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安らかに眠れ、恐ろしくも美しい緋色の龍よ
サーヴァ
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ゼータがダミアンらの荷馬車へと帰り着いたとき、シーラは客人対応の真っ最中であった。客人は一人の美しい女性だ。艶のある黒髪を後頭部で一つにくくり、麻素材の私服の上に軽微な革の鎧を身に着けている。そして何より人目を惹くのは、女性に背負われた巨大な槍だ。銀色の穂先が、青空を指して荘重と輝いている。如何なる大男であっても、あの槍に突かれたのではひとたまりもない。
「前回買ったマリーさんの薬草茶、一袋友達にあげちゃったんだよ。おかげで私の分が足りなくなっちゃって、この3日間は寝付きが悪いのなんのって。もう私はマリーさんの薬草茶無しには日常生活を送れないよ」
「サーヴァさんが紅茶を買っていったって話をしたら、マリーはいつも嬉しそうだよ。一度挨拶をしたいとは言っているんだけど、うちには2歳のミムもいるからさぁ。中々ブラキストの街には来られないんだよね」
「小っちゃい子がいたら、遠出はできないよね。仕事が落ち着いたら私がマリーさんに会いに行くよ」
和気あいあいと会話するシーラと黒髪の女性を横目に見ながら、ゼータはダミアンの横に身体を滑り込ませた。4つの弁当が入った紙袋を荷馬車の片隅に置き、ダミアンの耳元に唇を近づける。
「あの女性は常連さんですか?」
「ああ、ゼータさん。丁度良いところに戻られました。あの女性はサーヴァさん、王宮軍の副隊長を務めておられる御方ですよ」
「王宮軍の副隊長?それは高貴な御方ですね」
「高貴な身分ですが、気安い御方です。マリーの薬草茶が絶大な人気を誇っているのは、サーヴァさんの宣伝の効果と言っても過言ではない。カヤック国王殿とも懇意にされておりますから、思い掛けない話が聞けるやもしれませんよ」
確かに、王宮軍の副隊長となれば国政に関する情報も把握しているはずだ。国家を守ることが務めなのだから、強大な力を持つドラゴンの飛来を記憶している可能性も高い。シーラと話す様子からもサーヴァが話すに気安い相手であることは伺えるし、聞き込みを行わない手はないだろう。
ゼータが話しかける機を伺っていた、その時だ。サーヴァの瞳が不意にゼータへと向く。
「あれ、大人が来ているなんて珍しいね。集落の人?」
その問いが自身に向けられていると気が付くまでに、ゼータは数秒の時を要した。答えを探しまごつくゼータに代わり、サーヴァの問いに答える者はにこにこと朗らかなシーラだ。
「ゼータさんはドラキス王国からやって来た旅人だよ。一昨日からうちに泊まっているんだ。ブラキストの街に用があると言うから、護衛兼雑用係として一緒に来てもらったんだよ」
「ドラキス王国から?それは遥々だね」
サーヴァの瞳が、荷馬車の上に置かれた紙袋に留まった。「ひより屋」と文字の書かれた紙袋だ。中に入っている物はまだ温かな4人分の弁当。弁当を購入してきたという事は確かに雑用係だと、サーヴァは納得の表情である。
「それで、ブラキストの街には何をしに来たの?ドラキス王国からの旅人様となれば、素通りするわけにはいかないよね。力になれる事があれば手伝うよ」
何とも嬉しい申し出である。シーラの目配せを受け、ゼータは嬉々として口を開く。
「実は私、ドラキス王国でドラゴンの研究をしているんです。2か月ほど前、ブラキストの上空を2頭のドラゴンが横切ったでしょう。緋色のドラゴンと苔色のドラゴンです。彼らがどこへ向かったのか、ご存じありませんか?」
「ああ、あのドラゴン達なら高山を超えていったよ」
