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第二章
18.王子様から賜るボンボンショコラ
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パルミロとフラウラが再会した翌日の夕方。
フレイヤはコルティノーヴィス香水工房の中にある調香室で、シルヴェリオと一緒に競技会に出品する香水の香りの打ち合わせをしている。
フレイヤの調香台の前で二人並んで話し合っていた。
その隣にある空いている調香台の前に置いている椅子にはオルフェンが腰掛けており、リラックスした様子で本を読んでいる。
オルフェンは朝からフレイヤの側を離れようとしない。まるで雛鳥のように、どこまでもついて行こうとする。
妖精を視れるレンゾからすると、人間と契約した妖精の中にはオルフェンのように人間の後をついて行く妖精を見てきたため別段なにも思わなかったが、シルヴェリオは違った。
シルヴェリオは工房に着いて早々に、フレイヤにベッタリとくっついているオルフェンを睨みつけるのだった。
「こちらが今回の香りのレシピです」
フレイヤはシルヴェリオに香りのレシピを書いた紙を渡した。
「香りはさておき、材料はさして珍しい物はないから集められそうだな。競技会で受賞すれば、うちの工房で実際に配る香水を生産することになる。その際に材料が不足していたら再現でいないから受賞は取り消しになってしまうだろう」
打ち合わせと言えど、シルヴェリオから香りに関して意見することはない。
あくまでフレイヤが決めた香水の香りを事前に把握するために嗅ぐだけだ。
「今回は柑橘系の香りをベースに、水晶花と調和のとれる組み合わせで調香しました」
「水晶花……なるほど、国花を使うことでエイレーネ王国らしい香りにするということか」
「はい。実はレンゾさんの案ですが、私も試したみたいと思ったんです。今までは薬用のイメージが強かった水晶花に新しい印象ができたら面白いと思いましたので」
そう言い、フレイヤは用意した精油の瓶の中にそれぞれ試香紙を浸してシルヴェリオに渡す。
シルヴェリオはそれらを受け取ると、以前フレイヤが教えた通りに束ねて持つと香りを嗅いだ。
「トップノートにベルガモットとバーベナ、ミドルノートにシトロンとミント、ハートノートに水晶花を組み合わせました。エイレーネ王国の豊かな自然や、王国中の人々が楽しく日々を営んでいる様子を香りに込めてみました」
「青葉の香りや柑橘の香りの系統をベースにすると言っていたが……どちらも採用することにしたんだな」
「結果としては柑橘系の系統がベースにはなっていますが、青葉の香りの系統をほんの少し混ぜることで柔らかな香りに仕上げました」
「最後のに香る水晶花が、より香りに奥行きを出しているように思う。それに……強過ぎない香りだからつけやすそうだ」
「シルヴェリオ様にそう言っていただけると安心しました」
フレイヤは胸を撫でおろした。
自分で調香していると、本当に狙い通りになっているのかわからなくなる。
そのような時は第三者の意見に頼るしかない。
「今回の香水の名は?」
「『日々を祝う』です。エイレーネ王国がこれから毎日、祝祭の日のように賑わうようにと願いを込めました」
「そうか。良い名だ」
シルヴェリオはまた、試香紙を動かして香りを嗅いだ。
フレイヤはふにゃりと笑ってその横顔を見守る。
ほんの短い言葉だが、シルヴェリオが褒めてくれることが嬉しかった。
すると、先ほどまで本を読んでいたオルフェンがトコトコとフレイヤの隣にやって来た。
『僕もその匂い嗅がせてよ』
「うん、いいよ」
フレイヤの返事に、シルヴェリオの眉がピクリと動いた。
