国王陛下はいつも眠たい

通木遼平

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 フィーナディアがトゥーラン城へ上がったのは、エリーディアの秋の終わりとはとても同じ季節だとは思えないくらい寒い日だった。叔父のエスコートで、トゥーラン城から迎えに来た騎士たちと共に城に向かう。灰色の空に包まれたウィアーデは、寒さのせいか人影もまばらだ。
 山を背に建てられたトゥーラン城の重厚な門をくぐり、広い前庭――というよりちょっとした森だ――を抜けると、美しいトゥーラン城の入口へたどりつく。叔父の手を取って馬車を降りると、トゥーラン河のほとりでよく見られる雫草という野花とミミズクをモチーフにした銀細工で装飾された扉が目に入った。騎士の一人がフィーナディアの到着を告げる声をあげた。ゆっくりと門が開き、その向こうには彼女を歓迎する人々の姿が――いるはずもなく、数人の使用人と、二人の美しい若者がそこに立っていた。

 ちらりと叔父のファルトーンを見上げると、彼は下がりぎみの眉をますます下げている。「ようこそ、トゥーラン城へ」と若者の片方――フィーナディアより少し年上の、金髪の冷たい双眸が印象的な青年が言った。

「ラグル陛下に仕えます、アーケアのローディムと申します。本日は陛下の代役としてご婚約者様を出迎えるようにと命を受け、僭越ながらこうしてお出迎えに上がりました」
「エリーディアのフィーナディアと申します。いたらぬところもあると思いますが、よろしくお願いいたします」

 陛下は? と聞き返したくなる気持ちを抑え、フィーナディアは最上級の礼をとりながらあいさつをした。主家の一つであるアーケアは次代の王家。ローディムはその嫡男で、順当にいけば彼の子が次の王になる。そのため、今代の側近となって仕事を共にしているのだ。自分の子に教育できるように。

 フィーナディアはもう一人の若者へと視線を向けた。彼は銀髪で、年はフィーナディアに近そうだ。瑠璃色の瞳が印象的で、穏やかな笑みを浮かべている。

「私は王立騎士団に所属するデュアエルのカランズと申します。陛下の命で、あなた様をお守りする近衛隊の隊長をうけたまわりました」

 瑠璃色が、静かにフィーナディアを見据えていた。

「隊員は女性騎士を中心に構成されておりますから、ご安心ください」
「はい、よろしくお願いします」

 つい頭を下げると一瞬カランズは驚いたようにしたが、すぐににこりと笑顔を向けた。

 それから部屋に案内され、侍女を紹介し、フィーナディアも連れてきたアルマを紹介した。そしてこれから一年間、まずは教育係がついて妃教育が行われること、教育が進んだら実際に仕事を少しずつしてもらうことを伝えられ、ローディムは部屋から退出をしようとした。

「あ、あの」

 のを、フィーナディアはとっさに呼び止めた。

「何でしょう? 後のことはカランズでも侍女でも、あなたの叔父上にでもお聞きください」

 言外に忙しいと言われている……フィーナディアはしわを寄せたくなる眉間を叱咤した。

「陛下とはいつお会いできるのですか?」
「晩餐の時にはお会いできるでしょう――おそらくですが」
「えっ……お忙しいのですか?」
「陛下はお休みになられています」

 「は?」と漏れそうになった声をフィーナディアは飲み込んだ。

「……体調を、崩されているのでしょうか?」
「いえ、ただ眠っているだけです。起床されれば仕事があります。お会いできるのは早くても晩餐の時だとお考えください。それでは、失礼します」

 今度は声をかける暇もなく、ローディムは部屋を後にした。侍女たちも数人を残して退出し、カランズも当番の騎士が入口にいるから何かあったら声をかけて欲しいと言って部屋を出て行った。

「……彼は物言いはキツイところがあるが、悪い男ではないよ」

 フィーナディアをうかがうように見ながらファルトーンは言った。彼とは、ローディムのことだろう。

「陛下は本当に体調が悪いわけではないのですか?」
「それについては本当に大丈夫だよ。ただこのところ……忙しくて、寝不足だったようだから」
「そうなのですね……」

 なんとなく釈然としないが仕方ない。ファルトーンもいつでも力になると言ってフィーナディアの肩をやさしくつかみ、それから仕事場へと戻って行った。





 ファルトーンの気配が遠ざかると、気を取り直してフィーナディアは部屋に残った侍女たちと改めてあいさつをと姿勢を正した。ところが侍女たちはそんなフィーナディアと、彼女の傍に控えていたアルマを一瞥するとほんのちょっとの会釈さえなく部屋を出て行こうとする。さすがのフィーナディアもあっけにとられた。

「ど、どこへ行くの!?」

 一番後ろにいた侍女が振り返る。年上の、美しい女性だった。振り返る動作に優雅さがある。

「わたくしたちは現王家に仕えておりますので、他の王家の方に仕える理由はありませんの」
「は?」
「失礼いたします」

 音を立てて閉められた扉をフィーナディアもアルマも呆然と見つめた。つまり父の悪評のせいで、フィーナディアも自分が王家だと思っている愚かな娘とでも思われているのか? アルマが慌てて扉を開いて呼び止めようとしたが、侍女たちは振り向くこともできずに去って行った。