拍子抜けするほどにあっさりとした返答だ。ゼータもシーラもダミアンも、そして地面に座り込んだままのベベルも一緒になって目を瞬かせている。
「…それは確かな情報ですか?」
「絶対とは言い切れないよ。あの日は山頂に霧雲が掛かっていたから、実際にドラゴンが山頂を超えたところを見た者はいない。でもドラゴン目撃の翌日に、王宮軍が高山に調査に入っているんだ。アルビオン隊長が隊を率いているから、かなりしっかりとした調査が行われているはずだよ。それでドラゴンの死骸や肉片は見つからなかったから、山を越えたんだろうっていう結論になったんだ。数枚の鱗は落ちていたらしいけどね」
「鱗?ドラゴンの鱗がですか?」
「そうそう。ほら、あそこ。山肌が削れたみたいになっているでしょう」
サーヴァの指先が、ブラキストの街の東方に位置する山肌を指す。遠目であるから正確な状態はわからないが、確かにその場所は山肌の木々が無残に薙ぎ倒されていた。地面が削れ、泥の斜面が剥き出しになった場所もある。そしてその場所から山の上方に向けて、一直線に木々が倒されていた。まるで何か巨大な物体が、草木を薙ぎ倒しながら山肌を駆け上ったようだ。
「2頭のドラゴンは、一度山にぶつかったんだよ。争いながら飛んでいたから、山が近づいていることに気が付かなかったんだと思うんだよね。山の斜面でしばらくもつれ合って、その後山肌を滑るようにして登って行ったんだ。木々が薙ぎ倒されているのは、ドラゴンが翼を引っかけたから。鱗が落ちていたのもその辺りだと聞いているよ」
「王宮軍による調査は、どの程度の範囲で行われたんですか?ドラゴンの死骸を見落としているという可能性はありませんか?」
「それは無いんじゃないかな。強大な魔力の籠る神獣の死骸は、そこにあるだけで他の生物を遠ざけるんだよ。かつてヒドラの死骸を沈めた山奥の泉は、魔力が溜まり生き物が住めない死の泉になってしまったなんて言い伝えも残っている。もちろん時の経過とともに魔力は薄まっていくけれどね。つまりあの山のどこかにドラゴンの死骸があるとすれば、山の生態系に何かしらの異常が起こるはずなんだ。王宮軍が山に調査に入ったのも、それが理由なんだよ。行き場を失った魔獣が一斉に山を駆け下りてきたら困るからね。王宮軍は山鳥や小動物の目視調査も行っているけれど、結果は異状無し。2頭のドラゴンは山頂を超えて、山脈の向こうに飛び去ったと結論付けられたんだ」
「そうなんですか…」
強大な魔力を宿す魔獣の死骸が、他生物を遠ざけるという話はゼータも耳にしたことがある。刀の鍔や鞘に、魔獣の牙や革が好んで使われるのはそういう理由だ。例え武器を持つ者の腕が未熟でも、持つだけで他の魔獣を遠ざける。腹を空かせた魔獣や凶暴な魔獣相手に効果はないが、それでも気休め以上の効果はある代物なのだ。王宮軍が綿密な調査を行ったというのならば、「2頭のドラゴンは山脈を超えた」というサーヴァの証言に誤りはない。しかし、どうしたものかとゼータは唸る。ドラゴンの行く先を追う事、それ即ちゼータはあの山脈を超えねばならぬということだ。薄霧に覆われ、天頂の見えぬ高山を。
「…サーヴァさん。あの山を越えることは出来ますか?」
「ええ?無理無理、止めておきなよ。万全の装備をした王宮軍の兵士だって、山の3合目までしか登らないんだよ。道らしい道なんてないし、普段人が立ち入らないだけに凶暴な魔獣がうようよしている。空飛ぶ騎獣を手懐けているんじゃなければ、山越えなんて考えない方が良い」
「では、山越えをせずに山の向こうに行く方法はありますか?」
ゼータの問いに、サーヴァは腕を組んで考え込む。
