57 / 123
7話「記憶の海風」
9
しおりを挟む
この集落の隣にあった集落は、一年前の祭事で霧に飲み込まれて消えた。
……その集落の名を、実湖といい――麟国では秘匿された、咎人達の犯した罪の眠る場所とされる。
秘匿されている、この地を知っているのは【祭司の一族】と麟王家の者だけだ。
(一年前、その実湖で不測の事態が起こり…暴走した霧によって滅ぼされた。たった3人だけを残して……)
霧に包まれた千森を見回した青髪の娘は、小さく息をつくと物思いにふけっていた。
本来ならば、外に出る事は禁止されているのだが…彼女は、その決まりを破って屋敷の外に出ているのだ。
……まぁ、もっとも養父である里長の頼みがあったからなのだが。
実湖の生き残りである3人の内、2人は〈神の血族〉だった……つまり、実質の生き残りはひとりだけとなる。
その唯一の生き残りを、この集落の長は贄にしようと考えている――この集落を守る為とはいえ、おそらく…そんな事をしても無駄に終わるだろうに。
冷静に考えればわかる事だ……と考えた彼女は、大きくため息をついた。
(まぁ…わたくしも、お養父様やあの子を責める資格はないですわね。だから、静観をしておりましたのに……)
何もせず見ているだけにしたのは、あの子に親近感のようなものを感じたからだ。
……ただ、お互いの立場が違っているだけだと。
――青髪の娘は幼い頃、ある事情でこの千森へとひとりやって来た。
ひとりぼっちだった彼女は、最初に手を差し伸べてくれた銀髪の少年にひと目で心奪われてしまう。
その当時は、少年が〈神の血族〉の者であると知らなかったし思ってもいなかった…だが、周囲の様子などですぐに知った。
…自分の、この思いを諦めなければならない事実も同時に知ってしまったわけだが。
……でも、少し経ったある日とある話を耳にした。
実湖にいる〈神の血族〉の少年と【祭司の一族】の少女が互いに思い合っている、という話を――
その少女は【祭司の一族】…つまり咎人の血を引いている。
対して自分は麟王家の、〈神の血族〉と人との間に生まれた〈狭間の者〉の血を引いている。
――どうして、あの少女と〈神の血族〉の少年の仲は許されているのに自分は諦めなければいけないのだろう?
少しだけそう考えたのは、今となっては苦い思い出なのかもしれない。
大人になった今わかっているのは、自分は千森の…次期里長となる者との婚姻が幼き日から決められていたという事だけ。
その事を、彼女がひとめ惚れした少年も知っていたから…咎人の掟を、彼女にも適応させたのだ。
本来ならば、咎人の血を引いていない上に……どちらかというと〈神の血族〉の血を引いている麟王家ゆかりの者なので、掟に従う必要はない。
……ただ、彼女の許婚に配慮した結果なのだろう。
初恋は叶わない、とは言うけれど…まさか、思いを告げる事すら許されないとは考えもしなかった。
(そういえば…実哉も、わたくしと同じ思いを抱いていましたわね)
だから、彼女と手を組んだ……どうせ叶わない願いならば、少しだけ抗ってみようと。
はた目からは、仲違いをしているように見せて――あぁ、でもそれは1年前にすべて無駄に終わってしまったようなものだ。
「ねぇ、実哉…わたくし達は今まで何をしていたのかしらね?」
苦笑した青髪の娘は、ある一点を見つめながら誰も見当たらない空間に向けて声をかけた。
最初は何の気配もなかったその場所に、ゆらゆらと揺れる人影が現れる。
――よく見ると、その人影は桃色みある茶髪の少女だった。
「…………」
少女は何も語らず、何も映していない瞳を青髪の娘に向ける。
その虚ろな表情を目にした青髪の娘は、口を開こうとしたがすぐ諦めて目を伏せた。
もう…何を伝えても、今の彼女にはおそらく届かないだろう。
少女――実哉は人としての心を失い、もはや霧の僕と化しているのだから。
霧の僕となった者を倒す事は人の身でもできるが、浄化だけ人の身ではできない。
ましてや、咎人の血では浄化でなく…逆に力をつけさせてしまうのだ、とここに来た頃に教えられた。
でも、〈狭間の者〉の血を引く麟国の王族ならば――もしかすると、完全な浄化にならないかもしれないが弱体化くらいならできるかもしれない。
そして、自分の身にも少ないながら〈狭間の者〉の血が流れているので行えると考えた。
「わたくしで申し訳ないですけど…貴女の最期を見送らせてくださいませ」
本当は自分なんかでなく、彼女の想い人ならばよかっただろうが……こういう状況なので、実哉もわかってくれるだろう。
――実哉が想いを寄せていたのも、自分と同じく〈神の血族〉の御方だった。
救いなのは、自分と彼女の想い人が違った事だ……同じ相手だったら、仲良く協力関係など築けなかっただろう。
青髪の娘はおもむろにフリルのついたスカートをたくし上げ、左足の太腿までを露わにした。
太腿にはレースのリングガーターをつけており、そこに護身の為か短剣を差しているようだ。