昨日まではオルフェンに対して敬語を使っていたというのに、今は砕けた口調になっているではないか。
フレイヤはシルヴェリオの視線には気づかず、新しい試香紙を精油につけてオルフェンに手渡した。
オルフェンもまたフレイヤに教えられた通りに試香紙を動かして香りを堪能する。
『これもらっていい? 栞にしたら、本を読むときにいい香りを嗅げそう』
「いいよ。だけど時間が経つと香りが消えるけどいいの?」
『その時は新しいのちょうだい?』
「うん、わかった」
フレイヤとオルフェンが和気藹々と話をしている様子を、シルヴェリオが苦虫を嚙み潰したような顔で見守っている。
腕を組んでいる手に、自然と力が入ってしまう。
二人の心の距離が縮まっているように見えて、どうしても心がざわついてしまう。
シルヴェリオがそっと溜息をついたその時、調香室の扉が勢いよく開いた。
開いた扉の間から滑り込んできたのはレンゾだ。
「工房長、大変です!」
「どうした?」
「だ、第二王子殿下が来ました。工房長とフレイヤさんに会いに来られたそうです」
「なに?」
シルヴェリオが怪訝そうに聞き返す。どうやら訪問の約束はしていないらしい。
「急用かもしれないな。フレイさん、悪いが一緒に会ってくれ」
「わ、わかりました」
フレイヤは思わず固唾を飲み込んだ。
ネストレとは今までに二度会ったとはいえ、やはり王族と会うのは緊張する。
フレイヤとシルヴェリオは一階にある応接室へと向かった。
応接室の中央にある二つの長椅子のうち、片側にネストレが座っていた。
近くにお付きらしい人物はいないが、シルヴェリオは窓の外に数人ほど人の気配を感じた。どうやら、ネストレが中には入らないよう言いつけて待機させているようだ。
「二人とも、急に訪ねてすまないね。早めに伝えたいことがあったんだ」
ネストレは礼をとるフレイヤたちの顔を見ると、屈託なく笑った。貴婦人なら誰もが見た瞬間卒倒するような甘い微笑みだ。
「堅苦しい挨拶はいいよ。今日はお忍びで来たからね」
相手がそう言えど、平民のフレイヤからすると「そうですか」と言って崩せるわけではない。
戸惑うフレイヤに、シルヴェリオが椅子に座るよう促す。
緊張しつつネストレの差し向かいに座ったフレイヤは、ネストレから彼のために調香した香水『夜明けの大樹』の香りが漂っていることに気づいた。
その中に、微かにチョコレートの甘い香りもした。
「ルアルディ殿、もしかして俺がつけている香水に気づいた?」
「ええ、『夜明けの大樹』をつけてくださっているんですね」
「お気に入りだから毎日つけているよ。今は眠っている間に衰えた筋肉を鍛え直しているんだけど――前のように剣を動かせなくて焦燥に駆られる度に、この香りに助けられている。この香りを調香してくれて、本当にありがとう」
「第二王子殿下に気に入っていただけてとても嬉しいです」
自分が作った香りが誰かの支えになっている。
それは調香師冥利に尽きる最高の称賛だ。
「なくなったらシルに発注するとまた作ってくれるかい?」
「もちろんでございます。いつでもご連絡ください」
心からの笑みで答えるフレイヤの目の前に、ネストレが美しい深紅の箱を差し出した。箱には金色のリボンが結わえられている。
「こ、これは――カフェ・ルビーのボンボンショコラ!」
フレイヤの営業スマイルがものの見事に崩れ去った。
今は子どものように目を輝かせて箱を見つめており、無意識のうちにくんくんと鼻を動かして香りを嗅いでいる。
「最近人気の店らしいな」
「はいっ! 芸術作品と謳われる美しい姿に、口の中に入れた途端に蕩ける絶妙な柔らかさ、それに中に入っているリキュールがチョコレートの甘さによく合うほろ苦さで――」
夢中でボンボンショコラへの賛美を贈っていたフレイヤは、途中で我に返って口を閉じた。
