番様と私

羽柴 玲

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竜神の花嫁  壱

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「父様!今ね、とっても素敵な人がいたの」
「母上!女神のような人がいたんだ」

発せられたこの言葉は、時も場所も異なる。
しかし、二人にとってある種の運命が決まった瞬間だった。


幾何かの時が流れ、今日は太子主催の宴が行われていた。
国中から年頃の乙女が集められた、この宴は太子の花嫁を決めるためのものだと囁かれていた。

ここは、玻璃はり国。竜神りゅうじん龍人りゅうじんに治められた国。
竜神とは、至高の神々。玻璃国を玻璃国たらしめる存在。
山を切り拓き森を作った。森を切り拓き村を作った。龍人と出会い国を作った。そして今なお、その子らが至高の玉座の一つへと腰掛けている。
龍人とは、人であり龍である人々。常人とは違い、神力を持つ稀な種族。迫害されたどり着いた先で、竜神と出会った。彼らは、龍人を慈しみ尊重した。差し出された手を取り、国を作った。そして今なお、その子らが至高の玉座の一つへと腰掛けている。
永い時の中で、竜神と龍人が争わなかったとは言わない。
けれど、両者には圧倒的な力差があった。竜神は神であり、龍人は人なのだ。

今代の王たちは、共に女性。その傍らには、伴侶となる男性がいる。
・・・───いや、『いた』と言うのが正しいだろう。龍人の傍らは、ぽっかりと空いていた。

竜神と龍人の婚姻には制約があった。
正確には、龍人の王の血筋にのみ課せられた制約。
竜神と龍人の婚姻は可能であるし、子ももうけられる。
これは、竜神の血が濃すぎるが故の制約だった。
竜神と龍人が子をなした場合、必ず竜神となり龍人の血が絶える。
故に龍人の王の血筋は、子が成人し王位にたてるものが数人存在せねば、竜神との婚姻が認められなかった。
例外はつがい。竜神、龍人共に、番への愛は計り知れないものがあった。
番が死ねば、生きていられない。番が浮気をすれば、番殺して自ら死を選ぶ。それは、狂気でありとても重い愛。
ただ、竜神の番が龍人であることは稀で、あまり問題にはならなかった。


さて、冒頭の太子へと戻ろう。
彼の名は、マシリ。竜神で次代の王として立太子されている。そして、今代の王の子で、今年成人を迎えたばかりだ。
竜神の成人は、二十歳。故に、彼は二十歳である。
見目麗しい外見・・・髪は白銀に輝き、スラリとした体躯、顔もすっきりとした、さりとて彫りの深い顔をしている。

マシリは、宴をのらりくらりと渡り歩き、最奥の壁際でひっそりと何かをしている姫に目を留める。
萌葱色の地味な着物を身に纏っていた。しかし、彼女自身に地味という印象は受けない。
濡羽ぬれば色の髪に整った顔立ちをしているからだろう。

「こんにちは。君は何をしているんだ?」

そう問いかければ、目の焦点が合わぬのか何度か瞬きをする。
形の良い目に、それを縁取る睫毛。瞬きの度に、ぱちりぱちりと音がしそうだ。

「・・・?あ──太子?」

彼女は、目の前にいるのが、マシリだと認識すれば、慌てたように両の手を後ろに隠し、器用に頭を下げた。

「ご機嫌麗しゅう。太子様。何もしておりませんわ」

「いや。君、今何か隠しただろう・・・名は?」

マシリは、少し呆れたように彼女を見つめ、名を聞く。

「失礼致しました。西北の黄泉よみを預かるからすの娘、沙羅しゃらでございます」

彼女・・・沙羅は、丁寧に名乗りを上げる。
西北の黄泉・・・黄泉國よもつくにとも呼ばれる領地だ。
鴉は、その血を預かる一族の名だ。現領主の名を『鴉 長蔵ちょうぞう』といい、沙羅の父親だった。

