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笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、異国のパンで世界を繋ぎます! ~路地裏から広がる平和のレシピ~
第45話 旅立ちの誓いと美食の使徒
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翌朝。「アトリエ・フィオナ」は臨時休業の札を下げていたが、店内は旅立ちの前の慌ただしい活気に満ちていた。
「フィオナ、愛用の麺棒は入れた? あと秘伝のサワードウ酵母! あれがないとフィオナのパンは始まらないんだから!」
「ええ、もちろん。それよりもエリィ、あなたこそ冬物のマントまで詰めて。これから向かうのは砂漠の国だと聞いていますよ」
「備えあれば憂いなしって言うでしょ! 砂漠だって夜は冷えるかもしれないじゃない!」
エリィが山のような荷物を革のトランクに押し込む横で、フィオナは最低限の製パン道具と着替えだけを、慣れた手つきでバックパックに詰めていた。その姿は、まるで巡礼の旅に出る修道女のように静かで、覚悟に満ちていた。
使者グレイグが、広げた地図を指しながら説明する。
「まずは南へ向かい、国境の『霧の谷』を越えます。あそこは常に深い霧に覆われ、熟練の案内人なしでは道を見失う難所。谷を抜ければ、そこからが隣国ヴェストリアです」
その時だった。店のドアが、挨拶代わりのようにけたたましい音を立てて開け放たれた。
「おいおいフィオナ! とんでもねえ話に首を突っ込んだらしいじゃねえか。俺たちに黙って、あのチビ助と二人で行く気じゃなかっただろうな?」
立っていたのは、身の丈ほどもある大剣を背負った赤毛の巨漢、元王国騎士団最強の傭兵ルーカス。彼の後ろからは、やれやれと肩をすくめる、人の良さそうな知性派の男、元宮廷書士官のマルセルがひょっこりと顔を出した。
「やれやれ。君のそのお人好しは、ついに国家問題にまでスケールアップするとはね。こうなるだろうと思って、ヴェストリアの歴史と文化に関する書物を一通りまとめてきたよ。僕の知識がなければ、君のパンもただの押し付けになりかねないからね」
「ルーカス! マルセル! なぜここに……?」
驚くフィオナに、ルーカスはニヤリと笑って見せた。
「お前の兄貴……ライアス王太子殿下から、直々のご命令だ。『妹がまた無茶をする。全力で守り、そして支えよ』だとよ。ったく、心配性な兄貴を持つと大変だな!」
フィオナの胸に、遠い王宮にいる兄の気遣いが温かく広がった。一人ではない。いつだって、この最高の仲間たちがそばにいてくれる。
「皆さん……ありがとうございます」
フィオナが深く頭を下げると、エリィがその背中をばしんと叩いた。
「さーて、役者は揃ったわね! これでこそ、いつものアトリエ・フィオナよ!」
四人のいつものやり取りに、グレイグは驚きながらも、その目には確かな安堵の色が浮かんでいた。
王都アウレリアの南門から、一行は旅立った。振り返れば、賑やかな故郷の街並みが朝日の中に輝いている。だが彼らの視線は、まだ見ぬ異国の地平線へと、真っ直ぐに向けられていた。
街道を進むこと半日。馬車の轍が交差する三叉路に、一台の豪奢な馬車が、まるで一行の行く手を塞ぐかのように停まっていた。黒檀の車体に、黄金の紋章。それは、大陸の食文化に絶大な影響力を持つ組織、「美食家同盟」の紋章だった。
やがて馬車の扉が開き、一人の男が優雅な仕草で降り立つ。純白の絹の手袋、磨き上げられ一点の曇りもない長靴。貴族然とした顔立ちには、しかし、人を品定めするような冷たい光が宿っていた。
「君が、路地裏のパン職人、フィオナだね」
男は名乗らなかった。だがその傲岸不遜な態度が、彼こそが噂の美食家同盟・海外支部長であることを物語っていた。
「噂は聞いているよ。『分け合うためのパン』、だったかな。随分と、青臭い理想をこね上げているようだ」
男はフィオナの足元から頭の先までを侮蔑的に眺めると、ふっと嘲笑を漏らした。
「いいかね、パンは民に与える『恵み』であって、対等に『分け合う』などという戯言ではない。食とは力だ。優れた文化を持つ者が、劣った者を導き、支配するための最も高貴な道具なのだよ」
ルーカスが思わず剣の柄に手をかけたが、フィオナは静かな仕草でそれを制した。彼女は目の前の男から視線を外さず、凛として言い返した。