「それなら、南に向かうのが良いんじゃないかな。旧バルトリア王国の南側には、小国地帯が広がっているでしょう。あそこまで行けば、山脈が途切れるはずなんだよ。多少手間にはなるけれど、小国地帯を経由して山脈を迂回するのが一番安全だろうね。神国ジュリのアメシス国王を知っている?彼は結構冒険人でね。未開の地探索が趣味らしいから、山脈の向こう側の地理を知っているかもよ」
「え、そうなんですか?実はブラキストを出発した後、神国ジュリに立ち寄ろうと思っていたんです」
「そう、なら丁度良いね。ぜひ神国ジュリの王宮に…と言っても、一般人の国王謁見は簡単な話じゃないか」
サーヴァが言った、その時だ。軽やかな笛の音が辺りに響く。風の音のように優しく、鈴虫の声のようによく響く音色だ。一体何事だと周囲を見渡せば、荷馬車ひしめく基通りのど真ん中を、一人の少年が歩いていた。少年の手にはよく使い込まれた竹の笛。軽やかな音色は、その竹笛から奏でられている。
「おっと、正午か。ごめんね、私もう行かないと。今日はお昼休み返上で会議なんだよ。信じられないよね。お昼ご飯くらいゆっくり食べさせて欲しいよ。シーラ、マリーさんに宜しくね。旅の方も御達者で」
そう別れを告げると、サーヴァは驚くほどの速さで通りを駆けて行った。槍を背負う背中が見えなくなるまでに10秒と掛からない。サーヴァの後ろ姿がすっかり見えなくなった頃に、ダミアンが言う。
「ゼータさん、良かったですね」
「そうですね。ひとまずの行く先が定まりました」
サーヴァとの出会いにより、延いてはダミアンを含む集落の者の協力により、ゼータの行き先は定まった。旧バルトリア王国東方に位置する山脈の向こう側。ドラキス王国で保有する地図にも、ジンダイ手製の地図にも載らぬ未知の土地。人がいるのかいないのか、そもそも大地があるのかさえわからない。未知への冒険に高揚感を覚えながらも、ゼータには一つ気に掛かることがある。先ほどから基通りに流れる笛の音だ。通りを歩く少年が奏でる軽快な曲。その曲に、ゼータはどこか覚えがある。
「ダミアン、この曲は?有名な曲ですか?」
「ああ、これは祭歌です。祝い歌とも呼ばれていますね。もう千年以上も前に作られた古歌で、ブラキストの街の人々は良き事がある日にはこの歌を歌うのです。例えば赤子が生まれた日、作物の収穫の時、愛しい者が正しい手順で黄泉へと送られた時。荷馬車市は、ブラキストの街では祭りという位置づけですからね。祭歌普及の意を込めて9時、12時、15時の3回ああして少年が笛を吹くのです」
「へぇ…。この曲、どこかで聞いたことがある気がするんですよねぇ」
「ブラキストの祭歌を?まさか。他国に伝わるような有名な歌ではありませんよ。今でこそこうして大勢の者が耳にする機会がありますが、以前は人々が気ままに口遊むだけの歌だったと聞いています。私も祭歌の存在は、荷馬車市を訪れるまで知りませんでした」
「…そうですよね。似た曲を聞いただけかもしれません」
小国ブラキストの国王即位式において、祭歌が披露されたのだろうか。しかし「即位式の演目にダンスパーティーを組み込まぬように」とのメリオンの要望から、式典の最中に音楽を聴く機会はなかったはずだ。式典の最中に、参列者の誰かが口遊んでいたのだろうか。しかしゼータの記憶に引っかかるブラキストの祭歌は、人の声ではない。今基通りに流れる笛の音のように、何らかの楽器に奏でられた曲を耳にした気がするのだ。いくら考えたところで、疑問の答えには辿り着けそうもない。
***
全ての商品をすっかり売り終えた4人は、集落の者に頼まれた買い出しを済ませブラキストの街を後にした。日が暮れる頃に、無事集落へと辿り着いた4人を待っていたものは盛大な宴だ。酒に果実水に、赤子のミルク。川魚の塩焼きに鶏の丸焼き。山菜の煮物にかぼちゃの煮つけ。デザートには木の実の盛り合わせ。芝生の広場に大皿の料理が並べられ、集落の者全員でそれらを囲んだ。腹いっぱい食べ、幾多もグラスを打ち鳴らし、心行くまで語らい、そして夜も更けた頃に宴は終わった。