「ああ。鴉一族・・・長蔵の娘なのか。ふむ。で、何をしていたんだ?」

マシリは、にっこりと笑いながら、沙羅へと再度問いかける。
その笑顔は、答えを聞くまで逃げられない。そんな、迫力があった。

「・・・そんなに、知りたいのですか?」

「ああ」

沙羅は、マシリの返答に小さく吐息をつく。

「手を出してください」

沙羅の言葉にマシリは素直に従う。
そして、沙羅は後に隠していた、何も盛っていない手をマシリの手へと重ねるように置く。
しかし、そこには絶妙な空間が空いていた。

「重いな・・・目眩ましか?」

そう呟き、マシリは己の手を見つめる目に力を込める。すると『ぱりん』という小さな音共に、掌に一冊の分厚い本が現れた。

「流石、竜神の太子様ですね。私のような、龍人の幻術など簡単に破ってしまわれる」

「いや。そんな事はないだろう」

そう言いながら、マシリは沙羅へと本を返す。

「私は、君がそれを差し出すまで、存在に気づいていなかったんだから。君が渡してくれなければ何も出来ないよ。
あると分かるものには干渉できるが、分からないものには干渉できない」

マシリは、本から手を離す際に、タイトルに指を這わせる。

「これは・・・歴史書か?・・・いや、創世神話に近いやつか」

「太子様は、この本をご存じなのですか?」

それまで、だまってマシリの言葉を聞いていた沙羅だが、本に言及すれば別だ。
知らないことを知ること。それが、沙羅の原動力だからだ。

沙羅──先ほども少し触れたが、彼女の名は『鴉 沙羅』。今年成人を迎える。マシリと同い年だが、誕生日が少しだけ彼より遅い。故に彼女は十九歳である。
濡羽色の髪に整った顔立ち。恐らく、顔のパーツが理想的な配置をしているのだろう。
彼女は、黄泉を治める鴉一族であり、龍人の王の血統である。
龍人には、未だ太子はいない。太子候補ですら、五人に満たない。
沙羅は、順位こそ低いが、太子候補の一人に数えられていた。

「知ってはいるな。太子として一通りはこの辺りを読まされる。
まあ、近年のものよりは面白くはあるな」

「なるほど。・・・だから、父様ちちさまは、私をこれを渡したのか・・・ちっ」

太子の言葉に、沙羅はが同意と共に何やら納得もしている。
それにしても・・・

「ふ・・・私の前で舌打ちをするものはなかなかいないな。──ああ、そうか。長蔵の娘。と言うことは、龍人の太子候補か」

「申し訳ありません。大変失礼いたしました。そうですね。太子候補の三人中、最下位ではありますが」

沙羅の言葉には、隠しきれない気だるさがあった。
まるでそれは・・・

「なんだ。君は嫌なのか?」

「・・・太子様に言うのは少々憚られますが、率直に言えば。それに、上手くいけば来年には候補から外れるはず・・・」

沙羅の最後の言葉は、小さく風に溶けていったが、マシリの耳はそれを拾っていた。

「憚ると言いながら、君は言うのか・・・面白いな」
───ふむ。来年?

沙羅への返答をしながらも、彼女の言葉の意味を反芻し、考える。
これは、マシリの癖であり、彼を太子たらめている理由の一つだ。
彼は、放たれた言葉の意味を必ず反芻し、考え、そして昇華する。

「あぁ──なるほど。鴉一族・・・いや、長蔵の所に男児が生まれていたな。確か来年、八歳だったか。継承権を付与されるな。男児故に、君より上位だ。それに、王の血筋で来年八歳になるものが、何人かいた記憶があるな。ふむ。確かに、来年には君の順位的には候補から外れそうだ」

