愛を駆け巡る

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最期

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 十一月。職場の転勤が決まった。彼や先輩を思い出すことがなくなるくらいまではメンタルは回復した。一度夢に出てきたけれど、夢から覚めた時には、なんだ夢かとまた眠りにつくことができた。彼等を思って涙を流すことも無くなって、新しい環境へ身を置く準備ができていた。

 ハズレだった。嫌味な上司とあることないことを伝書鳩のようにあちらこちらへと噂を立てるお局に嫌気が差していた。それでも我慢をしようともがいていた。そんな時に同期であり友人であるリカからご飯のお誘いを受けた。久しぶりに会うリカとは居酒屋で待ち合わせることに決めた。お互い仕事が終わって集合する。久しぶりだ、という感覚はあまりなく会えば昨日まで会っていたかのように自然に会話が進み、お酒も進む。会わなかった間の近況報告や会社の愚痴で会話は思ったよりも盛り上がり、一人暮らしをしているリカの家にお泊まりすることになった。

 「うちなにもないからお菓子買って飲み直そう」。
 リカの提案にあたしもうんと頷いて最寄りのコンビニで追加のお酒とアテを買った。リカの家に着く頃にはお酒も回ってほろ酔い気分になっていた。「そういえばさ」と話を切り込んだのはリカだった。なあに、と聞くと「私マッチングアプリ始めたんだよ、今週イケメンと会うんだ~」と見せてきたのは本格的なマッチングアプリ。よくよく聞けば男性側のみ月額課金制なのは少し不憫に思ったけれど、それくらいしないと、彼みたいな人間しか出てこなくなるんだろうなと鼻で笑った。

「ミナミもしなよ、今日登録しようよ」とリカはあたしを強引にマッチングアプリに誘った。あたしも酔っていたせいか、よしやるか!と意気込んだ。顔写真を設定するのは少し抵抗があったけれど、あたしは今度こそ幸せになりたかった。ダメンズの恋のショートコントに付き合わされるのは懲り懲りだったし、しばらく男性と関わっていなかったあたしは新しい出会いを少し求めていた。それも本気の。

 設定が終わると色んな男性からメッセージが送られてきた。使い方に慣れてないあたしは戸惑いながらも丁寧に返事を返した。一つの救いはリカの狙っている男性からのアプローチが無かったこと。「どう?いい感じの人いた?」とリカがスマホを覗き込んできたときに、万が一表示されていたら…とドキドキした。まだいないよ、と答えてその日はアプリを開かなかった。次の日は昼過ぎにリカの家を出て帰宅した。ぼーっとしてお昼ご飯を食べながら、昨日の出来事を思い出す。あ、そういえばメッセージ来てるかな?と開いてみる。

 「わあ」。大量のメッセージで開く気にもなれなかった。けれど、あたしが本人写真の中にネタ要素として載せていた画像に触れてきた男性が居た。なんだか少し嬉しくて、その人にだけ返信をして、なんでもない会話を繰り返していた。年齢はあたしの四つ上、地元はお隣の県、現在は同じ県に住んでいて、大卒の社会人、写真を見る限り細身の人。収集できる情報はそれくらいだった。
 ある時その男性は通話をしてみませんかと誘ってくれた。あたしはメッセージのやりとりが楽しかったから、なんとなく快諾して着信を待った。

「もしもし」。その一言で少し緊張した。元々人見知りだったあたしは上手く喋ることができるか不安だったけれど、その男性は優しくて穏やかで、声が低すぎなくて心地よかった。今ではなんの話をしていたか思い出すことはできないけれど、話が弾んでその日にラインを交換した。一人称は僕で統一していたけれど、たまに「俺」が出てなんだか可愛かった。

 ラインに切り替えて電話を繋げた。あたしの会社の話、男性の仕事の話、家族の話、趣味の話や日頃の愚痴。気付けば十時間も話していた日があった。時計は午前六時を回っていて、「もう仕事行きたくないなあ」とあたしが漏らすと、
「俺だったら休むなあ」と笑っていた。その返答が可笑しくて、腹痛だと嘘を吐いて当日欠勤した。ズル休みしてしまった。けれどそのときには上司に嫌気が差していたせいで転職を考えていたから、何を言われてもいいやと思っていた。

 それからは週に一回、電話に誘ってくれた。ラインも毎日続いていた。男性は土日祝休みで、あたしは土日基本出勤で予定が合わなかった。ただ、一日だけ土曜日のお休みがあることを男性に伝えると、会ってみませんかと尋ねられた。嬉しくて、あたしも会ってみたいですと答えた。ワクワクとドキドキと、でもまた…の不安が頭をよぎった。けれど色々考えても仕方がないし、今は今を楽しもうと土曜日を楽しみに仕事に励んだ。

 彼の家からあたしの家は片道一時間。どこかで聞き覚えがあるなあと思っていた住所は彼の家の近くだったからだ。そんなことはどうでもよくなっていて、「あたしの地元なにもないんでそっちで遊びますか」と提案して、その男性のお家に集合することになった。初めての男性のお家に訪問するのは何回でも慣れない。当日はずっとドキドキしていて、今日のメイクは変じゃないかなとか、服はおかしくないかなとか、前髪乱れてないかなとか、色々気にしてばかりだった。

