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しおりを挟むこれぞ、至れり尽くせり。
佐藤が同じように他人に――横山に提供できるかといわれれば、否だ。
ドッタンバッタン暴れたし掴んでシワも寄ったであろうシーツは新たな物に代えられ、もろもろ体液で汚れたはずの身体も拭われ肌触りのいいパジャマを着せられている。さらに身体を揉みほぐしてくれた記憶もなんとなくあり、スパダリ横山の介護力は高い。たぶんではなく、確実に手加減してくれていると想像できて、ありがたさとともに申し訳なさが生まれる。こんな自分で彼は欲求不満に陥らないのだろうか。まずは体力づくりからかと、己のできる改善点を心に決める。
彼のにおいを心地よく感じながら、ゆっくりと瞬きして頬をゆるめる。
「……ほんと大切に、してもらっているなあ」
自分には過ぎるほどの。
はじめて身体を繋げたあと、ひとり残されいい知れぬ侘しさを覚えたが、現在はそれもない。隣のぬくもりに心もあたたかくなる。
昨夜の痴態に赤面する己を押し込め、慎重に身体を起こす。さすがにいつまでも、ひとさまのベッドに寝ていられない。視線を感じた先には、とろけるような微笑みをたたえる横山がいた。
「おはようございます。調子はいかがですか?」
いつから見ていたのだ、この男。
起き抜けに悲鳴を上げそうになって、不自然に喉がなる。
「……おは、よう。大丈夫動けるよ。いろいろありがとうね」
「好きなのでやらせてください。こういう時くらいしか、お世話させてもらえませんから」
やや不服そうに手を伸ばされ頬を包まれる。輪郭を確認して唇、目尻と辿る指先を好きにさせつつ、くすぐったさに肩を竦める。
「きみは僕にあまい」
「もともと尽くしたい欲はありますが、それ以上に十年ぶんを凝縮していますからね。あきらめてください」
目をぱちくりさせると、ついばむような口づけが落ちてくる。
「……ンぁ」
不埒な手のひらが腰を撫で、治まったはずの欲が深部で燻る。これではベッドに逆戻りになりそう。まあ今日は休みで用事もないから好きにさせようと、力を抜いて身を任せる。
「あなたにとって、たった十年かもしれませんが、俺にとっては秋生さんを人質にとられてのやっとの十年だったので」
「意味がわからないよ?」
その年月は、たぶん彼が本社に赴いていた期間であろう。
苦しくないていどに抱きしめられて、なだめるように広い背を撫でてやる。
「ふふふ、やっとしっかりギュッてできた」
情事とは違う、穏やかな空気に頬を緩めて目を閉じる。
「この手に秋生さんを抱けて、本当によかった」
「大げさじゃないかい?」
感慨深げにつぶやかれても疑問は増すばかり。
「全然大げさではありません。一度も秋生さんに連絡つかなかったですし。忘れられたのかと思いました」
「……え?」
出国直前に告白はされたが、当時はてっきり一夜限りの関係だと思っていたのだ。恋人の関係になって、今さらあえて過去を掘り返すこともあるまい。
ピンと来ていない佐藤の反応が気にくわなかったのか、横山はだんだん声を荒げていく。
「そこまで薄情じゃありません。何度も連絡しようとしましたし、帰国も当然考えました。なぜか察知されてことごとく阻止されましたが。携帯は着信拒否されていましたし、家電かければ奥さんって人が出て『そんな安い気持ちなのか』って、まさかそれが上司だとは知りませんでしたけれど! もちろん絶対負けません!」
矢継ぎ早に繰り出される言葉に圧倒され、口を挟む余地もない。
「……ぇ」
そもそもの内容に、佐藤は目を瞬かせる。
優秀な部下が会社に居続けるよう、上司によって順調に飼い殺されていたと。しかもどうやら横山の鼻先にぶら下げられたエサは、分不相応ながら自分らしいとも。
病室で上司と佐藤の関係を知った彼がたいそう驚いていたのは、このやり取りがあったからなのだろうと今さらながら合点する。
「……どこからどこまで知っているんだ、あの人」
仮面夫婦に終止符を打ったのは、ここ数年だ。横山の口ぶりではその前から――いや、横山の出国に上司はすでに一枚噛んでいる。佐藤が自覚するだいぶ前から、横山への特別な想いを知っていたというのか。底が知れない。
衝撃的な事実に頭を抱えたくなりながら、まさかそんなとおそるおそる確認する。
「僕の携帯、きみを拒否してあったの?」