沙羅は、マシリの言葉にぎょっとし、マジマジと彼を見つめる。

───どうして、わかったの?私何か・・・

「不思議か?」

沙羅は、マシリの問いかけにこくんをうなずき、彼を見つめる。

「ふむ。・・・まぁよいか。・・・─私はね、耳が良いんだ。だから、君が小さく・・・風邪に直ぐに攫われるほどの小さい声も拾ってしまう。
あとは、そこからの考察だね。君は、なりたくないと言う。それが、来年には叶いそう。そうなれば、洗う情報はかなり絞れるし、そんなに難しいものではないかな。
それに、私はちょっと化け物じみていてね。覚えないと意図的に思わなければ、大抵のことは覚えて・・・そして、記憶に残ってしまう」

───だからなんだろうな。術についても・・・

マシリはそこまで言い、目を伏せる。その表情には、少しだけ陰りが見え隠れしているようだ。

「・・・あの。それは、私が聞いても問題ないのですか?」
───記憶力と判断力に優れた太子だって、話は聞いたことあるけど、他は初耳なんですが?!

「ん?あまり知るものはいないな。何故か、君になら話しても良いかと思ってね。
それに、君と話しているのは、心地良い。まぁ、忘れたければ忘れろ」

そう言って、マシリは苦笑をにじませる。
そう。これらは、マシリを太子として立たせている能力であるが、知る人は少ない。
否。知るものは口を閉ざし、マシリと距離を置く。
畏怖の念を抱き、関わりたくないと。

「・・・ああ。捜されているな。そろそろ、戻らねば・・・──またな」

マシリが立ち去るにあたり、沙羅は頭を下げて見送る。
ただ、彼が残した最後の言葉を疑問に思う。

───また?

そして、彼が見せた陰りと諦めに痛む心に戸惑った。

───胸が痛い・・・苦しくて・・・何?

自問自答を繰り返して見るも、答えは出ない。
そもそも、沙羅は、他人に心動かされることはほぼ無い。
彼女の心が動くのは、本と家族だけ。それも、本の比率が高い。家族にさえ、ほぼ心を動かされない。
それなのに、マシリの言葉と表情に揺れる己の感情に戸惑いを隠せないでいた。


❧❧❦❧❧

太子主催の宴から一月ほどたったある日。
黄泉へと帰っていた沙羅の元へ、一通の手紙が届けられる。
封じに使われている、呪印しゅいんは、竜神太子のものである。

───なんで、太子様からお手紙が?しかもこれ、術式組み込まれてない?

術式。竜神や龍人が神力を使うために確立された技術である。
神力の素養があり、術式を理解できるもののみが利用できる。
因みに、マシリも沙羅も術式を扱うことが出来る。
沙羅は、慎重に呪印による封を切り、手紙を取り出す。

───なっ・・・三連ですって?!

マシリから届けられた手紙は、一通に見せかけた三通だった。
三通其れ其れに、封じがされており、それらは連動している。順に正当な手順で封を切ることで、内容を確認できるものだ。

沙羅は、一通目の手紙を手に取り、内容を確認する。

༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻
鴉沙羅殿

こんにちは。いかがお過ごしかな?
私は、『また』と言ったのに、さっさと帰ってしまった君に少々不満を感じているよ。
まぁ、それは良いんだけど、君を招待したくてね。
理由は、君の思惑について・・・かな?
因みに君に拒否権はないんだ。ごめんね?

というわけで、転移の札を同封しておいたよ。
黄泉國からここまでは、遠いからね。
因みに、特殊な札で最初の封じを解いてから、半月後には強制的に発動する。君がどんな状況でもだ。もちろん、君による任意発動も可能だよ。
発動手順は、まず次の封じを解いたら、その手紙は封を切ることなく長蔵へと預けること。
そして、最後の封じを解き、札を手にして『転移パーレヤ』と口にすれば発動するよ。
多分、君ならその術式理解して発動できるよ。
もしも、君に理解できていなくても、私の神力がサポートする。

