スティグマータ・ライセンス 〜異能者たちのバトルロイヤル〜

よもぜろ

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第四話 痕印者

第四話 痕印者 (6)

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 付近で感知した痕印能力の出処を探れと、支部長から連絡を受けた直後の遭遇だった。周囲に漂う血臭と痕印残滓を察知して、少年に警戒の念を強める。

「その顔にへばりついた血はなんだ。獣の解体でもしたのか?」
「え? これはほら、鼻血だよ。暗いから転んじゃって……」
「しらばっくれるな。お前が痕印者だという事は分かっている」
「へへ、だったら何だって言うんだいオジサン?」

 カシャンと鉄の擦れる音が鳴り響き、瀬能の眼前に銃口が現れる。過去に機動隊で支給されていた旧式の自動拳銃、いわゆるお下がりだが、この近距離で銃弾を撃ち込まれれば痕印者だろうが殺傷可能だ。

「妙な真似さえしなければ丁重に”保護”してやる。さもなくば――」
「おー怖い怖い。そんな危ないモノ、子供に向けないでよぉ」

 瀬能は柔らかそうな両手を天に向けて掲げ、敵意が無いことをアピールする。それを見た特行所属の男は左手で懐中電灯を持ったまま、器用に無線機のスイッチを入れた。

「こちら丸山。相楽班長、応答願います。●●町三丁目の裏路地にて痕印者の少年を発見しました」
「ところでさ、その格好……もしかしてオジサンってトッコーの人間?」

 瀬能の問いかけには答えず、特行所属の男――丸山は手持ちの懐中電灯で周囲の状況を観察し始めた。立ち込める血臭に不快さを覚えながらも、丁寧に現場を洗っていく。やがて、懐中電灯の光が地面に転がっていたおぞましい肉塊を捉えた。

「……っっ、う…ぐ…こ、これ…は……」

 猛烈な吐き気に襲われた丸山は無線機での報告を断念し、思わず口元を押さえ込んでしまった。肉塊に埋没していた、人の顔らしき物体と目が合ったのだ。

『どうした、丸山。応答しろ!』

 無線機から響く上司の声で我に返った丸山は、意志を奮い立たせて応える。

「し、死体です、グチャグチャにされた死体が――」

 だが、それ以上の言葉を続けることは出来なかった。気が動転していたとはいえ、被疑者から目を離したのは愚行中の愚行だった。ちゃぷちゃぷと血溜まりを走る音を耳にし、丸山はすぐさま背後を振り返るが、小さな悪鬼は既に眼前まで迫っていた。

「み ぃ ち ゃ っ た ぁ♪」
「……っ!?」

 口元を三日月のように釣り上げ、嗤う瀬能。殺気を感じ取った丸山は素早く銃口を向け直したが、そこから銃弾が放たれることはなかった。被疑者の幼い顔付きに躊躇したのか、それとも別の理由があったのか。真実が彼の口から語られる機会は、永遠に失われる事になる。

「く……ぎ、『ギガント――」

 代わりに丸山は痕印名を叫ぼうと試みた。しかし、極度の緊張で心拍数が上がった状態では、能力発動に時間が掛かる。肉薄する間合い、二者の視線が交錯する。動揺でチカチカと点滅を繰り返す丸山の瞳に対し、瀬能の瞳は黒一色、開ききった瞳孔が淀みない純の狂気を示していた。

「……っ!?」

 瀬能は右手で手刀の形を作ると、走る勢いそのままに丸山の腹部へと突き刺した。指先に迸った高重圧の波によって、丸山の着る防弾衣には拳大程の穴が空き、抉った中身はトコロテン式に背中のさらに後方へと捻り出された。

「ぐぶ……っっ」

 無駄のない、鮮やかな一撃だった。発動に間に合わなかった痕印能力の残滓が、丸山の身体から霊魂のように抜けていく。

「ぶば……ぁ……ぐっ…!」
「遅いよ、オジサン。痕印を使うのにそんな時間掛かっちゃ勝負になんないよー」

 腹部を貫かれた丸山の口から、泡の混じった鮮血が溢れ出す。誰が見ても明らかな致命傷だ。ガ、ガガと、耳障りなノイズが辺りに虚しく響く。

「ぐぶっ…つ、強いな……お、前……」
「んへへー、まーね。ていうか、オジサンが弱すぎるんだよ。そんなんでボクら聖痕民団に勝てるとでも思ってるの?」

 そのキーワードに、丸山はピクリと眉を動かした。

「…せ、聖痕民団……だと。で、では……今までの怪死事件は……、やはりお前らの…、し、仕業……だったのか…?」
「『カイシジケン』? んー、よく分かんないけど、オジサンみたいなゴミを処理してたのは、このボクだよ」

