これで、私も自由になれます

たくわん

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噂は王都へ

商人ギルドとの契約を終え、エリザベートがノイシュタット領に戻ってから二ヶ月が経った。

秋の収穫期。

領地の麦畑は、黄金色に染まっていた。農民たちが総出で収穫作業に励んでいる。

「今年は豊作だ!」

「こんな収穫量は初めてだぞ!」

農民たちの歓声が、畑に響いていた。

エリザベートは、収穫された小麦の検査をしていた。一粒一粒を手に取り、大きさ、色、重さを確認する。

「品質も申し分ないわね」

隣にいる農務官クラウスが、満足そうに頷いた。

「お嬢様の指導のおかげです。新しい農法は、完全に成功しました」

実際、数字は嘘をつかない。

今年の収穫量は、前年比で三十パーセント増加。品質も向上し、商人ギルドからの評価も高い。

「ペーター」

エリザベートは、試験農場の責任者である老農夫を呼んだ。

「はい、お嬢様」

「素晴らしい仕事をしてくれたわね。あなたの経験と努力があってこそよ」

ペーターの目に、涙が浮かんだ。

「もったいないお言葉です……この歳になって、まだ新しいことを学べるとは思いませんでした」

「学びに年齢は関係ないわ」

エリザベートは優しく微笑んだ。

「それに、この成功を見た他の農民たちも、新しい方法を試したいと言ってきているでしょう?」

「はい」

クラウスが報告した。

「現在、領地の農民の半数以上が、新農法への切り替えを希望しています」

「素晴らしいわ」

エリザベートは満足そうに頷いた。

「段階的に支援していきましょう。種子の提供、技術指導、そして初年度は税の減免も検討して」

その時、騎士団長ヴォルフガングが馬で駆けつけてきた。

「お嬢様!」

「どうしたの?」

「北部の鉱山から、良い知らせです!」

ヴォルフガングは息を切らしながら報告した。

「予想以上の鉱脈が見つかりました。技師の話では、少なくとも十年は採掘できる規模だそうです」

エリザベートの目が輝いた。

「本当に?」

「はい。それに、鉄鉱石の品質も予想より良質だと」

これは、大きな発見だった。

当初の計画では、鉱山は補助的な収入源と考えていた。しかし、これだけの規模なら、領地の主要産業の一つになり得る。

「すぐに鉱山に向かうわ。馬の準備を」

「お嬢様、今日はもう夕方ですぞ」

ヴォルフガングが心配そうに言った。

「明日の朝でも……」

「いいえ、すぐに確認したいの」

エリザベートは既に歩き出していた。

「チャンスは、逃してはいけないわ」

その頃、王都では。

王宮の謁見の間で、国王フリードリヒ三世が重臣たちと会議をしていた。

議題は、王国の経済政策について。

「陛下」

財務大臣が報告した。

「今年度の税収は、前年度とほぼ同水準です。しかし、支出は増加傾向にあり、財政は逼迫しております」

「何か打開策はないのか」

国王は不機嫌そうに言った。

「各地の領主たちに、もっと積極的に領地を発展させるよう命じているはずだが」

「それが……」

財務大臣は困った顔をした。

「多くの領主は、旧来のやり方に固執しており、改革に消極的です」

「情けない」

国王は舌打ちした。

その時、内務大臣が口を開いた。

「陛下、一つ興味深い報告があります」

「何だ?」

「リヒテンシュタイン辺境伯領のことです」

国王は眉をひそめた。

「辺境伯領? あの貧しい領地か?」

「はい。しかし、最近、急速に発展しているとの報告が上がっております」

内務大臣は書類を読み上げた。

「農業改革により収穫量が大幅に増加。新たに鉱山を開発し、雇用も創出。商人ギルドとの独自の取引契約を結び、商業も活性化。わずか半年で、領地の税収は倍増しているそうです」

