【本編完結】朱咲舞う

南 鈴紀

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酔いにみる夢

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「あっ! やっぱりまだここにいたんだ!」
 湯浴みを終え、玄舞家の客間に戻ると、そこにはあかりが席を立ったときのまま、結月、秋之介、昴が残っていた。
 突然のあかりの再訪に、秋之介が目を丸くする。
「もう夜だぞ? なんで戻ってきたんだよ」
 秋之介の隣では昴が呆れたような困ったような何ともいえない顔をして、あかりを窘めた。
「秋くんの言う通りだよ。そんな姿で男の集まる部屋に来るなんて感心しないなぁ」
 あかりはあかりで不服を主張するように頬を膨らませる。
「別に今更じゃない? 三人とも私の浴衣姿なんてそう珍しくもないでしょ?」
「だってさ。いいのかよ、ゆづ?」
「……」
「どうしたの、結月?」
 秋之介に話を振られても反応を示さなかった結月だが、顔をのぞきこんできたあかりと目が合うとぱっとまぶたを伏せた。
 あかりの言う通り、浴衣姿は見慣れている。過去の厳しい戦いのなかで、幾度となくあかりが目覚めるのを待った。いつぞやか秋之介は意識を取り戻した寝起き姿のあかりに『今更お前の寝起き姿を見たって何も思わねぇよ』などと言っていたくらいだ。
(だけど……)
 結月はちらりと視線だけを持ち上げて、あかりを盗み見た。
 今は状況が違う。命懸けの戦いの日々は終わり、皆、思い思いに生きられるようになってきた。ようやく手に入れた望んだ未来をいきいきと生きるあかりは、今まで以上に眩しく、美しく映る。おまけに二〇歳を迎えたあかりは子どものような素直さは残しながらも、着実に大人っぽくもなっていた。湯上り姿のあかりの頬はほんのりと上気し、長い髪を片三つ編みにしているため普段は隠れているうなじが露わになって色っぽい。
(……可愛い、けど。目の毒……)
 己の葛藤を深いため息に換えて、結月は羽織を脱ぐとあかりの肩にかけた。
「……晩秋の夜は、冷える、から。そんな薄着でいたら、風邪、ひく」
「あったかい……! ありがとう、結月!」
 無邪気な笑顔があまりにも眩しくて、結月はあかりから目を逸らしつつ「う、うん……」と小さく頷いた。
 向かいで昴が苦笑をもらす。
「結局あかりちゃんはここにいることになるわけか。あんまり褒められたことじゃないんだけどね」
「なんでよぅ。最近はこうしてみんなが揃うことが減ったから、少しでも一緒にいたいんだもん。ねぇ、いいでしょ?」
 期待と甘えに満ちた眼差しが昴に向けられる。この瞳に勝てた例はほぼなく、このときも「もう、しょうがないなぁ」という言葉とは裏腹に、昴は頬を緩ませていた。
「やった!」
 あかりはいそいそと空いている空間に腰を下ろした。向かいには秋之介、左には昴、右には結月がいる形で車座ができあがった。
 そして、部屋を出る前まではなかったものが車座の中央にあることに気づく。あかりの視線の先を見て、秋之介が「ああ、そっか」と呟く。
「あかりがいるなら酒は片しとくか」
「そうだね」
 徳利や銚子をあかりから遠ざける秋之介を昴も手伝う。
「……」
 その間、あかりはじっとそれらを見つめていた。
 あかりは酒の匂いだけで酔ってしまうので、幼なじみたちはあかりの身を案じて彼女のいるところでは滅多に飲酒しない。
 大事にされていると嬉しく思う一方で、若干の疎外感も覚えてしまうのもまたあかりの本心だった。
「……」
 黙りこくるあかりを不審に思った結月が「あかり……?」と控えめに声をかける。あかりは視線そのままに「駄目かなぁ……」と呟いた。
「……まさか、あかり。お酒が、飲みたい、の……?」