では、君の訪れを心待ちにしているよ。

マシリ・バニャータ
༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻೫✤ஜ༻

マシリからの手紙を読み終わり、沙羅は軽い頭痛を覚えた。

───これは・・・軽い脅迫なのではなくて?取りあえず、次の手紙と共に、父様に相談しましょう

沙羅は次の封じを解き、手紙一式と共に長蔵の部屋へと向かう。

こんこんこん

「父様。沙羅です。少々急ぎのご用が御座います」

ノックと共に要件を伝えれば、小姓が扉を開けてくれた。
沙羅は「ありがとう」とお礼を告げ、長蔵の部屋へと入っていく。

「どうした。沙羅。なにがあった」

低く伸びのある声。齢四十五を迎える長蔵の声だ。
沙羅に似た黒い髪は、短く切りそろえられた美丈夫。そう現すのが正しいだろう。

「ええ。太子様から招待されまして。こちらが、一通目の手紙でこちらが、父様宛のもののようです」

長蔵は沙羅から二通の手紙を受け取る。
まずは、封が開いた手紙に目を通し、眉間に皺を寄せる。

───まぁ、普通に眉をひそめますわよね。一方的過ぎて。

そして、もう一通の普通に見える手紙を開き、目を通していく。途中目を見開き、そして眉をひそめている。
それから・・・

焔硝リアマスティクス

炎の術式で手紙を燃やしてしまった。

「父様?」

「今すぐ転移をしなさい」

長蔵の言葉に、沙羅は眉をひそめつつも答える。

「では、準備を・・・」

「いや。今すぐだ。着の身着のままでいい」

「え・・・ですが・・・」

「私には説明できない。彼にしてもらいなさい。さあ・・・はやく」

厳しい口調で、たたみかけるように言う長蔵におされるように、沙羅は最後の封を切り、札を手に取る。

───綺麗。これは・・・転移と隠匿の術式だわ。転移は大丈夫・・・でも、隠匿は全てわからないわ・・・

少し不安そうにしながらも、宴で会ったマシリと手紙に書かれていた事を信じ口を開く。

転移パーレヤ

その言葉と共に、沙羅の周りにきらきらと輝く粒子が舞う。
粒子は、彼女の身体を包み込み、消える。
そこには、彼女の居た痕跡事無くなっていた。

「綺麗な隠匿だ。さすがだ・・・さて・・・久々利きなさい」

長蔵は、部屋にいた小姓・・・久々利を呼び寄せ手を握る。
それから・・・

忘却アイズミクシャ

そう呟き、残っていた手紙を文箱へと収める。
そして、長蔵も久々利も何もなかったかのように、仕事を再開した。

それから、幾何もせぬ内に、屋敷に禁軍押し寄せてきた。

「鴉沙羅に投降を命じる。隠し立てしようものなら───」


❧❧❦❧❧

マシリは、私室の長椅子に座り、厳しい顔で虚空を見つめていた。
どれほどの時間がたったのか。何の前触れもなく、眼前に・・・いや、頭上に輝く粒子の奔流が現れる。
それは、慌ただしく一つに纏まり、人型を形どりパッと消えた。

「え?ひゃっ」

それは、可愛らしい声とともに、マシリの腕の中に落ちてきたため、彼は優しく抱きとめる。

「ようこそ?沙羅」

「え?!太子様?」

マシリは、彼女の驚きを隠さない表情に安堵し、沙羅を強く抱きしめた。

「よかった・・・間に合った・・・」

少し震える声で呟き、更に強く抱きしめる。

「たっ・・・太子様。苦しいです。あと、説明してください」

沙羅の言葉に、腕を緩めゆっくりと膝へと乗せ横抱きにする。

「あの・・・おろして・・・」

「今はだめ。説明もする。でもその前に一つだけ、術式かけさせて」

そう言うとマシリは、沙羅の体制を少しだけ己へと向け、首筋へと顔を埋める。
沙羅は、何が何だかわからぬうちに、首筋に何かが触れるのを感じる。ちゅぅと軽く吸われたかと思うと、チクリと軽い痛みを感じた。そして、ぬるりと何かが首筋を這うのを感じ、びくりと身を強ばらせる。

