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第零章 天女の始まり

5 悪役令嬢的な私

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 父の話によると、この世界には「チャクラ」「神力」「妖力」という力が存在するらしい。
 妖力は妖が持っている力だが、神力とは巫女にのみ発揮することができる力。刀などの武器に神力を注ぐことで神具を作り、とてつもないパワーを発揮する武器を作ることができるそうだ。
 そしてチャクラ。人が本来持っている力だが、人によって量が千差万別であり、チャクラ量が多く、それをうまくコントロールできる人が戦国武将として台頭しているようだ。身分関係なく弱肉強食の世界だと。ファンタジーだ。ファンタジーすぎる。

 先ほど父に聞いた話を思い出しながら、徳は現在源泉かけ流しの温泉に浸かっていた。城の敷地内に温泉が自噴しているのだ。ちょろちょろちょろと木筒から適温のお湯が出てきており、目まぐるしかった徳の心身を癒してくれる。「布海苔ふのり」というこの時代のいわばシャンプーを使用したが、若干磯の香りはするものの、キシんだりはせず、まぁまぁだ。

 それはさておき。妖や「力」などの摩訶不思議な説明を受け、徳はここが自身が8年間過ごした世界とは全く異なるようだ、ということだけは理解した。それだけは。


(…そんなことありえる?まるでゲームや漫画の話みたいな…――。)







…ん?

…まって、何か大事なことを見落としているような…




『はいこれ!この前言った。面白いラノベ。この小説に出てくる悪役令嬢な人が徳にそっくりなの!』

『舞台は戦国時代!真田幸村の婚約者があんたで、主人公は真田幸村と恋人関係になる平民の町娘って感じ。』

『そう!髪色黒くしたら全くあんた!しかも名前まで一緒なの!もしかして徳の親って歴史好きだったりしたのかな。あ、でも真田幸村の正妻って―――』




バシャッ



「…な、なに…、もしかして...!?」

 のんびり壁に背を預けて温泉に浸かっていた徳は思わず姿勢を正し、唯一の友人であった朱里に半ば押し付けられるように施設へ持ち帰ったラノベの表紙に描かれた人物を思い浮かべる。悪役令嬢的と朱里にポジション付けられた時代物には似つかわしくないクリームイエローの髪色の少女。そして今現在、金でもベージュでもない、何とも言えない色になってしまった自身の髪の毛を眺め見る。






「う、嘘…。もしかして…本当に私なの…?」







 
「湯はいかがでしたか?話によると徳様が生まれる数年前に急に温泉が湧きだしたらしく、それを風呂に使いたかった吉継様が神具を使ってうまく利用しているみたいなのです。よその城にはこんな贅沢な風呂ありません!むしろ、風呂さえない城だってあるのに!」
 風呂から上がり自室へ戻る道中、千代が横で城自慢をしているが、徳は先ほど思いだしたことで頭がいっぱいだった。



――一番考えられるのは、『夢』。やけにリアルなやつ。
 小説のこと考えながら寝ちゃった?…でも、そしたらどこからが夢…?あの眩しかった光はなんだったんだろう…。…もし、夢じゃなかったら……小説の中に入ってしまったってこと?…いや、ありえないか…。…でも、もともと私と同姓同名、姿かたちも似た人物がいたってことは、私自身がもともと小説の登場人物だったってこと…?いや、それもありえない…。……でも、この幼少期の記憶はなんなんだろう…。
 
 先ほどから何度も堂々巡りを繰り返す思考に、徳は痛み始めたこめかみを抑える。目敏くその行動に気づいた千代が徳に何か尋ねているが、その声は届いていないようだ。






「―――ねぇ、千代。」
「はい!なんでしょう。」
 沈黙を破った徳に、待ってましたと言わんばかりに千代がくりっとした猫目を輝かせる。

「私って、もしかして婚約者とか許嫁って、…いる?」
「…」
「…」
「…まっさか!あの吉継様が徳様を戦や政治に利用するわけないじゃないですか!」
「…ん?」
「確かに徳様はもう婚礼を挙げてもおかしくはないお歳。ですが、あの娘溺愛の吉継様ですよ?湖に落ちる前からですが、落ちてからも絶対に徳様をよそに出そうとはお考えにはなられていませんよ!」
「へぇ…。そ、そうなんだ……。…ちなみに、『真田幸村』って名前聞いたことある?」
「真田幸村…ですか?信濃国の真田家でしたら現在真田昌幸様が当主を務めてらっしゃるとお聞きしています。たしか、4人息男がいらっしゃって、長男が信幸様、次男が信繁様、三男が信勝様、四男が昌親様であったかと。幸村様という名前はお聞きしたことがないですね…。…お力になれず、申し訳ございません。しかし、いかがなされましたか?」
「いや、なんでもないの…。ありがとう。」
 結婚について徳の認識とは違った返答があったことに戸惑ったが、そんなこと今はどうでもいい。とりあえず、今のところ徳と『真田幸村』との接点はないみたいだ。






 千代と部屋の前で別れた徳は、畳の上に寝転がった体制でぼーっと天井の木目を眺めていた。


 優しい瞳で見つめてくる父親や、徳の存在を心から受け入れ、そこに居るだけで嬉しいという態度を取ってくれる城の人々。
 徳はぎゅっと胸を抑える様に自身の両手を抱え込む。大好きな父親のぬくもり。千代や松、妖たちの笑顔。


「……お父様…。」

 思い出すだけで徳は目頭が熱くなり、不思議と涙がぼろぼろとあふれた。


「ずっとここに居たい…。」
 思わず本音が零れる。
 徳が今居る世界が何なのか、徳自身分かっていない。今現在、夢を見ているのか。はたまた、湖に落ちた後から長い夢を見ていたのか。



――もし、どちらとも現実だとしたら…



(――今まで育ててくれた施設の皆は恩知らずだって怒るかなぁ。…結局ケーキ作ってないし、急にいなくなって心配してるかな…。…あ、朱里にももう会えないのかなぁ…。施設育ちで独りぼっちだった私に声をかけてくれて、友達になってくれたのは朱里だけだったなぁ…。…めぐさんと朱里に会えなくなるのは嫌だなぁ…。――…これから私ってどうなるんだろう…。)



(――これがもし夢だったとしても、父上様の温かい眼差しとか、ギュってしてくれたときの体温とか、安心感とかを肌で感じて…、皆を、思い出せてよかったな…。)


 徳は布団代わりの夜着を頭までかぶり、瞳を閉じた。
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