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第四話 痕印者
第四話 痕印者 (2)
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不意に締めあげられていた腕が楽になり、秀彰の身体の自由が戻る。もぞもぞと芋虫のように畳の上を這って、その場から抜け出し顔を上げると、そこには未だかつて見たことのないような、意気消沈とした表情の真田が立っていた。
ようやく顔を合わせ、向き合いながら会話が出来ることに、内心ホッと安堵する秀彰。
「アンタ、本当に……林の婆さんを殺ってないの?」
「やってません」
敢えて一言だけ、念を押すようにきっぱりと否定する。それで充分伝わるだろうと秀彰は確信していた。
「あー……その……」
真田はくしゃりと長い髪を掴みながらすぐに何かを言おうとしたが、モゴモゴと口篭るばかりで言葉にはならない。発言を待つ間に、極められていた腕や背中の痛みがぶり返してきて、秀彰は思わず呻き声を上げてしまった。
「つぅ……てて……」
「だ、大丈夫か、赤坂ぁ? えぇと湿布、湿布あったっけな……」
オロオロと焦り顔を浮かべながら、真田は部屋の隅にあった救急箱から湿布を取り出し、ぎこちない手つきで秀彰へと差し出した。
「はい、これ。使いなよ」
「……あ、あぁ、どうも」
てっきり患部に貼ってくれるモノだと期待していた秀彰だが、現実はそこまで甘くないらしい。パリッとフィルムを剥がし、痛む部位へと自分の手で貼り付ける。暫くすると患部が冷えて、痛みが若干楽になった。
心配げに見つめる真田の視線を真っ向から返してやると、居心地悪そうに顔を逸らされた。
「は、ははっ、そんなに熱心に見つめられると先生勘違いしちゃうぞ~……なんつって……」
「実際勘違いして俺を殺そうとしましたよね?」
「うぐっ」
真顔のまま秀彰が指摘すると、真田はビクリと肩を弾ませ、視線を泳がせる。学内で恐れられたあの『女王様』が困ったように眉を曲げ、もぞもぞと太ももを擦り合わせる姿は中々に新鮮な光景だった。
「言い訳する気力も無いわ……本当に、ごめんなさい」
沈んだ表情でそう言うと、真田は秀彰の前で畳に頭を押し付けるように深々と頭を垂れた。もう少しで土下座になりそうなところで、秀彰は慌てて制止させる。
「頭上げてください、真田教諭。俺が林教諭殺しの犯人じゃないって伝わったのなら、それで構いませんから」
ドラマや映画ではよく見る光景だが、面と向かって土下座されるのは性に合わない。足の指がムズムズとしてきた秀彰は、居心地の悪さから逃げるように助け舟を出す。
「本当に? 許してくれるの?」
真田は顔を半分だけ上げて、眼鏡の角度がずれたまま秀彰の顔を上目遣いに見ている。普段気の強い女性が垣間見せる隙、ギャップというのだろうか。その仕草に秀彰も内心グラッと来てしまう。
「一方的に犯人扱いされたのは心外でしたけど、俺の軽率な振る舞いにも問題はありましたから。ですが、今後は俺の話も聞いて――」
「ホントっ!? 赤坂ってば、やっさしーっ!」
「ぐふ……っっ」
聞き終わる前に、真田はすぐさま頭を上げて秀彰に抱きつく――もとい、タックルをかましてきた。突き出された肩と肘が秀彰の脇腹を的確に抉り、肺に溜め込んでいた空気を残らず吐き出させる。
「……ぉぉ……っっ」
「あは、ごめんごめん。つい昔のクセでタックルになっちゃった」
「ど、どんなクセ、だ……」
にへらと口端を歪ませて笑う彼女の顔には、先程まで漂っていた申し訳なさは欠片も残っていない。
(この女、ワザとやりやがったな……)
消沈した表情がたとえ演技だったとしても、せめて携帯のカメラで証拠写真を撮影しておけば良かったと、秀彰は強く後悔した。
「けどさぁ、なーんかまだ納得し切れてないのよね。上手く丸め込まれた感じがするというか。あ、別に今でもアンタが犯人だって決めつけているワケじゃないのよ?」
それまでの意気消沈としていた空気はどこへやら。真田は普段と同じ口調で秀彰に話し掛けてくる。だが、変に余所余所しく接してこられるよりは自然体の方がやりやすいと、秀彰も特別口は挟まない。
「えぇ、言いたいことは分かりますよ。要は俺じゃないという証拠が欲しいんですよね?」
「そーそー。さすがは優等生、飲み込みが早くて助かるわ」
床に散らばったプリントの束をかき集めながら、真田は皮肉にしか取れない言葉を発した。
「んで証拠はあるのかい? アタシが納得出来るような、ナイスな証拠がさ」
「ありますよ」
整理されたプリントを端に置き、丸机の上で肘を付きながらこちらを見やる女教諭に対し、秀彰も負けじと不敵な笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「そのためにも、真田教諭。今から俺と第二グラウンド場まで来てもらえませんか?」
