府に献上したのは、大夫さまから拝領した刀。秀頼公から賜った宝刀だけは、どうしても手放せなかった。この刀は、俺の誇りであり、大阪で散っていった仲間たちとの繋がりであり──俺自身の生きた証だったから。
宝刀を腰に携え、村のささやかな幸せを守りながら、この暮らしを大切にしていく。もう二度と、過去に縛られることはない。ここで真田大助として、自分の足でしっかりと前を向いて歩む。
優しい風が草原を吹き抜け、空はどこまでも青く広がっている。
俺は、この村で生きよう。この村で、愛する人とともに大切な時間を過ごす。
この命が尽きるその日まで──。
─ ─ 完 ─ ─
0
この作品の感想を投稿する
みんなの感想(1件)
あなたにおすすめの小説
花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】
naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。
舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。
結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。
失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。
やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。
男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。
これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。
静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。
全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。
別れし夫婦の御定書(おさだめがき)
佐倉 蘭
歴史・時代
★第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞受賞★
嫡男を産めぬがゆえに、姑の策略で南町奉行所の例繰方与力・進藤 又十蔵と離縁させられた与岐(よき)。
離縁後、生家の父の猛反対を押し切って生まれ育った八丁堀の組屋敷を出ると、小伝馬町の仕舞屋に居を定めて一人暮らしを始めた。
月日は流れ、姑の思惑どおり後妻が嫡男を産み、婚家に置いてきた娘は二人とも無事与力の御家に嫁いだ。
おのれに起こったことは綺麗さっぱり水に流した与岐は、今では女だてらに離縁を望む町家の女房たちの代わりに亭主どもから去り状(三行半)をもぎ取るなどをする「公事師(くじし)」の生業(なりわい)をして生計を立てていた。
されどもある日突然、与岐の仕舞屋にとっくの昔に離縁したはずの元夫・又十蔵が転がり込んできて——
※「今宵は遣らずの雨」「大江戸ロミオ&ジュリエット」「大江戸シンデレラ」「大江戸の番人 〜吉原髪切り捕物帖〜」にうっすらと関連したお話ですが単独でお読みいただけます。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
織田信長 -尾州払暁-
藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。
守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。
織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。
そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。
毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。
スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。
(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
このユーザをミュートしますか?
※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。
真田大助が主人公なのは、すごく斬新で面白かったです。
kikazu様 これもお読み頂きありがとうございます♪
真田大助が侍従関係でもなかった豊臣秀頼に殉じて十五の若さで自決した…とは思いたくなかったので、願望として描いてみた作品です。
舞台は都合よく自分の故郷でね(^^)
まあ自己満足のお話ですが結構気に入ってます♪