 自身の胸に親指を向け、勝ち誇る瀬能。

「ふ、ふふ……なるほど、な……、子どもだからといって油断したよ…、良ければ名前を……教えてくれないか?」
「えー、どうしよっかなー」

 ガクガクと手足を震わせながら、丸山が問い掛ける。

「どうせ俺は……このまま死ぬんだ…、な、なぁいいだろ……?」
「仕方ないなぁ。じゃあ特別サービスで教えてあげる。ボクの名前は瀬能亮太。もうすぐ幹部になる予定の超々優秀な痕印者だから、あの世へ行っても覚えておいてね!」
「そ、そうか……」

 瀬能の自己紹介を聞いた丸山は、口元に手繰り寄せていた無線機に向かって、力の無い声で最後の報告を送る。

「……実行犯…名、は……『せのう、りょうた』……! 組織…『せいこん、みんだん』……! さがら、班長……あとは……ッ」
『……良くやった、丸山。後は俺達に任せろ』
「…………へ?」

 路地裏に漏れ広がる悔恨強い声に、キョトンとする瀬能。だが、すぐに自分の失態に気がつくと、顔を真っ赤にして怒った。

「お、お前もかっ、くそっ!! ……死にぞこないの癖に余計な事しやがって……っ!」
「――ッッ!?」

 瀬能が丸山の腹部を貫いたまま、拳に力を込める。一際強い痕印能力が発現し、空間が歪み、穴の直径はさらに拡大した。大部分の臓器を失った丸山は、糸が切れた人形のように地面へ倒れ伏し、絶命した。
 しかし、その横顔は絶望ではなく、達成感に満ちていた。

「く、っそおおおお!! こんなものっ、こんなものぉっっ!!」

 なおも耳障りな雑音を鳴らす無線機を睨みつけ、能力を使って粉々に押し潰したが、瀬能の苛立ちは消えない。

「あー、もういいよっ! 特行だか何だか知らないけど、ボクが纏めてぶっ殺してやるよ!!」

 瀬能が怒りに任せて壁を叩くと、彼の拳を中心として蜘蛛の巣状のひび割れが生じた。衝撃の余波で血溜まりに落ちた懐中電灯が、カラカラと転がる。

「クソっ、ボケっ、カスっ! ゴミムシのくせにっ!! ボクの邪魔ばかりしやがって…っ!!」

 それでも怒りは収まらず、瀬能はありったけの能力をぶつけて路地の幅を無理矢理に広げていく。やがて成人男性ほどの大穴が路地裏の壁に空いたと思いきや、嗄れた男の声が瀬能の周囲に反響する。

「ひっひひ、やってしもうたのぉ。瀬能の」
「……見てたのなら手伝ってくれてもいいじゃん。相変わらず、柳のじっちゃんは意地が悪いよ」

 それはさながら影の中から出てきたように、瀬能の背後に新たな人物が出現した。声の主は瀬能と変わらないほどの小さな背丈をした、白髪の老人だった。紋付羽織袴を身にまとい、腰には胡蝶蘭を模した鍔の日本刀が携えられている。

 老人の名はやなぎ。反社会的な思想を持った痕印者達の集まりである犯罪者集団――聖痕民団の幹部にして"痕印狩り"の異名を持つ、練達の痕印者だ。

「よく言うわい。儂が手を出せば、散々文句を垂らしていただろうに」
「うー、まぁ……そうだけどー……」
「それにしても、まさか特行の連中にまで手を出すとはの。お主の頭の中にはどんな色の味噌が詰まっておるのか、一度開いて見てみたいわ」
「ふん。なにさ、トッコートッコーって皆して怖がってるけどさー。全然大した事無かったよ。ボクらから見りゃ、あんなのザコの集まりだって」

 柳は骨身同然の手で自分の顎を擦りながら、瀬能の顔をジロリと睨みつける。そこにはやんちゃな部下を咎めるというよりも、組織の癌細胞にうんざりしているというニュアンスの方が強く窺えた。

