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15.おてがみ
フッと。
奈智は眼を覚ました。
とても気分良く、眠っていた。
あぁ、そうか。
早朝から、許可無いままに兄にピアッシングされ、自宅を出て彷徨っていたのだった。
それから、どうしたっけ?
眼を擦りながら何気なく見上げた先に、奈智は声もなく瞠目した。
──……え?
間近に迫る、双子の弟の先輩の顔。彼もどうやら寝ているらしい。
普段は身長差でこれ程近くその表情を拝む事はないが、現在何故かやたらと近い。常には見ることが出来ない、睫毛の長さや整ったパーツをしっかりと確認できる。
そして今更ながらに気付いた己の体勢に、奈智は焦った。
ひ、ひざ、まくら……!!
しかも自分がしてもらっている。
一体、何がどうなってこうなっているのかは、はなはだ不明だが、自分としてはこの状況はとても戴けない。
勝手に熱を持つ顔と耳に気付かないふりをして、急いでだが彼を起こさないように慎重に離れていく。
「……ん」
あ、起こしちゃった、かな……?
薄く眼を開き何度か瞬きをする先輩に、悪いことをしたと奈智は焦った。
「あ、あの、せんぱ……」
────え。
己に起こったことが理解できない。
真っ白になった頭では、先ほど以上に近づいた彼の顔を凝視するだけ。
やわらかく唇を食むこの感触は?
ピチャリ。
この音はどこから出てるの?
「あ、あの、せ……ンー……」
問いかけようとしたのが、悪かった。
開いた口を契機と取ったのか、口腔内に滑り込んでくる彼。
口唇だけでなく、歯列も口蓋も。
逃れようとする舌も探り当てられる。
絡められる舌に息を奪われる。
朱に染まった身体は、耳朶に埋め込まれた石と同じ色に。
──キス、されて、る……?
上から覆いかぶさるようにして何度も角度を変えて貪られる。
我に返ったときには、何もかもが遅かった。
彼に引き寄せられた身体は言う事を聞かない。
戸惑いの声も全て飲み込まれる。
相手を押し返す力をとうに無くした指先は、頼りなく縋りつくのみ。
キツク視覚を遮れば、逆に感覚が冴え渡り、奈智は目尻に涙を溜めた。
──なん、で……?
「奈智……」
「……ぁ」
耳朶をやさしく包まれながら耳元で低く囁かれた名前に、背筋を何かが駆け上がる。
生まれてこの方使用している名前が、こんな風に甘さと官能を含んだ声音で彩られるのははじめてだ。
「……ゃ……っぅ」
──こわ、い。
理由も解らない状態で尻込みして顔を歪める奈智は、逞しい腕に有無を言わさずベッドの中に引きずり込まれた。
──全身が、心臓になったみたいだ。
なにがどうなっているのかもよく解らず、奈智は身動きの取れないまま、酸欠のどこか血の巡りの悪いぼんやりとした頭で思った。
今まで、からかわれて唇を合わせられたことはあった。
しかし、これは……ちょっと『お遊び』で済まされるようなモノではなかった。
火照る顔を隠そうと、いや、この腕から逃れようとするも許されず、微かに身じろいだだけにとどまった。
……もしかして、寝ぼけてた、だけ?
自分を腕の中に抱き、一緒に布団に引きずり込んだ双子弟の先輩の心理は解らない。
見上げた先も、布団の中は暗くて相手の表情の判断がつかない。
だが、緊張と共に安心感のある、不思議な感覚。
しばらく抜け出せないかと格闘していた奈智だったが、諦めて眼を閉じた。
心臓の、音がする。
静かに。
この世界に相手と自分しか存在しないような。
自分以外の体温を分けられ、分けて。
時折なだめる様に頭を撫でる、その手にも安心を与えられる。
もう大丈夫だと。落ち着けと。
奈智はゆっくりと深く呼吸をした。
──先輩の、においがする。
不意に、鳴り響く着信音。
あ、沙和、だ。
先ほど掛かってきたばかりなのに、何の用事だろう?
電話に出ようと腕の中から脱出を試みるも、びくともしない。
「……先輩?」
まだ寝ているのだろうか?
そうしたらどうしよう? 出れないぞ。
一つ溜め息が降りかかり、腕の力が緩んだ。
のそりと上半身を起こし、テーブル上の見慣れた携帯電話に手を伸ばす。
もう少し、身長と手の長さが欲しい……。
そんな体勢でしか辿り着けないのは、何故か堀ちゃん先輩が腰から手を離してくれないから。
やわらかな女の子ならいざ知らず、骨と筋ばかりの可愛くない自分をそんなに抱きしめなくてもいいのに。
もしや、抱き枕が欲しい?
掴んだ携帯を開けば、その音と共に同時に再び強く引き寄せられる。
絡む、視線。
『なっちー! まだ堀ちゃん先輩のトコに居るー?』
「うん。どうしたの?」
『例のてがみ、来たよー! しばらくは、ひとりでこーどーしちゃダメー!』
「……あぁ、あれ?」
知らず、奈智は軽く溜め息ついた。
毎度毎度、ご苦労なことだ。
『読むねー!』
「ぁ……」
手の内の電話は大きな掌によって奪われた。
『「今日も綺麗な奈智。公園でうたた寝している姿も、缶詰を悩む姿もかわいいよ。食べてしまいたい。胃炎はもう、薬を飲まなくても良くなってきたね。好き嫌いしないで、嫌いなレバーも食べなきゃいけないよ。捻った左足首も完治したね。でも校舎の三階から飛び降りるのはよく無いよ」ってー』
「レバーは嫌いなんじゃなくて、苦手なだけなんだけど」
食べようと思えば、食べられる。
「……沙和。なんだ、それは」
『奈智のストーカーからの熱烈ならぶれたー』
眼を眇めた堀ちゃん先輩は起き上がり、窓際へ移動していく。
俺の携帯なんだけど。
そんでもって、そんなに離れたら沙和からの内容が聞けない。
更に手で来るなと示されると、近寄るに近寄れない。
広い背中を眺めつつ、何だかんだで仲がいいのだろうと奈智は思う。
堀ちゃん先輩と沙和。
はじめは沙和と間違えられて、声を掛けられたし。
少し感じる、疎外感。
「ああ、解った」
通話を切った先輩がゆっくりとした足取りで戻ってくる。
結局、沙和の用事がなんであったのか、よく解らないままだ。
「……俺入れて三人、か」
「え?」
「何でもない。沙和から早めに帰って来いって」
「あ、はい……」
そういえば、魚や肉もなくなってきたし今日特売日だし、買い物してから帰ろう。
「奈智、『早めに』だぞ」
「えっ、えっと……は、はぃ……」
……ナゼにバレたのだろう?
俺って、そんなに解りやすい?
じっと送られる視線を俯きがちに流せば、頭に手を乗せられる。
「一緒に行ってやるから、そんな顔するな」
「あ、ありがとうございま──」
ふんわりと微笑んだその唇に一瞬同じものが重ねられ、奈智は再び困惑した。
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