 あかりの呟きを拾った結月は戸惑い気味に問い返す。あかりはぱっと結月を振り仰いだ。
「だ、だって! 結月たちばっかり楽しそうにしてるの、羨ましかったんだもん!」
「そうは、言っても……」
 困り果てた結月に助け船が出される。
「酒飲みたいってなぁ……。お前、ぜってぇ飲めねぇじゃん」
 秋之介にしては珍しく、からかうでもなく本気で呆れかえっていた。
「悪いことは言わねぇから、やめとけって」
「の、飲めるよ! ただ、普通の人より酔いやすいだけで……!」
「いや、それが問題なんだって」
「何が問題なの……⁉」
「……それがわからない、なら。おれも、やめておいた方が、いいと、思う」
「結月まで……⁉」
 三人の賑やかなやりとりを苦笑しながら眺めていた昴だったが、ここでようやく声をあげた。
「まあ、この場でならいいんじゃない?」
「ええ、いいのかよ、昴?」
「……」
 秋之介も結月もそろって眉根を寄せていたが、昴は特に気にせず朗らかに笑う。
「あかりちゃんのことが心配とはいえ、いつも仲間外れにするのはかわいそうだしね。ここには僕たちしかいないし、大丈夫じゃないかな」
 そして、昴はあかりに微笑みかけた。
「ただし、ちょっとだけにしておきなよ?」
「うん! ありがとう、昴! 大好き~」
「うんうん。僕も大好きだよ」
 昴に頭を撫でられて、あかりはくすぐったそうに笑う。だからあかりは気づかなかったが、昴はちらりと秋之介と結月に目配せしていた。その目はさながら『羨ましいでしょ』とでも言いたげだ。
「昴のやつ! こんなときばっかあかりを甘やかすとか、ずるいだろ⁉」
「ああ、秋くんも甘やかしてほしかった? ごめんね?」
「そうじゃねぇよ! 腹立つ顔で笑いやがって……!」
「もう、素直じゃないなぁ。ほら、よーしよしよし」
「あ、た、ま、を、な、で、る、な!」
 昴が秋之介を追い回し始めたことで、あかりは解放され、ふと静かなままの結月を見た。普段から口数は多くない結月だが、それにしても表情がやや暗いことが気にかかる。
(なんだか、落ち込んでる、みたいな……?)
 端から見れば無表情に近く、感情をうかがい知ることは難しいと評されがちな結月だが、幼なじみとして側にい続け、たくさんの時間を共にしてきたあかりならその些細な表情の変化もよくわかる。
 あかりは手を伸ばすと、結月の頭にそっと乗せ、優しい手つきで撫でた。
 結月はきょとんと目を丸くしていたが、拒否する仕草はしなかった。
「あの、あかり……?」
「結月が寂しそうにしてたから。昴とはちょっと違うかもしれないけど、どう? 少しは元気になった?」
 昴が結月を差し置いてあかりや秋之介に構うので寂しく思ったのではなく、あかりが昴にばかり甘えるのが悔しかったのだが、あかりに触れられたことで気にならなくなった。我ながら単純だと思いながら、結月は「う、うん……」と頬を僅かに染め、小さな微笑みを落とす。理由に勘違いはあるが、あかりは結月の寂しさを埋められたことに安心し、ふわりと笑んだ。
「なら良かった!」
「あっ! ゆづ、お前まで抜け駆けかよ!」
 昴から伸びる手を避けながら、秋之介は目敏くあかりと結月のやりとりに気づいていた。騒ぎ立てる秋之介に昴の手が束の間止まり、視線が結月に向けられる。結月は居心地悪そうに彼らと目を合わせないまま呟く。
「……そういうのじゃ、ない」
「ふーん? ゆづくんも抜け目ないよねぇ」
「よく言うぜ。あんなに嬉しそうな顔しておいて」
 秋之介はじとりと半眼で結月を見遣る。その様子にあかりははっと目を見開いた。
「えっ⁉ もしかして秋、妬いてるの⁉」
 結月のようにあかりに恋愛感情は抱いていないが、秋之介だってあかりのことが好きだった。幼なじみで、妹のようで、大事なお姫様。昴や結月だけがあかりにわかりやすい好意を向けられていて、羨ましくないわけがない。
