婚約破棄された令嬢、隣国の暴君王に“即”溺愛されていますが?

ゆっこ

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 アーデルハイト王国からの急使が到着したのは、夕食を終えて数時間後のことだった。

 レオン――いえ、レオン陛下はすぐには会わず、わたしが同席するまで客人を待たせることにした。

 「エリス、おまえも来い。直接見せておきたい」

 「……わたしが、ですか?」

 「当然だ。これはおまえの問題でもある」

 その言葉に、胸がざわついた。

 以前のわたしなら、こんな場に出ることが許されるはずもなかった。
 なにより……呼び出される理由の大半は、きっとわたしを責めるためだった。

 だが今、わたしの隣にはレオン陛下がいる。

 手を繋ぎ、寄り添うように歩くだけで、呼吸が深くなる。

 「怖いか?」

 「……少しだけ。でも、あなたがいてくれるから大丈夫です」

 レオンの横顔がわずかに緩む。

 「そう言われると、嬉しくなるな」

 

 案内された応接室には、見覚えのある人物が座っていた。

 深緑の襟章――アーデルハイト第二王子付きの高位文官、クラウス。

 彼はわたしたちを見るなり、目を見開いた。

 「え、エリス様……!? な、なぜあなたが……陛下の隣に?」

 「なぜか、とは無礼だな」

 レオン陛下の声が低く響く。

 クラウスは顔を青ざめさせた。

 「も、申し訳ございません……! その……本日、我が国からの文書をお預かりし――」

 「要件はすでに聞いている。“婚約破棄の撤回”だそうだな?」

 「……っ!」

 クラウスは一瞬動揺したが、すぐに紙を取り出した。

 「はい……殿下より、『婚約破棄は誤解であった』『再考の余地がある』『エリス殿を迎え直したい』との――」

 「迎え直したい?」

 レオン陛下が笑った。

 それは、あまりにも冷たく、美しい――“暴君王”の笑み。

 クラウスは背筋を正し、慎重に言葉を続けた。

 「その、殿下は後悔しておられるのです……! エリス様が突然姿を消し、さらに隣国へ渡ったと聞いて心を痛めておられます! 殿下は……殿下は……!」

 わたしの胸に、微かな痛みが走った。

 ――あの人が、後悔……?

 でも、信じられない。

 だってアルノルト殿下は、胸を張ってわたしを捨てたのだ。
 上流階級の真ん中で、堂々と“無価値”だと言い放った。

 あの冷たい瞳が、後悔する姿なんて……想像できない。

 「後悔、ね」

 レオン陛下の低い声。
 わたしの手を取ると、クラウスの前にそれを掲げる。

 「おまえの殿下は、この手を捨てた。私は拾った。それだけの話だ」

 「っ……! で、ですが……!」

 「何の取り柄もない、と言って嘲笑ったのも、殿下だったな?」

 「っ――」

 クラウスは言葉を詰まらせた。

 レオン陛下の指が、わたしの手の甲をゆっくり撫でる。
 それが妙に熱くて、胸がまた締めつけられる。

 「エリスは私の国に来てから、一度も泣いていない。笑顔ばかり見せている」

 「レ、レオン……?」

 「それだけで充分だ。もうあの男の元へ戻すつもりはない。永遠にな」

 クラウスは焦りの色を深めた。

 「で、では……殿下は……! どうか一度、殿下と直接お話いただくわけには……!」

 「必要ない。――なあ、エリス」

 えっ……?