謁見の間がざわついた。

「倍増だと?」

国王が身を乗り出した。

「それは本当か?」

「はい。商人ギルドからも、同様の報告を受けております」

財務大臣が付け加えた。

「リヒテンシュタイン辺境伯領の小麦は、品質が高く、今や王都の市場でも人気だそうです」

「辺境伯は……確か、病弱だったはずだが」

国王が言った。

「誰が、そのような改革を?」

「それが……」

内務大臣は、わずかに躊躇した。

「辺境伯の令嬢、エリザベート様が実質的な領地経営を行っているとのことです」

「令嬢が?」

国王は驚いた。

「女性が、領地経営を?」

「はい。しかも、その手腕は相当なものだと」

財務大臣が続けた。

「商人ギルドのシュミット氏が、彼女を『次世代の経営者』と高く評価しております」

国王は、興味深そうに顎に手を当てた。

「面白い……エリザベート・フォン・リヒテンシュタイン、か」

「陛下、確か彼女は」

内務大臣が思い出したように言った。

「ローゼンベルク公爵家の御曹司と婚約していたはずですが、破棄されたと」

「ああ、そういえば……」

国王は記憶を辿った。

「あの時、社交界で話題になったな」

「はい。『地味で社交性がない』と言われていた令嬢だったと記憶しております」

「それが今や、領地経営の手腕で名を上げているのか」

国王は面白そうに笑った。

「人は見かけによらない、ということだな」

「陛下」

財務大臣が提案した。

「一度、彼女を王宮に招き、話を聞いてみてはいかがでしょうか。他の領主たちへの良い刺激にもなるかと」

国王は考えた後、頷いた。

「そうしよう。正式に召喚状を送れ」

こうして、エリザベートの名は、国王の耳にまで届いた。

その夜、王都の社交界でも、エリザベートの話題で持ちきりだった。

ある邸宅で開かれた夜会。

「聞きました? あのリヒテンシュタイン令嬢が、領地経営で大成功しているそうですわ」

「まあ、本当? あの地味な方が?」

「今では王都の商人たちも、彼女の領地の産品を欲しがっているんですって」

貴婦人たちの会話は、羨望と驚きが入り混じっていた。

「あの方、確かローゼンベルク公爵家との婚約を破棄されたんですわよね」

「ええ。『つまらない』と言われて」

「でも、今や彼女の方が輝いていますわね」

その会話を、少し離れた場所でソフィアが聞いていた。

華やかなドレスを纏い、宝石で着飾った彼女。しかし、その表情は暗かった。

「ソフィア様」

友人の令嬢が近づいてきた。

「お元気がないようですが……」

「いいえ、何でもありませんわ」

ソフィアは無理に笑顔を作った。

しかし、心の中では、焦燥感が渦巻いていた。

最近、アレクサンダーは仕事ばかりで、彼女に構ってくれない。楽しい会話もなく、舞踏会にも渋々ついてくる。

そして、何より。

「お金が足りない」と、彼は繰り返し言う。

新しいドレスも、宝石も、以前のように簡単には買えなくなった。

一方、自分たちが捨てたあの地味な令嬢は、今や成功者として称賛されている。

「これは、おかしいわ」

ソフィアは小さく呟いた。

「私が幸せになるはずだったのに……」

その時、ソフィアの視界に、一人の男性が入った。

アレクサンダーだった。

彼は会場の隅で、グラスを手に、一人佇んでいた。

その表情は、疲れ切っていた。

ソフィアは、彼に近づこうとした。

しかし、その前に、何人かの貴族たちがアレクサンダーを囲んだ。

「ローゼンベルク公爵家の若様」

一人の男爵が、わざとらしく言った。

「最近、領地経営がお忙しいとか」

「ああ……まあ」

アレクサンダーは曖昧に答えた。

「それは大変ですな。リヒテンシュタイン令嬢の成功を見ると、余計に苦労なさっているのでは?」

男爵の言葉には、明らかに皮肉が込められていた。