 ただ、秋之介は素直ではないので「そうだよ」と認めることができないのだった。頬を真っ赤に染めて、声を荒らげる。
「は、はあっ⁉ なんで、俺が……」
「秋、わかりやすすぎる」
「うるせぇぞ、ゆづ!」
 秋之介が怒っているのではなく照れているだけなのは一目瞭然だ。それはあかりも例外ではない。
「だったら素直にそういえばいいのに」
「な……っ」
 昴のようにあかりに「好き」と言ってもらえるのか、はたまた結月のように触れてもらえるのか。恥ずかしくはあるが、正直期待してしまう。
 あかりは「えいっ!」と秋之介の左腕にぴったりくっついた。予想外の距離感に秋之介は動揺を隠すことができない。
「お、おいっ。あか……」
「よし! 今だよ、昴!」
「って、は、いや⁉ なんでここで昴⁉」
 あかりは離すまいと秋之介の腕を力強く掴みながら、得意げに笑んで秋之介を上目遣いに見た。
「秋も寂しいなら寂しいって言えばいいんだよ! 素直じゃない秋のために私も協力してあげる。ほら、昴に頭撫でてもらいなよ!」
「そうじゃねぇよ!」
「そっかそっかぁ。秋くん、やっぱり僕に甘やかしてほしかったんだね」
「昴! お前はわかってんだろ⁉ ただ面白がってるだけだろ⁉」
「あっ、もうっ。逃げようとしないでよ! 結月、秋の左腕捕まえて!」
「うん」
「あっ、くっそ! ゆづ、お前、がっちり掴みやがって……!」
「これで準備は完璧だね、秋くん」
「俺の心の準備!」
「さぁ、昴! いっちゃって!」
「ああもう! あかりに期待した俺が馬鹿だったあああああ!」

 秋之介の着崩した着物の衿はいつも以上にはだけ、癖っ毛ではね放題の頭も乱れきっている。抵抗しようにも左右をあかりと結月に固められ、避けることも叶わず昴にされるがまま頭を撫でくり回された。
 疲れてぐったりしている秋之介とは対照的に、あかりは清々しく笑う。
「あー、楽しかった」
「俺は散々な目に遭ったよ……」
「そう? まんざらでもなさそうだったけど?」
「どこがだよ」
「だって、秋が本気で嫌がったら逃げられたでしょ?」
「それは、まあ、そうだけどよ……」
 言い返す言葉が見つからなかったので、秋之介は結局あかりに同意する形になった。
「僕たちも楽しかったね」
「そう、だね」
 にっこりと笑う昴に、意外にも結月までもが小さく笑ったまま頷いた。秋之介が目を丸くする。
「ゆづにしては珍しいな」
「そう? ……でも、そうだね。こういうの、本当に久しぶり、だったから。昔に戻ったみたいだな、って」
 小さい頃は無邪気にじゃれ合って笑って過ごすことも多かったが、戦況が悪化するにつれて心から笑えることは減っていった。表面的には明るく振る舞いながらも、いつも心の片隅で「こんな風にのんきに笑って過ごしていていいのか」「四家の者として陽の国を守らなければ」と緊張してもいた。戦いはいつだって命懸けで、心休まるときは束の間で。やっと戦いが終わったと思ったら、皆何かを失って、それでもあかりだけが帰ってこなくて。だからこうして何を憂うでもなくただ笑っていられる現状が尊く、愛しかった。
「……ま、そうだよな。なら今回のことは許す!」
「なんで、上から目線、なの? 秋だって、途中から一緒になって遊んでた、のに」
「ゆづ、お前……。そういうところあるよな。いくら俺のことが好きだからって遠慮がなさすぎじゃねぇ?」
「……………………」
「お、図星か。お前も大概素直じゃないよな。まあ、そんなら多少の雑な扱いにも目をつぶってや……」
「秋、煩い。動静緊縛、急々如……」
「問答無用で霊符を使役すんのやめろよな!」
 自分とはまた違う、結月と秋之介の気安い関係が微笑ましい。あかりがほのぼのと見守っていると、ちょんと左肩をつつかれた。