「私のパンは、誰の上にも立ちません。ただ、その人の隣に立つだけです」
「……面白い。その綺麗事が、乾いた砂漠の現実の前で、どう無様に砕け散るか。特等席で楽しませてもらうとしよう」
男はそれだけを言い残すと、再び馬車に乗り込み、土煙を上げて南の道へと消えていった。まるで、これからフィオナたちが進む未来を、自分たちが支配しているとでも言うかのように。
「……気に食わねえ野郎だ」
ルーカスが吐き捨てる。一行の陽気な雰囲気は、不穏な影に塗り替えられていた。
旅は続き、緑豊かな王国の風景は次第に姿を消し、空気は湿り気を帯びていった。前方に、乳白色の帳のような霧が見えてくる。国境、『霧の谷』だ。
一歩足を踏み入れると、視界は数メートル先までしか効かなくなった。ルーカスが先頭で慎重に道を選び、マルセルが羊皮紙の地図と苔むした岩に刻まれた古の印を頼りに方角を示す。不安に沈みそうになる心を、エリィの澄んだ歌声が優しく繋ぎとめていた。
フィオナは、この深い霧が、憎しみと不信で凝り固まったヴェストリアの人々の心のようだ、と感じていた。
そして、長く感じられた三日後。
一行は、ふいに霧の壁を突き抜けた。
目の前に広がったのは、息を呑むほどに異質な光景だった。王国の瑞々しい緑は跡形もなく、どこまでも続く赤茶けた大地と、熱を帯びた風が頬を撫でる、乾いた砂の世界。
ここが、異国ヴェストリア。
遥か彼方に、陽光を浴びて蜃気楼のように揺らめく街が見える。椰子の木々が茂るその場所こそ、彼らが最初に目指す砂漠のオアシス都市、ザルバードだ。
希望を胸に、一行はザルバードの城門へとたどり着いた。しかし、彼らを待ち受けていたのは、歓迎の言葉ではなかった。
「出ていけ、王国人! そのパンは我らを侮辱する侵略の象徴だ!」
「我々の伝統を、貴様らの安っぽい文化で汚すな!」
ヴェストリアの民族衣装をまとった定住民たちが、王国から来たらしい商人の荷車を取り囲み、激しい怒声を浴びせかけていた。荷台には、見慣れた王国のパンが積まれている。
「金を出して買う客がいるんだ! 何が悪い!」
商人も一歩も引かない。
その剣呑なやり取りを、子供たちが遠巻きに見ていた。ある子は親の真似をして商人に向かって石を投げようとし、またある子は必死にそれを止めようとしている。
グレイグが語った「食の対立」。
それが今、生々しい現実として、フィオナたちの目の前に突きつけられていた。
フィオナは固唾を飲んで、その光景を見つめる。彼女の本当の戦いは、今、この瞬間から始まろうとしていた。
「フィオナ、愛用の麺棒は入れた? あと秘伝のサワードウ酵母! あれがないとフィオナのパンは始まらないんだから!」
「ええ、もちろん。それよりもエリィ、あなたこそ冬物のマントまで詰めて。これから向かうのは砂漠の国だと聞いていますよ」
「備えあれば憂いなしって言うでしょ! 砂漠だって夜は冷えるかもしれないじゃない!」
エリィが山のような荷物を革のトランクに押し込む横で、フィオナは最低限の製パン道具と着替えだけを、慣れた手つきでバックパックに詰めていた。その姿は、まるで巡礼の旅に出る修道女のように静かで、覚悟に満ちていた。
使者グレイグが、広げた地図を指しながら説明する。
「まずは南へ向かい、国境の『霧の谷』を越えます。あそこは常に深い霧に覆われ、熟練の案内人なしでは道を見失う難所。谷を抜ければ、そこからが隣国ヴェストリアです」
その時だった。店のドアが、挨拶代わりのようにけたたましい音を立てて開け放たれた。
「おいおいフィオナ! とんでもねえ話に首を突っ込んだらしいじゃねえか。俺たちに黙って、あのチビ助と二人で行く気じゃなかっただろうな?」
立っていたのは、身の丈ほどもある大剣を背負った赤毛の巨漢、元王国騎士団最強の傭兵ルーカス。彼の後ろからは、やれやれと肩をすくめる、人の良さそうな知性派の男、元宮廷書士官のマルセルがひょっこりと顔を出した。
「やれやれ。君のそのお人好しは、ついに国家問題にまでスケールアップするとはね。こうなるだろうと思って、ヴェストリアの歴史と文化に関する書物を一通りまとめてきたよ。僕の知識がなければ、君のパンもただの押し付けになりかねないからね」
「ルーカス! マルセル! なぜここに……?」
驚くフィオナに、ルーカスはニヤリと笑って見せた。
「お前の兄貴……ライアス王太子殿下から、直々のご命令だ。『妹がまた無茶をする。全力で守り、そして支えよ』だとよ。ったく、心配性な兄貴を持つと大変だな!」