「え・・・?」

隠匿スレープシャ

小さな呟きと共に、マシリが首筋から顔上げれば、沙羅の存在が希薄となり存在が朧気となる。

「とりあえずは、これで。何から聞きたい?」

「えっとまずは下ろして欲しいです」

マシリの声に何故か翻弄されている自分を、自覚しながらも沙羅は先ずはそれを口にする。

「んー・・・まだ駄目かな。術式が馴染むまでは、の気配に紛れさせて置いた方がいい」

「馴染む?え・・・何かあるのですか?」

沙羅がそう問えば、マシリは小さく頷く。

「気づいたのはついさっきだ。此方に気づかせる事無く、あそこまで動けていたことは褒めてやりたいが・・・
君・・・沙羅は今ちょっと微妙な立ち位置になってる。
君は逸臣いつおみを知ってる?」

「お名前とお顔くらいでしょうか。陛下のご子息ですね」

沙羅の返答に、正解とばかりに頷きを返し、マシリは続ける。

「俺と逸臣は折り合いが悪くてね。そう言う意味だと君を巻き込んだといえるかもしれない・・・その逸臣が禁軍を動かした」

「え・・・陛下ではないのにですか?」

「ああ。本来は陛下のみが禁軍を動かせる。あるいは、指揮権を委譲されている太子のみだな。
どうやったかまでは、まだ掴めていない。わかったのは、理由と何処へ派遣したか。それだけなんだ」

「理由・・・」

「逸臣は、鴉沙羅に対して謀反の疑いありと独断で動いた。
禁軍の出動は、半月前。そろそろ、君の元へ到着する所だった。
何とか先回り出来ることを祈って、あの手紙を書いた。
君や長蔵以外が封を解けば、あの手紙は消失する仕掛けを施して。
長蔵へ宛てた手紙には、事の次第と忘却の札を。君には、少し高圧的かつダミーの文と転移の札を入れた。
こうして、君が来たと言うことは、何とか禁軍を先回れたと言うことだろう」

マシリはそこまで言うと、小さく吐息し、心持ち沙羅を抱く腕に力を込める。

「あの・・・謀反とは?」

「んー・・・多分、俺が悪いんだ。太子として私が律しきれなかったから。
実はね、俺と君がいい仲だって噂が出まわってる」

「ほへ?」

「太子候補である君が、竜神にうつつを抜かしている。
それは、太子候補として不適切であり、龍人を蔑ろにしており、血を途切れ指す好意だ。それは、謀反と同等である!
だったか?まぁ、そんな理由だな」

「・・・逸臣様は・・・そのえっと・・・頭が・・・いえ・・・えー・・・」

マシリの話を聞き、沙羅は戸惑いを隠せずにいる。
逸臣の言い分は、どこか抜けているし、なんか色々破綻している。

「まぁ、頭は弱いよね。脳筋かと言われたら、それも違うし。簡潔に言えば、阿呆で馬鹿かな・・・」

「・・・それについては、黙秘します・・・」

沙羅の返答に、マシリは小さく笑い、続きを話し始める。

「逸臣は馬鹿だけど、禁軍を動かしている。多分、裏に誰か居るんだと思う。
そんな状況で、君が禁軍に捕らえられてしまったら、中々手が出せなくなる。
だから、少しだけ強引な手段に出た。ごめんね?」

「・・・だから、隠匿の術式なのですか?」

「うん。ここに匿うだけだとちょっと足りなくて。
君の目眩ましはたいしたものだけど、人にはかけれないだろ?」

沙羅は小さく頷きを返す。

「ええ。神力と言うよりは、理解不足によるものですが。
そもそも、隠匿の術式を人にかけれる人もほぼいないのでは?」

沙羅の言葉に、マシリは「うん」と小さく返す。
術式を人にかける際は、ものにかけるよりも構成の理解を深めなければならない。
人への行使は、構成内部に秘匿された情報を一つ一つ順番に読み解いた上で、更に対象者の構成を理解比無ければならない。