「カランズ様の言っていた、部屋の前にいる騎士もおりません……」
「まあ、歓迎されないだろうとは思っていたけれど……」

 とりあえずアルマに鍵をしめるように言って、フィーナディアはソファに沈み込んだ。

「陛下にお会いしたら、すぐに事情を話して婚約を内々にでも白紙に戻してもらいましょう。そうしたら城を出て、今後が決まるまで叔父様に甘えるわ」
「それがいいと思います」
「でも他の侍女がいないと、アルマの仕事が増えてしまうわね」
「わたくしは大丈夫ですよ。お嬢様お一人のお世話くらいどうってことありません。護衛がいない方が問題です」
「そうね……城の中とはいえ、こうも味方がいないと……カランズ様は騎士が職務放棄したことをご存知なのかしら?」
「いい方のようには見えましたが……」
「あまりあちこち出歩かないようにしましょう。図書館があるだろうから、行きたいのはそのくらいだし」
「図書館の場所は確認しておきますね」
「お願い。一休みしてから、荷物の整理をしましょう」

 「わかりました」とアルマはうなずいた。父と一緒にされるのは不本意だが、それに一々反論する気力もなかった。今まで父や姉に反発してろくなことがなかったので、どうしてもフィーナディアの中であきらめが先に来てしまうのだ。

 とにかく国王陛下に会って話をすれば、もう少しましな状態になるだろう――会えれば、の話に過ぎなかったが……。





***





 フィーナディアに用意された部屋とは遠く離れた場所に、この国の現国王であるトゥーランのラグルの執務室や私室がある。渡り廊下でつながったその場所は、彼の家族が暮らすプライベートエリアでもあったが、今は彼一人しか暮らしていなかった。

 執務室から扉一枚隔てた仮眠室で眠っていたラグルは、大きく伸びをしながら執務室へと顔を出した。襟足の長い黒髪はところどころ寝ぐせがついている。持て余しがちにも見える長い手足を投げ出すように執務室の椅子に座ると、目の前の机には彼のために書類の山ができあがっていた。
 眠たげな目が――それでも美しいきらめきを持った虹色の瞳が、睨むように書類の山を見た。

「おはようございます、陛下」

 ノックの音に入室の許可をすると、ローディムが書類を抱えて入ってきた。また増えるのかとうんざりしたが、幸い彼の仕事のものだったらしい。執務室の彼の席にそれらは無造作に置かれた。

「何か変わったとは?」
「いえ、特には――エリーディアのご令嬢が到着しましたので、ご命令通りにお部屋にお通ししておきました。晩餐はご一緒でよろしかったですか?」
「ああ、そのつもりだ――何も失礼なことはしていないな?」

 心外だと言わんばかりにローディムの眉間にしわが寄ったが、幼い頃から彼を知っているラグルからしたらそんな態度を取られる方が納得いかない。ローディムは昔から、無駄に口も態度も悪いのだ。

「カランズは? 一緒に出迎えをしたのか?」
「ええ、今お呼びします」

 一度廊下に出て、控えていた騎士の一人にカランズを呼びに行かせると彼はすぐにやってきた。「おはようございます」とあいさつする彼はさわやかだ。

「エリーディアの令嬢はどうだった?」

 カランズの瑠璃色の瞳が一度ばちりと瞬きをする。

「可憐な方でしたよ」
「容姿の話ではない」
「よい方だと思います。お父上とは似ていないようで……」

 微笑むカランズに、「そうか」とラグルは短く返事をした。

 カランズを含めたデュアエルの人間の瞳は青い色合いが多いのだが、中でも美しい瑠璃色の瞳をしている者は悪しきものや噓偽りなどを見抜く力があるとされていた。そして実際、カランズにはその力があった。ローディムと共に彼にもエリーディアの令嬢の出迎えをさせ、令嬢の護衛をする隊の隊長任命したのもそのためだ。
 エリーディアの当主は愚かにも自らの王位を主張しつづけている。大した男ではないというのが他の主家も含めた周囲の評価だったが、これをきっかけに余計な問題を起こすことは明白だった。
 それならば逆に問題を起こさせるのもいいだろう――主家会議にかければ、当主の座から引きずり下ろすことができる。幸い当主の実弟であるファルトーンは常識的で有能だ。この城内では愚かな兄のせいで大した出世も見込めない立場においやられてはいるが。

 結婚に関して、ラグルは大した希望もなかった。自身が即位する際の主家会議でエリーディアの令嬢とラグルの結婚を餌の一つとしてエリーディアの当主を説き伏せたのもローディムの父、アーケアの現当主だ。こうして実現してみると、アーケアの当主はこれをきっかけに何か問題が起きればと思っていたのかもしれない。実際のところはわからないが。

「とりあえず話してみて、それから今後のことを決める。それでいいな? ローディム」
「かまいません。このままエリーディアの令嬢を迎えても、他の令嬢を選びなおしても」

 「結婚はしてください」とローディムが付け足したひと言に、ラグルは肩をすくめて見せた。


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