「ほお、末端の者を一匹潰したくらいで大した事無いとほざくか――この戯けが」

 剃刀のように鋭く研ぎ澄まされた眼光に当てられ、瀬能は押し黙った。現幹部と幹部候補、近しい地位に見える両者だがその間には埋めがたい格差があった。

「うぐ……っっ」
「良いか、瀬能の。今の我等はおおとり様の命に従い、人脈拡大を図る大事な局面じゃ。その時期にお主はわざわざ敵対組織である特行の注意を引き付けるような真似をしでかした。言わば組織の不良因子よ。今ここで儂が処分しても誰も文句は言い出すまい」

 徐々に語気を強める柳が日本刀の柄に手を伸ばした瞬間、彼の姿が狭い裏路地から忽然と消えた。瀬能は慌てて右手を掲げ、迎撃の構えを取る。姿は見えないだけで、瀬能には柳の存在が知覚出来ていた。

 ただし、その出処は――周囲を覆っている暗闇全体からだが。

「小物を狩るのはお主の自由よ、好きにすればええ。ただし、儂に狩られても文句は聞かぬぞ。儂とて、"小物狩り"は好物の一つじゃからのぉ……ひっひひ」
「ぐ、ぐぐぐぐぐぅぅぅ……っっ!!?」

 闇夜の裏路地に、柳の嗤い声が響き渡る。逆に追い詰められた瀬能は、悔しげに唇を噛むことしか出来ない。

 瀬能の痕印能力は範囲が狭い代わりに凶悪な威力を誇る。裏を返せば、相手の姿が見えない状態では真価を発揮できないのだ。それを熟知している柳は、自らの得意とする環境へと巧みに誘い込み、優位を保っている。

「はぁ……はぁ……ひぐっっ!?」
「分かったか。所詮、お主の実力なんぞこの程度に過ぎんのだ」

 瀬能が小さな悲鳴を上げる。いつの間にかその細白い首筋には冷たい刀身があてがわれていた。背後を取った柳がこのまま刃を引けば、少年の首は容易く飛ぶだろう。

「えっと、冗談……だよね? 本気でボクの事、殺そうとは思ってない、よね?」
「さぁて、どうかの」

 質問に答える代わりに、柳はほんの少しだけ刃を食い込ませた。プツリと肉が切れる音を立て、瀬能の柔肌に鮮血の水玉が浮かぶ。

「か、勝手な事をしたのは謝るって! ごめんなさいっ! 今度からは良い子にするから、ねっ、ねっ??」

 目尻に涙を浮かべながら、瀬能は必死に命乞いを始めた。瞳から狂気の色は抜け、歳相応の無垢な少年の顔に戻っていた。それでも、柳は無表情に徹している。

「……と言っておるが、どうするのじゃ。世良の」
「個人的な意見で言えば、そのまま喉元掻っ切って欲しいのだけれど」

 柳が闇夜に問いかけるとさらにもう一人、裏路地の入り口から登場した。丸く纏めた後ろ髪に、ストライプの入った黒のビジネススーツを来た女だ。その瞳は、この場の誰よりも冷徹な色をしている。

 名前は世良恭子せらきょうこ。彼女も柳と同じく聖痕民団幹部の地位にいる痕印者だ。

「鳳様が目を掛けている手前、勝手に処分することは許されないわ。一度拠点に戻って、あの御方の裁量に任せましょう」
「ふむ、ワシも相違無いわい」

 頷いた柳は刀を収めると、自由になった瀬能を世良の方へ突き飛ばした。そのまま抱きつこうとする瀬能の顔を、世良は脇に抱えたカルテの裏で受け止める。
 バシン、と強めの打音が脳天に響くが、当の瀬能に気にする様子はまるでない。

「えへへ、世良って意外と優しい所もあるんだね。ボク、見直したよ!」
「勘違いしないで。たとえ鳳様から恩赦が得られたとしても、私の忠告を無視して行動したことは立派な規律違反よ。暫く陽の目は見られないと覚悟しなさい」

 瀬能のキラキラとした視線を、世良はキツイ言葉で遮った。傍で見ていた柳は心底可笑しそうに引きつり嗤いを浮かべている。

「そんなぁ……」
「地下房行きか。それもまた一興よ、ひっひひ」
「何をノンビリしているの。一刻も早く、この場から離れるわよ。どっかの間抜けが情報を漏らしてくれたお陰で、特行が動き出している。今回ばかりは後始末する時間なんて無いわ」

 冷たく言い捨てた世良は後ろを振り返ることなく、颯爽と裏路地を歩く。瀬能は俯きながら、柳は不気味に嗤いながら、彼女の先導に従った。さながら冥府の狗に食い破られたかのような無惨な残骸を残して、彼らは深き闇へと消えていった――。
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