アレクサンダーの顔が、わずかに強張った。

「彼女は……優秀だったからな」

「ほう。では、婚約を破棄されたのは、惜しいことでしたな」

別の貴族が、にやにやしながら言った。

「あのような才女を手放すとは」

アレクサンダーは、何も答えられなかった。

貴族たちは、意地悪な笑みを浮かべながら去って行った。

一人残されたアレクサンダーは、グラスの酒を一気に飲み干した。

彼らの言葉は、全て正しい。

自分は、愚かだった。

エリザベートの価値を理解せず、表面的な華やかさに惑わされた。

そして今、その代償を払っている。

「アレクサンダー様」

ソフィアが近づいてきた。

「何を考えているのですか?」

「……何でもない」

アレクサンダーは、疲れた笑みを浮かべた。

「少し疲れただけだ」

「そうですか」

ソフィアは、わずかに不満そうな顔をした。

「最近、あなた、私と話す時も上の空ですわね」

「すまない」

「それに、エリザベート様のことばかり考えているのではありませんか?」

ソフィアの声に、棘があった。

アレクサンダーは、彼女を見た。

「そんなことは……」

「嘘おっしゃい」

ソフィアは涙目になった。

「あの方の名前が出るたびに、あなたの表情が変わるのを、私は見ています」

「ソフィア……」

「私は、あの方より劣っているのですか?」

ソフィアの声が震えた。

「私は、あなたのために、こんなに美しく着飾っているのに。あなたを笑わせようと努力しているのに」

アレクサンダーは、何も言えなかった。

ソフィアは美しい。華やかで、明るい。

でも。

それだけだった。

彼女は、彼を支えてはくれない。共に問題を解決してはくれない。

ただ、楽しさだけを求める。

「もう、帰りましょう」

アレクサンダーは疲れた声で言った。

「ここにいても、意味がない」

二人は、静かに夜会を後にした。

王都の夜は、冷たかった。

一方、ノイシュタット領では。

エリザベートは、鉱山の入り口に立っていた。

松明の光が、岩壁を照らしている。

「お嬢様、ここです」

鉱山技師のヨーゼフが、奥を指差した。

「この先に、新しい鉱脈があります」

エリザベートは、躊躇なく坑道に入っていった。

岩肌を手で触り、鉱石のサンプルを確認する。

「素晴らしい……これなら、製鉄所の建設も視野に入れられるわ」

「製鉄所、ですか?」

ヨーゼフが驚いた。

「それは、かなりの投資が必要ですが……」

「必要な投資よ」

エリザベートの目は、輝いていた。

「鉱石を採掘するだけでなく、加工まで行えば、利益は何倍にもなる。雇用も増える」

彼女は、既に頭の中で計画を立てていた。

製鉄所の建設。技術者の雇用。製品の販売ルート。

全てが、明確に見えている。

「さあ、戻りましょう」

エリザベートは坑道を出た。

外は、既に夜だった。満天の星が輝いている。

「お嬢様」

ヴォルフガングが言った。

「お疲れでしょう。城に戻って休まれては」

「そうね」

エリザベートは微笑んだ。

「でも、疲れていないわ。むしろ、力が湧いてくる」

彼女は星空を見上げた。

今、王都では、自分のことが話題になっているのだろうか。

以前、「つまらない」と言われた自分が。

でも、それは、もうどうでもいい。

大切なのは、この領地。この領民たち。

そして、自分が本当にやりたいこと。

「さあ、帰りましょう」

エリザベートは馬に乗った。

「明日も、忙しい一日になるわ」

その目には、揺るぎない決意が宿っていた。

噂は王都に広まり、人々の評価は変わった。

しかし、エリザベート自身は、何も変わっていない。

ただ、自分の道を、まっすぐに歩き続けるだけ。

それが、彼女の生き方だった。
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