王族を相手に一方的に喋り過ぎてしまった。無礼と思われているのではないだろうか。
不安を覚えたフレイヤがそろりと顔を上げると、ネストレの国宝と褒めそやされるご尊顔が美しい笑みを湛えている。
その笑みにはどこか、悪戯っぽさが見え隠れしているではないか。
フレイヤはいたたまれなくなり、思わず目を泳がせる。
「シルが話した通り、相当菓子が好きなようだな」
「うっ……その、あのですね……ほんのちょっと甘い物の方が好きでして……」
「ふふっ、それにしては、この箱を見た時の熱量が高かったように見えたけど――まあ、ルアルディ殿がそう言うのなら、そうなのだろう」
ネストレはボンボンショコラの入っている箱をフレイヤに差し出す。
「これは手土産だ。呪いを解いてくれた礼は今度盛大にさせてほしい」
「いえ、このボンボンショコラで十分です!」
カフェ・ルビーのボンボンショコラは高級品で、フレイヤは仕事で頑張った時に一つだけ買うことがやっとなお値段だ。
それをネストレが箱一杯にくれたものだから、フレイヤとしてはもう豪華な礼を受け取ったも同然。これ以上盛大にするといわれると、過分な物を与えれるのではないかと不安になる。
「そうは言われても、呪いを解いてもらった例が菓子だけとはこっちの気が済まないのだよ。困ったな……ルアルディ殿が無欲過ぎる」
「あの、平民からするとこのボンボンショコラは宝石級に高級な食べ物なんですよ。もう十分素晴らしいお礼を受け取りましたので、お気になさらないでください」
「……では、いつかルアルディ殿に助けが必要になった時はいつでも声をかけてくれ」
「あ、ありがとうございます……」
なんだかとてつもない借りを相手に作ってしまったような気がして、それはそれでフレイヤは落ち着けなかった。
「そうだ、せっかくだから今食べると良い。仕事で疲れた時には甘い物が必要になるだろうし、遠慮せずに食べてくれ」
ネストレはそう言うが、王族と上司の前で食べるのは気が引ける。
「フレイさん、ネストレ殿下がそう言っているのだから、気にせず食べるといい。それに、先ほどから視線が箱を向いている」
「うっ……」
それとなくシルヴェリオに指摘されてしまい、フレイヤは顔を赤くする。
「そ、それでは……いただきます」
二人の視線にいたたまれなくなったフレイヤが、逃げるように箱に視線を向けてリボンを解いた。
蓋を開くと、色とりどりの宝石のようなボンボンショコラが並んでいる。
どれを食べようと悩んだフレイヤは、決心して赤色のルビーのようなボンボンショコラを口に運んだ。
ボンボンショコラは口の中に入れた途端にほろりと崩れ、中からイチゴやラズベリーのようなリキュールがとろりと出てくる。
フレイヤの頬が瞬く間に緩む。うっとりとした表情のフレイヤを見て、ネストレが口元を片手で覆って顔を背けた。鍛えられて筋肉のついた肩が、フルフルと小刻みに揺れている。
「美味しい」
幸せを噛み締めるように呟くフレイヤに、ネストレが思わずといった調子で吹き出した。
「ははっ、ルアルディ殿は菓子を幸せそうに食べていいな。そんな顔を見せられると、俺も癖になってしまいそうだ」
「癖になる……?」
「こちらの話だから気にしないでくれ」
気にしないでくれと言われると、逆に気になってしまうのが人間だ。
フレイヤは悶々と、ネストレの言葉の意味を考えるのだった。
ネストレは笑い涙を指先で拭う。
「そろそろ本題に入ろうか。今日は二人の商売敵――カルディナーレ香水工房の話を仕入れたから急ぎここまで来たんだ」
元職場の名前を聞き、フレイヤの心臓がドクリと大きく脈を打つ。
かつての上司アベラルドからかけられた心無い言葉の数々が脳裏を過り、自然とフレイヤの表情が強張った。
またあの人に調香師の道を断たれるのだろうか。そのような恐怖に身を固くしてネストレの言葉の続きを待つ。