「おいおい、まさかアタシに愛の告白か~?」
「……は?」
「あぁ?」
ついつい素の表情で真田を睨んでしまう秀彰。年甲斐もなく、頬を押さえて照れる姿があまりにもおぞましかったせいだ。数秒後、鬼とも見紛うばかりの凶悪な殺視線を向けられ、秀彰はコホンとわざとらしく咳払いを交えてやり過ごす。
「林教諭の殺害が俺の痕印能力で可能かどうか、そこで証明して見せようかと思いまして」
「えー、なんでわざわざグラウンドまで行かないといけないのさぁ。やるならここでパパっとやっちゃってよ」
ぶつくさと文句を言われてイラッとする秀彰。そのアヒルのように尖らせた唇をクリップで留めてやろうかとも思ったが、代わりに素晴らしいアイディアが降ってきたので、それを披露することにした。
「そうですか。じゃあ今からここで試しますけど、俺もまだまだ痕印能力を完全にコントロール出来る訳ではないので、ふとした事故で諸先生方が苦心して作られたプリント類がグチャグチャに千切られるのは忍びないと思ったんですが、まぁ、部屋主の許可が下りたのであれば、遠慮なく――」
「……へっ?」
そう言って、秀彰はおもむろに右手を掲げてみせる。一瞬キョトンとした顔になるが、彼の意図が分かった途端、真田はパタパタと袖を振って慌てだした。
「い、いや、それはさすがにマズイって! この部屋は旧校舎の中でも一、二を争うくらいに古いんだから傷なんてつけたら……それに回答済みのプリントを紛失しちゃったら減棒どころじゃ済まされないしっ! あ、あーもーー、分かった、分かったわよっ! 行けばいいんでしょ、第二グラウンド場にっ!!」
「ご理解頂けたようで、なによりです」
秀彰は掲げた右手を下げると、早速グラウンド場へ向かうべく立ち上がった。机の上に積み重ねられたプリントの束を我が子のように庇っていた真田は、納得いかないと頬を膨らませて抗議しながらも、渋々秀彰の後について来る。
「あ、そうそう」
宿直室を出て、秀彰が一歩踏み出した矢先。横に並んだ真田に、制服の袖下を思い切り掴まれた。
「万が一だけど、赤坂が逃亡を図る可能性も有り得るからねぇ。アリバイを証明し終えるまでは絶対に逃さないようにしないと」
「いや、袖掴まれるとすげぇ歩きにくんですけど……」
「文句言わずにちゃっちゃと歩きなさいよ。ほら、早くしないと日が暮れちゃうでしょうが」
「なっ、お、おい、ちょっとっ!?」
秀彰の制止などまるで無視して、真田は袖を引っ張りながら強引に歩き始める。細い腕のどこにこんな馬鹿力が秘められているのか。秀彰はズリズリと引き摺られながら、旧校舎の廊下を後にする。
(散歩を嫌がる犬の気持ちって、こういうモンなのかねぇ……)
文化系の部員と思しき生徒らに驚いた表情で見送られながら、どうでも良いことを考える秀彰。
(また変な噂が広まるんじゃないだろうな……)
落胆した気分を表すかの如く、斜めに傾いた体勢のまま、秀彰は大きく溜め息を吐いた――。
ようやく顔を合わせ、向き合いながら会話が出来ることに、内心ホッと安堵する秀彰。
「アンタ、本当に……林の婆さんを殺ってないの?」
「やってません」
敢えて一言だけ、念を押すようにきっぱりと否定する。それで充分伝わるだろうと秀彰は確信していた。
「あー……その……」
真田はくしゃりと長い髪を掴みながらすぐに何かを言おうとしたが、モゴモゴと口篭るばかりで言葉にはならない。発言を待つ間に、極められていた腕や背中の痛みがぶり返してきて、秀彰は思わず呻き声を上げてしまった。
「つぅ……てて……」
「だ、大丈夫か、赤坂ぁ? えぇと湿布、湿布あったっけな……」
オロオロと焦り顔を浮かべながら、真田は部屋の隅にあった救急箱から湿布を取り出し、ぎこちない手つきで秀彰へと差し出した。
「はい、これ。使いなよ」
「……あ、あぁ、どうも」
てっきり患部に貼ってくれるモノだと期待していた秀彰だが、現実はそこまで甘くないらしい。パリッとフィルムを剥がし、痛む部位へと自分の手で貼り付ける。暫くすると患部が冷えて、痛みが若干楽になった。
心配げに見つめる真田の視線を真っ向から返してやると、居心地悪そうに顔を逸らされた。
「は、ははっ、そんなに熱心に見つめられると先生勘違いしちゃうぞ~……なんつって……」
「実際勘違いして俺を殺そうとしましたよね?」
「うぐっ」
真顔のまま秀彰が指摘すると、真田はビクリと肩を弾ませ、視線を泳がせる。学内で恐れられたあの『女王様』が困ったように眉を曲げ、もぞもぞと太ももを擦り合わせる姿は中々に新鮮な光景だった。
「言い訳する気力も無いわ……本当に、ごめんなさい」
沈んだ表情でそう言うと、真田は秀彰の前で畳に頭を押し付けるように深々と頭を垂れた。もう少しで土下座になりそうなところで、秀彰は慌てて制止させる。
「頭上げてください、真田教諭。俺が林教諭殺しの犯人じゃないって伝わったのなら、それで構いませんから」
