窓際のまんじゅう

あづま永尋

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「……えっと? 横山くん?」
 急な陰りに視線を上げれば、思いのほか近くに部下の美丈夫を拝んで佐藤は困惑した。ファイルを探しに資料室に来て、本棚と男に挟まれる事態になるとは誰が想像できただろう。いわゆる壁ドンというヤツではないか。同時に、こんなおじさん相手にまさかと否定する。
「秋生さん、なんで他人にあんなにやさしいのですか」
「なんのこと?」
 心当たりがなくて首を傾げれば、渋面で大仰に溜め息をつかれる。ネクタイに軽く口づける姿も絵になるが、もしやそれは佐藤の付けている柄ではないだろうか。
「他人の些細なことに気づくのは美徳ですが、恋人の前で堂々とされるのは嫉妬を煽っているのと同じです」
「意味がわからないよ」
 わかるようにかみ砕いて説明してくれ。
 しかし整った顔が怒ると迫力があるな、と見当違いなところに佐藤は意識を飛ばす。
「なんだ、こんなところで乳繰り合っているのか? 職場じゃなく家でやれ」
「課長」
 いつの間に訪れたのか、扉を背にして腕を組んだ尊大な態度の上司も参戦する。
「な? わからないだろ」
「ええ、驚くほどに。自分のこととなると特に」
 片や顎をしゃくられて、片や顎を引かれ、なぜか二人だけで分かり合っている。そして置いてきぼりをくらいながら、どうやらそれは自分のことで、けなされたらしいことだけは察する。よくよく考えれば元妻の現上司と、部下で現恋人らしき人物に挟まれている状態に首を傾げるばかりである。
「繊細なオトコ心がわかってないって話だ」
「……僕も男だけど。一応」
 不満を漏らせば上司に鼻であしらわれる。いろいろ突っ込みたいところはあるものの、いつも口で勝てた試しはないので吐息ひとつで諦める。
「『他の社員にムダに愛想を振りまくな』って言いたいんだろ」
 ニヤニヤしながら指摘され、近距離にある顔を凝視する。そっと逸らされる視線から、上司のからかいがあながち間違いではないと知らされる。
「きみたちねぇ……まあ、ちょうどいいタイミングか」
 あきれ半分、気恥ずかしさ半分で、ついでに訪れたチャンスに佐藤は思考を改める。伝えなければならないなら、早いに越したことはない。時間は有限だ。
「理由になるかわからないけど近いものは教えられるから、時間あれば付き合ってくれる?」
「はい」
 二人の首肯を確認しながら、腕から抜け出す。肩こりのある自分だったらこんな長時間上げていられないので純粋に羨ましい。
「書くもの持ってる? ボールペンでも鉛筆でもなんでもいいよ。あと紙。裏紙で充分」
 資料室の奥にある簡易的なテーブルに移動し、それぞれが椅子に座ったのを確認して続きを説明する。
「紙の真ん中に線を一本引いて。そう。左側に三十秒で魚の絵を描いてもらいます。ハイ、スタート」
 軽く手を合わせて開始を伝えると、困惑した表情のまま佐藤の指示にペンが動く。
 上司は切り替えが早く、迷いを払拭したらどんどん描きすすめている。
 横山は考えつつ、慎重にすすめていく。普段は見上げることの多い顔が、長い睫毛を伏せて熱心に紙を注視する姿に新鮮さを覚える。鼻筋が通っていて、整った顔だとぼんやり眺める。シャープな輪郭は男らしいし、かといって厳ついわけではなくどことなく甘い雰囲気もあり人好きいるというやつなのだろうか。目を細め向けられる笑顔にはほわりと体温を上げられるし、行為の最中のように油を差すようなギラついた眼差しには背筋を駆けあがる震えを覚えさせられる。大きな手は佐藤よりも佐藤の身体の隅々まであますことなく知っていて――。
「――い、おい。体感一分くらいは経つぞ」
「あ、ご、ごめん。終わり」
 まさか横山に見とれていただなんて、とても言えなくてどもってしまう。飛んだ意識を目の前に戻す。
「次は、空いた右側にラロゲプリーブを描いてください。スタート」
 本格的に困惑した視線を双方から受ける。理由は想像できるがあえて気づかないふりをする。今度こそ時間で声を上げる。
「ハイ、終わり。描いたのを見ていいかい?」
 上司は左側の中央に大きく立派な魚を描いており、横山は大きすぎず小さすぎずの魚を数匹描いてある。絵にそれぞれの個性が出ていて興味深いが、今回の狙ったところは別だ。
「描いてどうだった?」
「そうですね……絵を描く理由がわかりませんでした。描いているときは楽しみましたが」
「なるほど」
 横山の意見はもっともだ。あえて詳しい説明を省いて開始したので、他のスタッフに佐藤が心を砕いている理由に繋がるのかが謎だろう。
「心理テストかなにかか?」
「僕がそういう方面にうといの、きみは知っているだろう」
 なにを今さらと上司に呆れれば、降参と手のひらを向けられる。
「結果はあとで言うね。さて質問です。人と仲良くするためには、どうすればいいでしょう?」
「共通の話題を探します」
「プレゼント」
 これまた個性が出る。どれが正解で不正解もない。
「贈り物をするためには、なにかしますか?」
 まさか己の好みを押し付ける訳ではあるまい。
「リサーチするな」
「話題を探すのも、調査するのも、まずは相手とコミュニケーションをとらないといけないね」
 視線を寄越した上司はどうやらピンと来たらしい。しばらく黙っているよう佐藤は目配せする。