「それはそうと、あかりちゃん。はい、これ」
 昴に差し出されたのは小さな盃で、一口分の清酒が注がれていた。あかりはぱあっと目を輝かせるとお礼を言ってそれを受け取った。
 舐める程度には何度か口にしたことはあるので大体の味は知っている。そう思って一口飲んでみると、思いの外、濃い味と強い匂いに驚いた。目を瞬かせるあかりの顔を昴がひょいとのぞきこむ。
「どう? 美味しい?」
「うーん、美味しいかは……正直よくわかんない。だけど、もうちょっと飲んでみたいかも」
「どんなに多くても一合までね」
「はーい」
 そう約束した昴にまた酒を注いでもらい、ちみちみ飲んだところで「そういえば」とあかりは顔を上げた。
「私が部屋から出て行った後、みんなは何の話をしてたの?」
 結月がぎくりと肩を震わせる。淡々とした表情はそのままだが、心なしか強張っているように見えなくもない。ただ、昴はいつものようににこにこ笑っているし、秋之介はにやにやと愉しそうに口元を緩ませている。
 この反応からして暗い話題ではなかったようだが、一体何を話していたのか。好奇心の向くままにあかりは追及する。
「ねえねえ、何の話してたのー?」
 気まずそうに口を噤む結月をちらりと見遣ってから、秋之介が口を開く。
「んー。ゆづの……」
「……」
「に、睨むなよ! ってか、今更じゃねぇ⁉」
「……」
 結月の無言の圧に、秋之介は「あーもー、わかったよ!」とばりばり頭を掻き、言い直した。
「あかりの話だよ!」
「私の? ……え、本当なんだよね?」
「なんで疑うんだよ! 嘘じゃねぇし!」
「えぇ……。ねぇ、秋の言ってることは本当なの、昴?」
 秋之介が「おぉい!」と吠えるが聞こえないふりをして、あかりは昴を振り仰いだ。昴は朗らかな笑顔を崩さないまま「嘘ではないよ」と言い切った。
「そうなんだ。昴がそう言うなら本当なんだね」
 あっさり信じるあかりに秋之介がくわっと目を見開く。
「おかしいおかしい! あかり、よく見てみろって! こんな胡散臭い笑顔に騙されんなよ!」
「え? 『騙される』って何よ。まさか、秋。やっぱり嘘ついてたの……⁉」
「嘘じゃねぇけど! ほら、昴のこの笑顔だって!」
 秋之介がうるさいので、あかりは一応昴の顔を見てみることにした。じっと見つめるが、別段いつもと変わりないように思える。昴らしい温和で優しげな微笑みには、あかりを安心させる力がある。頼もしい笑顔に胡散臭さなど微塵も感じられなかった。秋之介の言うことがちっとも理解できずに、あかりは昴を見つめたまま小首を傾げた。
「……?」
「ふふっ。あかりちゃんはかわいいね」
「ほら、いつも通りじゃない」
 ぱっと秋之介に首を戻すと、彼は解せないと言いたげな表情をしていた。この調子の秋之介に付き合っていたら話が進まない。あかりは秋之介を無視して、昴と結月に話を聞くことにした。
「それで、私の話って何の話だったの?」
「んー? こうしてあかりちゃんは大人になって、平和な世にもなって。一体僕たちのお姫様はどんな人と結ばれるのかなぁって。ね、ゆづくん?」
「……まあ、うん」
 戦いの最中では恋愛や結婚など考える余裕はなかったが、こうして生活が落ち着いてくると無視するわけにもいかない。四家は四神の血と力を継ぐ者として、その血筋を絶やしてはならない。いずれ誰かと結ばれて、子を生すこともまた務めのうちだ。ずっと幼なじみが側にいる、今の居心地の良い時間を失いたくないと思う一方で、自分たちがその務めを果たす日はそう遠くない未来なのだとも思う。
「だって、あかりちゃんは朱咲家どころか朱咲様の加護を受けている唯一の生き残りだし、いままで戦いばっかりだったから行き遅れになりかけてるし」
「うん……」
