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第六章
エレノアの日記
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ウィレムが部屋を飛び出して行ったあと、一人取り残されたレオンは、机に手をついたまま立ち尽くしていた。
王都でエレノアがひどい中傷をされていることを、レオンが知らぬわけではなかった。
ウィレムのあの言葉、
「義姉さんはどうなるんだよ‥。」
ロゼンタールの名誉と言いながらエレノアを心配していた。おそらくあの噂を聞いてしまったんだろう‥。
うわさの火消しは簡単だ。
レオンがエレノアを迎えに行けば済むことだ。
しかし、そう簡単には出来なかった。
自分から距離を置こうと言った手前、迎えに行けないのではない。エレノアのカイルに対する想いを知ってしまったから。
それは、王女に対する自分の気持ちなどより、ずっと重く、苦しいものだった。
ロゼンタールの視察を終えた父とエレノアが来るのを、一足先にポリニエール領クポラの屋敷で待っていたときのことだった。
レオンが廊下を歩いていると、ある部屋からメイドのキャサリンが出てきた。
キャサリンはエレノアが結婚するまで専属メイドとして働いていたが、ポリニエールに残って今はエレノアの執務室付き雑用係のような役割をしていた。エレノア不在の間は、領地管理人の手伝いをしている。
レオンはキャサリンが出てきた部屋を何気なくのぞいてみた。どうやらエレノアが結婚前に使っていた部屋らしい。壁に据付の本棚にぎっしりと本が詰まっているのが見えた。
レオンはほんの好奇心からその部屋に入った。
妻とはいえ、勝手に入るのはいかがなものかと思ったが、いまは使っていない部屋だし、エレノアがどんな本を読んでいたのか気になったのだ。
一冊だけ不自然なくらい分厚い本があった。取り出してみるとそれは本を模した箱だった。
レオンは辺りを見回して人の気配がないことを確認すると、そっと箱を開けてみた。
中身は日記だった。
さすがに見たらまずいよな‥。暫し逡巡するものの、父の言葉が頭によみがえる。
「結婚する前エレノアがどんな暮らしをしていたか聞いたことはあるか?」
レオンは思い切って一番上に載っていた日記をパラパラとめくってみた。
ぐるぐると真っ黒に塗りつぶされたページが、レオンの目に飛び込んできた。
一体これは?
塗りつぶされたページは何枚も続いている。
レオンは日記のはじめのページを開き直した。日記は、兄エリオットの死の少し前から始まっていた。
『今日もお兄様は戦地へ送る食糧の調達に出かけてしまった。しばらく一人で留守番だわ。もうすぐ誕生日なのに、カイルもお兄様もいない。戦争なんて早く終わればいい。』
『お兄様が物資の補給隊に同行するそうだ。行き先はカイルが派遣された部隊、カイルの様子を見てきてくれるって。ちょっと心配だけどうれしい、カイルに手紙を書かなくちゃ。』
レオンはさらにページをめくる。
『お兄様が亡くなった。お父様もお母様もいない。
ああ神様、お願いです。
兄に代わって領地を、皆を、守ってみせると誓います。
だからお願いです、せめてカイルは無事に返してください。お願いします。』
涙のあとだろうか、皺が寄ってできた丸が、水玉模様のようについていた。
『何度もカイルに手紙を送っているのに、返事が来ない。
カイル、早く帰ってきてよ。
わたし一人でどうすればいいの?