「人に行使するのが難しいと言われるのは、秘匿された情報よりも対象者の構成理解だからね。
竜神の力を持ってしても、対象者の構成を理解するのは難しい。
まぁ、今回はそれをある事象と事実に置き換えてある。成功してよかったよ」

「事象と事実ですか?」

「そうだよ。ある意味、俺と君との関係性ともいえる」

「??」

マシリの言葉を理解できないと、沙羅の表情は語っていた。
関係性も何も、先の宴で初めて言葉を交わしただけだ。
置き換えに使える情報だとは思わない。

「やっぱり気づいてないよね。まぁ、龍人より竜神の方が本能に忠実だからな・・・」

「何の話ですか?」

「んー君が俺の番だって話し・・・かな?」

「へ?番?そんなの夢物語の世界の話なのでは?」

不思議そうな、其れでいて怪訝そうな表情に、マシリは小さく笑う。
そして、沙羅に何の違和感を感じさせることなく、無理なく自然な動作で沙羅の頬へと唇を寄せる。

ちゅっ

小さな音共に、離れれば目を見開きながらも、マシリの胸元を頼りなげに握る沙羅がいた。

「番が現れるのは本当に稀なんだ。だけど、実在はする。そんな存在。
沙羅はさ、こうして俺に抱きしめられてても、口づけされても嫌じゃなかっただろ?」

───確かに嫌・・・じゃない。恥ずかしいだけで・・・でも・・・

「でも、それだけでは・・・」

「まあね。じゃないと番が居ないものは子がもうけられない事になるだろうな。
でもな・・・俺と君に交流なんて皆無に近いと思うけど?」

「あ・・・」
───二度会っただけの方に、同じ事をされたら・・・

そこまで考え、沙羅は身を震わせる。
頼りなげにマシリの胸元を掴んでいた手は、無意識にぎゅっと力が込められる。
沙羅のその反応に、苦笑を浮かべながらも、胸元の手へと己の手を重ねる。
優しく落ち着かせるように撫で、指先を外し己の指と絡める。
そして、大丈夫だと言うように、優しく握りこむ。

「・・・でっでもっ・・・同意なくするのは・・・」

沙羅は己の心の揺れに戸惑い、思わず口をついて出た言葉にも驚き、次第に言葉が小さくなる。

「君は・・・」
───そういえば、長蔵が言っていたな。娘は感情の起伏が小さいと・・・しかし、これは・・・──俺だから。と言うなら嬉しいが・・・

マシリの目には、頬を薄く染め、戸惑いを隠せない。そんな女性に見える。
長蔵の言っていたような、女性ではなく、小さな事でも感情が動いている。そんな風に見えた。

「長蔵が言っていたような人には見えないね」

「・・・よくわかりません。私も私じゃな・・・」

マシリは沙羅の唇へと人差し指を触れさせ、言葉を封じる。
それに、沙羅が何か言う前に、ノックの音ととびらが開く音がする。

「何があった」

「はっ!禁軍の軍隊長殿がお見えです」

「要件は」

「直接、太子殿下にお話しすると」

その言葉に、マシリは少し考えるそぶりを見せ、言葉を紡ぐ。

「執務室に通しておけ。直ぐに向かう」

「はっ」

扉が閉まる音と立ち去る足音を確認し、マシリは小さく沙羅へと告げる。

「どうする?君も来るかい?認識阻害も重ねかければ、多分バレないけど・・・」

そう言いながら、沙羅の着物へと視線を滑らせる。

「小袖か・・・見えないとは言え、それであれらの前に立って貰うことになるけど・・・どうする?」

「・・・連れて行って下さい」

マシリは、それに頷きを返す。

「じゃあ、認識阻害の最上をかけようか・・・呪は無くてもいいけど・・・ちょっと襟元はだけさせていい?」

沙羅はマシリの言葉の聞き、理解するのに少し時間を要した。

「えっ?!何故っ!!」

「まぁ、そうなるよね・・・首元には隠匿の印を刻んでるから、別のとこにしないといけなくて・・・あ、因みに毎日印を刻む必要ある」

「印・・・どうしても必要なのですか?」

「うん」

沙羅は逡巡し、それでも小さく頷く。マシリはそれを確認し、襟口へと手を伸ばす。

指先を襟口へと忍ばせ、素肌に触れる。指先に沙羅の体温とビクリと揺れる肌を感じながら、ぐいと襟をはだけさせる。
チラリと見える鎖骨へと指を這わせながら、唇を近づけていく。

