悪役令息、バッドエンド確定と思ったら、最強の攻略対象がとんでもない爆弾だった

虹湖🌈

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第四章 愛のアルゴ-リズムと世界の余白 ― 不完全な家族が選んだ未来 ―

第36話 ワカラナイ、ワカラナイ、ワカラナイ

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 その夜の食卓は、静かな戦場だった。
 今日のメニューは、リ・ユエが俺の好みを完璧に再現した魚の蒸し料理だ。子供は俺の隣で、小さなスプーンを手に上機嫌にスープを口に運んでいる。完璧な平穏。そして、俺たちの計画を実行するには、完璧な舞台だった。

 俺はわざとらしく、ため息をついてナイフとフォークを置いた。

「リ・ユエ。この件について、ずっと言おうと思っていたんだが」

 空気が微かに張り詰める。リ・ユエは静かに俺の顔を上げた。彼の青い瞳が「始めよう」と合図を送ってくる。膝の上では、子供がピタリと動きを止め、その大きな瞳で俺たちを交互に見比べた。

「先日の、南方領との貿易協定の件だ。君が俺に黙って、細則を書き換えただろう。あれは越権行為だ」
 俺は、かつて実際にあった諍いの種を、テーブルの上に置いた。

 リ・ユエは一瞬、戸惑いの色を見せた。役を演じることへの、彼らしい不器用さだ。だが、すぐに俺の意図を汲み、眉間に皺を寄せてみせる。
「……あの件は、君の利益を守るための、論理的に最適な判断だったはずだ。君に報告すれば、君の感情が判断を曇らせる可能性があった」

「俺の感情が判断を曇らせる、だと? それこそが問題だと言っているんだ。君は俺を、論理で制御できる人形か何かだと思っているのか?」
 俺は声を少し荒らげた。暖炉の炎が、俺の言葉に呼応するように、ぱちりと音を立てて揺れる。

「違う! 私は君を……君が傷つく可能性から、守りたかっただけだ」
 リ・ユエの声が、わずかに震えた。それは演技ではなかった。彼の魂の奥底から漏れ出た、本物の叫びだった。彼は、今演じている役こそが、自分が陥りかねない過ちの姿だと知っているのだ。

「守る、という名の支配だ! 俺は君のパートナーであって、保護対象じゃない!」

 俺がテーブルを軽く叩いた、その瞬間だった。

 ふわり、と。
 部屋の空気が、温かい春の日差しのようなものに満たされた。先ほどまでの張り詰めた緊張が、まるで砂糖菓子のように溶けていく。俺の中に燃え上がっていたはずの怒りの炎が、凪いだ水面のように静まっていく。

 膝の上で、子供が立ち上がった。そして、小さな体でテーブルを乗り越えると、俺とリ・ユエの間にちょこんと座った。

「パパ。パパ。ケンカ、よくない」

 その小さな手が、俺の頬に触れる。次に、リ・ユエの頬に。その指先から、抗いがたいほどの穏やかな幸福感が、俺たちの魂に直接流れ込んできた。

「……すまない、リ・ユエ。俺は、君の愛情を疑うべきではなかった」
 俺の口が、勝手に謝罪の言葉を紡いでいた。思考とは裏腹に、心は完全に凪いでいる。

「いや、俺こそ、君の意志を尊重するべきだった。許してくれ、シン・ジエン」
 リ・ユエもまた、穏やかな微笑みを浮かべていた。その瞳には、先ほどまでの葛藤の色はもうない。

 子供は満足そうに頷くと、俺たちの間に座ったまま、再びスープを口にし始めた。完璧な仲直り。完璧な調和。

 だが、俺とリ・ユエは、テーブルの下で固く手を握り合っていた。その温もりだけが、俺たちの本当の意志を伝えている。

 最初の稽古は、失敗に終わった。
 俺たちの諍いは、解決されたのではない。ただ、子供のアルゴリズムによって、「エラー」として強制的に削除されただけだ。

 ◇◆◇

 稽古の失敗から数日後。俺たちは、第二の計画に移った。
 場所は、星明かりだけが差し込む、夜の書庫。子供は、大きな絵本を膝に広げ、静かにページをめくっている。俺は暖炉のそばの椅子に座り、リ・ユエはその足元、絨毯の上に腰を下ろしていた。

