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最終話 世界で一番、美しい仕事
あれから、どれくらいの時が、流れたのだろうか。
私のチーム――いつしか、神界や王国の間で、畏敬と、少しの親しみを込めて、そう呼ばれるようになった――は、数えきれないほどの「お仕事」を、こなしてきた。
海の底に沈んだ、古代文明の「呪詛のヘドロ」を浄化し、人魚の国を救ったこと。
狂った神が作曲した、「精神を汚染する楽譜」そのものを「清掃」し、美しい旋律だけを抽出したこと。
魔界に存在する、「嘘だけでできた図書館」の、全ての蔵書を「事実」に書き換えるという、途方もない業務監査を成し遂げたこともあった。
私たちは、いつしか、この世界の、あらゆる「汚れ」を解決する、最後の切り札となっていた。
そして、今。
私の聖域である、王立大書庫は、穏やかな、午後の光に満ちている。
そこにいる仲間たちの姿は、あの日から、ほとんど、変わることがない。
アストライアは、今や、神界でも一目置かれる、「改革と調整の女神」としての威厳を、その身にまとっている。…まあ、私におやつをねだる時の顔は、昔のままの、ポンコツ女神だが。
リオは、かつての、投げやりな少年から、自らの「無効化」の力を完全に制御し、静かな自信を湛える、精悍な青年へと、成長した。
ジルドンは、変わらない。今日も、私の書庫の一角に、彼専用の小さな工房を構え、神の素材と、古代の技術を、楽しそうに、いじくりまわしている。
ゴーレムたちは、いつものように、完璧な仕事で、この聖域の秩序を、維持し続けている。
皆、ほとんど、年を取らない。
ただ、一人。
この、わたくしだけを、除いては。
「…っとと」
私は、リクライニングチェアから立ち上がろうとして、軋む膝の痛みに、小さく、顔をしかめた。
白髪が増え、背中は少し丸くなり、かつてのように、重い神具(掃除道具)を、振り回すことは、もう、できなくなっていた。
最近では、ケルベロスの、あの、少し揺れるコクピットに乗り込むのすら、億劫に感じる時がある。
『師匠! ご無理はいけません!』
「大丈夫ですよ。…ただ、少し、年を取った、というだけです」
アストライアが、慌てて、私の腕を支えようとする。
リオが、何も言わずに、私のために、杖を差し出す。
ジルドンが、私の体の負担を軽減するための、新しい「歩行補助機」の設計図を、頭の中で、描き始めているのが、その目を見れば、分かった。
皆、優しい。
だからこそ、私は、プロとして、認めなければならなかった。
自らの「肉体」が、もはや、この最高のチームの、パフォーマンスにおける、最大の足枷(ボトルネック)になっている、という、事実を。
そんな、ある日。
世界を揺るがす、最後の「大仕事」の依頼が、舞い込んだ。
それは、最高神からの、直接の、神託だった。
世界の、その、さらに外側。
宇宙の法則そのものが、綻び始め、あらゆる物事が、その「意味」と「形」を失い、混沌へと回帰していく、究極の「汚れ」。
――『万象の摩耗(エントロピー・ステイン)』。
それは、もはや、現地に赴いて、どうこうできる問題ではなかった。
「…そうか。ついに、来ましたか」
私は、自分の、しわの増えた手を見つめ、そして、静かに、笑った。
これが、私の、最後の現場。
そして、最高の現場だ。
私は、自分のリクライニングチェアに、深く、身を沈めた。
そして、静かに、目を閉じる。
「アストライア。あなたは、神界の全エネルギーを、わたくしの計算通りに、供給してください」
『はい、師匠!』
「ジルドン。あなたには、今から、わたくしの脳内に直接、転送する設計図で、最後の『神具』を、作り上げていただきます。時間は、ありませんよ」
