境界の扉

衣谷一

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1.扉をくぐる者

進捗どうですか

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 深田から聞いた境界の扉という学校の不思議。境界の扉というネタに死神のイメージを抱いた浦は余計に口数を減らし、高畑は高畑でそのエピソードの残虐さにうまい言葉を見つけ出せずにいた。生まれて初めてホラー映画を見させられたかのよう、怖いのか怖くないのかよく分からないのだけれども、本能が『これは無理』と考えるような、逃げたいと考えるような、逃げたくてしょうがなくなる落ち着かなさ。

 深田から『境界の扉』が何なのかを聞き出してからはほとんど口を利かなかった。互いに開けてはならない扉を開けてしまったかのような気持ちになっていて、どの話をするにしても悪いことをしているように思えたのだった。単純にいえば、なんだか気まずいのだった。

 石田拓朗が境界の扉を追求するのがよいか、よくないのか、議論する気にもなれなかった。心の中で深田の話はくすぶってとどまり続けるばかりだった。どうして石田はこのようなものを題材として取り上げたのだろうか? どうしてこのような残虐な物語が七不思議的なものとして流田中央高校に生まれたのか? 七不思議の不思議として、ライトなうわさ話として出回っていないのはどうして? 石田はどこでこの話を知って、どこに魅了されてしまったのか?

 普段であれば何かある度に浦からやってくるLINEの連絡も全くなくて、夜が明けて登校して、同じクラスで授業を受けていても、その合間合間の休み時間があったとしても。高畑と浦は言葉を交わさなかった。ふとどうしているのだろうと思い立って様子をうかがってみれば、相手もこっちを見ていて、それがまた気まずさを増幅させるのだ。

 結局一言も言葉を交わさないで、金曜日の放課後となってしまったのだった。それも月末、部誌の制作物に対する進捗報告会が予定されていた。

 三つのテーブルに分かれて座るが、真ん中のテーブルだけ空気が淀んでいる。いつもと変わったことなんてないのに、あたかも全員を落ち込ませるような出来事が直前にあったかのような雰囲気だった。

 編集長が腰を上げながらこぼした、

「さてと、始めるか」

というつぶやきが空気に溶けて消えてしまうのはあっという間だった。

 まずは表紙と装丁と渉外の状況からだった。表紙のイラスト案をいくつか、ホワイトボードに貼り付けて多数決を求めるのは石田孝之だった。この回でイラストを決めて清書に取りかかりたいとのこと。石田孝之の用意した案に前澤は思わず、

「かわいい」

と言葉するのだった。一年生ズは絵を指差しながらあっちだこっちだと話をしていて密かに盛り上がっていた。最後の多数決では、一年生は思い思いの方に挙手して、沈黙モードの二年生たちは前澤がかわいいと評した方に手を上げた。どちらがいいかなんて彼らは考えていなかった。

 石田と立ち代わりで前に出たのは浦だった。部誌のレイアウトや印刷会社に依頼するプランなどの最終確認と広告の報告だった。最後には注文にあたって部員から徴収する額の確認をして、それで浦の番は終わった。

 石田のターンと比べていかに浦の話が重たかったことか。決まり事や金の話だから盛り上がることがあるわけではないが、それを踏まえても浦の語り口は聞き手に重しを乗せるような調子だった。感情らしい感情を失ったロボットじみた印象だった。

 全体の関わるところの確認が終わってからはそれぞれの状況報告だった。今回も例にもれず三年生からの報告、淡々と報告を進めてゆく。

 石田孝之はネームを切り終わったのでこれからペン入れをする。

 浦は執筆最中、大体三分の一ぐらい書き進めた。

 高畑は取り上げるプログラムコードの検証中。

 前澤は作品からシナリオを組み終わって、プログラムに落とし込み始めた。

 報告のトリを飾るのは石田拓朗の報告だった。

 石田が立ち上がったのを見て高畑と浦は息を呑んだ。互いに一瞥の視線を重ねてから改めて境界の扉に目を向けた。彼がどこまで境界の扉に近づいてしまったのか。境界の扉を見つけてしまってはいないか。境界の扉に関係がありそうな恐ろしい目にあってはいないか。

「過去の文献や資料をかき集めています。ですが、役に立ちそうな情報は中々見つけられなくて、ちょっと苦労してます」

 石田拓朗はそう報告するだけで腰を下ろした。境界の扉まではまだ遠いように感じられて、しかしそれだけしか進捗がないことが拍子抜けだった。『境界の扉を見つけ出すことができました』と言い放つのではないか、と高畑は過激に想像をたくましくさせていたぐらいだった。