「かといって、適当な、どこの馬の骨ともしれない男にうちの可愛いお姫様をほいほいあげるなんて言語道断だ。でも、男慣れしてないあかりちゃんのことだから、変な虫をひっつけてきてもおかしくないっていうか」
「うん……?」
「それにあかりちゃんって恋愛に疎いじゃない。好きな人がいても自覚がないとか、逆に好意を向けられても気づかないとかさ。大丈夫かなって気が気じゃないんだよね」
「うえっ⁉」
 最初こそ神妙に頷いていたあかりだったが、昴の話が予想外の方向に進むにつれ、首を傾げ、やがては奇妙な声をあげた。真剣な顔をして腕を組んでいた昴だったが、あかりの奇声に「うん?」と目を上げた。
「何? どうかした、あかりちゃん?」
「う、ううん! なんでもないよ!」
 まさかそこまでお見通しだとは思わなかったから、などとは到底告白できず、あかりは首をぶんぶん左右に振ってごまかす。
「そう? ……まあ、つまるところ色々心配してるってことだよ。僕はあかりちゃんたちの幼なじみだけど、兄のつもりでもあるからね」
「昴……」
 あかりに注がれる眼差しは慈愛に満ちたもので、昴が冗談を言っているのではなく本気であかりのことを案じてくれているのだとうかがい知るには十分だった。
 あかりが感激する傍らで、秋之介がぼそりと呟く。
「兄貴ってより親父だよな……」
「うん? 秋くん、何か言った?」
「い、いや! 何も⁉」
 昴の首がぐりんと秋之介へと回される。一瞬前までの優しい微笑みはまるで別人のものなのではないかと疑うほどに昴の笑みは黒いもので、秋之介は慌てて頭を振った。その様子を見ていた結月は小さくため息をつく。
「秋は本当に、余計なことばっかり言う、よね」
「ほんっと容赦ないよな、ゆづは!」
「もう。秋くん、煩いよ」
 三人がわいのわいのと言い合っている間、対照的にあかりは黙って考え込んでいた。言うまでもなく自身の将来についてだ。
 ずっと隣にいてほしい、他でもない自分と一緒に生きてほしい。そう願う人はいる。
 けれど、互いに立場があるから、そう簡単には言い出せない。もしかしたら、それは想いを伝える勇気がないことの言い訳に過ぎないのかもしれないが。
 持て余した感情を誤魔化すように、あかりは手にしていた盃を軽く傾ける。
(だって、結月は優しいし。大事に思ってくれてることはわかるけど、それは幼なじみとしてってことかもしれないし……)
 かつて星月夜の下で交わした約束の言葉が思い出される。
『おれは、あかりにずっと前から伝えたいことがある。だけど、それは今じゃ駄目で、願わくばあかりが憂いなく笑える世界で、伝えたいって思ってる。だから、おれが今欲しいのはあかりの心じゃなくて、約束。おれの願う通りの未来まで、おれの言葉を待ってて欲しい』
 そのときに明確に『好き』と告白されてはいないし、今このときに至るまで結月からそれらしい言葉をもらってもいない。誠実な結月のことだから約束を忘れているとは考えにくいが、怒涛の日々の中、もしかしたらということもあるかもしれない。
(結月は……、私のこと、どう思ってるんだろう)
 真意が知りたくて、あかりは盃に口をつけたまま、ちらりと結月の瞳を盗み見ようとした。そうすればいつものように彼の考えていることがわかるかもしれないと思って。
 しかし、その目論見はあっさりと外れた。
「あかり?」
「……⁉」
 偶然にも結月と目が合ってしまい、あかりの方からぱっと目を逸らしてしまったからだ。
 澄んだ青い瞳を無邪気に好きだと言えなくなったのはいつからだったろうか。今でも大好きなことに変わりはないが、直視することがままならなくなった。
 かき乱される心を落ち着けようと酒の波紋を見つめていると、ふいに影が落ちてきた。つられるように顔を上げると、至近距離に結月の顔があって危うく盃を滑り落しかけたが、結月は音もなく受け止めるとそれを脇に追いやり、あかりの顔に左手を添えると正面からじっと見つめた。