それを手に取り、スカートを下ろした青髪の娘は短剣を鞘からゆっくりと抜いた。
「…わたくしね、決めましたのよ。もう、知らぬところで政略的に決められた婚約を破って……そして、わたくしは前に話していた修道女になろうと考えていますの」
王族としては血が薄い…かといって、〈神の血族〉の血を引いているから捨て置く事も出来ない。
だから、秘匿すべき地を管理する次代の長の伴侶に選ばれたようなものであった。
――全て勝手に決められたのだから、一度くらい自分の意志で決めてもいいだろう。
本当は実哉と一緒に、輝琉実で修道女になりたかったのだけれど。
「…あの時、わたくしが彼の地での異変に気づければよかったのですけれど――」
_
……その集落の名を、実湖といい――麟国では秘匿された、咎人達の犯した罪の眠る場所とされる。
秘匿されている、この地を知っているのは【祭司の一族】と麟王家の者だけだ。
(一年前、その実湖で不測の事態が起こり…暴走した霧によって滅ぼされた。たった3人だけを残して……)
霧に包まれた千森を見回した青髪の娘は、小さく息をつくと物思いにふけっていた。
本来ならば、外に出る事は禁止されているのだが…彼女は、その決まりを破って屋敷の外に出ているのだ。
……まぁ、もっとも養父である里長の頼みがあったからなのだが。
実湖の生き残りである3人の内、2人は〈神の血族〉だった……つまり、実質の生き残りはひとりだけとなる。
その唯一の生き残りを、この集落の長は贄にしようと考えている――この集落を守る為とはいえ、おそらく…そんな事をしても無駄に終わるだろうに。
冷静に考えればわかる事だ……と考えた彼女は、大きくため息をついた。
(まぁ…わたくしも、お養父様やあの子を責める資格はないですわね。だから、静観をしておりましたのに……)
何もせず見ているだけにしたのは、あの子に親近感のようなものを感じたからだ。
……ただ、お互いの立場が違っているだけだと。
――青髪の娘は幼い頃、ある事情でこの千森へとひとりやって来た。
ひとりぼっちだった彼女は、最初に手を差し伸べてくれた銀髪の少年にひと目で心奪われてしまう。
その当時は、少年が〈神の血族〉の者であると知らなかったし思ってもいなかった…だが、周囲の様子などですぐに知った。
…自分の、この思いを諦めなければならない事実も同時に知ってしまったわけだが。
……でも、少し経ったある日とある話を耳にした。
実湖にいる〈神の血族〉の少年と【祭司の一族】の少女が互いに思い合っている、という話を――
その少女は【祭司の一族】…つまり咎人の血を引いている。
対して自分は麟王家の、〈神の血族〉と人との間に生まれた〈狭間の者〉の血を引いている。
――どうして、あの少女と〈神の血族〉の少年の仲は許されているのに自分は諦めなければいけないのだろう?
少しだけそう考えたのは、今となっては苦い思い出なのかもしれない。
大人になった今わかっているのは、自分は千森の…次期里長となる者との婚姻が幼き日から決められていたという事だけ。
その事を、彼女がひとめ惚れした少年も知っていたから…咎人の掟を、彼女にも適応させたのだ。
本来ならば、咎人の血を引いていない上に……どちらかというと〈神の血族〉の血を引いている麟王家ゆかりの者なので、掟に従う必要はない。
……ただ、彼女の許婚に配慮した結果なのだろう。
初恋は叶わない、とは言うけれど…まさか、思いを告げる事すら許されないとは考えもしなかった。
(そういえば…実哉も、わたくしと同じ思いを抱いていましたわね)
だから、彼女と手を組んだ……どうせ叶わない願いならば、少しだけ抗ってみようと。
はた目からは、仲違いをしているように見せて――あぁ、でもそれは1年前にすべて無駄に終わってしまったようなものだ。
「ねぇ、実哉…わたくし達は今まで何をしていたのかしらね?」
苦笑した青髪の娘は、ある一点を見つめながら誰も見当たらない空間に向けて声をかけた。
最初は何の気配もなかったその場所に、ゆらゆらと揺れる人影が現れる。
――よく見ると、その人影は桃色みある茶髪の少女だった。
「…………」
少女は何も語らず、何も映していない瞳を青髪の娘に向ける。
その虚ろな表情を目にした青髪の娘は、口を開こうとしたがすぐ諦めて目を伏せた。
もう…何を伝えても、今の彼女にはおそらく届かないだろう。
少女――実哉は人としての心を失い、もはや霧の僕と化しているのだから。
霧の僕となった者を倒す事は人の身でもできるが、浄化だけ人の身ではできない。
ましてや、咎人の血では浄化でなく…逆に力をつけさせてしまうのだ、とここに来た頃に教えられた。
でも、〈狭間の者〉の血を引く麟国の王族ならば――もしかすると、完全な浄化にならないかもしれないが弱体化くらいならできるかもしれない。
そして、自分の身にも少ないながら〈狭間の者〉の血が流れているので行えると考えた。