「えっ・・・」

沙羅の戸惑いの声を尻目に、白く眩しい鎖骨へと口づけ、強めにちゅっと吸いつく。奇麗な赤い花が咲いたことを確認しに、ペロリと舌を這わせ離れていく。
少しだけ満足そうな表情のまま、鎖骨に指を這わせ花へと触れる。

「これでいいか」
───あー・・・思ったより、精神的にしんどいな・・・理性が家出しそうだ・・・

目に毒とばかりに、襟を直してやり、沙羅を立たせてやる。
沙羅の頬が赤く色づいていることに、心を満たされるの感じなが、頭を撫でてやる。

「じゃあ、いこうか」

そう言って、マシリは私室から執務室へと移動を開始した。


❧❧❦❧❧

沙羅は執務室へで、マシリが話し出すのを待ちながらも、先程のことで思考は乱れていた。

───あれは・・・まるで・・・でも、術式は見えたけど・・・でも!

マシリに口づけられた、鎖骨辺りを着物の上から手を当てる。
彼の唇が肌に触れ、チクリという痛みに、ぬるりと舐められた。
そして、再度彼の指が触れたときに、確かに術式が発動していた。
沙羅自身では、到底描くことも理解することも出来ない構成で作られた術式だった。

「さて。龍人の禁軍を預かっている軍隊長が何用だ?」

静寂に包まれていた執務室に、マシリの低く・・・そして、少し冷たい声が響く。

「はっ。謀反人である、鴉沙羅を竜神の太子殿下が招喚していると報告があったためご確認をさせていただきたく存じます」

「ふむ。鴉沙羅か。確かに招喚はしているな。して、君たちは誰の命で動いているのだ?」

マシリは一枚の書簡を、軍隊長へとひらひら見せている。

「龍人の陛下に確認したが、動かしていないと返答が来ている。そちらには、まだ太子は居なかったな?」

その言葉に、軍隊長の方がビクリと跳ねる。

───何かやましいことでもあるのかしらね?

「はっ。太子殿下はおりません」

「だよね。じゃあ、誰の命で動いている」

室内の温度が少し下がったような感覚と共に、低く地を這うような声でマシリは再度問いかける。
それに対し、軍隊長は視線を彷徨わせ、どう返答したものかと忙しなく考えているようだ。

───動揺が見えますわね。なんとまぁお粗末な・・・

「いっ・・・逸臣様が、陛下の委任があると・・・」

「なるほど?それは、貴殿の責任で軍を動かしていると言う認識はあるか?」

「は?」

マシリの言葉に、軍隊長は少々間の抜けた声を発している。意識することなく、思わず口をついてでたのだろう。

───確か、禁軍の規定にありましたわね・・・そんな、抜け道が・・・

「何を呆けた顔をしている。禁軍の規定であろう。
陛下は全権限を保持し、太子は一部権限を保持する。
禁軍はその権限の元、力を行使することが出来る。
ただ、例外として、陛下による隠忍されたものによる命令の場合に限り、その正当性をが確認しに、の責任の元に軍を動かすことが出来る。
そう、規定されているはずだが?」

マシリによる禁軍の規定を読み上げられるにつれ、軍団長の表情は蒼白になっていく。

───ああ、これは、把握してらっしゃらなかったのでしょうね・・・

「まあ、それは良い。何かあった際の責任が委任者に加え君になると言うだけだ。
それで、沙羅殿の事だったね。彼女はまだこちらに顔を見せていない。
・・・ああ、了承と出立した旨の連絡は来ているな。
君たちと行き違ったんじゃないかな?他に何かある?」

