笑顔が苦手な元公爵令嬢ですが、路地裏のパン屋さんで人生やり直し中です。~「悪役」なんて、もう言わせない!~

虹湖🌈

文字の大きさ
78 / 96
陽だまりのアトリエと、小さな麦の穂 〜守り神と育む、家族のレシピ〜

第78話 枯れた花と、泣いている心

しおりを挟む
 その日、アトリエ・フィオナの庭先に、一輪の枯れた花が落ちていた。 連日のように続く「パン生地の不調」の原因を探るため、フィオナが少し目を離した、ほんのわずかな隙の出来事だった。

「……あーあ。かれちゃった」 庭で遊んでいたアルトが、しゃがみこんでその花を見つめている。 「残念だね、アルト君」 いつの間にか、グレイがその背後に立っていた。彼の手には、描きかけのスケッチブックが握られている。 「命あるものは、いつか必ず枯れる。それは、この世界の悲しい理(ことわり)なんだよ」 その声は優しかったが、どこか諦観(ていかん)に満ちていた。

 アルトは、不思議そうにグレイを見上げた。 「ことわり……?」 「そう。一度失われたものは、二度と戻らない。……どんなに、願ってもね」 グレイの瞳が、一瞬だけ、深い井戸の底のような暗い色を帯びた。

 アルトは、ふうん、と小さく首をかしげると、その枯れた花に、そっと小さな両手をかざした。 「……だいじょうぶ。ねんね、してるだけ」 「え?」 アルトが、何かを祈るように目を閉じる。 すると。 カサカサに乾いていた茶色い花びらに、見る見るうちに瑞々しい水分が戻り始めた。茎がピンと立ち上がり、鮮やかな青い色が、奇跡のように蘇っていく。

「なっ……!?」 グレイが、息を呑んだ。画家としての穏やかな仮面が、音を立ててひび割れる。 (馬鹿な……これは、蘇生!? いや、活性化か? まさか、これほどの力を、こんな幼児が……!) 彼の科学者としての本能が、目の前の「奇跡のサンプル」に対し、抑えがたい渇望を抱いた。

「……すごいな。アルト君、今のを、もう一度見せてくれるかい?」 グレイは、衝動的にアルトの小さな手首を掴んだ。その力は、子供に向けるにはあまりに強すぎた。 「いたい……」 アルトが顔をしかめる。 「どうやったんだ? 君には、『何』が聞こえている? 命の根源か? それとも……」 「いたいよ、おじちゃん!」

 その時、アルトの瞳が、大きく見開かれた。 掴まれた手首を通して、流れ込んでくる、奔流のような感情。それは、目の前の優しそうなおじちゃんの中に渦巻く、とてつもなく冷たく、そして悲しい「色」だった。

「……おじちゃん、ないてるの?」 アルトの無垢な言葉に、グレイが凍り付いた。 「……なんだって?」 「こころが、すっごく、ないてる。……さみしいよ、あいたいよって、ないてる」

 その言葉は、鋭利な刃物となって、グレイの最も柔らかく、隠しておきたかった傷口を正確に貫いた。 「き、君は……! 私の、何が分かるというんだ!」 彼が激昂しかけた、その瞬間。

「てめえ……! 俺の息子に何してやがる!!」

 ドォン! と、裏口の扉が蹴破られた。 飛び出してきたのは、全身から殺気を立ち上らせたルーカスだった。彼は瞬時に間合いを詰めると、グレイの腕を万力のような力でねじ上げ、アルトから引き剥がした。 「きゅううううっ!!」 同時に、ホズネが黄金の閃光となって飛びかかり、グレイの足元を鋭い牙で威嚇する。

「……っ!」 グレイは、痛みに顔を歪めながらも、すぐにいつもの「人の良さそうな画家」の仮面を貼り付けた。 「ご、誤解です! アルト君が転びそうになったので、助けようと……」 「黙れ。その嘘くさい笑顔は、もう見飽きたんだよ」 ルーカスの瞳は、獲物を前にした獣のように冷たく据わっていた。 「お前、ここ数日、厨房の近くをうろついてたな? フィオナのパンが膨らまなくなったのは、お前が何か仕込んだからじゃねえのか?」