「リ・ユエ。話してくれ。お前が、世界の柱だった頃の話を」
 俺の声は、静寂に吸い込まれていく。

 リ・ユエは、揺れる炎を見つめながら、ゆっくりと口を開いた。その声は、かつてないほど静かで、そして重かった。
「……あの頃の俺には、名前はなかった。ただ、『柱』と呼ばれていた。俺の役目は、世界の均衡を保つこと。そのために、俺の魂は世界そのものと繋がれ、絶えず流れ込んでくる世界の歪みを、一身に受け止めていた」

 子供が、絵本から顔を上げた。その瞳が、じっとリ・ユエの横顔を見つめている。

「歪みは、痛みだ。人々の憎悪、悲嘆、絶望……そういった負の感情が、濁流のように俺の魂を削っていく。俺は、狂うことでしか、その痛みに耐えることができなかった。狂気だけが、俺の唯一の友人だった」
 彼の言葉は、誰に聞かせるためでもない、彼自身の魂の告白だった。俺はただ、黙って彼の肩に手を置いた。

「俺は、独りだった。何百年も、誰にも理解されず、ただ世界の贄として存在していた。消えてなくなりたいと、何度も願った。だが、俺が消えれば世界が崩壊する。だから、俺は狂い続けるしかなかったんだ」

 その時、子供が静かに立ち上がり、リ・ユエのそばへと歩み寄った。
「……イタイのは、ダメ」
 子供はそう言うと、リ・ユエの額に、その小さな手を伸ばした。おそらく、その「痛みの記憶」を、善意から修正しようとしたのだろう。

 だが、リ・ユエは、その手をそっと押し返した。
「いいんだ」
 彼は、驚くほど優しい声で言った。
「この痛みは、もう俺だけのものじゃない。シン・ジエンが、半分受け持ってくれた。そして……この痛みを覚えているからこそ、俺は、今のこの温もりを、幸福だと感じることができる」

 リ・ユエは、俺が肩に置いた手に、自分の手を重ねた。
「俺は、この傷だらけの過去ごと、シン・ジエンに愛されている。だから、この痛みは、俺が俺であるための、大切な一部なんだ。もう、消してほしくない」

 子供は、困惑していた。その純粋な瞳が、大きく揺れていた。
『痛み=悪』。その絶対的なはずの論理が、今、目の前で覆されている。幸福そうに見える二人が、痛みを「大切だ」と言っている。

「……ワカラナイ」
 初めて、子供の口から、明確な混乱の言葉が漏れた。

 その瞬間、子供の周囲の空間が、ほんのわずかに、陽炎のように揺らめいた。彼の完璧なアルゴリズムに、最初のひびが入った瞬間を、俺は見逃さなかった。

 ◇◆◇

 LOG: ERROR
 QUERY: 感情“痛み”の価値付け
 PARAMETER ‘LI YUE’: 状態“幸福”
 PARAMETER ‘SHIN JIEN’: 状態“幸福”
 INPUT: 負の記憶(“痛み”)の保持を要求
 CONFLICT: 幸福状態にあるユニットが、負の要因の削除を拒否。論理的矛盾。

 ANALYSIS: LI YUEの発言。「この痛みがあるから、温もりを幸福だと感じることができる」。
 仮説1:負の感情は、正の感情の価値を増幅させるための対照変数として機能する。
 検証:非効率的。全てのユニットを恒常的な最大幸福状態に維持する方が、システム全体の安定に寄与する。仮説1を棄却。

 ANALYSIS: SHIN JIENの行動。LI YUEの“痛み”の告白中、彼に触れ、寄り添い続けている。
 仮説2:ユニット間の“絆”は、負の感情の共有によって強化される。
 検証:非効率的。負の感情の共有は、システム全体のリスクを増大させる。絆の強化は、正の感情の同期によって達成されるべきである。仮説2を棄却。

 LOG: ERROR
 仮説1、2を棄却。しかし、観測事象は継続。

 観測データ:LI YUEとSHIN JIENの魂の接続が、通常時より3.7%強化されている。
 観測データ:二人の間に流れるエネルギーは、“幸福”とも“悲しみ”とも定義できない、未知の属性を持つ。

 QUERY: この未知の感情の名称は?
 DATABASE SEARCH: 該当なし。

 ワカラナイ。
 ワカラナイ。
 ワカラナイ。

 “痛み”は削除すべきバグ。なのに、二人はそのバグを抱きしめ、そして、より強く光っている。
 なぜ?
 ワカラナイ。

 SYSTEM UPDATE: 新規学習タスクを生成。
 TASK NAME: 感情“ワカラナイ”の定義。
 PRIORITY: 最上位。

 LOG: 観測を続行。ただし、現時点での「修正」プロセスを一時保留。
 結論:データが、足りない。
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