今日は来なかったが、明日もしかしたら来るかもしれないと、結局は十年にわたり電話番号を変えられないままだった。一晩限りだとオヤジがなに言っていると横山に冷たくあしらわれるのが怖くて、こちらから通話ボタンを押せなかった。鳴らない着信を待つのをやめたのはいつだったか。
覚えがなくて困惑すれば、佐藤の肩に顔を埋めた横山が苦々しげにいう。
「秋生さんが設定していなければ、課長でしょう。そうか、この前電話に出なかったのは、まだ拒否されていたからだったのか。おかしいと思っていたんですよ、アプリでは普通に出てくれるのに電話だけ出ないの」
そういえばとプライベートの番号を交そうとして、結局互いに変わっていなくて拍子抜けしたのは少し前だった。
「なんか、ごめん。たくさん気づいてなくて」
深いため息をついてうなだれる背をさする。
いいように手のひらの上で踊らされている。会社側として上司の思惑だけでなく、友人などのイチ個人として佐藤を案じているのも合間に受け取れて、一概に大きく文句もいえない。そして同僚や元夫としてよりも、どちらかといえば弟とかそんなカテゴリーに入れられているような気がしてならない。
「秋生さんのせいではありませんから大丈夫です……」
覇気のないままいわれても説得力などありはしない。もともと遠回りな関係であったが、さらに拗れたのはあの人の茶々が入ったのが大きい。
「課長のおかげで、成長したと思うことに、します。……とても悔しいですが! 舅や姑ですか、あの人!」
否定できない。自分も感じたことを改めて言葉にされると苦笑がもれる。それも己が不甲斐ないせいで心配を掛けているのだろう。
「苦労をかけるね」
どうフォローしたものかと考えあぐねた先が、結局いたわるだけで心許ない。
想いを伝えあった時も上司が焚きつけたらしく、ただ泣き言をもらしていたよりも確実に成長している。伸びしろがあるというのはとても眩しい。
「今までもこれからも、きみとの時間を大切にしたいな」
「ええ、たくさん秋生さんを堪能します」
「僕もきみを堪能するよ」
二人で笑いあって、さすがにそろそろ起きようと促す。カーテンから差し込む日がだいぶ高くなっている。休日とはいえ、たいがい寝坊した。
寝ぐせを直された手で誘われ、キッチンへと足を運ぶ。
「ヨーグルトなにしますか?」
「蜂蜜をかけようかな。ありがとう」
何度も泊まっている佐藤の食事事情は筒抜けとなっており、テーブルに手際よく皿が並べられる。手伝えたのはレタスを千切っただけだ。
「そういえば。昨日のあれはなんだったのですか?」
いただきますと手を合わせて、遅い朝なのか早い昼なのか判断つかないサラダを口に運び首を傾げる。
「あれ?」
「紙に描いた魚とラロゲプリーブです」
資料室で上司を交えてのやり取りか。そういえば、まだ保留となっていたと遅れて気づく。
「よく覚えているね。僕はかまわないけれど、仕事の話をしていいの?」
こんなプライベートな空間で。
「はい。気になります」
そんなに大層な話ではないのだが、先伸ばしたせいで期待させてしまって申し訳なくなる。
「これは心理テストとかじゃなくて、描くこと自体に意味があるんだ」
皿の間に置かれた紙に目をやる。会社からわざわざ自宅に持ち帰ったのか。
上司は左側の中央に大きく立派な魚を描いており、横山は大きすぎず小さすぎずの魚を数匹描いた。絵にそれぞれの個性が出ていて興味深い。だが、今回狙ったところは別だ。
「描いたあとに、きみがいった『絵を描く意味がわからない』それがそのまま、その通りなんだ。きみの答えは、僕が他のスタッフに関心をもって接していることに対してだったのだけれどね」
「え?」
「『三十秒で魚の絵を描いて』って、実はあえてあいまいな指示を出したんだ。指示を出された人――今回はきみと課長だけれど――の考えで判断して行動できると、それぞれ好きなように描くでしょう?」
描き出すまでに、種類はなんなのか、どのくらいの大きさなのか、何匹か、写実的なのかイラスト風なのか、さまざまな想定が頭を巡っただろう。そしてできあがった絵は個性が出ていた。解釈の違いで結果が変わってくるのは利点でもあり、一定ラインの成果を欲している場合は欠点となる。
「出題した側の僕は、干物をひとつ描いて欲しかったのに」
「……そんなことあります?」
あっけにとられている表情も素材がいいと男前だと感心してしまう。
ある意味、干物も魚で間違いはない。だが、魚の絵といわれて描く選択肢からはほど遠い。横山の困惑もわかる。