「カルディナーレ香水工房は二日ほど前から臨時休業になっている。競技会に出られるのかわからない状況だ」
フレイヤはコルティノーヴィス香水工房の中にある調香室で、シルヴェリオと一緒に競技会に出品する香水の香りの打ち合わせをしている。
フレイヤの調香台の前で二人並んで話し合っていた。
その隣にある空いている調香台の前に置いている椅子にはオルフェンが腰掛けており、リラックスした様子で本を読んでいる。
オルフェンは朝からフレイヤの側を離れようとしない。まるで雛鳥のように、どこまでもついて行こうとする。
妖精を視れるレンゾからすると、人間と契約した妖精の中にはオルフェンのように人間の後をついて行く妖精を見てきたため別段なにも思わなかったが、シルヴェリオは違った。
シルヴェリオは工房に着いて早々に、フレイヤにベッタリとくっついているオルフェンを睨みつけるのだった。
「こちらが今回の香りのレシピです」
フレイヤはシルヴェリオに香りのレシピを書いた紙を渡した。
「香りはさておき、材料はさして珍しい物はないから集められそうだな。競技会で受賞すれば、うちの工房で実際に配る香水を生産することになる。その際に材料が不足していたら再現でいないから受賞は取り消しになってしまうだろう」
打ち合わせと言えど、シルヴェリオから香りに関して意見することはない。
あくまでフレイヤが決めた香水の香りを事前に把握するために嗅ぐだけだ。
「今回は柑橘系の香りをベースに、水晶花と調和のとれる組み合わせで調香しました」
「水晶花……なるほど、国花を使うことでエイレーネ王国らしい香りにするということか」
「はい。実はレンゾさんの案ですが、私も試したみたいと思ったんです。今までは薬用のイメージが強かった水晶花に新しい印象ができたら面白いと思いましたので」
そう言い、フレイヤは用意した精油の瓶の中にそれぞれ試香紙を浸してシルヴェリオに渡す。
シルヴェリオはそれらを受け取ると、以前フレイヤが教えた通りに束ねて持つと香りを嗅いだ。
「トップノートにベルガモットとバーベナ、ミドルノートにシトロンとミント、ハートノートに水晶花を組み合わせました。エイレーネ王国の豊かな自然や、王国中の人々が楽しく日々を営んでいる様子を香りに込めてみました」
「青葉の香りや柑橘の香りの系統をベースにすると言っていたが……どちらも採用することにしたんだな」
「結果としては柑橘系の系統がベースにはなっていますが、青葉の香りの系統をほんの少し混ぜることで柔らかな香りに仕上げました」
「最後のに香る水晶花が、より香りに奥行きを出しているように思う。それに……強過ぎない香りだからつけやすそうだ」
「シルヴェリオ様にそう言っていただけると安心しました」
フレイヤは胸を撫でおろした。
自分で調香していると、本当に狙い通りになっているのかわからなくなる。
そのような時は第三者の意見に頼るしかない。
「今回の香水の名は?」
「『日々を祝う』です。エイレーネ王国がこれから毎日、祝祭の日のように賑わうようにと願いを込めました」
「そうか。良い名だ」
シルヴェリオはまた、試香紙を動かして香りを嗅いだ。
フレイヤはふにゃりと笑ってその横顔を見守る。
ほんの短い言葉だが、シルヴェリオが褒めてくれることが嬉しかった。
すると、先ほどまで本を読んでいたオルフェンがトコトコとフレイヤの隣にやって来た。
『僕もその匂い嗅がせてよ』
「うん、いいよ」
フレイヤの返事に、シルヴェリオの眉がピクリと動いた。
昨日まではオルフェンに対して敬語を使っていたというのに、今は砕けた口調になっているではないか。
フレイヤはシルヴェリオの視線には気づかず、新しい試香紙を精油につけてオルフェンに手渡した。