ドラマや映画ではよく見る光景だが、面と向かって土下座されるのは性に合わない。足の指がムズムズとしてきた秀彰は、居心地の悪さから逃げるように助け舟を出す。
「本当に? 許してくれるの?」
真田は顔を半分だけ上げて、眼鏡の角度がずれたまま秀彰の顔を上目遣いに見ている。普段気の強い女性が垣間見せる隙、ギャップというのだろうか。その仕草に秀彰も内心グラッと来てしまう。
「一方的に犯人扱いされたのは心外でしたけど、俺の軽率な振る舞いにも問題はありましたから。ですが、今後は俺の話も聞いて――」
「ホントっ!? 赤坂ってば、やっさしーっ!」
「ぐふ……っっ」
聞き終わる前に、真田はすぐさま頭を上げて秀彰に抱きつく――もとい、タックルをかましてきた。突き出された肩と肘が秀彰の脇腹を的確に抉り、肺に溜め込んでいた空気を残らず吐き出させる。
「……ぉぉ……っっ」
「あは、ごめんごめん。つい昔のクセでタックルになっちゃった」
「ど、どんなクセ、だ……」
にへらと口端を歪ませて笑う彼女の顔には、先程まで漂っていた申し訳なさは欠片も残っていない。
(この女、ワザとやりやがったな……)
消沈した表情がたとえ演技だったとしても、せめて携帯のカメラで証拠写真を撮影しておけば良かったと、秀彰は強く後悔した。
「けどさぁ、なーんかまだ納得し切れてないのよね。上手く丸め込まれた感じがするというか。あ、別に今でもアンタが犯人だって決めつけているワケじゃないのよ?」
それまでの意気消沈としていた空気はどこへやら。真田は普段と同じ口調で秀彰に話し掛けてくる。だが、変に余所余所しく接してこられるよりは自然体の方がやりやすいと、秀彰も特別口は挟まない。
「えぇ、言いたいことは分かりますよ。要は俺じゃないという証拠が欲しいんですよね?」
「そーそー。さすがは優等生、飲み込みが早くて助かるわ」
床に散らばったプリントの束をかき集めながら、真田は皮肉にしか取れない言葉を発した。
「んで証拠はあるのかい? アタシが納得出来るような、ナイスな証拠がさ」
「ありますよ」
整理されたプリントを端に置き、丸机の上で肘を付きながらこちらを見やる女教諭に対し、秀彰も負けじと不敵な笑みを浮かべて言葉を紡ぐ。
「そのためにも、真田教諭。今から俺と第二グラウンド場まで来てもらえませんか?」
「おいおい、まさかアタシに愛の告白か~?」
「……は?」
「あぁ?」
ついつい素の表情で真田を睨んでしまう秀彰。年甲斐もなく、頬を押さえて照れる姿があまりにもおぞましかったせいだ。数秒後、鬼とも見紛うばかりの凶悪な殺視線を向けられ、秀彰はコホンとわざとらしく咳払いを交えてやり過ごす。
「林教諭の殺害が俺の痕印能力で可能かどうか、そこで証明して見せようかと思いまして」
「えー、なんでわざわざグラウンドまで行かないといけないのさぁ。やるならここでパパっとやっちゃってよ」
ぶつくさと文句を言われてイラッとする秀彰。そのアヒルのように尖らせた唇をクリップで留めてやろうかとも思ったが、代わりに素晴らしいアイディアが降ってきたので、それを披露することにした。
「そうですか。じゃあ今からここで試しますけど、俺もまだまだ痕印能力を完全にコントロール出来る訳ではないので、ふとした事故で諸先生方が苦心して作られたプリント類がグチャグチャに千切られるのは忍びないと思ったんですが、まぁ、部屋主の許可が下りたのであれば、遠慮なく――」
「……へっ?」
そう言って、秀彰はおもむろに右手を掲げてみせる。一瞬キョトンとした顔になるが、彼の意図が分かった途端、真田はパタパタと袖を振って慌てだした。
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「ご理解頂けたようで、なによりです」
秀彰は掲げた右手を下げると、早速グラウンド場へ向かうべく立ち上がった。机の上に積み重ねられたプリントの束を我が子のように庇っていた真田は、納得いかないと頬を膨らませて抗議しながらも、渋々秀彰の後について来る。
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「いや、袖掴まれるとすげぇ歩きにくんですけど……」
「文句言わずにちゃっちゃと歩きなさいよ。ほら、早くしないと日が暮れちゃうでしょうが」
「なっ、お、おい、ちょっとっ!?」
秀彰の制止などまるで無視して、真田は袖を引っ張りながら強引に歩き始める。細い腕のどこにこんな馬鹿力が秘められているのか。秀彰はズリズリと引き摺られながら、旧校舎の廊下を後にする。
(散歩を嫌がる犬の気持ちって、こういうモンなのかねぇ……)
文化系の部員と思しき生徒らに驚いた表情で見送られながら、どうでも良いことを考える秀彰。
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