宴の翌日、早朝。ゼータは惜しまれながら集落を後にした。「ドラゴンの喧嘩の結末がわかったら、教えに来てよね」涙ながらに伝えられた、シーラの言葉が心に残る。
次なる目的地は旧バルトリア王国国土の南方。精霊族と妖精族の土地、神国ジュリ。
「前回買ったマリーさんの薬草茶、一袋友達にあげちゃったんだよ。おかげで私の分が足りなくなっちゃって、この3日間は寝付きが悪いのなんのって。もう私はマリーさんの薬草茶無しには日常生活を送れないよ」
「サーヴァさんが紅茶を買っていったって話をしたら、マリーはいつも嬉しそうだよ。一度挨拶をしたいとは言っているんだけど、うちには2歳のミムもいるからさぁ。中々ブラキストの街には来られないんだよね」
「小っちゃい子がいたら、遠出はできないよね。仕事が落ち着いたら私がマリーさんに会いに行くよ」
和気あいあいと会話するシーラと黒髪の女性を横目に見ながら、ゼータはダミアンの横に身体を滑り込ませた。4つの弁当が入った紙袋を荷馬車の片隅に置き、ダミアンの耳元に唇を近づける。
「あの女性は常連さんですか?」
「ああ、ゼータさん。丁度良いところに戻られました。あの女性はサーヴァさん、王宮軍の副隊長を務めておられる御方ですよ」
「王宮軍の副隊長?それは高貴な御方ですね」
「高貴な身分ですが、気安い御方です。マリーの薬草茶が絶大な人気を誇っているのは、サーヴァさんの宣伝の効果と言っても過言ではない。カヤック国王殿とも懇意にされておりますから、思い掛けない話が聞けるやもしれませんよ」
確かに、王宮軍の副隊長となれば国政に関する情報も把握しているはずだ。国家を守ることが務めなのだから、強大な力を持つドラゴンの飛来を記憶している可能性も高い。シーラと話す様子からもサーヴァが話すに気安い相手であることは伺えるし、聞き込みを行わない手はないだろう。
ゼータが話しかける機を伺っていた、その時だ。サーヴァの瞳が不意にゼータへと向く。
「あれ、大人が来ているなんて珍しいね。集落の人?」
その問いが自身に向けられていると気が付くまでに、ゼータは数秒の時を要した。答えを探しまごつくゼータに代わり、サーヴァの問いに答える者はにこにこと朗らかなシーラだ。
「ゼータさんはドラキス王国からやって来た旅人だよ。一昨日からうちに泊まっているんだ。ブラキストの街に用があると言うから、護衛兼雑用係として一緒に来てもらったんだよ」
「ドラキス王国から?それは遥々だね」
サーヴァの瞳が、荷馬車の上に置かれた紙袋に留まった。「ひより屋」と文字の書かれた紙袋だ。中に入っている物はまだ温かな4人分の弁当。弁当を購入してきたという事は確かに雑用係だと、サーヴァは納得の表情である。
「それで、ブラキストの街には何をしに来たの?ドラキス王国からの旅人様となれば、素通りするわけにはいかないよね。力になれる事があれば手伝うよ」
何とも嬉しい申し出である。シーラの目配せを受け、ゼータは嬉々として口を開く。
「実は私、ドラキス王国でドラゴンの研究をしているんです。2か月ほど前、ブラキストの上空を2頭のドラゴンが横切ったでしょう。緋色のドラゴンと苔色のドラゴンです。彼らがどこへ向かったのか、ご存じありませんか?」
「ああ、あのドラゴン達なら高山を超えていったよ」
拍子抜けするほどにあっさりとした返答だ。ゼータもシーラもダミアンも、そして地面に座り込んだままのベベルも一緒になって目を瞬かせている。
「…それは確かな情報ですか?」