 場の空気が、張り詰める。フィオナも、騒ぎを聞きつけて飛び出してきた。 「ルーカス! 何があったの!?」 「フィオナ、アルトを連れて下がってろ。こいつは、ただの絵描きじゃねえ」

 追い詰められたグレイは、ゆっくりと体を起こした。揉みくちゃになった服の襟を直すと、その顔から、これまで浮かべていた「人懐っこい笑み」が、完全に消え失せた。 後に残ったのは、氷のように冷徹で、しかしどこか悲壮な決意を秘めた、科学者の顔だった。

「……素晴らしい。君の勘は、野生動物並みだな」 グレイは、怯えるアルトを一瞥した。 「やはり、君は『適合者(オリジナル)』だ。あの枯れた花を蘇らせた力……間違いなく、世界を救う鍵となる」 「世界を救う、ですって……?」 フィオナが、アルトを抱きしめながら問う。

 その時、マルセルが、分厚い資料を抱えて駆け込んできた。 「奴を逃がすな、ルーカス! そいつは『根源の探求者(ルート・シーカーズ)』の逃亡科学者、グレイ・ベルモンドだ!」 マルセルが、資料の一枚を叩きつけるように示した。 「彼は数年前、流行り病で妻と娘を同時に失っている。それ以来、禁忌とされる『生命の保存と再生』の研究に没頭し、学会を追放された男だ!」

 正体を見抜かれたグレイは、しかし、悪びれる様子もなく、静かに微笑んだ。 「……ああ。そうだ。私は、失われたものを取り戻したい。二度と、悲しみが繰り返されない世界を作りたいのだ」 彼の瞳の奥に、狂気にも似た、純粋すぎる願いの光が宿る。 「君たちには、愛がある。幸せがある。だが……世界には、理不尽に奪われ、泣いている命が溢れているんだ! その命を救うためなら、私は悪魔にだって魂を売る!」

「だからって……私の息子を、実験材料にする気!?」 フィオナの叫びに、グレイは悲しげに首を振った。 「犠牲ではない。崇高な『礎(いしずえ)』だよ。……また来る。その子は、人類の未来そのものだ」

 グレイは懐から何かを取り出すと、地面に叩きつけた。強烈な閃光と煙幕が視界を奪う。 「くそっ、待ちやがれ!」 煙が晴れた時、そこにはもう、彼の姿はなかった。ただ、庭先に落ちたスケッチブックだけが、幸せだった日常の残骸のように取り残されていた。

「……ぱぱ、まま……」 アルトが、フィオナの腕の中で、小さく震えながら呟いた。 「……あのおじちゃん、やっぱり……すごく、ないてた」

 フィオナは、息子を強く、強く抱きしめた。 敵は、ただの悪党ではなかった。あまりに深い悲しみを抱え、それゆえに絶対に止まることのない、哀しい鬼だった。 陽だまりのアトリエに、決して消えない戦いの火蓋が、切って落とされた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】私を捨てた皆様、どうぞその選択を後悔なさってください 〜婚約破棄された令嬢の、遅すぎる謝罪はお断りです〜

くろねこ
恋愛
王太子の婚約者として尽くしてきた公爵令嬢エリシアは、ある日突然、身に覚えのない罪で断罪され婚約破棄を言い渡される。 味方だと思っていた家族も友人も、誰一人として彼女を庇わなかった。 ――けれど、彼らは知らなかった。 彼女こそが国を支えていた“本当の功労者”だったことを。 すべてを失ったはずの令嬢が選んだのは、 復讐ではなく「関わらない」という選択。 だがその選択こそが、彼らにとって最も残酷な“ざまぁ”の始まりだった。

【完結】婚約破棄された辺境伯爵令嬢、氷の皇帝に溺愛されて最強皇后になりました

きゅちゃん
ファンタジー
美貌と知性を兼ね備えた辺境伯爵令嬢エリアナは、王太子アレクサンダーとの婚約を誇りに思っていた。しかし現れた美しい聖女セレスティアに全てを奪われ、濡れ衣を着せられて婚約破棄。故郷に追放されてしまう。 そんな時、隣国の帝国が侵攻を開始。父の急死により戦場に立ったエリアナは、たった一人で帝国軍に立ち向かうことにー 辺境の令嬢がどん底から這い上がる、最強の復讐劇が今始まる!