 コミュニケーションと一言で表しても、では実際にどうすればいいのか。会話はキャッチボール、対人関係は鏡などと先人はよくいったものだ。
「横山くんと課長と僕はそれぞれ初対面だとします。横山くんは誰と仲良くなりたい?」
「そりゃ恋人だろ」
 横山が返答する前に、上司が茶々をいれる。先ほど向けた視線の意味は通じなかったのか、あえて無視したのか。たぶん後者だろうな。どうやら横山に対して思うことがあるらしく、ちょくちょくプライベートで突っかかっているらしい。
「もー話の腰を折らないでよ。言ったでしょ、知らないと仮定して」
「悪かった」
「……そういえば」
 口を尖らせて佐藤は上司をたしなめる。そんなやり取りの隣で横山が声を上げた。
「警戒を抱かせない人ですね、佐藤さんって」
 腕を組んで挑発的に横山を仰いだ上司はゆぅっくりと口角を上げる。ああ、ろくなことを考えていない悪い顔をしている。嫌な予感とは得てして外れない。
「なぜだと思う? 普段からぼんやりしているのは事実だが、それだけでないのは横山も知っているだろう」
 彼も佐藤の元に上司名義のまんじゅうを届けたクチである。佐藤としては当時なんとなく存在は知っているていどの認識で面識はなかった。初対面の様子を思い出し、今とても頼れる存在となった。それも目の前にいる上司の横槍があって、さらに磨きがかかったのは素直にありがたがるべきなのか謎なところではある。
「そのままを受け止めてくれるというか、基本的に人を否定しませんね。問題が起こったときも背景や事象の究明をすすめる」
 彼も当時を思い出しているのか、顎に手を当てながら上司に返す。
 自分を分析されるのは据わりが悪いが、いい線いっている。もう一押し。
「そのこころは?」
「相手を認めて、尊重している――」
 満足そうな表情の上司を認めて、横山も気づいたのだろう。
「……だから、些細なことに気づくのですね。その延長線上で」
 ジットリと恨めしげに睨めつけられ、佐藤は返答に困る。
 察しが良くてなによりであるが、そこまで大それた理由でもないのだ。ただ話の切っ掛けになればというだけで。いつぞや飯田に話した水泳ではないが、補助的なたとえば溺れかけている人に対してビート板や浮き輪を差し出せる存在になればいい。
「会社みたいな上下関係が存在するところでは、特に相手との距離を測りかねて、互いに声掛けがされないことが多いから」
 どちらかというと先輩は声かけるタイミングを見計らっており、威圧的になってないか意見を押しつけていないかなど悩んでいる。後輩側も、たとえばこんな簡単な質問して失望されないかなど、先輩が気づかないような様々な孤独や不安を抱えている。掘り進めると双方の根底に、嫌われたくないや幻滅されたくないがある。
 そこから生み出されるのは報連相の不足ではあるが、そもそも後輩は先輩の反応――自らの不安を減らす安心材料――が欲しいことが多い。やり取りを通すことによって、後輩も己の仕事に「これでよいのだ」と自信を持つ。彼らも馬鹿ではないので相手をよく見ており、固定観念や先入観を持っていたり、己を信用していない存在にはそっぽを向く。当たり前だ、自分を大切にしてくれない人間には、同じだけ大切にできない。
 現在は一方的な報連相ではなく、雑談や相談といった雑相へ変化しているので、さらに関係性を求められている。
「たとえば元気なあいさつを先にするとか、相手のできていることを言葉にして伝えるとか、やってもらったことに感謝するとか、ちょっとした工夫みたいなので話しやすい環境ができたら素敵でしょ?」
 あいさつをしても無視されたり、飲んで放置されたままのカップを片付けたのに感謝されなければ嫌になる。子どもにもできる行動レベルではあるが、凝り固まると大人でも素直になれない。こちらが存在を認めているという意思表示によってスムーズに運ぶ事柄は多々あり、見逃してはならない事実だ。
「難しいことじゃなくて、『誰だって、自分に関心を持ってもらえると嬉しいよねぇ』って言うのが、コミュニケーションのひとつかなって思っているよ。――僕はね」
 ただし馴れ合いとはイコールではない。
 佐藤は職員の相談窓口とされている分、門戸もんこを開いていないと来る者も来ない。恋人関係となった横山が気に入らなかった部分ではあるらしいが。まあ確かに一般的に恋人が気をやる場所が多ければ不愉快だろう。今後は一考の余地ありか。
 突如響いた電子音に、それぞれの意識が逸れる。
「はい、佐藤。……ああ、行く」
 上司にかかってきた電話により、どうやら座学はお開きになりそうだと察する。予測よりも進みはゆっくりであるが、学習は少しずつ重ねていけばいい。この分野は一朝一夕に学ぶものでもない。判断した佐藤はゆっくりと机から視線を上げる。
「職場のコミュニケーションはさておき、やさしく親切にして厄介な人種に好かれるのも事実だがな」
「……え、」
 通話を終えた上司が天気の話題でもするかのように爆弾を投下する。目を見開いて固まった佐藤を気に掛けず、時計を確認して上司は席を立つ。
「もうすぐ終業か。時間になったら帰れよ」
「ちょっ!」
 片手を上げつつ颯爽と扉を潜る上司に、焦って引き留める声は届かない。資料室に残された佐藤は、隣にいる男を仰ぐ勇気がなかった。




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