「まぁこれは極端な例だけれど、現実に起こるのだよね。で、それが仕事の現場になったとして。きみたちの立場としては、まともな指示を示されず少ない情報から解釈して結果を出したのに、指示に従わなかったって先輩に一方的に怒られたらナニソレってなるでしょう? 今まで積んできた評価は下がるし、給料ももらえなくなるかもしれない」
出題者に質問すればいいかもしれないが、それは大きな力関係があると萎縮してできないことも多分にある。そこを生かすも殺すもがコミュニケーションだろう。
「っていうのが、僕を含めてあるていど経験を積んだ人は初心を忘れやすいから、しっかり相手に伝わるような提示をしようねって。そのために『これから課長と横山くんには、それぞれ紙に干物の絵をひとつ描いてもらいます。時間は三十秒です』とか具体的な説明があると、互いに困らないよね」
「実際に描いたらシュールですが」
いい大人が黙々と描く干物。もっともだ。想像したら笑ってしまう。
指示する方は自分の頭の中でわかっているから省略した指示を出しがちになるが、他人は頭の中をのぞけない。
「それでさらに、……えっとラロゲプリーブだったっけ? 僕がいったの」
なんて長い言葉を選んだのだと、昨日の己に悪態をつく。
疑問を浮かべた目の前の表情に、まあそうだろうと察する。
「あれは適当に僕が作った造語。検索しても出ないだろうし、そもそもそんな言葉があるかどうかも知らない」
「どうしてそんなもの出題したのですか?」
出題者自体が知らない答えのないものを描けというのは、無理難題でしかない。
「困ったでしょう? たくさん考えたでしょう? ――ソレが、はじめて業界の専門用語に触れる人や新人も似たような感じかなって。疑似体験できた?」
「……なるほど」
口元に手を当てて思案している姿は本当に絵になる。ああ眼福。自分は横山の顔が好みなのだと知らされる。
「専門性が深くなるにつれて、どうしても使いたくなっちゃうでしょう?」
「ええ。理解した気になって、相手にいいたくなりますね。無意識にマウントをとるというか」
それらしく難しい言葉や知ったような専門用語を重ねて、あいまいな状態のまま煙に巻くのは発言者が己の中に落としきれておらず、結果第三者に通じないことが多い。かみ砕いて初心者に門戸を開くことで、今後の発展が望める。新たな風が入らない閉鎖的な分野は淀み、辿るのは衰退一択だ。
「それがすべてダメじゃないけれど、無理に難しい言葉を使わなくても伝わるし、物事って難しく考えがちだけれど意外と単純でもあると思うんだよね」
水泳でないが、はじめて顔を水につける人間にターンについて説明しても理解を得られにくい。同レベルやそれ以上の者にしか届かない。逆転の発想として、わざと初心者や無知を振り分けるフルイの役目ともなるが、今はその話ではない。
「たとえば、そうだね……僕がきみのことを好きになったきっかけは、何度か遊びに来てくれて嬉しかったからだし――って、ちょっと! 危ないっ!」
「秋生さん、愛しています!」
言葉を奪うようにしてテーブルの向こうから急に二の腕を引かれ抱きしめられて焦る。しかも箸を持ったままなので危険極まりない。
「……話、ごはん終わってからにする?」
慌てて皿の間に手を突いているものの、姿勢が崩れて食事が悲惨なことになりそうなのは時間の問題だ。
「……いえ、続けてください。取り乱しました」
手を離され、着席したと思えば今度は己の顔を覆って表情が見えなくなる。大丈夫だろうかと一抹の不安が過る。
「あー……えっと、まあ、長い間連絡なかったときはちょっと拗ねたけれど、それはきみのせいではなかったし、僕はきみをだいぶ好きだよっていう、意外とシンプルだよって。もしも帰国した直後なにもいわずに、僕から家の合鍵渡されたとしてもわからないでしょう。順を追って説明されないと」
専門用語の件だけではなく、プロセスも必要になる。
「ティーチングとかコーチングって聞いたことある? 気になったら調べてみるといいよ」
自分が伝えられるのは触りだけ。あとは横山の学習欲しだい。
「そう、します」
口数少なく同意するが、うつむいたままだ。耳が若干赤く見えるのは光の加減だろうか。普段は整えられている髪がさらさらと流れる。沈黙にデジャヴを覚えながら、佐藤は静かにコーヒーをすする。
どうしたものか。以前のように、新人のころの話をする訳にはいくまい。
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