夜桜の美姫

星ノ宮幻龍

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一日目(1) 探訪、恋仲、御神木

其の一

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『ドアが閉まります。ご注意下さい。』
 深夜の駅のホーム。
 雑踏の中、人混みを掻き分けることなく紛れ、流れに流れ、流され進む。
 冷たい群衆の中、向かう先は勿論愛すべき我が家、ではない。
 向かう先も愛すべき我が家も、そんなものは存在せず、「じゃあ、どこに向かっているのか」と問われれば、実はこちらが困ってしまう。
 階段の手すりに摑まると、ひんやりと冷たい。
 五月に入ったとはいえ、夜はやはりまだまだ冷え込む。
 今はまだ周囲を熱気に包まれているが、外はそれなりに冷え込んでいるだろう。
 階段を上り、改札を出て、ついでに駅からも出て、夜空を見上げ一呼吸。
「ふぅ…。やっぱり寒いな…」
 背負っているリュックを下ろし、中から財布を取り出す。
 持っていたICカードを財布にしまい、リュックに戻してファスナーを閉じる。
 リュックの中身は、少しの着替えと財布のみ。
 売れるものは全て売って、捨てるものは全て捨てた。
 随分と身軽になったもんだ。
 おかげで、向かう先には困っていても金には困っていない。
 やれることはたくさんある。
「さて、と。」
 歩き出し、考える。
 明日、どこに向かい、なにを探すべきなのか。
 向かう先はなくても、目的はある。
 昨日の今日で上手くいくとは思っていなかったけれど、やはり今日の教会には少しがっかりした。
 聖母が描かれたステンドグラス。
 確かに綺麗ではあったが、確かに美しくはあったが、それでも。
 俺の求めているそれとは明らかに違った・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 俺が求めているのは・・・・・・・・もっと・・・もっとこう・・・・・……
 そこまで考えたところで、無意識の内に階段を降りてバスターミナルに入っていることに気付いた。
 バス、か。
 明日はバスに乗ろうと決めた。
 たった今思いついた、ただの思いつきだ。
 近くにあったバス停の時刻表を見てみる。
 どこに行こうかな、と視線を無機質な数字列に走らせる。
 上から下へ、左から右へ、内容を理解する気もなくただ動いていただけの眼球が、ふ、と動きを止めた。
 太郎丸村。
 視界の中心にはそう書かれていた。
 なんだここ。
 午前五時三十五分と午後六時五十四分の二便しかバスが走ってない…。
 しかもそれが三日おきに。
 一瞬興味を引いただけで、気が付けばもう興味がなくなっていた。
 きっととんでもない田舎なんだろうな。
 そう思った時、再び興味が沸き始め、気が付けば益々興味が沸いていた。
 逆に、いや、むしろそういうところにこそあるんじゃないだろうか。
 俺が求めているそれ・・が。