オルフェンもまたフレイヤに教えられた通りに試香紙を動かして香りを堪能する。
『これもらっていい? 栞にしたら、本を読むときにいい香りを嗅げそう』
「いいよ。だけど時間が経つと香りが消えるけどいいの?」
『その時は新しいのちょうだい?』
「うん、わかった」
フレイヤとオルフェンが和気藹々と話をしている様子を、シルヴェリオが苦虫を嚙み潰したような顔で見守っている。
腕を組んでいる手に、自然と力が入ってしまう。
二人の心の距離が縮まっているように見えて、どうしても心がざわついてしまう。
シルヴェリオがそっと溜息をついたその時、調香室の扉が勢いよく開いた。
開いた扉の間から滑り込んできたのはレンゾだ。
「工房長、大変です!」
「どうした?」
「だ、第二王子殿下が来ました。工房長とフレイヤさんに会いに来られたそうです」
「なに?」
シルヴェリオが怪訝そうに聞き返す。どうやら訪問の約束はしていないらしい。
「急用かもしれないな。フレイさん、悪いが一緒に会ってくれ」
「わ、わかりました」
フレイヤは思わず固唾を飲み込んだ。
ネストレとは今までに二度会ったとはいえ、やはり王族と会うのは緊張する。
フレイヤとシルヴェリオは一階にある応接室へと向かった。
応接室の中央にある二つの長椅子のうち、片側にネストレが座っていた。
近くにお付きらしい人物はいないが、シルヴェリオは窓の外に数人ほど人の気配を感じた。どうやら、ネストレが中には入らないよう言いつけて待機させているようだ。
「二人とも、急に訪ねてすまないね。早めに伝えたいことがあったんだ」
ネストレは礼をとるフレイヤたちの顔を見ると、屈託なく笑った。貴婦人なら誰もが見た瞬間卒倒するような甘い微笑みだ。
「堅苦しい挨拶はいいよ。今日はお忍びで来たからね」
相手がそう言えど、平民のフレイヤからすると「そうですか」と言って崩せるわけではない。
戸惑うフレイヤに、シルヴェリオが椅子に座るよう促す。
緊張しつつネストレの差し向かいに座ったフレイヤは、ネストレから彼のために調香した香水『夜明けの大樹』の香りが漂っていることに気づいた。
その中に、微かにチョコレートの甘い香りもした。
「ルアルディ殿、もしかして俺がつけている香水に気づいた?」
「ええ、『夜明けの大樹』をつけてくださっているんですね」
「お気に入りだから毎日つけているよ。今は眠っている間に衰えた筋肉を鍛え直しているんだけど――前のように剣を動かせなくて焦燥に駆られる度に、この香りに助けられている。この香りを調香してくれて、本当にありがとう」
「第二王子殿下に気に入っていただけてとても嬉しいです」
自分が作った香りが誰かの支えになっている。
それは調香師冥利に尽きる最高の称賛だ。
「なくなったらシルに発注するとまた作ってくれるかい?」
「もちろんでございます。いつでもご連絡ください」
心からの笑みで答えるフレイヤの目の前に、ネストレが美しい深紅の箱を差し出した。箱には金色のリボンが結わえられている。
「こ、これは――カフェ・ルビーのボンボンショコラ!」
フレイヤの営業スマイルがものの見事に崩れ去った。
今は子どものように目を輝かせて箱を見つめており、無意識のうちにくんくんと鼻を動かして香りを嗅いでいる。
「最近人気の店らしいな」
「はいっ! 芸術作品と謳われる美しい姿に、口の中に入れた途端に蕩ける絶妙な柔らかさ、それに中に入っているリキュールがチョコレートの甘さによく合うほろ苦さで――」
夢中でボンボンショコラへの賛美を贈っていたフレイヤは、途中で我に返って口を閉じた。
王族を相手に一方的に喋り過ぎてしまった。無礼と思われているのではないだろうか。
不安を覚えたフレイヤがそろりと顔を上げると、ネストレの国宝と褒めそやされるご尊顔が美しい笑みを湛えている。
