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陽だまりのアトリエと、小さな麦の穂 〜守り神と育む、家族のレシピ〜
第83話 頑固者の叡智と、生命を宿すレシピ
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フィオナは、マルセルに窯の修理と警戒を任せると、裏口からそっとアトリエを後にした。
工房は、昨日の敵の妨害工作のせいで、薬品の匂いと焦げ付いた石の異臭が混じり合い、まるで重い病を患っているかのようだった。
彼女の心は、王宮の査察官が放った言葉のように、シャンデリアの光のようにきらびやかで、それでいて体を締め付けるコルセットのように息苦しい不安で満たされていた。
アカデミー強硬派は、アルトの規格外の力を「公共の資源」として管理しようとしている。
彼らがアルトに求めているのは、愛情ではなく、制御と支配だった。
(力で支配する……。私がかつていた、あの金色の鳥かごと同じ)
この難問に、自分の持つパン職人としての技術だけでは立ち向かえないことを、フィオナは悟っていた。
彼女に必要なのは、理論でも戦略でもなく、パンの魂に関する、根源的な叡智だった。
フィオナが向かった先は、王都の庶民街にある師匠――レオン・ブランシュールのパン屋だった。
「ブランシュール」の店先は、フィオナのアトリエとは違い、穏やかな麦の香りに満ちていた。
窯から取り出されたパンは、どれもが力強く、素朴な命の輝きを放っている。
フィオナが恐る恐る店の奥へ進むと、レオンはいつものように小麦粉まみれの作業台に向かい、生地を叩きつけていた。
彼はフィオナの姿を認めると、手を止めず、鼻で笑った。
「あん? 何だ、嬢ちゃん。朝からその死んだような顔は。てめえのパン屋が燃えたか、それとも恋わずらいか?」
「親方」
フィオナは深々と頭を下げた。
「実は、ご相談したいことが……途方もない、命に関わる話なんです」
フィオナは、アルトの持つ「生命活性化能力」のこと、それがアカデミー強硬派に狙われていること、彼らがアルトの力を「科学的な管理下」に置こうとしていることを、隠さずに全て語った。
レオンは、黙ってフィオナの話を聞いていたが、やがてフンと鼻を鳴らした。
「馬鹿げた。パン屋に持ち込む話じゃねえな。てめえの息子が、神様が作った規格外のパン生地だと?
それを、理屈屋どもが、毒を使ってでも奪おうとしている、と?」
レオンの言葉は辛辣だが、その奥には強い憤りが滲んでいた。
「ええ。彼らは、アルトの力を『管理された秩序』として完成させれば、世界は平和になると信じています。
ですが、私は……」
フィオナは唇を噛んだ。
「窯は壊され、清浄な水もない。私の技術は、彼らの『科学』と『毒』の前に、あまりに無力でした」
レオンは、フィオナから視線を外し、自分の作業台の上にある、発酵を始めたばかりのパン生地をじっと見つめた。
その生地は、生きて呼吸しているかのように、かすかに膨らんでいる。
「ふん。てめえが、まだ半人前だってことだろうが」
「……」
「てめえのパンは温かい。誰かを想う気持ちは、確かに伝わる。
だがな、フィオナ。パンは感傷だけじゃ焼けねえ。特に、てめえが抱えている『生命の塊』を扱うなら、なおさらだ」
レオンは、作業台の奥から、使い込まれた古い文献の写しを乱暴に引っ張り出した。
「これを見ろ。古代の文献に記された、『生命を宿すパン』の記述だ。
昔から、パン職人ってのは、ただ食い物を焼いていただけじゃねえ。
大地と命の循環を司る、巫女みてえな役割も担ってきた」
フィオナが写しを覗き込むと、そこにはレオンの筆跡とは違う、古代の文字が記されていた。
レオンは、ぶっきらぼうにその一節を指さした。
「いいか、『力で支配せず、寄り添って育む』。
パンってのは、押さえつければ押さえつけるほど、頑なに固く、美味くなくなる。
酵母(命)の機嫌を損ねないように、その力を尊重し、導くのが職人の仕事だ。
そいつは、てめえの息子にも、ホズネの力にも、まったく同じことが言える」
フィオナの碧眼が、ハッと見開かれた。
(そうか! アカデミーがやろうとしているのは、制御(支配)だ。
でも、アルトの力は、陽光の酵母と同じ、自由な生命力そのもの。
それを抑え込むのではなく、母の愛と知恵で、その力を最大限に引き出してあげることが、私にできること……!)