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 歩いているうちに霧が晴れてきた。
 春らしい暖かな日差しも顔を見せ、嫌味ったらしいほどに見事なまでの朝の完成だ。
 周囲の景色がよく見えるようになり、やはり山の麓から田んぼが延々と続いているのがわかった。
 歩き続けていると、途中で田んぼが途切れた。
 その先には柵も何もなく、いきなり住居があった。
 民家、というより住居だ。
 木で作ったというより木で造ったというか、ちゃんとした木造の立派な建物がそこにはあった。
 家の横から通っている道、その奥も覗いてみる。
 同じように一般的な建築物が複数個所並んでいた。
「……あれ?」
 なんか、全然違う。
 想い描いていたイメージと違いすぎて拍子抜けしてしまう。
 失礼な話、携帯の電波すら届かない、周囲から隔絶された感じをイメージしていたんだが…。
 いや、携帯の電波が本当に届かないかどうかは今は確かめようもないが。
 もっとなにかないか。なんの収穫もなしじゃ今日の夜まで時間を持て余してしまうぞ。俺は時間にルーズなくせして結構せっかちなんだ。
 キョロキョロとさらにあたりを見回す。
 と、正面先数キロメートルの地点になにか大きな影があった。
「……あれは…、木……か?」
 周囲の建物とは明らかに異質な雰囲気を放っている「なにか」に目を奪われていると、目の前の建物からガチャリと音が聞こえ、玄関のドアが開いた。
 中から出てきた人物が、道の真ん中でアホ面晒して突っ立っている俺を見て目を丸くした。
「おや? 君は……村の子じゃないよね?」
 二十代後半くらいの眼鏡をかけた男性だ。
 がっしりとした体格は紺色のタンクトップ越しでも強調されており、明るいカーキ色のハーフパンツから伸びる脚に至っては木を蹴り折れそうな逞しさだ。履いてるサンダルなんか今にも弾け飛ぶんじゃないだろうか。
「大輝さん、どうしたの?」
 ひょこ、と男性の後ろから女性が顔を出す。
「あら? あなた、村の子じゃないわね?」
 揃って同じことを言う。
 男性の隣に並んだ女性は、男性よりも少し若く見える。二十代半ばくらいだろうか?
 黒く長い髪の真ん中あたりをシュシュでまとめて右肩から胸のあたりに垂らしている。白いシャツの上から薄いピンクのカーディガンを着ており、男性とは対照的に少し肌寒そうだ。
 スラっとした脚に黒い七分丈がよく似合い、かなりスタイルがいいことがわかる。化粧が薄く、とても綺麗な顔立ちをしている。
 俺の顔をマジマジと見る二人に何を言おうか戸惑っていたところ、男性が体格に似合わない柔和そうな微笑みを見せた。
「ごめんごめん。驚かせちゃったね。」
「いえ、こちらこそ家の前で突っ立っていてすみません。」
 俺も落ち着きを取り戻して答える。
「君、やっぱり村の子じゃないだろ? こんなところでどうしたんだい?」
 男性が笑顔のまま訊いてくる。
「ちょっと、観光に来まして。」
 村の人に訊かれたらこう答えようと考えていた言葉だ。
 観光。
 嘘ではない、が。
 無理があるか?
「へぇー! 観光に? この村に? 嬉しいねぇ!」
 男性の声のトーンが上がる。本当に喜んでいるようだ。
「まぁ! 何を見に来たのかしら?」
 隣の女性が前に乗り出す。目が輝いている。
 少し胸が痛い。
「えっと……」
 俺は遠くに見える「なにか」を指さす。
「あそこに見える大きなもの。友達に前に話を聞いて、見てみたくなったんです。」
 友達、いないけど。
 二人が俺の指さす先を目を細めて見る。
「ああ、ミサクラ様の御神木かぁ。」
 男性がこちらを見ると、にかっと笑った。
「だったら丁度いい。僕たち、今から少し散歩しようと思ってたんだ。せっかくだから、君に少し村の案内をするよ。勿論、あそこの御神木もね。いいよね? 静香さん。」
 男性が女性を見る。
「ええ、勿論。ミサクラ様の御神木を見に来てくれただなんて、とっても嬉しいもの。」
 女性がおっとりした口調で言う。
「決まりだね。っとその前に、君もそれでいいかい?」
 男性が忘れていたように訊く。
「勿論です。とてもありがたいです。」
 本当は一人で行くつもりだったが、最悪この村で二泊三日過ごすことになるかもしれないので、後々のためにも断るわけにはいかなかった。
「よし、今度こそ決まりだね。」
 男性は笑顔になると、「そうそう。自己紹介がまだだったね。」と、思い出したように言う。
「僕の名前は笛吹うすい大輝だいき。この村の、まぁ、若者、かな?」
 そんな年でもないんだけどね、と笑う人=筋肉の人=ウスイさん。
初崎はつざきしずよ。よろしくね。」
 綺麗に微笑む人=綺麗な人=ハツザキさん。
 よし、これで覚えた。
「君の名前はなんて言うんだい?」
 ウスイさんが問いかける。
 俺は答える。
かなめよるです。こちらこそ、よろしくお願いします。」
 これは嘘ではない。
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