 あかりは今度こそ目を逸らすことができずにいた。心拍が上昇し、頬に熱が集まる。目を回し始めたあかりを見て、結月がとうとう口を開いた。
「……あかり、飲みすぎ」
「……へ?」
 手を離した結月は心配を露わに眉を八の字に寄せていた。
「顔が赤いし、熱い。もう、やめておこう?」
「そ、れは……っ」
 酔いが回ったからではなく結月が近いから。勢いのままに口に出しそうになったが、その前に視界が揺れた。傾ぐあかりの肩を抱きとめて、結月が「やっぱり、酔ってる……」と呟く。
「酔うの早すぎだろ。だからやめとけって言ったのに」
「まあ、これであかりちゃんも潔く諦めるでしょ。ほら、もう部屋に戻って休みなよ」
 彼らはあかりを邪険にしているのではなく、労りからそう言ってくれていることはわかるが、これこそ酔いのせいか、あかりは素直に頷けなかった。
 拒否を示すように、あかりは側にあった結月の腕にぎゅうと抱きつく。
「あの、あかり……」
 困惑の滲む結月の声が降ってくるが、今のあかりに取り合う気はなく、ただ「嫌」とだけ返した。
「おーおー。こりゃ本格的に酔ってんなぁ」
「酔っててもいいもん!」
「もう、良くないでしょ? はい、部屋に行こうね。送っていくから」
「やだ。……もっとみんなと一緒にいたいんだもん」
 腰を上げかけていた昴だったが、あかりのその一言に動きを止める。苦笑していた秋之介は目を丸くし、結月は無言であかりの次の言葉を待った。
「四家としての務めはわかるけど、それで今の関係性がなくなるのは嫌だよ。ずっと一緒にいられないなら、それまでは、今くらいはみんなといたいの。昴のことも、秋のことも、結月のことも、大好きなんだもん」
 言ったら困らせると思っていたから言わずにきたが、それはあかりの紛れもない本心だった。感情的になり、つい涙目になってしまったが、そんなあかりを昴たちが馬鹿にすることはなかった。
「僕もあかりちゃんと同じだよ。今の関係性が壊れたらと思うと怖い。それくらいみんなのことが好きだよ」
 昴はあかりをあやすように頭を撫でる。優しい手つきと言葉に、涙腺が緩んで涙が一粒こぼれ落ちた。
「怒ったり泣いたり忙しいやつだな。まあ、あかりがそんな子どもっぽいうちは放っておけないしな。しばらくは付き合ってやるから、んな思い詰めなくても大丈夫だって」
 肩に置かれた秋之介の手の温かさに安堵して、あかりの涙はいよいよ止まらなくなった。
「大丈夫。あかりのこと、一人にはしない、から」
 それから静かに右手に重ねられたなじみ深い温度に、あかりは自らの帰るべき場所はこの先も変わらないだろうと信じることができた。

 泣き疲れたあかりは結月の肩にもたれかかったまま、すやすやと穏やかな寝息を立てていた。
 あかりの寝顔に柔らかな眼差しを注いでいた昴が、ぽつりと呟く。
「あかりちゃんのことが心配だったとはいえ、少し不安にさせちゃったかな」
「かもな。つっても避けては通れない道だけどな」
 そう言って酒を呷る秋之介を横目に、昴は「そうだけど」と続ける。
「あかりちゃんに何の話をしてたのって訊かれたときに、別の答えにしといてもよかったのかなって」
 あかりが離席している間、彼女の話題が上っていたことは事実だったが、真実は少し異なる。
「じゃあ正直に言えば良かったか? ゆづが自分の想いを伝えたところであかりが応えてくれるかわからないって悩んでるって」
「いや、駄目でしょ」
「だろ? まあ、今回はこれで良かったんじゃねえの。大体は素直なくせに大事なことは遠慮しちまうあかりの本心が聞けたんだしさ」
「……そうだね。可愛いあかりちゃんの願いを叶えられるよう、頑張ろうね。幸いにもあの子の願いは僕たちと一緒だし」
「だな」
「うん」