カイル、カイル、助けて。』
しばらく白紙が続いた。
そして一言
『カイルが、』
そのあと真っ暗なページが続く。間には破り取られたページもあった。
何枚も続く黒いページのその先に、急に日記がはじまった。
それまでとは毛色の違うものだった。
日常の些細なことや、感じたこと、気持ち、そういった内容は一切なく、ただひたすらに、どこの道は危険だから、かわりのルートはどうするか。
どこそこの森は木が細いから伐採して道を作れる。
川の浅いところを見つけたから橋をかけられる。
敵をたたくためのいい待ち伏せ場所を見つけた。
そんな内容が、こと細かく、狂気を感じるほどに、びっしりと書き込まれていた。
ところどころ日付が飛んでいるのは、その間現地へ赴いていたのだろう。
そして、最後には必ず『カイルを見つけてみせる』と書いてあった。
レオンはエレノアの深淵に触れてしまった。
そっと日記を戻すと項垂れてエレノアの部屋を後にした。
王都でエレノアがひどい中傷をされていることを、レオンが知らぬわけではなかった。
ウィレムのあの言葉、
「義姉さんはどうなるんだよ‥。」
ロゼンタールの名誉と言いながらエレノアを心配していた。おそらくあの噂を聞いてしまったんだろう‥。
うわさの火消しは簡単だ。
レオンがエレノアを迎えに行けば済むことだ。
しかし、そう簡単には出来なかった。
自分から距離を置こうと言った手前、迎えに行けないのではない。エレノアのカイルに対する想いを知ってしまったから。
それは、王女に対する自分の気持ちなどより、ずっと重く、苦しいものだった。
ロゼンタールの視察を終えた父とエレノアが来るのを、一足先にポリニエール領クポラの屋敷で待っていたときのことだった。
レオンが廊下を歩いていると、ある部屋からメイドのキャサリンが出てきた。
キャサリンはエレノアが結婚するまで専属メイドとして働いていたが、ポリニエールに残って今はエレノアの執務室付き雑用係のような役割をしていた。エレノア不在の間は、領地管理人の手伝いをしている。
レオンはキャサリンが出てきた部屋を何気なくのぞいてみた。どうやらエレノアが結婚前に使っていた部屋らしい。壁に据付の本棚にぎっしりと本が詰まっているのが見えた。
レオンはほんの好奇心からその部屋に入った。
妻とはいえ、勝手に入るのはいかがなものかと思ったが、いまは使っていない部屋だし、エレノアがどんな本を読んでいたのか気になったのだ。
一冊だけ不自然なくらい分厚い本があった。取り出してみるとそれは本を模した箱だった。
レオンは辺りを見回して人の気配がないことを確認すると、そっと箱を開けてみた。
中身は日記だった。
さすがに見たらまずいよな‥。暫し逡巡するものの、父の言葉が頭によみがえる。
「結婚する前エレノアがどんな暮らしをしていたか聞いたことはあるか?」
レオンは思い切って一番上に載っていた日記をパラパラとめくってみた。
ぐるぐると真っ黒に塗りつぶされたページが、レオンの目に飛び込んできた。
一体これは?
塗りつぶされたページは何枚も続いている。
レオンは日記のはじめのページを開き直した。日記は、兄エリオットの死の少し前から始まっていた。
『今日もお兄様は戦地へ送る食糧の調達に出かけてしまった。しばらく一人で留守番だわ。もうすぐ誕生日なのに、カイルもお兄様もいない。戦争なんて早く終わればいい。』
『お兄様が物資の補給隊に同行するそうだ。行き先はカイルが派遣された部隊、カイルの様子を見てきてくれるって。ちょっと心配だけどうれしい、カイルに手紙を書かなくちゃ。』
レオンはさらにページをめくる。
『お兄様が亡くなった。お父様もお母様もいない。
ああ神様、お願いです。
兄に代わって領地を、皆を、守ってみせると誓います。
だからお願いです、せめてカイルは無事に返してください。お願いします。』
涙のあとだろうか、皺が寄ってできた丸が、水玉模様のようについていた。
『何度もカイルに手紙を送っているのに、返事が来ない。
カイル、早く帰ってきてよ。
わたし一人でどうすればいいの?
カイル、カイル、助けて。』
しばらく白紙が続いた。
そして一言
『カイルが、』
そのあと真っ暗なページが続く。間には破り取られたページもあった。
何枚も続く黒いページのその先に、急に日記がはじまった。
それまでとは毛色の違うものだった。
日常の些細なことや、感じたこと、気持ち、そういった内容は一切なく、ただひたすらに、どこの道は危険だから、かわりのルートはどうするか。
どこそこの森は木が細いから伐採して道を作れる。
川の浅いところを見つけたから橋をかけられる。
敵をたたくためのいい待ち伏せ場所を見つけた。
そんな内容が、こと細かく、狂気を感じるほどに、びっしりと書き込まれていた。
ところどころ日付が飛んでいるのは、その間現地へ赴いていたのだろう。
そして、最後には必ず『カイルを見つけてみせる』と書いてあった。
レオンはエレノアの深淵に触れてしまった。
そっと日記を戻すと項垂れてエレノアの部屋を後にした。
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