「絶対とは言い切れないよ。あの日は山頂に霧雲が掛かっていたから、実際にドラゴンが山頂を超えたところを見た者はいない。でもドラゴン目撃の翌日に、王宮軍が高山に調査に入っているんだ。アルビオン隊長が隊を率いているから、かなりしっかりとした調査が行われているはずだよ。それでドラゴンの死骸や肉片は見つからなかったから、山を越えたんだろうっていう結論になったんだ。数枚の鱗は落ちていたらしいけどね」
「鱗?ドラゴンの鱗がですか?」
「そうそう。ほら、あそこ。山肌が削れたみたいになっているでしょう」
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「2頭のドラゴンは、一度山にぶつかったんだよ。争いながら飛んでいたから、山が近づいていることに気が付かなかったんだと思うんだよね。山の斜面でしばらくもつれ合って、その後山肌を滑るようにして登って行ったんだ。木々が薙ぎ倒されているのは、ドラゴンが翼を引っかけたから。鱗が落ちていたのもその辺りだと聞いているよ」
「王宮軍による調査は、どの程度の範囲で行われたんですか?ドラゴンの死骸を見落としているという可能性はありませんか?」
「それは無いんじゃないかな。強大な魔力の籠る神獣の死骸は、そこにあるだけで他の生物を遠ざけるんだよ。かつてヒドラの死骸を沈めた山奥の泉は、魔力が溜まり生き物が住めない死の泉になってしまったなんて言い伝えも残っている。もちろん時の経過とともに魔力は薄まっていくけれどね。つまりあの山のどこかにドラゴンの死骸があるとすれば、山の生態系に何かしらの異常が起こるはずなんだ。王宮軍が山に調査に入ったのも、それが理由なんだよ。行き場を失った魔獣が一斉に山を駆け下りてきたら困るからね。王宮軍は山鳥や小動物の目視調査も行っているけれど、結果は異状無し。2頭のドラゴンは山頂を超えて、山脈の向こうに飛び去ったと結論付けられたんだ」
「そうなんですか…」
強大な魔力を宿す魔獣の死骸が、他生物を遠ざけるという話はゼータも耳にしたことがある。刀の鍔や鞘に、魔獣の牙や革が好んで使われるのはそういう理由だ。例え武器を持つ者の腕が未熟でも、持つだけで他の魔獣を遠ざける。腹を空かせた魔獣や凶暴な魔獣相手に効果はないが、それでも気休め以上の効果はある代物なのだ。王宮軍が綿密な調査を行ったというのならば、「2頭のドラゴンは山脈を超えた」というサーヴァの証言に誤りはない。しかし、どうしたものかとゼータは唸る。ドラゴンの行く先を追う事、それ即ちゼータはあの山脈を超えねばならぬということだ。薄霧に覆われ、天頂の見えぬ高山を。
「…サーヴァさん。あの山を越えることは出来ますか?」
「ええ?無理無理、止めておきなよ。万全の装備をした王宮軍の兵士だって、山の3合目までしか登らないんだよ。道らしい道なんてないし、普段人が立ち入らないだけに凶暴な魔獣がうようよしている。空飛ぶ騎獣を手懐けているんじゃなければ、山越えなんて考えない方が良い」
「では、山越えをせずに山の向こうに行く方法はありますか?」
ゼータの問いに、サーヴァは腕を組んで考え込む。
「それなら、南に向かうのが良いんじゃないかな。旧バルトリア王国の南側には、小国地帯が広がっているでしょう。あそこまで行けば、山脈が途切れるはずなんだよ。多少手間にはなるけれど、小国地帯を経由して山脈を迂回するのが一番安全だろうね。神国ジュリのアメシス国王を知っている?彼は結構冒険人でね。未開の地探索が趣味らしいから、山脈の向こう側の地理を知っているかもよ」
「え、そうなんですか?実はブラキストを出発した後、神国ジュリに立ち寄ろうと思っていたんです」
「そう、なら丁度良いね。ぜひ神国ジュリの王宮に…と言っても、一般人の国王謁見は簡単な話じゃないか」