 そうして穏やかな微笑みを交わし合う。あかりのために三人で力を合わせれば、その願いも必ず叶えられると信じられた。
「……じゃあ、おれ、あかりを、送ってくる」
 あかりを起こさないよう、結月は器用にあかりを横抱きにすると立ち上がった。「おう、よろしくな」「いってらっしゃい。ここで待ってるね」という秋之介と昴の言葉を背に受けて、結月は客間を出る。温められた室内とは異なり廊下はひんやりと冷たい空気が漂っていた。羽織はあかりに着せたままなので薄ら寒いが、腕に抱えるあかりの体温にほっと息を吐く。
 あかりの部屋は玄舞家の奥まったところにある。客間は玄関にほど近いところにあるため、方向としては真反対だ。夜も深まりつつあるので、廊下は長くても玄舞家の家臣に会うことはなかった。
 基本的に結月の所作には品があり、静かだが、あかりを抱えているためいつも以上に丁寧な動作であり、あかりが目を覚ますことはなく部屋に到着した。
 客間に顔を出す前に、自室に寄って布団は敷いていたらしく、結月はそこへそっとあかりを横たえた。細心の注意は払ったつもりだったが、あかりは「ぅん……」と薄っすらと目を開けた。
 夢現で酔いも醒めていないのだろう、外から射し込む月明りだけでも赤い瞳がとろりとまどろみ、潤んでいることがわかる。
「……っ」
 結月はわかりやすく動揺していた。
「ゆづき」
 その上、甘えた声で自身の名前を呼ばれたものだから、完全に隙を突かれた。あかりに右腕を絡めとられ、体勢を崩してしまう。咄嗟に左手をついたので衝突は免れたが、上半身だけあかりに覆いかぶさるような形になってしまったので気は休まらないままだ。
 好きな女の子が間近にいて何も思わない結月ではないが、今手を出してはいけないと必死に自制する。
 そんな結月の葛藤など露知らず、あかりはふわふわと楽しげに笑って「ぎゅー」と捕らえたままの結月の腕に身を寄せた。
 いくら羽織を着ているといっても、普段の着物や袴姿に比べれば浴衣が薄着なことに変わりはない。触れる肌の柔らかさと匂い立つ香り、体温の近さに自制心とは裏腹に心臓が大きく跳ねる。
(これは、駄目……!)
「あ、あかり……っ。その……、手、離そう? こういうの、良くな……」
「ねえ、ゆづき」
 甘やかな囁きが耳朶を打ち、結月は一瞬抗うことをやめてしまう。はっと我に返るより先に、あかりが「わたしね」と言葉を継ぐ。
「ゆづきのこと、すきだよ。ずっと……、ずっといっしょにいたいの」
 期待通りではないけれどあかりらしい言葉に、結月は思わず微苦笑を浮かべる。
「さっきも聞いた、から、知ってるよ」
 大好きな幼なじみたちとこの先もずっと一緒にいたいというあかりの願いは、つい先ほど聞いたばかりなので忘れるはずもない。
 あかりは「ん……」と間をおいてから、こてんと首を傾げた。
「ううん。わたし、まだいってないよ」
「酔ってたから、憶えてない、の?」
 不思議そうに目を瞬かせていた結月だったが、あかりに「ゆづきは?」と尋ねられるとふっと笑みの吐息をもらした。
「おれも、あかりのこと、好き、だよ」
 穏やかで優しい、結月の小さな微笑みは幼い頃から見慣れたもので、安心感からか再び眠気の波が押し寄せる。そのまどろみの中で、あかりはもう一度想いを伝えた。
「すきだよ、ゆづき……」
 家族のような存在ではなく、いつか本当の家族になりたい。
 そこまで言葉にできたかはわからないが、まるで応えるかのようにするりと指を絡めるようにして右手を握られる。
 馴染んでいるはずの左手は、しかし、優しいけれど力強く、少しひんやりとしているはずなのに熱くて。
 酔いのあわいに未来の夢を見た気がして、あかりは幸せそうにふにゃりと笑うのだった。
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