処刑前夜に逃亡した悪役令嬢、五年後に氷の公爵様に捕まる〜冷徹旦那様が溺愛パパに豹変しましたが私の抱いている赤ちゃん実は人生2周目です〜

放浪人
恋愛
「処刑されるなんて真っ平ごめんです!」 無実の罪で投獄された悪役令嬢レティシア(中身は元社畜のアラサー日本人)は、処刑前夜、お腹の子供と共に脱獄し、辺境の田舎村へ逃亡した。 それから五年。薬師として穏やかに暮らしていた彼女のもとに、かつて自分を冷遇し、処刑を命じた夫――「氷の公爵」アレクセイが現れる。 殺される!と震えるレティシアだったが、再会した彼は地面に頭を擦り付け、まさかの溺愛キャラに豹変していて!? 「愛しているレティシア! 二度と離さない!」 「(顔が怖いです公爵様……!)」 不器用すぎて顔が怖い旦那様の暴走する溺愛。 そして、二人の息子であるシオン(1歳)は、実は前世で魔王を倒した「英雄」の生まれ変わりだった! 「パパとママは僕が守る(物理)」 最強の赤ちゃんが裏で暗躍し、聖女(自称)の陰謀も、帝国の侵略も、古代兵器も、ガラガラ一振りで粉砕していく。

私を追放した王子が滅びるまで、優雅にお茶を楽しみますわ

タマ マコト
ファンタジー
王国の茶会の場で、マリアンヌは婚約者である王子アレクシスから突然の婚約破棄を告げられる。 理由は「民に冷たい」という嘘。 新しい聖女リリアの策略により、マリアンヌは「偽りの聖女」として追放される。 だがマリアンヌは涙を見せず、静かに礼をしてその場を去る。 辺境の地で彼女は小さな館を構え、「静寂の館」と名づけ、紅茶と共に穏やかな日々を過ごし始める。 しかし同時に、王都では奇跡が失われ、作物が枯れ始めていた――。

虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました

たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。

断罪される前に市井で暮らそうとした悪役令嬢は幸せに酔いしれる

葉柚
恋愛
侯爵令嬢であるアマリアは、男爵家の養女であるアンナライラに婚約者のユースフェリア王子を盗られそうになる。 アンナライラに呪いをかけたのはアマリアだと言いアマリアを追い詰める。 アマリアは断罪される前に市井に溶け込み侯爵令嬢ではなく一市民として生きようとする。 市井ではどこかの王子が呪いにより猫になってしまったという噂がまことしやかに流れており……。

【完結】辺境に飛ばされた子爵令嬢、前世の経営知識で大商会を作ったら王都がひれ伏したし、隣国のハイスペ王子とも結婚できました

いっぺいちゃん
ファンタジー
婚約破棄、そして辺境送り――。 子爵令嬢マリエールの運命は、結婚式直前に無惨にも断ち切られた。 「辺境の館で余生を送れ。もうお前は必要ない」 冷酷に告げた婚約者により、社交界から追放された彼女。 しかし、マリエールには秘密があった。 ――前世の彼女は、一流企業で辣腕を振るった経営コンサルタント。 未開拓の農産物、眠る鉱山資源、誠実で働き者の人々。 「必要ない」と切り捨てられた辺境には、未来を切り拓く力があった。 物流網を整え、作物をブランド化し、やがて「大商会」を設立! 数年で辺境は“商業帝国”と呼ばれるまでに発展していく。 さらに隣国の完璧王子から熱烈な求婚を受け、愛も手に入れるマリエール。 一方で、税収激減に苦しむ王都は彼女に救いを求めて―― 「必要ないとおっしゃったのは、そちらでしょう?」 これは、追放令嬢が“経営知識”で国を動かし、 ざまぁと恋と繁栄を手に入れる逆転サクセスストーリー! ※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。

婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします

タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。 悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。

処理中です...