 インターホンを押すと男性が迎えてくれた。華奢だけど見た目は少し遊んでそうな雰囲気が感じられた。まさかな、と思ったけれど、話してみたらいつもの話しやすい男性そのままだった。声が低くなくて、やっぱりそれが落ち着けた。今日はいざ何をしようかと話をするときには、既にあたしは敬語が抜けていた。電話を何度もしていたおかげで冗談も言える間柄になっていた。あたしと男性の共通点は猫好きであるということ。男性は猫カフェに行きたいと言いあたしも承諾した。かわいい猫と戯れる時間が、自然と緊張をほぐしてくれた。楽しかったね、とお店を出てからはお昼ご飯とカフェに案内してくれた。男性はスマートに上座をあたしに差し出した。慣れているな、と思っていたけれど、営業マンだからかな…と勘繰ることを諦めた。

 ケーキを食べながら「このあとどうする?」と男性が聞いてきた。あたしは優柔不断を発揮して「なんでもいいけど、なにがあるかなあ」とつまらない返事をしてしまった。きっと困らせただろうと後悔をしたけれど、今のあたしに選択肢を提案するほどの余裕は無かった。すると男性は「じゃあ、打ちっぱなしに行こう」とゴルフに誘ってきた。え?と聞き返した。「あたしやったことないし絶対下手なんだけど…」と不安になっていると「大丈夫、教えるから」と言って目的地に向かった。本当にしたくない。運動音痴がばれる。絶対空振りする、幻滅される。不安でパニックになっていた。周りはおじさまだらけでスコアが本当に素晴らしい。こんな中ひとり池ぽちゃなんて恥ずかしいんだけど…

 手順もスイングの仕方も教えてくれた。やってみると思ったよりも池に落ちないし、なんならすごく楽しかった。あんまり大声で笑うような場所ではないとは思うんだけれど、すごく楽しくて、ひとつ人生初の経験ができたことに感動した。

 「めっちゃ楽しかった」。
 男性は満足そうに「でしょ!?」と高らか。こんなに楽しいなんて思わなかった。時間があっという間だった。時計の針は夕方五時を差していたけれど、夜ご飯にしては早過ぎだ。「これからどうするかね、本当はバッティングセンターも行きたいけれど時間的に今度かね」と男性が言った。あたしは「下手だけど…今から行ったら遅いかな?」。そのあとの選択肢は男性に任せた。あたし的には頑張った方。遅くないよ、を待ってたあたしは予想的中。ノリのいい男性は今から行こう、と打ちっぱなしに続いてバッティングセンターに向かった。

 人生で二度目のバッティングセンター。男性は元サッカー部だと聞いていたけれど、ほとんど打てていた。これだから運動神経のいい人は嫌なんだと思った。あたしも負けじとバットを振っていたら、なんだか前より打てていた。打てなかったらどうしようよりも、楽しい感情が勝っていた。打ててる打ててる!と二人で笑いながら時間を忘れて楽しんだ。外は気付けば真っ暗で、「一旦家帰ってUberする!?」。男性の提案にあたしはうん!と大きく頷いて男性のお家に戻った。

 Uberを注文して食べてのんびりしていたら、もう夜の二十二時を回っていた。「明日の仕事、面倒くさい」とあたしが溢すと、前に聞いたことのある「俺だったら休むなあ」が聞こえた。「ええどうしよっかなあ」と悩んだふりをしたけれど、あたしの中での答えは決まっていた。「休みます」。男性は笑っていてじゃあ休もう、あれなら泊まる?と尋ねてきた。あたしの中での時間が一瞬止まった。

 あれ、これっていいんかな。前と同じになる?でももう同じことは繰り返したくない。でも…

 「いいんですか?」と聞くと「俺はいいけど」とだけ返された。万が一、また同じ結果になりそうなら、もう暫くアプリとはおさらばだと決意した。お互いを試すつもりで、お休みしますのメールを会社に送った。すると男性が正座になって、「こんなときにいうことじゃないとは思うんだけど」。姿勢を正して、付き合わないかとあたしに伝えてくれた。正直びっくりした。え、あたし?あたしでいいの?

 沈黙が流れて気まずくなってお互い笑ってしまった。「あ、あたしのターンですか次」と聞き返すと「そうです」と笑っていた。今日一日を振り返ってみて、あたしはすごく楽しかった。久しぶりにこんなに笑った。行ったことないところに連れて行ってくれて、いろんな体験が出来た。初日だからあまりよく相手のことを知れたわけではないけれど、これから知っていけたらいいなと思うことができた。「よろしくおねがいします」。しばらく照れくさい空気が流れたあと、お風呂入っていいよ、服貸すよと男性はあたしに着替えを渡してくれた。華奢なせいであたしにはピッタリだった。それも可笑しくて少し笑った。あたしのあとに続いて男性もシャワーを浴びて、ベッドに二人で横になった。内心ドキドキした。彼氏だから、と言い聞かせていた。けれども手は出してこなかった。仰向けで横になって指一本触れてこなかった。それがその人なりの考えなのかなと感じたけれど、あたしは腕に抱きついて眠った。
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