「いえ!ご協力感謝します!!」

「そう。さがっていいよ」

顔面蒼白にしながらも、軍団長は感謝を述べ、マシリの言葉で執務室をあとにする。
足音も完全に遠ざかった頃、マシリは一人になりたいと人払いを命じる。
それに応じるように、護衛騎士と侍従が部屋から出て行く。

マシリは、沙羅へと振り返り、唇に人差し指をあてながら、彼女を手招きする。
沙羅は、警戒することなく、マシリへと近づいて行く。
マシリの前へと到達すれば、自然な動作で膝へと座らさせる。
沙羅は思わず出そうになった、悲鳴をなんとか飲み込み、マシリをにらみつけるが、彼はこたえることなく、小さく笑っている。
彼女の腰を抱き、姿勢を安定させながら、こんこんと机を叩き、一枚の紙へと注意を促す。
マシリは筆を執り、真っ新な紙へと文字を連ねていく。

『声は出さないように。いいね』

書かれた言葉に、小さく頷くとマシリは一枚の書簡を沙羅へと渡す。それは、先程軍団長へと見せていた書簡だ。

『それは、龍人の王へと宛てた確認の返答。書いてあることは理解できる?』

沙羅はマシリの言葉で、再度書簡へと目を走らせる。
そこには、陛下の命で禁軍を動かしていないこと。委任も出していない事が書かれている。
そして、竜神側へ迷惑を掛けるかもしれない事への謝罪。
最後に謀反の疑いで動いていることから、とりあえずは静観する旨が書かれていた。

───これは・・・逸臣様が嘘を?・・・でも、陛下も・・・

陛下も食えないお人だったと思いなおしながら、頷けばマシリも同じ様なことを言う。

『一番怪しいのは、逸臣だけと、龍人の陛下も油断ならない人だから、まだなんともいえない』

『君の身柄だけど、匿う方向なのは変わらないけど、君は移動中に行方不明になったことになると思う』

マシリが沙羅をみつめれば、真面目な顔で頷いている。
了承の旨を伝えているのだろう。

『君がここに居ることは、父上と母上だけが知ってる。
君の父上は、多分忘却の術式を使っていれば知らない事になる』

───忘却の術式?父様はそんな高度なものは使えなかったと思うけれど・・・

『彼に宛てた手紙に札を同封していた。必要だと思えば使えと』

『範囲は局所的にしてある。彼に宛てた手紙の内容と君に関するもの。君が転移したという事実の二点だけだ』

沙羅はとんとんと注意を引くと、筆を指さした。
その意図をマシリは正しく理解し、筆を沙羅へと渡す。

『転移した時に、小姓が傍に居たかと思いますが大丈夫でしょうか』

『彼が正しく理解しているなら大丈夫だ。範囲は、発動者とそれが触れている者だ』

───なるほど。そう言えば、忘却の術式は精神感応系術式の最上位でしたわね

精神感応系術式とは、他車の構造を理解することなく、他者へ影響を及ぼす特殊術式の一つである。
術者の能力次第で、他者へと行使できる。

『さて。私は少し仕事を片付けねば。君はこの部屋にいて貰わなきゃいけない』

『そうだな。書棚の本でも読んでいるといい。多分君の興味を引くものがあるはずだ』

マシリは、筆談をしていた紙を丁寧に折りたたみ、懐へとしまうと、当然のように沙羅の唇へと口づけを落とす。
そして、彼女を解放した。

頬を染め、何が何だか分からないと言うような、沙羅を見つめ優しく微笑むと、仕事をするために執務机へと向かう。
一方沙羅は、当分の間惚けており、無意識に唇を指先で触れていた。
それから、のろのろと書棚へと向かい、少し上の空ながらも書物へと視線を走らせて行くのであった。



つづく
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