 急に話を振られ、わたしは戸惑う。

 「エリスはどうしたい? あの男の元に戻るか?」

 「……!! い、いえ、戻りません!」

 強く言うと、クラウスがぐらりと揺れた。

 レオン陛下は満足げに微笑む。

 「聞いたな。これで終わりだ」

 「っ……! し、しかし!!」

 クラウスは必死に食い下がろうとした。

 「殿下は……『エリスでなければ困る』と――」

 その瞬間、レオン陛下の金の瞳が細められた。

 「困る、だと? 便利な道具が欲しい時にだけ呼び戻すつもりか?」

 クラウスは黙り込む。

 それだけで答えは明らかだった。

 わたしの胸の奥で、長く張り詰めていた糸が切れる音がした。

 ――ああ、やっぱり。

 アルノルト殿下はわたしが必要なのではない。
 何か“都合のいい理由”があるだけなんだ。

 そんな思いが、静かに、そして冷たく胸の中に広がっていく。

 レオン陛下はわたしの肩を抱き寄せた。

 「もう帰れ」

 その声はひどく冷たかった。

 「こ、この文書は……!!」

 「燃やせ」

 「ひっ……!」

 「二度とエリスに近づくな。……命が惜しいならな」

 クラウスは蒼白な顔で文書を抱え、逃げるように去っていった。

 扉が閉まった瞬間、わたしの膝から力が抜けた。

 レオン陛下がすぐに支えてくれる。

 「大丈夫か?」

 「……はい。ごめんなさい、少しだけ、驚いたので」

 「謝る必要はない」

 レオンの手が、わたしの背を優しく撫でる。

 「エリス。あの男の言葉で心が揺れたのか?」

 「……揺れてはいません。でも……胸の奥が、少し痛んだだけです」

 「痛むか」

 レオンはわたしの胸元にそっと手を当て、低く囁いた。

 「なら、代わりに私が埋めてやる。おまえが痛んだ分だけ、私が満たそう」

 「っ……!」

 顔が一気に熱くなる。

 「レオン、さ、さま……?」

 レオンはわたしの頬を掬い、額に軽く触れた。

 「婚約破棄したあの男に、二度とおまえの心を揺らさせない。
 そのためなら私は、何だってする」

 「……」

 その言葉が、胸に深く染み込んでいく。

 ああ、この人はわたしを――

 「レオン……わたし、あなたと居ると、安心します」

 「……エリス」

 彼の指がわたしの唇に触れかけた、その瞬間。

 勢いよく扉が叩かれた。

 「陛下――! 緊急です!!」

 レオンはわずかに表情を曇らせた。

 「何だ?」

 「アーデルハイト王国より……第二王子アルノルト殿下来訪の報せです!
 ――陛下と直接謁見したいと……!」

 「……っ!」

 胸が跳ねた。

 レオンはゆっくりとわたしの顎を上げた。

 「来るか。ようやく、“捨てた令嬢”の価値に気づいたらしいな」

 冷たい声だった。

 「エリス。おまえはここにいていい。逃げる必要はない」

 「逃げません。わたし……ちゃんと向き合います」

 アルノルト殿下と会う――
 その考えに、確かに心臓は凍りそうになった。

 だけど。

 もう、あの頃とは違う。

 わたしにはレオン陛下がいる。
 わたしを大切に扱ってくれる人が、すぐ隣にいる。

 「レオン様」

 「なんだ?」

 「……わたし、あなたの傍にいます。どんな時でも」

 レオンの瞳が、わずかに揺れた。

 すぐに、甘く、深い笑みが広がる。

 「嬉しい言葉だ。……ご褒美が欲しいか?」

 「ご、ご褒美?」

 「そうだな」

 レオンはゆっくり手を伸ばし、わたしの頬に触れる。

 「アルノルトに、見せつけてやろう。おまえはもう、私のものだと」

 「っ……!」

 拒めないほど甘い声。
 心臓が破裂しそうなほど鼓動が高鳴る。

 でも、その直後。

 また扉が叩かれた。

 「陛下、殿下はすでに国境を越えました! 到着は二時間以内とのこと!」

 レオンは舌打ちし、わたしの手を引いた。

 「行くぞ、エリス」

 「ど、どこへ?」

 「王座の間だ」

 レオンはちらりと振り返り、
 金の瞳を細めて言い放った。

 「“元婚約者”に、今のエリスを見せつける」

 ――胸がざわつく。

 だけど、不思議と怖くはなかった。

 それよりも――
 レオンの隣を歩く自分が、少し誇らしいとすら思った。

 大広間までの廊下を進むたび、緊張が混じる。

 そしてわたしたちは、重い扉の前にたどり着いた。

 「エリス」

 「はい」

 「何があっても、おまえは私が守る。……だから胸を張れ」

 「……はい!」

 扉がゆっくりと開かれた。

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