その笑みにはどこか、悪戯っぽさが見え隠れしているではないか。
フレイヤはいたたまれなくなり、思わず目を泳がせる。
「シルが話した通り、相当菓子が好きなようだな」
「うっ……その、あのですね……ほんのちょっと甘い物の方が好きでして……」
「ふふっ、それにしては、この箱を見た時の熱量が高かったように見えたけど――まあ、ルアルディ殿がそう言うのなら、そうなのだろう」
ネストレはボンボンショコラの入っている箱をフレイヤに差し出す。
「これは手土産だ。呪いを解いてくれた礼は今度盛大にさせてほしい」
「いえ、このボンボンショコラで十分です!」
カフェ・ルビーのボンボンショコラは高級品で、フレイヤは仕事で頑張った時に一つだけ買うことがやっとなお値段だ。
それをネストレが箱一杯にくれたものだから、フレイヤとしてはもう豪華な礼を受け取ったも同然。これ以上盛大にするといわれると、過分な物を与えれるのではないかと不安になる。
「そうは言われても、呪いを解いてもらった例が菓子だけとはこっちの気が済まないのだよ。困ったな……ルアルディ殿が無欲過ぎる」
「あの、平民からするとこのボンボンショコラは宝石級に高級な食べ物なんですよ。もう十分素晴らしいお礼を受け取りましたので、お気になさらないでください」
「……では、いつかルアルディ殿に助けが必要になった時はいつでも声をかけてくれ」
「あ、ありがとうございます……」
なんだかとてつもない借りを相手に作ってしまったような気がして、それはそれでフレイヤは落ち着けなかった。
「そうだ、せっかくだから今食べると良い。仕事で疲れた時には甘い物が必要になるだろうし、遠慮せずに食べてくれ」
ネストレはそう言うが、王族と上司の前で食べるのは気が引ける。
「フレイさん、ネストレ殿下がそう言っているのだから、気にせず食べるといい。それに、先ほどから視線が箱を向いている」
「うっ……」
それとなくシルヴェリオに指摘されてしまい、フレイヤは顔を赤くする。
「そ、それでは……いただきます」
二人の視線にいたたまれなくなったフレイヤが、逃げるように箱に視線を向けてリボンを解いた。
蓋を開くと、色とりどりの宝石のようなボンボンショコラが並んでいる。
どれを食べようと悩んだフレイヤは、決心して赤色のルビーのようなボンボンショコラを口に運んだ。
ボンボンショコラは口の中に入れた途端にほろりと崩れ、中からイチゴやラズベリーのようなリキュールがとろりと出てくる。
フレイヤの頬が瞬く間に緩む。うっとりとした表情のフレイヤを見て、ネストレが口元を片手で覆って顔を背けた。鍛えられて筋肉のついた肩が、フルフルと小刻みに揺れている。
「美味しい」
幸せを噛み締めるように呟くフレイヤに、ネストレが思わずといった調子で吹き出した。
「ははっ、ルアルディ殿は菓子を幸せそうに食べていいな。そんな顔を見せられると、俺も癖になってしまいそうだ」
「癖になる……?」
「こちらの話だから気にしないでくれ」
気にしないでくれと言われると、逆に気になってしまうのが人間だ。
フレイヤは悶々と、ネストレの言葉の意味を考えるのだった。
ネストレは笑い涙を指先で拭う。
「そろそろ本題に入ろうか。今日は二人の商売敵――カルディナーレ香水工房の話を仕入れたから急ぎここまで来たんだ」
元職場の名前を聞き、フレイヤの心臓がドクリと大きく脈を打つ。
かつての上司アベラルドからかけられた心無い言葉の数々が脳裏を過り、自然とフレイヤの表情が強張った。
またあの人に調香師の道を断たれるのだろうか。そのような恐怖に身を固くしてネストレの言葉の続きを待つ。
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