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第三話 束の間の平穏
第三話 二
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翌朝。
思っていた以上に心身が疲弊していたのか、美桜が目を覚ましたのは辰の刻を過ぎたころだった。久しぶりによく寝たという実感はあるものの、寝過ぎたせいか体は重怠く、頭が痛い。朝支度を済ませなければと布団から起き出そうとすると体がふらついた。
ちょうどそのとき、襖の向こう側の梁を控えめに叩く音がした。
「美桜、起きてる?」
なかなか起きてこない美桜を起こしに来たのだろう。今日は仕事が休みである紫苑が声をかけに来たようだった。
美桜は返事をしようと小さく息を吸って、苦しくなって咳き込んだ。
「……入ってもいい?」
「ええ」
咳が落ち着いたところで美桜が答えると、紫苑が入室してきた。
紫苑は心配そうに美桜の顔をのぞき込むと「ちょっとごめんね」と断ってから美桜の額に手を当てがった。水仕事をしてきたばかりなのか紫苑の手はひんやりとしていて心地よく、美桜は思わず目を細める。
「やっぱり熱がある。風邪かな」
「ああ、道理で……」
熱に浮かされた思考で、美桜はぼんやりとしたまま呟いた。普段なら雨に打たれたくらいで風邪をひくことはないが、連日の睡眠不足が祟ったのだろう。
紫苑はそっと美桜の額から手を離す。
「今日こそちゃんと休んでよ」
「そうするわ」
美桜が素直に頷くと、紫苑はほっと小さく息を吐いた。
軽く朝食を摂った後、まどろみに抗うことなく眠りに落ちた美桜だったが、午の刻前に目を覚ました。
人里離れたこの場所は基本的に静かで、鳥の鳴き声や木々の葉擦れの音以外に物音はあまりしない。けれど、今は違った。
「……も探してるって。警戒した方がいいよ。尤も正面衝突は避けられないだろうけどね」
「この家の結界は強固にした。……けど、それは根本的な解決にはならない」
(話し声……?)
会話の内容を明瞭には聞き取れないが、障子を抜ける淡い光の向こう、つまり庭から紫苑と誰かの声がする。その『誰か』の声にはどこかで聞いた覚えがある気がした。
(誰だったかしら……)
考えていると微かに聞こえていた話し声も遠くなる。だから美桜はこの先の会話を知らない。
美桜はしばらく考えて答えに行き着いた。
(そうだわ。大庭さん、といったかしら)
美桜が記憶を失っていたとき、一度だけ会ったことがある青年だった。
紫苑には煙たがられていたが、そもそも本当に興味がない相手なら紫苑は名前や顔をろくに記憶していないし、関わりを持とうとしない。なんだかんだと言いながら、紫苑は楓のことを信頼しているのだと思う。
(私がいない間、紫苑は独りきりではなかったのね。……良かった)
あの性格だから紫苑は独りであっても平気だったかもしれないが、美桜は孤独の恐怖を知っているから大事な人がそうならなくて良かったと心から思った。
記憶を取り戻した今でも紫苑以外の男性は苦手だが、楓にはいつかお礼を伝えたい。
私の愛する人を孤独にしないでくれてありがとう、と。
(そのためにはまず風邪を治さないと)
美桜は眠気に誘われて、そっとまぶたを閉じた。
思っていた以上に心身が疲弊していたのか、美桜が目を覚ましたのは辰の刻を過ぎたころだった。久しぶりによく寝たという実感はあるものの、寝過ぎたせいか体は重怠く、頭が痛い。朝支度を済ませなければと布団から起き出そうとすると体がふらついた。
ちょうどそのとき、襖の向こう側の梁を控えめに叩く音がした。
「美桜、起きてる?」
なかなか起きてこない美桜を起こしに来たのだろう。今日は仕事が休みである紫苑が声をかけに来たようだった。
美桜は返事をしようと小さく息を吸って、苦しくなって咳き込んだ。
「……入ってもいい?」
「ええ」
咳が落ち着いたところで美桜が答えると、紫苑が入室してきた。
紫苑は心配そうに美桜の顔をのぞき込むと「ちょっとごめんね」と断ってから美桜の額に手を当てがった。水仕事をしてきたばかりなのか紫苑の手はひんやりとしていて心地よく、美桜は思わず目を細める。
「やっぱり熱がある。風邪かな」
「ああ、道理で……」
熱に浮かされた思考で、美桜はぼんやりとしたまま呟いた。普段なら雨に打たれたくらいで風邪をひくことはないが、連日の睡眠不足が祟ったのだろう。
紫苑はそっと美桜の額から手を離す。
「今日こそちゃんと休んでよ」
「そうするわ」
美桜が素直に頷くと、紫苑はほっと小さく息を吐いた。
軽く朝食を摂った後、まどろみに抗うことなく眠りに落ちた美桜だったが、午の刻前に目を覚ました。
人里離れたこの場所は基本的に静かで、鳥の鳴き声や木々の葉擦れの音以外に物音はあまりしない。けれど、今は違った。
「……も探してるって。警戒した方がいいよ。尤も正面衝突は避けられないだろうけどね」
「この家の結界は強固にした。……けど、それは根本的な解決にはならない」
(話し声……?)
会話の内容を明瞭には聞き取れないが、障子を抜ける淡い光の向こう、つまり庭から紫苑と誰かの声がする。その『誰か』の声にはどこかで聞いた覚えがある気がした。
(誰だったかしら……)
考えていると微かに聞こえていた話し声も遠くなる。だから美桜はこの先の会話を知らない。
美桜はしばらく考えて答えに行き着いた。
(そうだわ。大庭さん、といったかしら)
美桜が記憶を失っていたとき、一度だけ会ったことがある青年だった。
紫苑には煙たがられていたが、そもそも本当に興味がない相手なら紫苑は名前や顔をろくに記憶していないし、関わりを持とうとしない。なんだかんだと言いながら、紫苑は楓のことを信頼しているのだと思う。
(私がいない間、紫苑は独りきりではなかったのね。……良かった)
あの性格だから紫苑は独りであっても平気だったかもしれないが、美桜は孤独の恐怖を知っているから大事な人がそうならなくて良かったと心から思った。
記憶を取り戻した今でも紫苑以外の男性は苦手だが、楓にはいつかお礼を伝えたい。
私の愛する人を孤独にしないでくれてありがとう、と。
(そのためにはまず風邪を治さないと)
美桜は眠気に誘われて、そっとまぶたを閉じた。
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