サーヴァが言った、その時だ。軽やかな笛の音が辺りに響く。風の音のように優しく、鈴虫の声のようによく響く音色だ。一体何事だと周囲を見渡せば、荷馬車ひしめく基通りのど真ん中を、一人の少年が歩いていた。少年の手にはよく使い込まれた竹の笛。軽やかな音色は、その竹笛から奏でられている。
「おっと、正午か。ごめんね、私もう行かないと。今日はお昼休み返上で会議なんだよ。信じられないよね。お昼ご飯くらいゆっくり食べさせて欲しいよ。シーラ、マリーさんに宜しくね。旅の方も御達者で」
そう別れを告げると、サーヴァは驚くほどの速さで通りを駆けて行った。槍を背負う背中が見えなくなるまでに10秒と掛からない。サーヴァの後ろ姿がすっかり見えなくなった頃に、ダミアンが言う。
「ゼータさん、良かったですね」
「そうですね。ひとまずの行く先が定まりました」
サーヴァとの出会いにより、延いてはダミアンを含む集落の者の協力により、ゼータの行き先は定まった。旧バルトリア王国東方に位置する山脈の向こう側。ドラキス王国で保有する地図にも、ジンダイ手製の地図にも載らぬ未知の土地。人がいるのかいないのか、そもそも大地があるのかさえわからない。未知への冒険に高揚感を覚えながらも、ゼータには一つ気に掛かることがある。先ほどから基通りに流れる笛の音だ。通りを歩く少年が奏でる軽快な曲。その曲に、ゼータはどこか覚えがある。
「ダミアン、この曲は?有名な曲ですか?」
「ああ、これは祭歌です。祝い歌とも呼ばれていますね。もう千年以上も前に作られた古歌で、ブラキストの街の人々は良き事がある日にはこの歌を歌うのです。例えば赤子が生まれた日、作物の収穫の時、愛しい者が正しい手順で黄泉へと送られた時。荷馬車市は、ブラキストの街では祭りという位置づけですからね。祭歌普及の意を込めて9時、12時、15時の3回ああして少年が笛を吹くのです」
「へぇ…。この曲、どこかで聞いたことがある気がするんですよねぇ」
「ブラキストの祭歌を?まさか。他国に伝わるような有名な歌ではありませんよ。今でこそこうして大勢の者が耳にする機会がありますが、以前は人々が気ままに口遊むだけの歌だったと聞いています。私も祭歌の存在は、荷馬車市を訪れるまで知りませんでした」
「…そうですよね。似た曲を聞いただけかもしれません」
小国ブラキストの国王即位式において、祭歌が披露されたのだろうか。しかし「即位式の演目にダンスパーティーを組み込まぬように」とのメリオンの要望から、式典の最中に音楽を聴く機会はなかったはずだ。式典の最中に、参列者の誰かが口遊んでいたのだろうか。しかしゼータの記憶に引っかかるブラキストの祭歌は、人の声ではない。今基通りに流れる笛の音のように、何らかの楽器に奏でられた曲を耳にした気がするのだ。いくら考えたところで、疑問の答えには辿り着けそうもない。
***
全ての商品をすっかり売り終えた4人は、集落の者に頼まれた買い出しを済ませブラキストの街を後にした。日が暮れる頃に、無事集落へと辿り着いた4人を待っていたものは盛大な宴だ。酒に果実水に、赤子のミルク。川魚の塩焼きに鶏の丸焼き。山菜の煮物にかぼちゃの煮つけ。デザートには木の実の盛り合わせ。芝生の広場に大皿の料理が並べられ、集落の者全員でそれらを囲んだ。腹いっぱい食べ、幾多もグラスを打ち鳴らし、心行くまで語らい、そして夜も更けた頃に宴は終わった。
宴の翌日、早朝。ゼータは惜しまれながら集落を後にした。「ドラゴンの喧嘩の結末がわかったら、教えに来てよね」涙ながらに伝えられた、シーラの言葉が心に残る。
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