貴様の手の甲に誓いの口づけを

三崎

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7. 半獣少女の誘い

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 魔王と別れたイシュメルがリリィの私室へと戻れば、ひざに銀盆をのせたリリィがベッドの端に腰かけていた。銀盆の上にはイシュメルの物と思われる朝食が並んでいる。パンとスープ、果物の盛り合わせ、魔王城でいただく朝食としては何と豪華なこと。
 
 そしてリリィの尻の横には、数枚のタオルと男物の服が置かれていた。一足早く井戸のそばを離れたリリィは、イシュメルのためのタオルと服を探し回ってくれていたのだ。
 
「この服は誰から借りたんだ?」
 
 イシュメルが尋ねれば、リリィははてと首を傾げた。誰のだろう、よくわかんないや。
 服を持ち上げて鼻先をつけてみれば、ほんのりと埃の臭いがした。恐らくリリィは、物置にでもしまい込まれていた男物の服を適当に引っ張り出してきたのだろう。それでもすえた臭いの染み付いたイシュメルのシャツに比べれば数倍は上等だった。
 
 上下の服をすっかり着替えたイシュメルは、リリィから朝食をのせた銀盆を受け取った。床の上にどっしりと腰を下ろし、まだ温かなパンにかじりつく。死ぬほど腹が減っていたことにそのとき初めて気がついた。
 一心不乱に食事をするイシュメルの姿を、リリィは食い入るように見つめていた。視線に気づいたイシュメルは不思議そうに尋ねた。
 
「リリィ……どうした?」
 
 リリィはぱちぱちと数度まばたきをした。ふとあることに思い至り、イシュメルはリリィの前に食べかけのパンを差し出した。
 
「まさかこれはリリィの分の朝食だったのか? だとしたら私はこれで十分だから、残りはリリィが食べるといい」
 
 イシュメルはリリィの鼻先にパンを近づけるが、リリィはいつまで経っても差し出されたパンを受け取ろうとはしなかった。

 間もなくして、イシュメルはリリィの行動の意味に気がついた。リリィはお腹が空いてイシュメルの食事風景を眺めていたのではなく、単純に人間の食事風景が懐かしかったのだ。
 魔族は人間に比べて極端に食事量が少ないと言われている。1日に一度、少量の果実や穀物を食べればそれで事足りてしまうのだ。魔王の眷属となったリリィの身体は、もう生きるためにたくさんの食物を必要としない。
 
 姿かたちはリリィのままでも、その身体はもう元のリリィのものではない。イシュメルは少し寂しさを感じた。
 
 イシュメルが朝食を終えたとき、部屋の窓がコンコンと鳴った。誰かが外側から窓を叩いたのだ。
 窓を開ければ、そこには奇妙な容姿をした2人組が立っていた。鉛色の髪を背中に垂らしたその2人組は、顔立ちも背格好もうりふたつ。長いまつ毛に覆われた瞳も、ぽってりとふくよかな唇も、顎先にある小さなホクロまでおそろいだ。
 
 それだけならば単なる双子で済む話なのだが、何よりもイシュメルを驚かせるものは、彼女たちの下半身が人の物ではないということ。鉛色の毛並みに覆われた胴体と脚は馬のものだろうか。それとも鹿だろうか。
 獣の下半身を持つ、奇妙な少女たちだ。
 
 2人組の一方が、ぽそぽそと小さな声で言った。
 
「エイダから……リリィの部屋に男手があると聞いて……」
 
 イシュメルは自分の顔を指さした。
 
「男手? 私のことか?」
「そう……もし暇なら、少し仕事を手伝ってほしいの……」
 
 イシュメルとリリィは同時に顔を見合わせた。
 確かに暇、ではあるのだけれど。
 
 ***
 
 双子はサラとエマと名乗った。リリィと同じ魔王の眷属で、魔王城に仕える期間は300年にも及ぶのだという。
 魔族という種族は人間に比べてはるかに長命だ。特に魔王という存在ともなれば、生きた期間は1000年を軽く超える。本当かどうかはわからない。そう言い伝えられているというだけだ。
 
 双子に連れられたイシュメルとリリィは、魔王城の園庭へとたどり着いた。空はよく晴れているが、園庭はうっそうとした雰囲気だ。城自体の外壁が黒灰色であることも原因の一つである。だがそれ以上に園庭の手入れが行き届いていないのだ。石畳はあちこちが割れているし、花壇もボロボロ。剪定されずブロッコリーのような形状となった木々や、放置された倒木も目立つ。
 双子はそのうっそうとした園庭の一角で足を止め、そこにある大きな庭木を見上げた。
 
「この木を切ってほしいの……」
 
 双子の一方――サラがぽそぽそと小さな声で言った。
 イシュメルは双子と一緒になって庭木を見上げた。他の庭木は青々とした葉を茂らせているというのに、その木には1枚の葉も見当たらない。立ち枯れてしまっているのだ。
 双子が庭木を切りたいという理由は理解できたが、イシュメルはすぐに仕事を引き受けることはできなかった。
 
「私が勝手に庭の木を切ってしまっていいのか? 城の者に任せた方が良いのでは?」
 
 こうして自由に城の内部を出歩いているとはいえ、イシュメルはれっきとした捕虜だ。捕虜が勝手に城の木を切り倒すのはまずい。
 双子のもう一方――エマがやはりぽそぽそと小さな声で答えた。
 
「城にはあまり男手がないから……それにリリィの家族なら、仕事を頼んでも問題はないかと思って……」
 
 どうやら双子は、この消え入るような声量が通常のようだ。リリイが言葉を話さないこともあり、4人の会話は静かなもの。イシュメルの声がやたらと大きく響くのである。
 
「そういうことなら遠慮なく切らせてもらうが……おのとノコギリはあるだろうか?」
「道具は馬小屋に置いてある……好きな物を選んで使って……」
「ロープと丈夫な手袋も欲しいところだが」
「それは……城の物置を探してくる。少し待っていて……」
 
 サラの園庭の隅にある馬小屋を指さし、エマはトコトコと足音を立てて城の方へと歩いていく。リリィはその場で何度か足踏みをした後、エマの背中へと続いた。非力なリリィがこの場所にいたところで、できるとこなど何もないのだ。
 
 リリィとエマの背中を城の中へと見送り、イシュメルとサラは馬小屋を目指した。古びた飴色の馬小屋の中には数頭の馬がおり、それから庭仕事に使うたくさんの道具が置かれている。園庭と同じく手入れが行き届いておらず、何がどこに置かれているのかがさっぱりわからない。
 しっちゃかめっちゃかの馬小屋内を眺め、イシュメルは尋ねた。
 
「刃物類はどの辺りに置かれているのだろう?」
 
 サラは困り顔で答えた。
 
「多分、馬小屋の奥の方……めったに使わないから……」
「そうか……地道に探すか……」
 
 園庭の樹木を伐り倒すより先に、馬小屋内の整理整頓をすべきではないだろうか。イシュメルはそんなことを考えながら、馬小屋の中にと進み入った。
 こつん、とつま先に何かがあたった。何だろうと思い拾い上げてみれば、それは木製のさやに収められた小刀だった。刃渡りは10センチメートル程度、埃まみれだがしっかりとした重さがある。
 
 イシュメルはその小刀を、サラの目には留まらないように、そっとズボンの腰ベルトに挟み込んだ。
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