 浦を見やれば、浦もまた高畑を見つめていたのだった。彼女もきょとんとしているところ、高畑と似ているようなことを考えているらしかった。身勝手な想像を裏切られた二年生だったが、しかし石田から発せられた言葉は歓迎するべきもの。高畑の視線の先にいる浦の表情が幾分か柔らかくなった。また、部員の進捗報告が終わって編集長が報告会の締めをする時、彼もまたいつもの声の調子を取り戻した。

 部活が終わったあとの高畑は大きな仕事を一つやりきったかのような達成感に満ちていた。椅子の背もたれから背中を伝って疲労感が広がってゆき、次第に溶け込んでゆく、消え行く瞬間のむずかゆさに身を任せてその心地よさを感じ取るのである。

 リラックスして幾分か椅子をずり下がる高畑だったが、横に誰かが立っているのに気づいて居住まいを正した。横に立っているのは石田拓朗だった。手にノートとペンを携えた取材スタイルだった。ひと仕事して満足感でいっぱいの高畑は何も気にせずに石田の言葉に耳を傾けた。

「実は相談したいことがあって」

 申し訳無さそうに切り出した。

「部活の場で話をしたことなのですが、ええと、資料は集めることができているのですがその中から情報というか、欲しい情報が中々見つからないんです。なんだか見落としをしているような気がしていて、これをプログラムで何とかできないかなと思ってるんです。手助けしてもらえませんか」

「つまりはあれか、石田が見つけた資料を電子化してプログラムで全文検索ができるようにすればいいってことか?」

「全文検索というか、境界の扉に関することを検索できればいいのですが」

 プログラムの本領である作業効率化の相談だった。高畑の目が鋭くなると同時に、ノートとペンを取り出した。大判なノートは無地でペンは五色ボールペンだった。

 見開きの左上に『検索プログラム』と銘打ち、すぐ下には『要件』と書いて短い会話を箇条書きに整理する。

 次に書いたのは『入力』というワード。

「資料っていうのはどんなものがある? ウェブサイトとか、本とか、どんなものを対象にしたい?」

「部誌なんです。図書部の昔の部誌です」

「ほう、そうなると在庫が残っている部誌を分解する形かな」

 高畑の頭に浮かぶのは紙面をスキャンして、画像から文字を拾ってゆく方法だった。テキストデータを検索対象にして石田の求めている言葉を取り出せばよい。

 耳は石田の言葉を待ち受けながらもプログラム設計ノートにメモを書き込んでゆく。処理のロジックと並行してどういうツールを使って楽に作ってゆくかも考えてゆく。フル回転だった。

「分解しないとダメなんですか」

「道具が必要。できないことはないけれど、俺が持っている道具だと一枚一枚の紙にしてスキャンしないとできない」

「どうしよう、あまりがある部誌がほとんどないんです」

「確かここ最近の部誌にはあまりがあったはずだから、それを使えばいいはずだが。ほとんどない、ってことはないと思うけど」

 浦から聞いた話だ。在庫が余っている部誌をもらったと言っていた。同じ考えであれば、それぞれの部誌を一部だけ失敬して、バラバラに分解してしまえばよい。あとはひたすらスキャンしまくってデータにするのだ。

「昭和初期の部誌なんです。図書準備室の奥とかいろいろなところに眠っていたのを探し出したんです。それぞれ一部しかなくて、貴重な資料で」

「ああ分かった無理だなこの案は使えない」

 そもそもそんな大昔の部誌が眠っていること自体が初耳だった。彼はどうしてそのようなものを資料として見出したのか、と考えて教諭の差金だと、深田の仕業だとすぐに察したわけである。

 高畑は設計ノートに大きくバツを描いた。

「スマートフォンを使ってスキャンする方法はないわけじゃないけれども、効率を考えるといい方法には思えない。結局アナログに読むほうが早い気がするな」

「そうでしたか。プログラムを使えばもっと確実に探せると思ったのですが。そうすか、地道にめくっていくしかないんですね」

「ま、そんなこった」

 石田はその時になっても少し考える素振りをしたものの、

「ありがとうございました」

と口にしながら頭を少し傾け、高畑の元を去ったのだった。
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