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5章 ふるさとの日々
2 翡翠と八千河
しおりを挟むリビングダイニングに近付くと、ふわりと漂う甘い匂いがした。
なんだろう、そう思って部屋に入ると、周吾の祖父――青海丈司が、ソファに座って新聞を眺めていた。
「……ああ、瑞生くん、おはよう。よく眠れたかい?」
「はい。おはようございます。すごくたくさん眠れました」
「ああ、それはよかった」
そうしてふたりが会話する脇を、周吾はするりとすり抜けてキッチンへ向かう。
「じいちゃん、勝手に食べていい?」
「おお、昨日もらったとうきび、ふかしたのそこに入ってるから食べるといい。あと茄子漬けと枝豆と鮭焼いたのとか、適当におかず出しな」
「うん、ありがとう」
「あ……俺も手伝うよ」
せっかくだからと瑞生は声をかけた。しかし、周吾はぱっと振り返り――。
「いいよ。瑞生は座ってて」
「う、うん」
結局、言われるがままダイニングに座り、周吾が準備をする姿を見守ることにした。
そうしててきぱきと用意された朝食は、色とりどりだった。
つやつやとした黄金色のとうもろこしに、茶色がかった緑色の枝豆、また赤々として艶のあるミニトマトに、昨晩も食べた真っ青な茄子の漬物。
それと白いご飯と焼鮭があれば、もう十分だった。フランスの簡素な朝食が普通の瑞生にとって、ディナーのような品数だった。
「周吾……豪華すぎない?」
「そうか?ありものだし、気にするな。それにどれも茹でただけとか、漬けただけとか簡単なものばかりだし」
「そうなのか?」
「ああ」
「なら、いいか。じゃあ、遠慮なく。いただきます」
瑞生はそう手を合わせて、目の前のとうもろこしから手に取った。
それは一粒一粒が大きくて中身が詰まっていてフランスで売られているものとはまるで違うように見えた。半分にされたものを齧ると、中からはたっぷりの水分と甘みが広がった。
「……!」
――なんて美味しいのだろう。
瑞生は夢中で食べた。とうもろこしをはじめ、茹でた枝豆も、切っただけのトマトも。
みずみずしくて、とにかく味が濃いそれらを頬張っていると、丈司は奥のソファでにこにこと微笑んだ。
「瑞生くんは、八千河のものを気に入ってくれたみたいだね。食べっぷりがいいなあ」
「はい……!ここのものは、何でも美味しいです」
「ふふっ。それはよかった」
そうあまりにも嬉しそうに目を細めるので、瑞生は続ける。
「……八千河は緑も多いし、山も海も近くて、本当にいいところだと思います」
「そうか。気に入ってもらえたよう嬉しいよ。それにしても…………きみは本当に翡翠みたいな綺麗な瞳をしてるんだね」
突然そう言われ、瑞生は驚いた。
翡翠――そう自分の目の色のことを、例えられたのは初めてのことだったから。
不意に首にかけている勾玉へと意識が向いた。
この、祖母から譲り受けた石は、実は日本では一般的なものなのだろうか――瑞生はそう思い、聞いてみる。
「丈司さんは、翡翠のこと知ってるんですか?」
するとそれに答えたのは丈司ではなく、目の前に座る周吾だった。
「当たり前だろう。ここら辺は、古代から産地として有名なんだ」
「え?そうなの?」
「それに、じいちゃんは自然博物館のとなりの郷土資料館も管理してるから、そういうのはすごく詳しいんだ」
その言葉に、祖父の丈司のほうを思わず見ると、なにやら恥ずかしそうな笑みを浮かべていた。
不意に瑞生は気付いた。
――それならば、この地の歴史について、普通の人よりも詳しいかもしれない。
祖母は、この勾玉には古い伝説が伝わっていると言っていた。
それが伝説ではなく、実際に過去に起こったことで。今朝の不思議な夢と何らかの共通点があれば、何かわかるかもしれない。
瑞生がぼんやりと考えていると、丈司が口を開いた。
「瑞生くんは、そういう日本の歴史に興味があるのかい?」
「はい、少しだけですけど。実は……これ」
とりあえず勾玉を見てもらおう、そう思った瑞生が、首からペンダントを外し手にしたときだった。
翡翠があらわになった瞬間、これまで穏やかに細められていた丈司の目が、突然大きく見開かれたのだ。
「これは…………なんて珍しい」
「そうなんですか?」
「……ああ。この大きさのものは中々見つからないんだよ。君は一体これをどこで?」
「これは、祖母の実家に代々伝わっていたものなんです。祖母が俺にって渡してくれたんです」
「…………なるほど」
そう言いながら、丈司は顎に手を当てて考え込んでしまった。途端、真剣な顔をしはじめたその姿は、孫の周吾とよく似ていると思えた。
周吾はというと、茄子の味噌汁を飲み干し器を置いたあとで、丈司が口を開くより先にこう言った。
「瑞生は、いつまで日本にいるんだ?」
「それが……まだ決めてないんだ。ただ、夏休みだからしばらくフランスには戻らないつもり。あの怖い夢も、見ないことがわかったから」
――まあ、別の夢を見てしまったけれど。
まるで物語を観るような、不思議な夢。
だからか恐怖は感じず、むしろ見れることならもう一度見たいとも思っていた。
イスルという青年が見たものや感じたもの。
なぜ自分がそれを求めているのかはわからなかったが、きっと託されたこの勾玉の秘密に迫れるからなのだろう。
瑞生がひとり考えていると、丈司が突然明るい声を上げた。
「それなら、八千河をめいっぱい楽しんでいくといい。来週は祭りもあるし、それに大きな花火も上がるんだ!」
「花火?」
「ああ、海の上で上がる、特別な花火だよ。君は本当にいい時期に来たね。……ああ、ぼくのいる郷土館はいつでもあいているから、気が向いたときにでも来るといい」
「ありがとうございます」
瑞生がそうして頭を下げると、目の前の周吾は食べ終えた食器をまとめながら言った。
「とりあえず、一度戻らないとだな」
「うん。ばあちゃんち、そのままにしてきたから」
「よし……さっさとこれ片付けて、行くか」
瑞生はその言葉に唖然とする。
「え?……周吾も来てくれるの?」
まさかと思っていたものの、やはり周吾は優しいらしい。
「当たり前。案内してやれってじいちゃんに言われてるし……それに、ここからならバスですぐ駅前に行けるから。ほら、食器持っていくから」
「あ、ありがとう」
周吾は瑞生の使った食器をてきぱきとお盆の上に乗せていく。
その漆黒の瞳は、まるで簡単な家事をしているとは思えない、真剣な光をたたえていた。
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