フィオナは、レオンの言葉が、力による制御ではなく、愛情による導きこそがアルトの能力を最大限に引き出す道だということを理解した。
フィオナは、もう一度、深く頭を下げた。
彼女の顔からは、迷いの色が消え失せ、静かな決意が宿っていた。
「ありがとうございます、親方。目が覚めました。
私に、私の愛で、あの生命を宿すパンを焼く術を、教えてくださって」
「誰が親方だと言っとるだろうが!」
レオンは怒鳴ったが、その声には、どこか満足げな響きがあった。
「とっとと帰って、てめえの誇りを窯にぶち込んでこい。
パン職人なら、貴族の理屈なんぞ、パンの味で黙らせてやれ!」
フィオナは、冷たい現実(王宮)へ戻ることを恐れてはいない。
パン職人の誇りをかけて、王宮での「パンの真実」を問う戦いに挑むことを決意した瞬間だった。
工房は、昨日の敵の妨害工作のせいで、薬品の匂いと焦げ付いた石の異臭が混じり合い、まるで重い病を患っているかのようだった。
彼女の心は、王宮の査察官が放った言葉のように、シャンデリアの光のようにきらびやかで、それでいて体を締め付けるコルセットのように息苦しい不安で満たされていた。
アカデミー強硬派は、アルトの規格外の力を「公共の資源」として管理しようとしている。
彼らがアルトに求めているのは、愛情ではなく、制御と支配だった。
(力で支配する……。私がかつていた、あの金色の鳥かごと同じ)
この難問に、自分の持つパン職人としての技術だけでは立ち向かえないことを、フィオナは悟っていた。
彼女に必要なのは、理論でも戦略でもなく、パンの魂に関する、根源的な叡智だった。
フィオナが向かった先は、王都の庶民街にある師匠――レオン・ブランシュールのパン屋だった。
「ブランシュール」の店先は、フィオナのアトリエとは違い、穏やかな麦の香りに満ちていた。
窯から取り出されたパンは、どれもが力強く、素朴な命の輝きを放っている。
フィオナが恐る恐る店の奥へ進むと、レオンはいつものように小麦粉まみれの作業台に向かい、生地を叩きつけていた。
彼はフィオナの姿を認めると、手を止めず、鼻で笑った。
「あん? 何だ、嬢ちゃん。朝からその死んだような顔は。てめえのパン屋が燃えたか、それとも恋わずらいか?」
「親方」
フィオナは深々と頭を下げた。
「実は、ご相談したいことが……途方もない、命に関わる話なんです」
フィオナは、アルトの持つ「生命活性化能力」のこと、それがアカデミー強硬派に狙われていること、彼らがアルトの力を「科学的な管理下」に置こうとしていることを、隠さずに全て語った。
レオンは、黙ってフィオナの話を聞いていたが、やがてフンと鼻を鳴らした。
「馬鹿げた。パン屋に持ち込む話じゃねえな。てめえの息子が、神様が作った規格外のパン生地だと?
それを、理屈屋どもが、毒を使ってでも奪おうとしている、と?」
レオンの言葉は辛辣だが、その奥には強い憤りが滲んでいた。
「ええ。彼らは、アルトの力を『管理された秩序』として完成させれば、世界は平和になると信じています。
ですが、私は……」
フィオナは唇を噛んだ。
「窯は壊され、清浄な水もない。私の技術は、彼らの『科学』と『毒』の前に、あまりに無力でした」
レオンは、フィオナから視線を外し、自分の作業台の上にある、発酵を始めたばかりのパン生地をじっと見つめた。
その生地は、生きて呼吸しているかのように、かすかに膨らんでいる。
「ふん。てめえが、まだ半人前だってことだろうが」
「……」
「てめえのパンは温かい。誰かを想う気持ちは、確かに伝わる。
だがな、フィオナ。パンは感傷だけじゃ焼けねえ。特に、てめえが抱えている『生命の塊』を扱うなら、なおさらだ」
レオンは、作業台の奥から、使い込まれた古い文献の写しを乱暴に引っ張り出した。
「これを見ろ。古代の文献に記された、『生命を宿すパン』の記述だ。
昔から、パン職人ってのは、ただ食い物を焼いていただけじゃねえ。
大地と命の循環を司る、巫女みてえな役割も担ってきた」
フィオナが写しを覗き込むと、そこにはレオンの筆跡とは違う、古代の文字が記されていた。
レオンは、ぶっきらぼうにその一節を指さした。
「いいか、『力で支配せず、寄り添って育む』。
パンってのは、押さえつければ押さえつけるほど、頑なに固く、美味くなくなる。
酵母(命)の機嫌を損ねないように、その力を尊重し、導くのが職人の仕事だ。
そいつは、てめえの息子にも、ホズネの力にも、まったく同じことが言える」
フィオナの碧眼が、ハッと見開かれた。
(そうか! アカデミーがやろうとしているのは、制御(支配)だ。
でも、アルトの力は、陽光の酵母と同じ、自由な生命力そのもの。
それを抑え込むのではなく、母の愛と知恵で、その力を最大限に引き出してあげることが、私にできること……!)
フィオナは、レオンの言葉が、力による制御ではなく、愛情による導きこそがアルトの能力を最大限に引き出す道だということを理解した。
フィオナは、もう一度、深く頭を下げた。
彼女の顔からは、迷いの色が消え失せ、静かな決意が宿っていた。
「ありがとうございます、親方。目が覚めました。
私に、私の愛で、あの生命を宿すパンを焼く術を、教えてくださって」
「誰が親方だと言っとるだろうが!」
レオンは怒鳴ったが、その声には、どこか満足げな響きがあった。
「とっとと帰って、てめえの誇りを窯にぶち込んでこい。
パン職人なら、貴族の理屈なんぞ、パンの味で黙らせてやれ!」
フィオナは、冷たい現実(王宮)へ戻ることを恐れてはいない。
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