「わたくしで申し訳ないですけど…貴女の最期を見送らせてくださいませ」
本当は自分なんかでなく、彼女の想い人ならばよかっただろうが……こういう状況なので、実哉もわかってくれるだろう。
――実哉が想いを寄せていたのも、自分と同じく〈神の血族〉の御方だった。
救いなのは、自分と彼女の想い人が違った事だ……同じ相手だったら、仲良く協力関係など築けなかっただろう。
青髪の娘はおもむろにフリルのついたスカートをたくし上げ、左足の太腿までを露わにした。
太腿にはレースのリングガーターをつけており、そこに護身の為か短剣を差しているようだ。
それを手に取り、スカートを下ろした青髪の娘は短剣を鞘からゆっくりと抜いた。
「…わたくしね、決めましたのよ。もう、知らぬところで政略的に決められた婚約を破って……そして、わたくしは前に話していた修道女になろうと考えていますの」
王族としては血が薄い…かといって、〈神の血族〉の血を引いているから捨て置く事も出来ない。
だから、秘匿すべき地を管理する次代の長の伴侶に選ばれたようなものであった。
――全て勝手に決められたのだから、一度くらい自分の意志で決めてもいいだろう。
本当は実哉と一緒に、輝琉実で修道女になりたかったのだけれど。
「…あの時、わたくしが彼の地での異変に気づければよかったのですけれど――」
_
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
あざとしの副軍師オデット 〜脳筋2メートル義姉に溺愛され、婚外子から逆転成り上がる〜
水戸直樹
ファンタジー
母が伯爵の後妻になったその日から、
私は“伯爵家の次女”になった。
貴族の愛人の娘として育った私、オデットはずっと準備してきた。
義姉を陥れ、この家でのし上がるために。
――その計画は、初日で狂った。
義姉ジャイアナが、想定の百倍、規格外だったからだ。
◆ 身長二メートル超
◆ 全身が岩のような筋肉
◆ 天真爛漫で甘えん坊
◆ しかも前世で“筋肉を極めた転生者”
圧倒的に強いのに、驚くほど無防備。
気づけば私は、この“脳筋大型犬”を
陥れるどころか、守りたくなっていた。
しかも当の本人は――
「オデットは私が守るのだ!」
と、全力で溺愛してくる始末。
あざとい悪知恵 × 脳筋パワー。
正反対の義姉妹が、互いを守るために手を組む。
婚外子から始まる成り上がりファンタジー。
乙女ゲームの正しい進め方
みおな
恋愛
乙女ゲームの世界に転生しました。
目の前には、ヒロインや攻略対象たちがいます。
私はこの乙女ゲームが大好きでした。
心優しいヒロイン。そのヒロインが出会う王子様たち攻略対象。
だから、彼らが今流行りのザマァされるラノベ展開にならないように、キッチリと指導してあげるつもりです。
彼らには幸せになってもらいたいですから。
クラス最底辺の俺、ステータス成長で資産も身長も筋力も伸びて逆転無双
四郎
ファンタジー
クラスで最底辺――。
「笑いもの」として過ごしてきた佐久間陽斗の人生は、ただの屈辱の連続だった。
教室では見下され、存在するだけで嘲笑の対象。
友達もなく、未来への希望もない。
そんな彼が、ある日を境にすべてを変えていく。
突如として芽生えた“成長システム”。
努力を積み重ねるたびに、陽斗のステータスは確実に伸びていく。
筋力、耐久、知力、魅力――そして、普通ならあり得ない「資産」までも。
昨日まで最底辺だったはずの少年が、今日には同級生を超え、やがて街でさえ無視できない存在へと変貌していく。
「なんであいつが……?」
「昨日まで笑いものだったはずだろ!」
周囲の態度は一変し、軽蔑から驚愕へ、やがて羨望と畏怖へ。
陽斗は努力と成長で、己の居場所を切り拓き、誰も予想できなかった逆転劇を現実にしていく。
だが、これはただのサクセスストーリーではない。
嫉妬、裏切り、友情、そして恋愛――。
陽斗の成長は、同級生や教師たちの思惑をも巻き込み、やがて学校という小さな舞台を飛び越え、社会そのものに波紋を広げていく。
「笑われ続けた俺が、全てを変える番だ。」
かつて底辺だった少年が掴むのは、力か、富か、それとも――。
最底辺から始まる、資産も未来も手にする逆転無双ストーリー。
物語は、まだ始まったばかりだ。
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
復讐のための五つの方法
炭田おと
恋愛
皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。
それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。
グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる