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15.エイダ
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夜が明けた。目的は何一つ果たせないまま。
決闘の舞台となる魔王城の園庭で、イシュメルは澄んだ東の空を眺めていた。まだ早朝の冷たさを残す風が頬を撫でる。芝生の上で闇色のマントの裾がはためく。背中を預けた木の幹はほんのりと温かく、そして朝露で濡れた衣服のすそはひんやりと冷たい。
ぼんやりと考え込むイシュメルの元に、芝生を踏みわけ少女が歩いてきた。眷属の1人であるエイダだ。
エイダはイシュメルの目の前で歩みを止めると、腰に手をあて言った。
「命がけの決闘を目前にして、随分と余裕じゃないの」
イシュメルは曖昧に笑った。
「余裕ということもないんだが、ここまでくると逆に何をすればいいのかわからなくてな」
「ふぅん、そういうものかしら」
エイダはこてりと首をかしげ、それからイシュメルの真横に腰をおろした。吹き抜ける朝風が、エイダのくせの強い髪をさらっていく。
「エイダは私を殺そうと思わないのか」
そんな会話を投げかけたのは単なる思いつきであった。
「なぜ私があなたを殺すのよ」
「今日、私が魔王を殺すかもしれないからだ」
イシュメルは神器を用いて魔王の魔力を封じた。これにより魔王は黒龍の姿になることができず、魔法を使うこともできなくなった。魔王自身の武力を大幅に削ぐことに成功したわけだ。
しかし当然のことだが、神器の効力は眷属には及ばない。エイダを含む眷属たちは、自らの意思で魔法を使い放題なのだ。
彼らにとれば人間であるイシュメルなど赤子も同然であろうに。眷属たちが魔王に忠誠を誓っているというのなら、主に敵意を向けるイシュメルの存在は疎ましくて仕方がないはずなのに。命がけの決闘が火蓋を落とすよりも先に、殺してしまおうと考えてもおかしくないはずなのに。
エイダは少し考えた後に答えた。
「だって主はそんなこと望まないもの」
「では魔王が命ずれば、私を殺すか?」
「主は命じないわ。決闘の相手を、決闘前に殺せだなんて、そんな卑劣なこと」
卑劣。投げつけられた言葉にイシュメルは自嘲の笑みを零した。
イシュメルは昨晩も魔王を殺せなかった。のど元に突き付けた刃先を、少し手前に引くだけでよかった。毒によって体力を奪われ、凌辱により気力までをも奪われた魔王を殺すことは簡単であった――はずなのに。
計画は失敗に終わった。もう未来のことなど何もわからなかった。イシュメルの力では魔力封じの呪印を消すことはできない。つまり決闘は当初の予定通りに行われようがないということだ。
時がくれば、イシュメルの企みは白日の下に晒される。殺されたとしても文句は言えなかった。そう理解はしているというのに、イシュメルの心は不思議と穏やかだ。突然の来訪者であるエイダと、他愛のない雑談をかわそうと思えるくらいには。
「エイダはいつ魔王城にやって来たんだ」
「……いつかしらね。もう何百年も前よ」
魔王城への滞在中、何かとエイダと話をする機会は多かった。けれどもこうしてエイダの過去について尋ねようと思ったのは初めてのことだ。リリィ以外の城の者と、歩み寄ろうと思えたのは初めてのことだ。
ひざにのせた剣の柄をゆるゆると撫でながら、イシュメルは質問を重ねた。
「エイダも魔王への供物として城に連れて来られたのか」
「そうよ。住んでいた村に魔王軍が攻め入ってきたとき、村長が私を魔族に差し出したのよ。『若い娘を1人、魔王への供物として捧げる。だからどうか村を襲わないでくれ』って」
「供物として城にやってきて、どうして魔王の眷属になったんだ。魔王の気まぐれか」
「私が『生きたい』と言ったからよ」
一呼吸を置いてイシュメルは尋ね返した。
「……『生きたい』と?」
「魔王城にはたびたび人間がやってくるわ。騎士であったり勇者であったり、主への供物である少女だったりと立場は様々だけれど。主は人間がお嫌いだから、敵と認めた相手には容赦しない。けれども敗北を認め『魔王の僕となってでも生きたい』と言う人間がいれば手をかけるような真似はしない。そうして『生きたい』と願った者が、主から力をいただき魔王の眷属となるの」
そうだったのか、とイシュメルは呟いた。
エイダの言葉を信じるのならば、魔王は城へとやってきた人間を悪戯に殺すような真似はしないということ。生きたいかと問い、その者が「生きたい」と答えれば生かす。例え敵であったとしても。
良心的な質問を挑発とはき違え、命を落とす者も多いのだろうと想像はついた。かつてのイシュメルが「貴様の眷属になるくらいなら、拷問されて殺された方がましだ」と答えたように。
そうであったとしても、今こうしてエイダの口から聞く魔王像は、イシュメルの頭の中にいた残虐な魔王像とは似ても似つかない。善人だとは言わない、けれども悪人だとは言い切れない。野を駆けるうちに突然天地をひっくり返されたかのような奇妙な心地だ。
立つ場所を失くした身体は宙をさまよい、どこかもわからない場所へと流されていく。
「エイダは……人間でなくなったことを悔しく思うことはあるか」
「ないわ。人間だろうが魔族だろうが、私が私であることに違いはないもの」
「村を襲った魔族を憎らしく思うことは?」
「……今となっては別に。人間だって魔族の集落を襲うのだからお相子だわ。どちらかが一方的に悪いわけじゃない。魔王城に仕えていれば、当然魔族と関わる機会はある。姿かたちは多少変わっているけれど、中身は人間と変わらないわよ。憎み合っているから憎らしく思えてしまうだけ」
「では魔王を憎む気持ちは」
「あるわけないじゃない。始まりはどうであれ、私たちは今、自らの意志で主にお仕えしているの。無理やり働かされているんじゃないわ。私たちが主を憎むだなんて、馬鹿な事を言わないでちょうだい」
「そうか……」
イシュメルはそれ以上、何も言うことができなかった。
エイダはふんと鼻を鳴らし立ち上がった。
「邪魔したわね。人生最後の一時をどうぞ自由にお過ごしなさって。忠告しておくけれど、勝ち目がないからって卑怯な手を使うんじゃないわよ。私の攻撃魔法の威力は主のお墨付きよ。あなたが卑怯な戦いをすれば、私がその首を刎ね飛ばしてやるんだから」
それは不味い、とイシュメルは苦笑いを零した。
決闘の舞台となる魔王城の園庭で、イシュメルは澄んだ東の空を眺めていた。まだ早朝の冷たさを残す風が頬を撫でる。芝生の上で闇色のマントの裾がはためく。背中を預けた木の幹はほんのりと温かく、そして朝露で濡れた衣服のすそはひんやりと冷たい。
ぼんやりと考え込むイシュメルの元に、芝生を踏みわけ少女が歩いてきた。眷属の1人であるエイダだ。
エイダはイシュメルの目の前で歩みを止めると、腰に手をあて言った。
「命がけの決闘を目前にして、随分と余裕じゃないの」
イシュメルは曖昧に笑った。
「余裕ということもないんだが、ここまでくると逆に何をすればいいのかわからなくてな」
「ふぅん、そういうものかしら」
エイダはこてりと首をかしげ、それからイシュメルの真横に腰をおろした。吹き抜ける朝風が、エイダのくせの強い髪をさらっていく。
「エイダは私を殺そうと思わないのか」
そんな会話を投げかけたのは単なる思いつきであった。
「なぜ私があなたを殺すのよ」
「今日、私が魔王を殺すかもしれないからだ」
イシュメルは神器を用いて魔王の魔力を封じた。これにより魔王は黒龍の姿になることができず、魔法を使うこともできなくなった。魔王自身の武力を大幅に削ぐことに成功したわけだ。
しかし当然のことだが、神器の効力は眷属には及ばない。エイダを含む眷属たちは、自らの意思で魔法を使い放題なのだ。
彼らにとれば人間であるイシュメルなど赤子も同然であろうに。眷属たちが魔王に忠誠を誓っているというのなら、主に敵意を向けるイシュメルの存在は疎ましくて仕方がないはずなのに。命がけの決闘が火蓋を落とすよりも先に、殺してしまおうと考えてもおかしくないはずなのに。
エイダは少し考えた後に答えた。
「だって主はそんなこと望まないもの」
「では魔王が命ずれば、私を殺すか?」
「主は命じないわ。決闘の相手を、決闘前に殺せだなんて、そんな卑劣なこと」
卑劣。投げつけられた言葉にイシュメルは自嘲の笑みを零した。
イシュメルは昨晩も魔王を殺せなかった。のど元に突き付けた刃先を、少し手前に引くだけでよかった。毒によって体力を奪われ、凌辱により気力までをも奪われた魔王を殺すことは簡単であった――はずなのに。
計画は失敗に終わった。もう未来のことなど何もわからなかった。イシュメルの力では魔力封じの呪印を消すことはできない。つまり決闘は当初の予定通りに行われようがないということだ。
時がくれば、イシュメルの企みは白日の下に晒される。殺されたとしても文句は言えなかった。そう理解はしているというのに、イシュメルの心は不思議と穏やかだ。突然の来訪者であるエイダと、他愛のない雑談をかわそうと思えるくらいには。
「エイダはいつ魔王城にやって来たんだ」
「……いつかしらね。もう何百年も前よ」
魔王城への滞在中、何かとエイダと話をする機会は多かった。けれどもこうしてエイダの過去について尋ねようと思ったのは初めてのことだ。リリィ以外の城の者と、歩み寄ろうと思えたのは初めてのことだ。
ひざにのせた剣の柄をゆるゆると撫でながら、イシュメルは質問を重ねた。
「エイダも魔王への供物として城に連れて来られたのか」
「そうよ。住んでいた村に魔王軍が攻め入ってきたとき、村長が私を魔族に差し出したのよ。『若い娘を1人、魔王への供物として捧げる。だからどうか村を襲わないでくれ』って」
「供物として城にやってきて、どうして魔王の眷属になったんだ。魔王の気まぐれか」
「私が『生きたい』と言ったからよ」
一呼吸を置いてイシュメルは尋ね返した。
「……『生きたい』と?」
「魔王城にはたびたび人間がやってくるわ。騎士であったり勇者であったり、主への供物である少女だったりと立場は様々だけれど。主は人間がお嫌いだから、敵と認めた相手には容赦しない。けれども敗北を認め『魔王の僕となってでも生きたい』と言う人間がいれば手をかけるような真似はしない。そうして『生きたい』と願った者が、主から力をいただき魔王の眷属となるの」
そうだったのか、とイシュメルは呟いた。
エイダの言葉を信じるのならば、魔王は城へとやってきた人間を悪戯に殺すような真似はしないということ。生きたいかと問い、その者が「生きたい」と答えれば生かす。例え敵であったとしても。
良心的な質問を挑発とはき違え、命を落とす者も多いのだろうと想像はついた。かつてのイシュメルが「貴様の眷属になるくらいなら、拷問されて殺された方がましだ」と答えたように。
そうであったとしても、今こうしてエイダの口から聞く魔王像は、イシュメルの頭の中にいた残虐な魔王像とは似ても似つかない。善人だとは言わない、けれども悪人だとは言い切れない。野を駆けるうちに突然天地をひっくり返されたかのような奇妙な心地だ。
立つ場所を失くした身体は宙をさまよい、どこかもわからない場所へと流されていく。
「エイダは……人間でなくなったことを悔しく思うことはあるか」
「ないわ。人間だろうが魔族だろうが、私が私であることに違いはないもの」
「村を襲った魔族を憎らしく思うことは?」
「……今となっては別に。人間だって魔族の集落を襲うのだからお相子だわ。どちらかが一方的に悪いわけじゃない。魔王城に仕えていれば、当然魔族と関わる機会はある。姿かたちは多少変わっているけれど、中身は人間と変わらないわよ。憎み合っているから憎らしく思えてしまうだけ」
「では魔王を憎む気持ちは」
「あるわけないじゃない。始まりはどうであれ、私たちは今、自らの意志で主にお仕えしているの。無理やり働かされているんじゃないわ。私たちが主を憎むだなんて、馬鹿な事を言わないでちょうだい」
「そうか……」
イシュメルはそれ以上、何も言うことができなかった。
エイダはふんと鼻を鳴らし立ち上がった。
「邪魔したわね。人生最後の一時をどうぞ自由にお過ごしなさって。忠告しておくけれど、勝ち目がないからって卑怯な手を使うんじゃないわよ。私の攻撃魔法の威力は主のお墨付きよ。あなたが卑怯な戦いをすれば、私がその首を刎ね飛ばしてやるんだから」
それは不味い、とイシュメルは苦笑いを零した。
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