「…………(深く、力強い頷き)」
「リオ。あなたの力で、綻んだ時空の『揺らぎ』そのものを、完全に、停止させなさい。わたくしが、作業を終える、その、一瞬だけで、いい」
「…へっ。任せとけ、師匠。あんたの最後の仕事の、最高の『下地』を、作ってやるよ」
「ゴーレムたち。あなたたちは、わたくしの、手足です。わたくしの思考と、完全に、リンクなさい」
『御意ニ、マスター』
私は、もう、現場には行かない。
重い道具を、持つこともない。
私の体は、ただ、ここに、座っているだけ。
だが、私の意識は、かつてないほど、鋭く、そして、広く、研ぎ澄まされていく。
私の「チーム」が、私の、手足となる。
私の「経験」が、最高の設計図を描き出す。
そして、私の「プロ意識」が、この、宇宙最大の「汚れ」に、最後の「お掃除」を、敢行する。
それは、もはや、物理的な作業ではない。
宇宙の、バグだらけになった、ソースコードを、直接、書き換えるような、究極の、概念的清掃。
私の頭の中で、星々が、あるべき場所へと、整理され、綻んだ因果律が、美しく、修復されていく。
どれほどの時間が、経っただろうか。
私が、ゆっくりと、目を開けた時。
世界の全ては、その輝きを、取り戻していた。
「……業務、完了」
私の、その、かすれた呟きを、仲間たちが、温かい沈黙で、迎えてくれた。
私は、もう、一人では、床一枚、磨くことすら、できないかもしれない。
(ですが…)
私は、仲間たちの顔を、一人、一人、見渡す。
そして、心からの、満足と共に、思う。
(…わたくしの『仕事』は、今、この瞬間こそが、最も、完璧で、最も、美しい)
プロフェッショナルとしての、その、最後の矜持。
それだけを胸に、私は、愛用のリクライニングチェアで、穏やかに、そして、深く、満ち足りた、眠りへと、ついていった。
私の、最高に効率的で、最高に騒がしくて、そして、最高に楽しかった、「お仕事」の、全てを、終えて。
私のチーム――いつしか、神界や王国の間で、畏敬と、少しの親しみを込めて、そう呼ばれるようになった――は、数えきれないほどの「お仕事」を、こなしてきた。
海の底に沈んだ、古代文明の「呪詛のヘドロ」を浄化し、人魚の国を救ったこと。
狂った神が作曲した、「精神を汚染する楽譜」そのものを「清掃」し、美しい旋律だけを抽出したこと。
魔界に存在する、「嘘だけでできた図書館」の、全ての蔵書を「事実」に書き換えるという、途方もない業務監査を成し遂げたこともあった。
私たちは、いつしか、この世界の、あらゆる「汚れ」を解決する、最後の切り札となっていた。
そして、今。
私の聖域である、王立大書庫は、穏やかな、午後の光に満ちている。
そこにいる仲間たちの姿は、あの日から、ほとんど、変わることがない。
アストライアは、今や、神界でも一目置かれる、「改革と調整の女神」としての威厳を、その身にまとっている。…まあ、私におやつをねだる時の顔は、昔のままの、ポンコツ女神だが。
リオは、かつての、投げやりな少年から、自らの「無効化」の力を完全に制御し、静かな自信を湛える、精悍な青年へと、成長した。
ジルドンは、変わらない。今日も、私の書庫の一角に、彼専用の小さな工房を構え、神の素材と、古代の技術を、楽しそうに、いじくりまわしている。
ゴーレムたちは、いつものように、完璧な仕事で、この聖域の秩序を、維持し続けている。
皆、ほとんど、年を取らない。
ただ、一人。
この、わたくしだけを、除いては。
「…っとと」
私は、リクライニングチェアから立ち上がろうとして、軋む膝の痛みに、小さく、顔をしかめた。
白髪が増え、背中は少し丸くなり、かつてのように、重い神具(掃除道具)を、振り回すことは、もう、できなくなっていた。