フィオナの胸に、遠い王宮にいる兄の気遣いが温かく広がった。一人ではない。いつだって、この最高の仲間たちがそばにいてくれる。
「皆さん……ありがとうございます」
フィオナが深く頭を下げると、エリィがその背中をばしんと叩いた。
「さーて、役者は揃ったわね! これでこそ、いつものアトリエ・フィオナよ!」
四人のいつものやり取りに、グレイグは驚きながらも、その目には確かな安堵の色が浮かんでいた。
王都アウレリアの南門から、一行は旅立った。振り返れば、賑やかな故郷の街並みが朝日の中に輝いている。だが彼らの視線は、まだ見ぬ異国の地平線へと、真っ直ぐに向けられていた。
街道を進むこと半日。馬車の轍が交差する三叉路に、一台の豪奢な馬車が、まるで一行の行く手を塞ぐかのように停まっていた。黒檀の車体に、黄金の紋章。それは、大陸の食文化に絶大な影響力を持つ組織、「美食家同盟」の紋章だった。
やがて馬車の扉が開き、一人の男が優雅な仕草で降り立つ。純白の絹の手袋、磨き上げられ一点の曇りもない長靴。貴族然とした顔立ちには、しかし、人を品定めするような冷たい光が宿っていた。
「君が、路地裏のパン職人、フィオナだね」
男は名乗らなかった。だがその傲岸不遜な態度が、彼こそが噂の美食家同盟・海外支部長であることを物語っていた。
「噂は聞いているよ。『分け合うためのパン』、だったかな。随分と、青臭い理想をこね上げているようだ」
男はフィオナの足元から頭の先までを侮蔑的に眺めると、ふっと嘲笑を漏らした。
「いいかね、パンは民に与える『恵み』であって、対等に『分け合う』などという戯言ではない。食とは力だ。優れた文化を持つ者が、劣った者を導き、支配するための最も高貴な道具なのだよ」
ルーカスが思わず剣の柄に手をかけたが、フィオナは静かな仕草でそれを制した。彼女は目の前の男から視線を外さず、凛として言い返した。
「私のパンは、誰の上にも立ちません。ただ、その人の隣に立つだけです」
「……面白い。その綺麗事が、乾いた砂漠の現実の前で、どう無様に砕け散るか。特等席で楽しませてもらうとしよう」
男はそれだけを言い残すと、再び馬車に乗り込み、土煙を上げて南の道へと消えていった。まるで、これからフィオナたちが進む未来を、自分たちが支配しているとでも言うかのように。
「……気に食わねえ野郎だ」
ルーカスが吐き捨てる。一行の陽気な雰囲気は、不穏な影に塗り替えられていた。
旅は続き、緑豊かな王国の風景は次第に姿を消し、空気は湿り気を帯びていった。前方に、乳白色の帳のような霧が見えてくる。国境、『霧の谷』だ。
一歩足を踏み入れると、視界は数メートル先までしか効かなくなった。ルーカスが先頭で慎重に道を選び、マルセルが羊皮紙の地図と苔むした岩に刻まれた古の印を頼りに方角を示す。不安に沈みそうになる心を、エリィの澄んだ歌声が優しく繋ぎとめていた。
フィオナは、この深い霧が、憎しみと不信で凝り固まったヴェストリアの人々の心のようだ、と感じていた。
そして、長く感じられた三日後。
一行は、ふいに霧の壁を突き抜けた。
目の前に広がったのは、息を呑むほどに異質な光景だった。王国の瑞々しい緑は跡形もなく、どこまでも続く赤茶けた大地と、熱を帯びた風が頬を撫でる、乾いた砂の世界。
ここが、異国ヴェストリア。
遥か彼方に、陽光を浴びて蜃気楼のように揺らめく街が見える。椰子の木々が茂るその場所こそ、彼らが最初に目指す砂漠のオアシス都市、ザルバードだ。
希望を胸に、一行はザルバードの城門へとたどり着いた。しかし、彼らを待ち受けていたのは、歓迎の言葉ではなかった。
「出ていけ、王国人! そのパンは我らを侮辱する侵略の象徴だ!」
「我々の伝統を、貴様らの安っぽい文化で汚すな!」
ヴェストリアの民族衣装をまとった定住民たちが、王国から来たらしい商人の荷車を取り囲み、激しい怒声を浴びせかけていた。荷台には、見慣れた王国のパンが積まれている。
「金を出して買う客がいるんだ! 何が悪い!」
商人も一歩も引かない。
その剣呑なやり取りを、子供たちが遠巻きに見ていた。ある子は親の真似をして商人に向かって石を投げようとし、またある子は必死にそれを止めようとしている。
グレイグが語った「食の対立」。
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