最近では、ケルベロスの、あの、少し揺れるコクピットに乗り込むのすら、億劫に感じる時がある。
『師匠! ご無理はいけません!』
「大丈夫ですよ。…ただ、少し、年を取った、というだけです」
アストライアが、慌てて、私の腕を支えようとする。
リオが、何も言わずに、私のために、杖を差し出す。
ジルドンが、私の体の負担を軽減するための、新しい「歩行補助機」の設計図を、頭の中で、描き始めているのが、その目を見れば、分かった。
皆、優しい。
だからこそ、私は、プロとして、認めなければならなかった。
自らの「肉体」が、もはや、この最高のチームの、パフォーマンスにおける、最大の足枷(ボトルネック)になっている、という、事実を。
そんな、ある日。
世界を揺るがす、最後の「大仕事」の依頼が、舞い込んだ。
それは、最高神からの、直接の、神託だった。
世界の、その、さらに外側。
宇宙の法則そのものが、綻び始め、あらゆる物事が、その「意味」と「形」を失い、混沌へと回帰していく、究極の「汚れ」。
――『万象の摩耗(エントロピー・ステイン)』。
それは、もはや、現地に赴いて、どうこうできる問題ではなかった。
「…そうか。ついに、来ましたか」
私は、自分の、しわの増えた手を見つめ、そして、静かに、笑った。
これが、私の、最後の現場。
そして、最高の現場だ。
私は、自分のリクライニングチェアに、深く、身を沈めた。
そして、静かに、目を閉じる。
「アストライア。あなたは、神界の全エネルギーを、わたくしの計算通りに、供給してください」
『はい、師匠!』
「ジルドン。あなたには、今から、わたくしの脳内に直接、転送する設計図で、最後の『神具』を、作り上げていただきます。時間は、ありませんよ」
「…………(深く、力強い頷き)」
「リオ。あなたの力で、綻んだ時空の『揺らぎ』そのものを、完全に、停止させなさい。わたくしが、作業を終える、その、一瞬だけで、いい」
「…へっ。任せとけ、師匠。あんたの最後の仕事の、最高の『下地』を、作ってやるよ」
「ゴーレムたち。あなたたちは、わたくしの、手足です。わたくしの思考と、完全に、リンクなさい」
『御意ニ、マスター』
私は、もう、現場には行かない。
重い道具を、持つこともない。
私の体は、ただ、ここに、座っているだけ。
だが、私の意識は、かつてないほど、鋭く、そして、広く、研ぎ澄まされていく。
私の「チーム」が、私の、手足となる。
私の「経験」が、最高の設計図を描き出す。
そして、私の「プロ意識」が、この、宇宙最大の「汚れ」に、最後の「お掃除」を、敢行する。
それは、もはや、物理的な作業ではない。
宇宙の、バグだらけになった、ソースコードを、直接、書き換えるような、究極の、概念的清掃。
私の頭の中で、星々が、あるべき場所へと、整理され、綻んだ因果律が、美しく、修復されていく。
どれほどの時間が、経っただろうか。
私が、ゆっくりと、目を開けた時。
世界の全ては、その輝きを、取り戻していた。
「……業務、完了」
私の、その、かすれた呟きを、仲間たちが、温かい沈黙で、迎えてくれた。
私は、もう、一人では、床一枚、磨くことすら、できないかもしれない。
(ですが…)
私は、仲間たちの顔を、一人、一人、見渡す。
そして、心からの、満足と共に、思う。
(…わたくしの『仕事』は、今、この瞬間こそが、最も、完璧で、最も、美しい)
プロフェッショナルとしての、その、最後の矜持。
それだけを胸に、私は、愛用のリクライニングチェアで、穏やかに、そして、深く、満ち足りた、眠りへと、ついていった。
私の、最高に効率的で、最高に騒がしくて、そして、最高に楽しかった、「お仕事」の、全てを、終えて。
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